もしもの話。眉見鋭心が他人の人生を生きてるという妄言前提
ぴぃちゃんが持ってきた雑誌には僕が載っていた。僕が出演した舞台の特集記事が乗っている雑誌だ。僕が演じたのは主役じゃないけど結構見せ場のある役で──それでも分不相応なほどに長い文章で取り上げられているのは少し緊張する。なんとなしに雑誌を読んでいたら『鬼気迫る演技』だなんて紹介されていて、花園百々人の面影もなかったと評されていた。
「舞台って、こわいね」
一言、口にしたらようやく落ち着いた。それを聞いていたのはマユミくんだけだった。アマミネくんとぴぃちゃんはお仕事に行っていなかったけど、マユミくんは僕の隣に座って一緒に雑誌を読んでいた。マユミくんはこうやって、理由もなく僕のそばにいることがある。
昨日まで僕の口から声に成って出て行ったのは全部他人の言葉で、台本に乗っているセリフだけが僕を通り過ぎていた。怒号、慟哭、嗚咽、あらゆる感情が喉を引き裂くくらい、僕は声を張って他人の人生をなぞる。そうして、擬似的に何度も何度も死ぬ必要があった。公演の回数だけ、なんども生きて、死んだ。
ようやく僕はいま、『花園百々人』として息を吐くことができたんだと思う。その事実に、こんなにも心が落ち着くだなんて。
「良い演技だったと思うが、怖かったのか?」
「うん。……失敗はもちろん怖かったけど……他人を演じるのって、こわいなって」
マユミくんが少し首を傾げる。うまく伝わらないもどかしさより、僕の話を聞いてほしい気持ちの方が強かった。
「他人を演じるのってこわいよ。なんだか、自分がいなくなってしまいそうで」
こういうの、僕にはまだ自分らしさが足りてないってことなんだろうか。透明に落ちる絵の具に侵されるように、一瞬で染まる水を想像して肺が重くなる。僕はもう、ちゃんと色を得ているはずなのに。
「……他人の人生に飲み込まれて、僕がどこにもいなくなっちゃう……」
絵の具の一滴で染まるような小さい水槽をマユミくんが手にしているとは思えない。きっとたった少しの絵の具でマユミくんを染めることはできないんだろう。それでも、マユミくんは短く同意を返してくれた。こわいな、と呟いて、少し黙って、なんだか諦めきれないとでも言うように口にする。
「……戻れなかったとして、別人として生きるのは恐ろしいか?」
「え……? それは、こわいよ。だって僕は花園百々人なんだから……」
自分がいなくなるのはこわい。こんな仮定の話にムキになるなんてどうかしてるのに、僕は耐えきれずに口にする。
「ぴぃちゃんが見つけてくれたのは、アイドルの花園百々人だから」
透明を鮮やかに染め上げてくれた色を失うわけにはいかない。口にはしなかったけど、どこまで伝わったんだろう。マユミくんはなんだか悲しそうに「そうか」と呟いた。
「……マユミくん? 僕、変なこと言っちゃったかな……」
ふと違和感を覚えた。マユミくんと、うまく視線が絡まない。こんなこと、初めてだった。
「本当に飲み込まれて、染め上げられてしまえば……元の自分なんてわからなくなるくらい覆われてしまえば、つらいことなんてないのにな」
「え……?」
「戻れなくなると……戻らないと覚悟を決めれば、恐ろしいものではない」
マユミくん、と名前を呼べば、ようやく若草色の視線を捉えることができた。マユミくんにも、こういう経験があったんだろうか。そうしてそれを、こんなに悲壮な決意で乗り越えたんだろうか。
「……そんな悲しい覚悟、僕は決められない。……覆われるって言うけどさ、マユミくんは今もちゃんと『マユミくん』じゃない」
「……そうだな。百々人が百々人だから、俺たちは出会ってこうしてアイドルをやっている」
なんだろう。会話をしていくのに、どんどんなにかがズレていくようで気味が悪い。重たいゼリーの中にいるような不快さをまとったまま、マユミくんは美しく笑う。
「俺が……眉見の二世で『眉見鋭心』だから。俺が眉見鋭心でなければ、俺たちは出会ってすらいない」
「……そうだよ?」
咄嗟に腕を掴んだ。あの日の焼き直しみたいだ。ただ、役割が逆転している。なら、このマユミくんはどこかに行ってしまうんだろうか。
「でも、キミが僕の手を取ってくれたとき……『眉見鋭心』も『眉見の二世』も関係なかったでしょ?」
マユミくんは僕の言葉に返事はしなかった。イエスもノーも返さずに、もう一度壊れたレコードのように繰り返す。
「俺が『眉見鋭心』でなければ、俺たちは出会ってすらいない」
「だから、キミはキミでしょ? ねぇ、今日のマユミくん、ちょっと変だよ」
「相応しい行いだ。お前の手を取ったのも、『眉見鋭心』として正しかった」
首を絞められたみたいに息が詰まって、なんにも言えなかった。苦しい、けど、僕はいま傷ついてはいけない気がする。いま僕がするべきことはきっと、目の前のこの人を裏切らないことだ。
言葉が出ない。ぎゅっと腕を強く握れば、その手にしっかりとした彼の指が触れた。
「……百々人は『眉見鋭心』が好きか?」
「……好きだよ。でも、それがキミを傷つけないかが、すごくこわい」
「傷つくものか」
目の前のキミが好き。そう言えばよかったんだろうか。でも僕に取って、この人は『眉見鋭心』以外の何物でもない。
「俺は眉見鋭心でよかった」
眉見くんは柔らかく笑った。なんだかほんとうに、しあわせそうだった。