ホラー映画を見に行こう 頼まれると断れないと言うのは考えものだ。校舎裏のコンクリートに並んで腰掛けて、眼の前で困ったようにハートのシールで封をされた手紙の裏表をくるくると見つめながら困った顔をする真練を見て、そう思う。
「……見てしまって悪かった」
「ううん。堅輔くんはたまたま下駄箱にいただけだし……むしろ、いきなり変なこと打ち明けちゃってごめんね?」
ついさっき真練から打ち明けられた『僕の欠点』は『頼まれると断れない』というものだった。それが真練の手にしたラブレターとどう繋がるのかはなんとなく察しがついたし、友人がその心の優しさ故に誰かにつけこまれかねない欠点を持っていることが悲しかった。そして、それを本人が自覚していることも。
下校しようと人気のない構内を歩き下駄箱についたとき、漫画のように下駄箱からラブレターと思わしきものを取り出した真練を見たのが先程の話だ。「見られちゃった、」と笑う真練は俺の弁明を聞かず、俺の手をとってこの裏庭まで連れてきた。俺はあまり立ち寄らない場所だが、真練が言うにはめったに誰も通らない穴場らしい。
「僕の家がいいところだからかな……こう見えてモテるんだよね。僕自身は大したことないのにさ」
恋人が途絶えたことがないと真練は言う。途絶えない、という言葉が持つ意味を噛み砕く前に、真練が申し訳無さそうに自嘲気味な笑みを浮かべた。
「……さっきも言ったでしょ? 頼まれると断れなくて」
「……応じてしまう?」
「うん。でも……なんでかうまくいかないんだよね。毎回、ダメになっちゃう」
本当にわからない、というように真練は呟いた。相手に一切を背負わせず、全て自分が悪いと言いたげな、悲しげな顔だ。
「恋愛は二人でするものだ。真練のせいだけではないだろう」
「そうかな……。僕ね、好きになる努力はするんだ。でも期待に応えられなくて……いつもフラレちゃうの」
うつむいていた真練がこちらを見た。ぱちり、と目が合う。俺の視線に気がついて、真練は不思議そうに言った。
「怒らないの?」
「えっ……あ、いや」
真練の真っ直ぐな瞳に言葉がつっかえてしまう。なにも言わないというよりは、なにを言えばいいのかわからなかっただけだ。
真練の行為は褒められたものではないだろう。しかし真練の優しさを思うと──いや、違う。俺は真練を止めたかったけれど、止める権利がないことを理解していただけだ。
俺の眉間にはしわが寄っていたんだろう。真練は俺の眉間に軽く触れて、少しだけ茶化すように言う。
「怒られると思ってた」
「……それなのに俺に打ち明けたのか?」
「うん。間違ったことをしたら怒ってほしい……ううん、叱ってほしくって」
いけないことだってわかってるんだ。そう真練は吐き出した。
「……あ、流石にうまく好きになれないのにキスとかえっちなことはしてないよ? 相手はそれを望んでたかもしれないけど、どうしてもできなくて……」
言い訳のようなその言葉に、俺は心底安堵した。大切な友人が心のない性的接触をしていないことに、自分でも驚くほどに救われていた。
「……怒ったりなどしない」
真練は叱られたいだけで怒られたいわけじゃない。俺には叱る権利なんてないから、ただ怒らないということだけを伝える。権利だなんて正論じみたことを盾にとって望むものを与えられない自分自身に嫌気がさす。真練は俺が満たせなかった望みを口にした。
「……キミにだったら叱られてもよかったんだ。ううん、叱られたかったのかも」
すまない、と口を挟む間もなく真練は続ける。
「だからキミにだけ、吐き出しちゃった。ごめんね? 変な話をしちゃって」
真練の苦悩に触れた苦しさに、キミにだけという甘やかな言葉が滲んで溶ける。己の醜悪さから目を背けて、真っ当な人間のふりをして言葉を紡いだ。
「いいんだ。俺に話すことで気が晴れるなら、いくらでも言ってくれ」
「……キミは優しいね。でも、これ以上はいいかな」
キミは叱ってくれないから。そう呟いてふいと目を背けて一度ぼんやりと空を見たあと、たっぷりと時間をかけて真練が言う。
「これ、どうしようかなぁ」
応じないのか、と聞けなかった。応じないでほしいと願っていた。俺の言葉を待たずに、俺の心を読んだように真練は言う。
「差出人が書いてないんだよね」
恋人の途絶えた今がチャンスだと思ったのだろうが、名前を書く勇気がなかったということだろうか。真練は手紙を弄ぶ。持て余す。ちらりとこちらを見て言葉を待つ。
俺は真練に言う。『もう、そんなことはやめるように』と。
「真練」
「ん? なぁに?」
「俺と付き合わないか? ……付き合ってほしい」
俺の口から出た言葉は考えていた言葉とは全く違うものだった。考えたこともなかったはずなのに、口に出したら何よりも理解できるような感情で喉が焼けそうだ。心の奥底に眠っていたのか、はたまたこのやりとりで芽吹いたのか、止められない炎のような熱を抑えて俺はつまらない言い訳を愛の重ねる。
「いや、その……俺と付き合っていることにしたらいい。そうすればお前にアプローチしてくるやつもいなくなるだろう。心無い恋愛をする必要がなくなる」
俺はどんな表情をしていたんだろう。家柄とか、立場とか、性別とか、そういうのを全部無視して合理的とは言えない提案をした俺をまっすぐに見つめて真練は言う。
「……キミは僕を必要としてくれる?」
唐突な言葉だった。でも、これが真練の欠点の正体なんだろう。俺はすぐに本心を返す。
「ああ。必要だ」
「友達をして、だよね」
本心はどこにあるんだろう。わからないまま、嘘だとわかりきっている言葉を返す。
「……ああ」
真練が安心したような顔をするから、答えを間違えずにすんだと胸をなでおろす。俺はさらに本心を隠すように言い訳を積み重ねる。
「それに、お前があまり感心できないことをするのは看過できない。……嫌なんだ。だから、」
「うん。いいよ」
「……いいのか?」
呆気ない真練の言葉に少し拍子抜けしつつ、真練が差し出してきた手をそっと取る。真練は少し強い力で俺の手を握って、寂しそうに笑った。
「友達としてでもキミが僕を必要だと思ってくれるなら。……それなら僕は、キミが悲しくなることはしたくないから」
数秒の沈黙のあと、真練は言った。「好きな人ができたら、すぐに僕を捨ててね」と。
真練、と。何を言っていいのかもわからないままに名前を口にする。真練は俺の言葉を無視するように距離を詰めてきた。突然頬が触れるほど近づかれて、鼓動が心臓を突き飛ばしそうになる。
「写真」
「え?」
「写真撮ろうよ。恋人ができたって、SNSにあげるの。……いいよね? だって、そういうことでしょ?」
牽制してよ。楽しそうな真練と一緒に恋人のような写真を撮った。待ち受けにするのはやりすぎかなぁ、と真練が笑う。指先一つで俺たちの写真が全世界に公開された。
「……よく考えたら大問題かもね。みんなから好かれてる堅輔くんが、僕なんかと」
「お前は人柄も能力も申し分ないだろう。それに俺は、お前を、」
「僕なんかと付き合っちゃって……ねぇ、堅輔くん」
真練は今まで見た中で、一番悲しそうな顔をしていた。
「……断れなくてごめんね」
「……真練、俺は」
「頼まれたら断れない。でもそれだけじゃないんだ。僕はさ……心配してもらえて、よくないことだって止めてもらえて嬉しかったんだ」
ごめんなさい。真練は独白のように言葉を続ける。
「だから、キミのことなんてひとつも考えないで返事をしちゃった……ごめん。嬉しかったんだよ」
取り返しのつかない罪を犯したとでもいうように、悔いるように真練は呟く。うつむいて、顔を上げて、無理矢理に笑う。
「……偽物の恋人だけどさ、仲良くしてくれたら嬉しいな」
今ここで、本当にお前のことが好きだと気がついたことを打ち明けたらどうなるんだろう。気持ちを伝えたい。本当にお前を愛している人間がここにいると。
でもそれでは真練を困らせてきた人間と同じだ。真練が断れないのをいいことに一方的に関係を迫り、自分の都合だけを押し通して彼を閉じ込めようとする人間になってしまう。それは俺にとっての悪徳だった。真練の負担にはなりたくない。俺を風よけにして、本当の恋を見つけるまでの安息が得られるのならそれでいい。
「真練」
「うん」
「本当に好きな人ができたら、すぐにでもやめていい」
お前の幸せのことだけを考えていたい。それが、いまさらお前への気持ちに気づいた愚鈍な俺にできる精一杯のことだろう。
「やだなぁ。それはこっちが言いたいよ。……うん、でも……そうだね……」
真練も俺の幸せを思ってくれているのだろうか。心の優しい人間だから、きっとそうなんだと思う。だから俺にも他の人間を好きになれと言う。俺はそんなことは望んでいないけれど、そんなことを言えるような立場じゃない。
「お互いに、好きな人が出来たらやめようね。……ちゃんと言ってよ?」
そう言って真練は笑った。立ち上がる真練を引き止めたくて、俺は声をかける。
「真練。恋人同士はなにをしたらいい?」
「ええー? それを僕に聞くの? それがうまく出来ないから僕はフラレっぱなしなのに」
キミが決めて。そう微笑む真練に俺は言う。
「なら、映画館に行こう」
「ん、いいね。恋人っぽい。何を見るの? ラブロマンスとかかな?」
「お前が見たいものならなんでもいい。ラブロマンス、ミステリー、サスペンス、アクション、ホラー……」
「どれがいいのか、よくわかんないけどさ……ホラーなら、キミの手を握っちゃおうかな」
「ああ。それは……恋人みたいだな」
約束を取り付けて、ようやく俺は立ち上がる。並んで校門をくぐるとき、スマホを片手に真練が「さっきの写真、いいねとコメントがすっごいついてる」と少しだけ憂いた笑みで俺に告げた。