ダイナー・タバコ・チョコレート 生きることにしがみついていた人生だが、振り返ってみると器用に生き延びたほうだと思う。生きたかった意味は忘れたが、死にたくないと思っていたことは確かだ。
飯が食えるって聞いたから、兵を見つけたときに真っ先に志願して生活を変えた。銃が使えれば生き残る確率が上がるから銃を覚えた。俺は飲み込みが早かったから弾除けや地雷避けで捨て駒にされる回数が減って、俺の代わりに矢面に立たされたみたいなやつらを見送った。
同じような年の連中が死んでいく中で、俺はずいぶん大きくなったほうだと思う。そういえば、チョコレートだって一番多くもらっていた。その日アンドロイドを一番殺したやつがもらえる甘い菓子。欲しい物だって、手に入れてきたんだ。
誰か言ってた。敵がアンドロイドでよかったって。人殺しにならずに済んだって。
俺には人とアンドロイドの違いはよくわからなかった。アンドロイドは頭をふっ飛ばせば動かなくなるけど、人間は違うんだろうか、だなんて。よく考えればわかる話だ。俺は人間で、俺は頭をふっ飛ばせば死ぬ。
怪我をして動けなくなった時、俺を捨てたやつらを追いかけてすがったりせずに、少しでも人間に見つかりそうなところにからだを引きずったのだって良い判断だった。そうして、願ったとおりに俺は拾われてここにいる。
ここに来てからもうまくやっている。規律以外の挨拶を覚えた。人の名前を覚えた。だいぶ苦労して、文字の書き方を覚えた。笑顔だけはどうしても作れないが、まあ、なんとかなるだろう。
銃の腕以外のものを求められるのは初めてだったが、そつなつ応えていると思う。だから今日、初めて会うやつとバディを組まされるらしいが問題ない。俺はうまいことやって、のうのうと生き延びる。いつもとなんにも変わらないんだ。
「オマエがカイか」
「そうだ」
目の前の男。名前はレッカというらしい。銀の髪。黄色の目。白い肌。だいたいの見た目を覚えて、聞いた名前と紐付ける。
「オマエのことは聞いてるよ」
レッカは『大変だったな』とは言わなかった。別に言っても言わなくてもどちらでもいいはずなのに、それが妙に気になったのはなんでだろう。
エンドーという俺の世話係はどこかに言った。しばらく沈黙が続いたが、俺は音がなくても平気だ。相手もそのようだったが、このままお互いだんまりで夜になるのでは、という予想は裏切られた。
「おい」
声をかけられ、数個質問をされた。やはりレッカは今までのやつとは違うと思う。レッカの質問は別に、沈黙に耐えきれずに発せられたものではないとわかったからだ。
いくつかのやりとり。ふっとレッカが息を吐く。
「……不器用なやつ」
不器用と言われるのは初めてだ。まぁ、俺を評する言葉は全て消炎の匂いをまとっていたから、それ以外の言葉はどれも新鮮であったのだけれど。でも、不器用はちょっとひっかかる。俺は器用だ。
面倒だと思えば適当に嘘だってつける。無視だってできる。それでも、なぜかこの言葉は否定したくなった。一通りの罵声や侮辱はやり過ごしてきたつもりだが、この言葉は今まで受けたどんな嘲笑よりも失礼な気がしたのだ。
「俺は器用だ。この年までうまいことやって、生き延びてる」
「それは違う」
即座に否定をされたものだから、咄嗟に答えが返せない。動揺、しているのだろうか。
「カイ、オマエは器用なんかじゃない。鈍感だっただけだ」
鈍感。自分自身に一度も当てはめたことのない言葉。
「俺が鈍感だったらとっくに野垂れ死んでる」
「違う。鈍感じゃなかったら、きっと何かが壊れてた」
オマエが壊れずにここに立っているのは鈍感だったからだと、男は言う。一拍遅れて、この男にはレッカという名前があったことを思い出す。
「……ここまで言われて、オマエは俺のことを好きでも嫌いでもないだろ。どうでもいいって思ってる」
「……そうだな。びっくりすることを言われたもんだから、オマエの『レッカ』って名前を忘れかけた」
レッカ。確認するように呟いた。レッカは笑った。その笑顔はきっと何かに似ているはずなのに、俺は何に似ているのかがさっぱりわからない。ドブネズミも野犬もクソ野郎も、どんな顔をしていたかなんて覚えちゃいないんだ。
「こういうの、バレるんだな。俺は器用に生きてると思ってたんだが」
「全然だ。器用になれとは言わねえからよ、その鈍感はどうにか直せ。そんなやつとバディを組んでもつまらねぇ」
そのほうがいいとレッカは言う。何がいいと言うのだろう。今までが鈍感でうまくやってこれたなら、このままだって何も困らない。コイツがつまらないからって、俺が何かをする理由はないのだが。
「鈍感をやめたら、どうなるんだ」
純粋に、疑問だった。俺にメリットがないなら、やる義理はない。好きとか嫌いとか、考える意味はなんだろう。
「……今よりマシになる。体験談だが、そういう人生のほうが刺激的だ。ま、楽しくなるか苦しくなるかはオマエ次第だけどな。先輩が生き方を教えてやってんだ。素直に聞いとけ」
体験談と言ったが、レッカの人生に興味がないというのが正直なところだ。きっと、これもバレている。それでもレッカは笑うのだ。笑顔をあんまり見たことがないんだ。この笑顔の種類がわからない。
「まずは好きなもんを作れ。いい店に連れてってやる」
「食えればなんでもいい。食えるもんに好きも嫌いもあるか」
「別に食い物が目当てじゃなくったっていい。そこのウエイトレスは可愛い姉ちゃんが多い」
俺が人間に興味がないことを見抜いておいて、女を愛でろという。言ったことをこの短時間で忘れるほどこの男はバカではないだろう。レッカは本気で俺の人生を変えるつもりらしい。
気がついたらレッカの顔が目の前にあった。俺がぼんやりしていたのか、この男が気配を消せるのか。これはきっと、どうでもいいで片付けていい問題じゃない。
「ああ、それから嫌いなもんも作っとけ。最低のダイナーに案内してやるよ」
「さっきも言っただろ。食えればなんでもいい」
「そう言うなって。……そういうとこ、変わるといいな」
またレッカは笑った。さっきとは違う笑みだとわかったのに、この表情の意味がわからない。
「……食い物を嫌いになることはないと思う。でも、引っ張ってくるつもりなら抵抗はしない。好きにしてくれ」
ふと、チョコレートのことを思い出した。俺はあれが好きだったんだろうか。思い返してみたら、俺はチョコレートが欲しかったような気がする。なんで、あんなものが欲しかったんだろう。
コイツのことは、どうでもいい。少なくとも、まだ。
それでも笑顔の意味が気になった。きっと俺は、コイツのことを好きか嫌いになる。
レッカは俺のことが好きなんだろうか。嫌いでもいいけど、ちょっと気になった。