自転車の歌今日はもうレッスンもなく暇だったこと。ペットボトルの水を飲みきってしまいそうだったこと。事務所の喧噪の中で、ふと孤独になってしまったこと。そして、それが取り立てて苦ではなかったこと。今ハマってるゲームとコラボしたお菓子が、二番目に近いコンビニで出てること。そんないくつかの理由で俺は事務所の階段を下ってコンビニへ向かおうとしていた。
「あれ?タケルじゃん。どうしたの?」
そんな俺を呼び止めたのは隼人さんだった。自転車を漕いできたのだろう、軽く汗をかいている。他の人たちはどうしたんだろう。それに、いつもより少し早い時間だと思った。
「コンビニにでも行こうかと思って」
「へぇー。ねぇ、俺も行っていい?」
「ああ、もちろん」
俺がそう頷いたら、隼人さんは押していた銀色の自転車を見せてこう言った。
「乗ってく?」
走るからいい、と返せば、じゃあ自転車は置いてくよ、2人で歩いて行こう、と返される。ところが隼人さんは自転車を駐輪場に置きに行く気配をまるで見せずに、もう一度だけ「乗ってかない?」と聞いてきた。
俺は頷いた。二人乗りってのはよくないことなのだっけ。思ったけど、口に出すのは野暮だと思って何も知らないふりして隼人さんと自転車に近づいた。世の中にはそういった類の”悪いこと”がそれなりに存在する。たった17年しか生きていないけどわかる。輝さんや英雄さんには言えないけど。
「俺が漕ぐよ」
「大丈夫大丈夫!タケル乗りなよ!」
隼人さんがサドルに座る。ふと思った。二人乗りで後ろに乗るのって初めてかもしれない。もしかしたら、二人乗り自体初めてかも。
バランスを取るのが難しかったけどなんとかなった。よろよろと自転車が進み出す。隼人さんは人目を避けるように裏道を選んで、薄暗い路地を自転車は走り出す。
「シキはそう言うんだけど、やっぱり結局ドーナツなんだよな」
隼人さんが他愛のない話をしていて、それを俺は聞いていた。隼人さんの話は楽しかった。聞いていて、なんだか楽しくなる。
「あ、シキって言えばさ、アイツ最近二人乗りして後ろに乗せると絶対ふざけるんだ。背中にぴたってくっついて『ハヤトっちの背中、広いっす……』とか言うんだよ」
それがもうおかしくてたまらないと言った風に隼人さんが言う。最近はハルナまで真似して、ちょっとした流行りみたいになってるんだ。そう言って笑う。
「タケルの背中は広そうだな。鍛えてるし」
「……いや、そんなことはないだろう。広い背中ってのは、円城寺さんみたいなもんだと思う」
「あー、わかる!」
隼人さんはひとしきり納得したあと、俺たちじゃ色々足りないよなぁ……と嘆いてみせた。身長とか。身長とか。あと、身長とか。そこに関して、俺たちに足りないものは一致していた。他にも足りないものはたくさんあったけど、それを明確に言葉にするのは俺には難しいことだった。
「広い背中になりたいなー!」
隼人さんが自転車の速度をあげる。
「そんでさー!いっぱい頼られちゃったり寄りかかられちゃったりするんだー!」
風に流されまいと隼人さんの声が大きくなる。つられて俺も大声を出す。
「円城寺さんを越えたりなんかしてな!」
「いいね!ねぇ、タケルがそんだけ大きくなったら、レンはタケルのこと、なんて呼ぶんだろうな」
どうだろう。仮に俺がアイツの背を越したって、アイツは一生俺をチビって呼ぶ気がする。そんなことをぼんやり思った。隼人さんは楽しそうに言う。
「あー、なんかおかしい。ねぇ、聞いてよタケル。俺さ、普段は学校、電車と歩きなんだ。でも今日はすごく朝早くに目が覚めてさ。なんだか自転車に乗りたくて、自転車に乗って学校を目指したらなんだかおかしなっちゃって、学校サボってここまできちゃった。地図アプリに事務所の場所入れてさ、ずっと自転車漕いでた」
たくさん寄り道しながらさ。ねぇ、おかしくない?そう言って目を細めて隼人さんが笑う。
「心配されてるかな。スマホにさ、メッセージがいっぱいきてるんだけど、なんにも開いてないんだ」
「ユニットのみんなは心配してるんじゃないか?」
たぶん、学校の友達も先生も。そう思ったけどこれは口にしなかった。
「だよな。でも、俺は今日はそういうの全部無視して自転車を漕いでたい気分なんだ」
「実際、コンビニも通り過ぎてるしな」
「バレてたか」
くるりとUターンしようとして、バランスが取れずに隼人さんが足をついた。あーあ、と残念そうに隼人さんがぼやいた。
「大きい背中ってなんだろうな。そうなったら、俺ってどうなってるんだろ。多分もうテストなんて受ける年じゃなくて、放課後なんてものもなくて、思いつきで自転車を漕いで遠くにも行かなくて、スマホの着信も無視しなくて、それで……」
寂しそうに隼人さんが言う。
「二人乗りもしなくなるんだ、きっと」
隼人さんは、そうなりたいのだろうか。なりたくないのだろうか。わからない。
隼人さんの肩に捕まってもう一度自転車に乗ろうとする。隼人さんが、わ、と声をあげた。
「コンビニ、行こう。二人乗りしてさ」
「……そうだな。うん、行こう」
自転車がまた動き出す。頬に風を感じる。
***
コンビニで買い物してる途中、隼人さんが「帰り道どうしよう」って笑った。ここまでくるのにかかった時間を逆算したら、わりと早い時間に事務所を出ないと間に合わないらしい。
「事務所に用事とかなかったのか?」
「なんで?ないよ?」
本当に、思いつきだけでここまで来たらしい。
隼人さんは深呼吸を一つして、スマホを開く。そうしてやっぱりなー、と言う顔をして、メッセージを確認して、そのメッセージに返信していた。
「サボっちゃった」
そう言って笑う。珍しいな、と言えば俺だってそういうことするんだよ、って隼人さんが呟いた。
「あー……。帰り道のこと、なんにも考えてなかったよ。自転車って電車に乗せられたっけ……」
「漕いで帰らないのか?」
「あの距離を!?いや、うん、それしかないんだけどさ。なんかテンションが落ち着いちゃったと言うか……」
ありがとうございました。ハキハキとした店員の声を背に店をでる。とりあえず事務所に戻ろうか、と言うので今度は俺が漕ぐよ、と言ったら隼人さんは少し考えてありがとう、と言った。
事務所までの道のりで、ふと思いついたことがあった。
「一緒に隼人さんの家まで帰るか。交代ばんこで二人乗りしてさ」
「え」
「どうかな。たぶん、楽しいと思うんだ。さっきみたいにバカ騒ぎしながら自転車を漕ぐんだ」
大人に見つからないように。あと少し、悪いことをしよう。
「タケル……ありがとう、でも悪いよ」
「悪いことなんてない。それで、たくさん話そう。俺は隼人さんともっと話したい」
「……ありがとう」
感謝の言葉は少し声が滲んでいた。俺は前を見ていたからわからなかったけど、涙もろい彼は少しだけ泣いたのかもしれない。
***
結局俺たちは二人乗りをして、隼人さんの家まで帰った。おそらく、事務所にいた大人に頼めば自転車ごと車に乗せて送ってくれた距離を、2人で会話しながら自転車を漕いだ。
「こういうのが青春なのかもなー」
「どうなんだろうな」
「青春ってなんなんだろうなー」
青春。自分には無縁なものの気がして、隼人さん達が送ってるもの、そのものの気がする。そう伝えたら隼人さんが「同い年!」と声をあげた。
「青春かー。青春、出来てるのかな。俺たまにわかんなくなっちゃうよ。こんだけ大勢を巻き込んどいて」
どうなんだろうと言った後、隼人さんは自転車の速度をあげる。
「少なくとも、これは青春っぽいんじゃないか?」
「二人乗りが?そうかも」
「思い立って、学校サボって遠くまで自転車で来るのも結構それっぽい……と思う」
「確かに。青春って結構アホなのかもなぁ」
そして、楽しそうに笑う。
「タケルも今度、青春してみせてよ」
青春ってなんだろう。それがわかってない俺にはずいぶん難しいことのように思える。
「……努力する」
「タケルは真面目だなぁ」
そうやって、なんとなしの会話をしながらずっと自転車を漕いでいた。
街並みや空の色が変わって、それでもずっと自転車を漕いで、ようやく隼人さんの家についた。あたりは暗くなっていた。
「タケル、ほんっとーーにありがとう!多分1人だったら挫けてたよ……本当にありがとう!」
「いや、いい運動になった。それに、たくさん話が出来て楽しかった」
本当にいっぱい話をした。それでも話題は次から次へと出てきて不思議だった。俺は話すのが得意じゃないのに、こんなに話が出来るなんて。そう言ったら隼人さんは俺に、友達ってそういうもんだよって笑ってくれた。
「いや、それでもなんかお礼したい……晩御飯どっかで食べてく?奢るよ!てかうちでゲームやってってもいいし、なんなら泊まってもいいし……」
あ、それは俺が楽しいやつで、お礼にはならないか。そう言う隼人さんに充分お礼になることを伝えた。それは俺だって楽しくて嬉しい。
「でもごめん、明日仕事あるから、戻るよ」
心底残念だった。みんなでやるゲームも面白いが、隼人さんと1対1でやるゲームもとても面白いから。
「ああーそっか。わかった」
また今度おいでよ、と残念そうな声。そして思いついたように隼人さんは言った。
「今のは大人っぽいな」
「そうか?」
「ぽいよ。子供だったらさ、翌日の仕事なんて考えないで遊んじゃうもん」
俺たちって、子供と大人の中間みたいだな。そう笑う。
「大人っぽかったか」
「うん。二人乗りとかしなさそうだった」
「……背中も広そうか?」
「道流さんくらい、うんと」
そこまで言って、お互いに堪えきれず吹き出した。
「じゃあまた!」
「ああ……また二人乗り、しようぜ」
「……うん!」
そう言って別れた。
***
数日後、隼人さんからデモをもらった。
最近はランニングの時にずっと聞いてる。
どこまでも行けそうな爽やかな歌で、聞いているとまた、隼人さんと二人乗りでどこまでだって行きたくなる。そんな歌。