月と海と銀の猫「円城寺さん、コイツ死んでる」
突拍子もない言葉が背中から投げかけられる。それでも俺はそれを明日の天気予報を聞くような感覚で受け入れた。
一通り夕飯で使った皿を洗い終えてから振り向けば、ちゃぶ台の横で丸くなっている漣の髪をタケルが手で梳いていた。
「死んでるのか?寝てるんじゃなくて?」
「うん。死んでる」
近寄って漣の顔を見る。普段から真っ白な顔は作り物めいていて、生きているだとか死んでいるだとかはちょっとよくわからない。少し離れて見るぶんにはそれは普段の漣のような気がした。
「埋めなくちゃ」
挨拶をされたら挨拶を返しましょう。それくらいの義務感でもってタケルは言う。俺はと言えば動かなくなった漣の頬に触れてみたところで、その陶器のような温度と手触りに、ようやく漣が死んでいることを実感した。
それでもタケルの言葉に頷くまでに時間がかかった。これを、このキレイな生き物だったものを埋めてしまうのはすこしもったいないと思っていたからだ。ただ、タケルが咎めるような視線を向けてきていて、俺はその視線に逆らうことはしなかった。死体は埋めるというのも正しいとわかっていた。埋めたくないのは俺のわがままなのだ。
「どこに埋めるんだ」
「海に行こう。砂浜がいい、あれは砂がさらさらしてるから」
そういうもんなのか。それなら、と漣の背中と膝の後ろに手を回して持ち上げる。漣に意識があったら怒られそうな持ち方だ。
漣を抱えて玄関に向かう。今は夜だから車を出そう。そう思い鍵も手に取った。
タケルはただそれを見ている。目が逢うとふっと微笑む。
「いってらっしゃい」
「こないのか?」
「邪魔するの、悪いし」
そうなのか。何が邪魔なのかよくわからなかったけど、その言葉を受け入れて玄関を出る。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
車は海岸沿いを走る。揺れる車内、窓を開ければ潮の匂い。漣が死んで数時間、タケルの思いつきのような言葉でこんなところまで来てしまった。
夜も更けた。誰もいない。適当な場所に車を止め、助手席に座っていた……いや、助手席に積み込んだ漣を、漣だった物を抱えておろす。
漣を砂浜に横たえて、砂を掘ろうとして道具が何もないことに気がつく。手のひらで砂を掬ってみればさらさらと砂は手から溢れてしまい、作ろうと思っていた穴に降り注いでいく。これで、漣がすっぽり埋まる穴を掘るのは大変そうだ。そもそも、砂浜って結構な頻度で人が掘り返さないか?今更ながら死体を埋めるには適さないように思えてきた。
さて、どうしたものだろう。埋められなかったと言って、漣を連れて帰ろうか。元々、埋めてしまうのは惜しかったし。でも、タケルの目を思い出すと、何となく漣を連れ帰る……いや、持ち帰るのはためらわれた。
ざざ、となる潮の満ち引き。さざなみ。彼の名前。
海に帰してしまおうか。そう思い、漣を抱えて海の中へと入っていく。
一歩、砂を踏みしめる。一歩、靴に水と砂が入る。一歩、脛に濡れたズボンが張り付く。一歩、パンツまでずぶ濡れ。
歩みを繰り返し、胸につくかつかないかというところまで水にひたる。海は満月を映していてきらきらと光っている。その月に預けるように漣を水面へと横たえた。
だが、予想に反して漣の体は水には沈まなかった。水面にぷかぷかと浮かぶ漣の体。不思議な光景だった。
「キレイだな」
ふと声がしたほうを見るとタケルがいつの間にか横にいた。背が足りなくて俺の腕にしがみついている。
「そうだな。キレイだと思う」
そう言って、しばらくは月と漣を眺めていた。銀の髪に月の光が反射して、キレイだった。
ずいぶん経って、困った俺はタケルに問い掛ける。
「……これから、どうしようか」
そう言って横を向けば、横にいたのは自分だった。今より少しだけ若い自分。
「お別れするしかないんだよ。いつかは」
そう言って突然現れた自分が俺の腕を引く。そちらに一歩踏み出すと、急に足下の砂がなくなった。体が海に沈んでいく。
水面を見上げると、漣の銀の髪がゆらゆらと揺れていた。
変な夢を見た。行きがけに買ってきた夢占いの雑誌をパラパラとまくりながらそんなことを考える。
友人が死ぬ夢は吉夢だと書かれたページを見て、少し安心する。しかしページを捲れば縁を切りたい気持ちの表れかも、と書いたページがあって、どっちだよ、と頭を抱える。ならば海の夢はなんなのだろう。そう思い海の夢のページを開けば、「海の話でしょうか!」とクリスが話しかけてきたため、雑誌を閉じて今朝見た不思議な夢の話をすることにした。でも、死んだのが漣だと言うことはなんとなしに言えなかった。それが何故なのかはまったくわからなかった。