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    85_yako_p

    カプ入り乱れの雑多です。
    昔の話は解釈違いも記念にあげてます。
    作品全部に捏造があると思ってください。

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    街角探偵でドラッグ中毒の画家やってる百々人が見てぇ~の幻覚です。百々人の役名はモモくんです。徐々に進捗をあげます。(最終更新・8/14)まだ続きます
    追記、鋭百になりました

    ##途中

    天国(仮タイトル) 厄介なのに捕まった、と一真は心の中で舌打ちをする。彼の目の前には酩酊状態の男がいた。
     男は一般的に見て大柄な部類に入るだろうが一真も体格には恵まれている。戦えば勝てるという考えはあったが、暴れれば彼がセンセーと慕う人間に迷惑がかかるだろう。それは一真の望むところではない。
     時間も遅く、人通りはない。月こそ明るいが照らされた現状を見つける人間はいないだろう。一真は大きくため息を吐く。酩酊状態の男からアルコールの匂いがしないことに一真はとっくに気がついていた。
     コイツ、ドラッグをやってるな。
     さてどうするか。暴れるわけにはいかないという考えは「暴れてもバレなければ問題ないか、」というところまで形を変えていた。ガタイがよく、加えて理性のタガがクスリでぶっ飛んでいる男と殴り合ったら自分も無事では済まないだろう。階段から落ちたという言い訳が通用する程度の怪我ならいいんだが。
     覚悟を──殴られる覚悟ではなく殴る覚悟を決めた瞬間、切り替えた意識が人の気配を捉える。ちょうどよかった。警察を呼んでくれ。一真が声を出すよりも早く、目の前の男の顔にドロドロに汚れた布が被せられた。
     ドラッグで濁った頭では急に暗転した視界に対応ができなかったのだろう。男が声を荒げながらふらふらとしていると、後ろから現れた人影が一真の手を取った。
    「こっち!」
    「あ、おい! ちょっと待て!」
    「いいから! 早く!」
     この状況に似つかわしくない跳ねた声はどこか楽しそうだった。人影は路地裏へと一真を誘う。月明かりに照らされた髪はうっすらとした柔らかい月の色をしていて、毛先は特徴的な薄緑色をしていた。前を走る人影の顔は見えない。
     身長は自分と同じくらいで手を引く力も弱くはない。特徴的なカラフルなパーカーは柄ではなくペンキか絵の具のようなもので汚れているだけだと気がついたのは、路地裏から逸れて街灯のある通りに出てからだった。
     人影が振り向く。柔らかな雰囲気の男がそこにいた。
    「災難だったね」
     そういって、薄紅を溶かしたような紫陽花色の瞳を細めて男は笑う。目元にはハートの形をしたほくろがあり、彼の纏う不思議な空気も相まって男はなんだか美しい作り物のように見えた。
    「あ、ああ……悪かった」
     とはいえ、助けてくれたことは事実だ。礼を言おうとした一真を遮って、男は口を開く。
    「あの人、お酒じゃなくてドラッグをやってたね」
     質の悪いやつを使ってんだ。そう言って、呆れたように男は笑った。こんな時間に出歩いて、躊躇いもなく正気ではない男から人を助け、ドラッグの話を当たり前のようにする。悪いやつではないだろうが、タチが悪いと一真は直感的に身構えた。
    「……お前は、」
    「モモ」
    「え?」
    「僕のことはモモって呼んでほしいな」
     そうやって笑う顔は月明かりを従えて蠱惑的に歪んでいた。これ以上は踏み込んでも踏み込ませてもいけない。そう思うのに、その妖しげな美しさから目が逸せない。思考にかかる霞を振り切るように、一真は声を出した。
    「……助かった。礼をしたいんだが、今は」
    「嬉しい。僕もね、キミにお礼をしてほしかったんだ」
    「……え?」
    「来て」
     そう言ってモモと名乗る男は手を差し出してきた。意味がわからずに一真が立ち尽くしていると、モモは誘うように甘ったるい声を出す。
    「僕はね、キミのことが描きたい」
     一真が手を取りあぐねていると、モモは距離を詰めて一真の腕に抱きついた。動揺する一真の頬にそっと触れ、猫撫で声を出す。
    「お願い」
     知らず知らずの間に一真は頷いていた。モモは「やったぁ」と無邪気な声を出して歩き出す。月明かりを映している髪はキラキラとして、べったりとパーカーを汚している塗料は何かのシンボルのようだった。危うげで繊細な美しさにきっと自分はおかしくなってしまっている。一真は他人事のようにそう思う。
    「……お前はなんなんだ?」
    「うーん……画家、って言えるのかなぁ。絵を描いてるんだ」
     だからキミが描きたい。言いたいことはわかるが肝心の理由は一切言わずにモモは笑った。
     手を引かれているわけではない。二人を繋ぐ鎖はない。それでも一真はその背中を追う。月を隠す雲はなく、祝福するように足元のコンクリートが照っていた。

    ***

     二人が行き着いたのは古ぼけた建物だった。一階にはもともとコンビニがあったようなスペースがぽっかりと空いていて中には廃材やガラス片が散っている。ここに住んでいるとモモが言わなければ、ここはたんなる廃墟にしか見えないだろう。周囲も栄えているとは言い難いが、この建物は明らかに異質だった。
    「ボロボロすぎて僕以外に誰も住んでないんだよね」
     二階への階段を登りながらモモは呆れたように笑う。階段を登るカンカンという音を吸い込んでいく夜はどこまでも深い。
    「お前、とんでもないところに住んでるな」
     階段を登った先には廊下があり、それぞれの部屋に通じるであろう扉もある。しかし、モモが言うようにそこに生活の気配はなかった。
    「いい場所でしょ? 騒がしくない家を探してたら紹介してもらったんだ」
     もう何年か住んでいるが詳しい年数は忘れてしまったという。「忘れるほど長く住んでんのか?」と問えば「僕ってどうでもいいことは覚えてないんだよね」とモモは返した。
    「誰もいないから静かで最高なんだけど……きっと僕が出て行ったら取り壊されるんじゃないかなぁ」
     住む分には過不足なくいい場所だと彼は言う。足りないものだらけな気がするし、余分な心配もありそうなものだけれど。
    「よく気にしないな。幽霊でも出そうだ」
    「生きてる人間より静かなら、幽霊くらい気にならないよ」
     出会ったことはないけれど。そう言ってモモは揶揄うように笑った。
    「幽霊は怖い?」
    「怖いわけないだろ。センセーなら生きてる人間のが怖いって言うだろうしな」
     センセーはなぁ、と一真が得意げに話し始めたのを遮って、モモは問いかける。
    「せんせー?」
    「おう! センセーはすごいんだぜ! 頭も良くて腕っぷしも強え。俺はセンセーみたいな探偵になるためにセンセーのとこで見習いやってんだ」
    「ふーん……そっか、キミは探偵さんなんだ」
    「そもそもセンセーは……ん? なんか言ったか?」
    「……全然? ほら、ついたよ」
     値踏みするようなモモの言葉は一真の耳には入っていなかった。鍵を開ける様子もなく開いた扉からは住居というよりは作業場というような匂いがする。靴も脱がずに中へと入るモモに「おい、靴は、」と慌てて問えば「気にしないでいいよ」とどうでもよさそうな声がした。
    「欧米かよ……」
    「欧米っていうか……床を地面扱いしてるだけ」
     そう言って、自分は賢いだろうと言いたけな声を出す。その様子は得意げで、少し無邪気に見えた。
    「地面を掃除する人はいないでしょ? だからこうすると掃除しなくてよくなるの」
    「地面だって掃除はするだろ。落ち葉掃除とか見たことねぇのか」
    「僕の家に落ち葉は積もらないからね」
     室内に土足で入るのは慣れない、という一真の気持ちは吹き飛んだ。進んだ先は部屋というよりは、家具のあるガレージと言った方が正しいだろう。広めのワンルームに備え付けられたキッチンには缶詰とペットボトルのゴミが散乱していて、おそらく冷蔵庫を置くであろう位置に缶詰やペットボトルなどの保存食が積み重なっている。
    「外も中も廃墟じゃねぇか」
    「自宅兼アトリエだよ。ああ、水が飲みたかったらその辺から適当に取っていいから」
    「ペットボトルと缶詰と……パウチか。災害用の備蓄だけはあるんだな」
    「それは僕の主食。腐らないからいちいち買い物しなくてよくなるんだ」
    「……生活終わってんな……」
     家具といえるものはベッドと小さな棚しかなくて、あとは画材で埋まった小さなテーブルと、キャンバスと、キャンバスに向き合うための椅子が一脚ぽつんとあるだけだった。
    「お前、よくこの部屋に人を招いたな」
    「招いてないよ。連れ込んだだけ」
    「余計タチ悪いだろ」
     ここは人間が暮らす部屋ではなく、食料と寝床があるだけのアトリエだ。どうしたらいいんだと立ち尽くす一真に椅子を譲ることなくモモはマイペースに椅子に座る。
    「お腹がすいてるなら缶詰も食べていいけど……時間が惜しいなぁ。僕は早くキミが描きたい」
     座って、とモモは言った。座るスペースなどどこにもないと一真が視線を彷徨わせれば、モモはぐしゃぐしゃになった布団と数着の服が乱雑に乗ったベッドを指差してこともなげに告げる。
    「そこに座って。邪魔なものは適当に避けて」
     何年布団を干してないのかを聞く気にはなれなかった。一応人間が眠っている布団なのだから健康に関わるほど汚れてはいないだろう。一真はベッドに腰掛けてモモを見る。こんなところで何をしているのだろう、という呆れはモモの瞳を見ていると諦めへと変わっていった。一真は義理堅い性格だからモモの頼みは断れない。それでも、自分が断れない理由は義理だけではないと、一真自身がよくわかっていた。
     義理だけじゃない。好奇心だけじゃない。バカバカしいほどに惹かれているし、得体の知れない恐怖もあった。こんな生活を送っているのを見てしまえば心配にもなるし、何より、彼の描く絵が見てみたい。
    「……居心地が悪いな」
     それもまた、間違いなく本心だった。この空間は異常だ。この部屋は主以外を拒んでいる。ここで異質なのは確実に一真ひとりなのだろう。
    「ごめんね。人なんて誰もこないから座れる場所がそこしかない」
     モモは一真の思いには気づいていないようで、ただ形だけの謝罪を返す。
    「誰も……? 人を描くんじゃないのか?」
    「人を描くのはキミが初めて」
     モモは目を細めて、視線を少しだけ外すようにと言う。ずっと見つめていたらおかしくなりそうだと思っていた一真にとって、それは願ってもない仕草だった。
    「初めて、人間を描きたいと思ったんだ」
     一目惚れかも、とモモは柔らかく、少し自嘲するように目尻を下げた。ちらりと盗み見たとろんとした瞳とそれを飾るようなハート型のほくろが──うまくは言えないが、かわいいと一真は思う。そんな浮ついた意識は一瞬で粗野な現実に殴り飛ばされた。
     テーブルに乗っていた袋からモモが何かを取りだす。それはうっすらとした水色の、セロファンに似たシートだった。どこか恍惚とした表情でそれを舌に乗せるモモを見て、嫌な予感がした一真は声をあげる。
    「お前、それ……!」
    「ん? ああ。僕ね、ドラッグがないと絵が描けないんだ」
     言葉を失った一真にモモは「あんな粗悪品じゃないよ。大丈夫」と笑う。
    「ルナリスブルーって知らない?」
     それは聞いたことのある名前だった。警察も最近把握した新種のドラッグで、探偵事務所でも噂くらいは聞いたことがある──いや、この街の裏側に少しでも触れていれば、知らない人間はいないだろう。
     青い月夜と青い海に揺蕩うような多幸感と浮遊感、そして自らが研ぎ澄まされていく覚醒と集中力が得られるらしい。浮遊感と集中力が共存することは可能なのだろうかと話半分に思ったことを一真は覚えている。そのドラッグがいま、目の前にある。
    「興味ある? 少しだけならあげるけど……」
    「あるわけねぇだろ! 何やってんだよお前……!」
    「残念。別にこれそこまで依存性ないって聞くし、大丈夫だと思うけどなぁ」
     僕は一生やめる気はないけど。そう呟きながらモモは絵の具を散らかし始めた。
    「……お前、自分が何してんのかわかってんのかよ」
    「見てわからない? 僕は絵を描くの。キミを描くんだよ……」
     少しだけ待ってね。そう言いながらモモは絵の具を指で弄ぶ。
    「さっきもキメたけどさ……足りないんだよね。もっとぶっ飛べないと描けない」
     先ほどの危うげな雰囲気もドラッグの影響なのか。まるで現実逃避のように一真が悪態を吐いた。
    「……ドラッグキメて外うろついてんじゃねぇよ」
    「逆。キメないと外に出る気も起きないよ」
     モモはゆっくりと自らの唇に触れ、その指先をそっと舐めた。その仕草は猫のようだと形容するには少女性が足りず、蛇のようだと形容するにはあまりにも脆い。酩酊に沈もうとするモモを繋ぎ止めるように一真は問いかける。こんなことを言っている場合ではないとわかっている。とっとと押さえ込んで、警察に届けないとダメなのに。
    「……ドラッグがないと、描けないって、」
    「うん。……ルナリスブルーはすごいよ」
     とろりとモモの瞳が溶けていく。それなのに、眼光は燃えるように光る。
    「世界が自分になったみたいに感覚が束ねられていって……絶対に見ることができないはずだった、自分の中に眠ってるものが見える」
     モモは一度目を伏せた。数秒後に開かれた目は鋭く、一真を捕食するかのように爛々と煌めいていた。
     並の人間なら気圧されて喋ることもできなかっただろう。しかし、一瞬飲まれかけた一真は自らを取り戻すように声をあげる。
    「そんなやつの手伝い、できるわけ……!」
    「邪魔しないで」
     深く沈んだ、低く、暗い声だった。一真は言葉に詰まる。一真はただ怯んだのではなく、その声の奥底に縋るような苦しみを見たからだ。
    「キミを描くって言った……キミは描かせてくれるって言った……」
     徐々にモモの声はうわ言のようにぼやけていく。それなのに輝きを増していく瞳を見て、一真はぼんやりと諦める。
     その苦しみに触れたいと思ってしまった。違う、同情だけでは自分はここでおとなしく座ってはいないだろう。きっともう、自分は飲み込まれてしまったんだ。許してはいけない。正さなければならない。そう思うのに声がでない。悲しくて、恐ろしくて、どうしようもないほどにどこか愛おしい。
     肯定も否定もできない。一真は沈黙を守り、真っ直ぐにモモを見た。モモはもう笑うことがない。絵の作法など一真にはわからないが、いきなりキャンバスに絵の具を塗り始めたその指先には下書きという概念がないものなのかと考える。
     モモは二度、三度と筆を走らせ、じっと一真を見た。その視線に、自分がじわじわと侵されていく感覚に、一真の背筋がゾクゾクと震えた。この視線は──このモモは月の下で出会ったモモではない。それでも彼は同じくらい魅力的だった。
     徐々に絵の具の匂いが強くなっていく。それを操る彼はきっとこの部屋のルールで、王で、支配そのものだ。全身を這いずる視線に魅了され、支配され、侵される。それはぼんやりとした恍惚を一真にもたらした。恍惚はドラッグのように一真を沈めていく。まるでモモの酩酊が一真に伝播していくようだった。
     モモはこの世から切り離すように一真を見続けていたが、ある瞬間を境に一真を見ることもなくキャンバスに筆を走らせ始めた。その目は狂気に駆られ、獣のような息遣いがひどく耳に残る。このキャンバスに閉じ込めて支配するように、自らの世界で溶け合ってひとつになるように、およそ常人では理解できない彼だけのルールでモモは一真を描いていく。彼はドラッグの力を借りて、現実を歪めるように一真を自分の幻想と混ぜ合わせて色にする。そうして、彼だけの一真がキャンバスに生まれていく。
     それは美しすぎる狂気だった。一真はその瞳に恐怖を覚え、深く魅了された。きっと俺はこの人間から離れることはできないと、何度目かわからない諦めに一真は息を飲む。まばたきも忘れてモモを見ていたら、急に視線を向けてきたモモと目があった。
    「……きれい」
    「は?」
    「好きだよ。キミのこと」
     感情が跳ねた。喜びと呼ぶにはあまりにも複雑な感情が一真の心臓を蹴飛ばし、突き動かす。「俺は、」と言いかけて立ちあがった一真を見つめながら、モモは言う。
    「いいよ。こっちにきて」
     一真は吸い寄せられるようにモモへと歩き出す。手の届く距離まで近寄った一真を見上げ、モモは囁いた。
    「……キミの唇の温度が知りたい」
     ぼんやりとした、熱に浮かされたような声だった。否定も肯定もできないほどからっぽに魅了された頭では何も考えられず、一真はモモの頬に触れる。視線が絡み合った瞬間、突然大きな着信音が鳴り沈黙を引き裂いた。
    「っわ!」
     モモが驚くことはなかったが一真は驚いて大声を出した。画面の「センセー」という文字を見て、一真はこの夢のような──或いは悪夢のような世界から現実へと引き戻される。
    「……何?」
    「センセーからだ……はい! もしもし!」
     急いで自分から距離を取り部屋の隅で電話に出る一真を見てモモは大きくため息をついた。時計なんてこの部屋にはないけれど、かなりの時間が経っているんだろう。どうやら彼には帰りを心配するような人間がいるらしい。あんな、まともな人間なら立ち入らないような場所にいるくせに、バカみたいだ。
     気分を害されたモモに一真は申し訳なさそうに告げた。
    「悪い、戻らないと」
    「……センセーが心配する? かわいいね。保護者の言うことは絶対なのかな?」
     そういってモモはふらふらと近寄ってきた。持っていた筆が床に転がって、よごれきったフローリングを真っ赤に染めていく。そういうのを全部無視してモモは一真の腕に抱きついた。
    「許さない」
    「……だよなぁ」
    「ダメだよ。いまは……ううん、絵が完成するまで、キミは僕のものだ」
    「んなわけ……」
     一真の言葉が消えていったのは、彼がさっき確かに支配されたという自覚があったからだ。それを知ってか知らずかモモは妖しく笑う。
    「ね? ここにいてよ」
     ここには何もないけどドラッグがある。その言葉は一真を冷静にさせるには充分だった。
    「……今日は帰る。でも筋は通す」
    「……やだよ」
     モモは娼婦のように笑っていたのに、今度は親のない少年のように悲しそうな声を出した。ここが彼の家だろうに、モモは「置いていかないで」と縋り付く。その頭をぽんぽんと叩いて、一真は宥めるような声を出した。
    「今日は無理だけど必ずまたここに来る。約束だ」
    「でも、」
    「俺は必ず約束を守る。ほら、これ連絡先」
     そう言って一真は名刺を取り出してモモの手に握らせた。それを宝の地図のように眺めたモモが、ぽつりと口にした。
    「……ひいろかずま」
    「ああ。……そういや、名乗ってなかったな」
    「別にいいよ。キミはキミだし……でも、そうだね。キミはひいろかずまって言うんだ」
     モモはこれ以上ごねてもどうしようもないと悟ったのだろう。着信音に乱されて、集中と共にクスリも切れてきたのかもしれない。くしゃりと泣きそうな顔をしながら、モモは一歩だけ一真から距離を取った。
    「……ヒイロくん」
    「おう」
    「絶対にまた来てね」
     ずっと待ってるから。そう言ってモモはふらふらとベッドに吸い込まれていった。数秒もしないうちに聞こえてきた寝息に、きっとハイになって外に出た時点でモモは体力の限界だったのかもしれないと一真は思う。
     鍵をかけずにこの家を出るのもどうかと思ったが、もともと鍵はかかっていなかったから仕方ないと言い訳をして玄関へ歩き出す。
     そういえば、と振り返り視線を向けたキャンバスを見て、一真は絶句する。
    「……嘘だろ」
     そこに自分の姿はなかった。強烈な印象を残す、幾重にも塗り重ねられた赤色だけがあった。

    ***

     鮮烈な、あの赤いキャンバスが脳裏から離れない。
     あの夜、一真は自宅ではなく事務所に戻った。不安定な現実を自宅に持ち込みたくなかったからだ。もしくは、あの悪夢のような時間を引き延ばしたかっただけかもしれない。
     なにもわからないまま一真は事務所の柔らかくもないソファーに身を委ね、朝に限りなく近い夜に目が慣れた頃に『モモ』という画家をネットで検索したが、作品どころか名前すらでてこなかった。幻だったのかと考えているうちにうとうととまどろんで、差し込む朝日に起こされた。数時間も眠っていない頭はぼんやりとしていて、光之助が事務所にくるまでにしたことと言えば、水道の水を一杯だけ飲んだことくらいだ。
     光之助との短い会話で一真の頭は少しだけクリアになる。それでも、まだ平時よりは回っていない脳みそで一真は光之助に問いかける。
    「センセー……」
     しょぼくれた犬のようだと光之助は思う。それを隠しもせずに光之助は続きを促した。
    「どうした?」
     ぼんやりとした、独り言のような一真の言葉。
    「俺って……惚れっぽいんですかね……?」
    「そうだな」
    「即答ですか!?」
     堪え切れないと言った様子で短く笑う光之助に一真は声をあげた。光之助はそこから数秒ほど笑うと、揶揄うように、宥めるように言う。
    「そりゃお前、一度お前を助けただけの俺を追っかけて『弟子にしてください』の一点張りだっただろ? 惚れっぽい以外のなにものでもないよ」
    「た、確かに……」
     押しかけたことは一真の中では当然の行動だったので、まさかそこを惚れっぽいと指摘されるとは思っていなかった。惚れる、のジャンルが明らかにモモへの熱とは違うことは承知しているが、なるほど確かに自分は惚れっぽいのかと一真は納得したように溜息を吐く。
    「なんだ、気になるやつでもできたのか?」
    「気になるやつっていうか……うーん……」
     気になるやつはいるが、気になるのカテゴリはセンセーが想定しているものではないだろう。どう説明したものか、と一真は首を捻り、とりあえず現状を口にする。
    「危ないところを助けてくれたやつがいて、礼にそいつの頼み事を叶えてやりたいっていうか……」
    「危ないところを…… ?」
     光之助は少しだけ考えて、呆れと少しの怒りを滲ませて呟く。
    「お前、昨日の夜なにしてたんだ?」
    「あ……あはは! 別にヤク中に絡まれたとかじゃないんで大丈夫ですよ!」
    「はぁ……まぁ無事ならいい。礼もちゃんとしとけ」
     そう言いながら光之助はソファーに座り新聞を広げた。一真もそれを見て、自分もやるべきことをやろうとデスクに向かう。
    「そしたら、明後日あたりに礼をしに行きます。急ぎの案件ってコレだけですよね?」
     ぺらぺらと揺らした紙には明日までに片付けなければならない依頼の詳細が書かれている。他にも仕事はあったが急ぎの仕事ではない。それは一真と光之助の双方が理解している。
    「……手伝うって、礼をするって約束したんです。いつとは言ってないけど、なるべく早く助けになりたいって思ってます」
     一真は実直な男だったから、モモのことが気になりつつも一度受けた依頼を投げ出したりしない。それでもモモのことを思い出したら途端に不安になってきた。あの瞬間のモモには自分しかいなかったからだ。自分を失ったモモが想像できないだなんてとんだ傲慢だとわかっているのに、一真の胸は身勝手に痛んだ。だってあのとき、確かにモモの世界には俺だけだった。俺だってモモに支配されていた。きっと、俺たちはお互いが魂を捕らえあっていたはずだから。
    「なら早いほうがいいな。大丈夫だ。残りの案件は急ぎじゃないし、俺の方も余裕があるからヤバい時は引き取ってやる」
     一真の表情を見て何かを感じ取った光之助はそう口にした。一真の性格上、彼は恩を受けたら義理を通すが、それだけではないことに光之助は勘づいていた。きっと礼をしたい相手というのは一真にとって特別な思い入れのある相手なのだろう。そこまで考えて、出会い頭に一真がしてきた質問を思い出して光之助はくすりと笑う。惚れっぽい男は自分以外に誰かに惚れてしまったんだろう。
    「……眠気覚ましにコーヒー飲むか。センセーも飲みますか?」
    「ああ頼む」
     しばらくして事務所にインスタントコーヒーの安っぽい香りが漂い出す。一真はコーヒーを淹れながら、朝食を買いに行こうかと考える。
    「そういやあいつ、食生活終わってたな……」
     モモに会いに行く時は何か食べるものを買ってから行こう。そういえば、俺はモモの好きな食べ物すら知らない。それでも一真の気分は晴れやかだった。
     好きな食べ物も、好きな色も、モモのことはこれから知っていけばいい。そう思える程度には、一真はモモと親しくなりたいと思っていた。

    ***

     モモの好きなものがわからないなら、と数種類買ったバーガーをぶら下げて一真はモモのアパートを訪れた。こんなに買い込むだなんて、思ったより自分はうかれているんだなと一真は苦笑する。この中にモモの好きなバーガーがあればいい。それなりの量を買ってしまったけれど上背のある男ふたりなら食べ切れるだろう。余ったら俺かモモどちらかの夜食にすればいい。そんなことを考えながら、一真は廃墟のようなボロアパートの階段をのぼる。
     あれこれと見てみたが、チャイムなどという文明はこの家には備えられていないらしい。隣人がいないのをいいことに大きな音で扉を叩いたが反応がない。留守か、と思ったがどうにも嫌な予感がする。それに会いたいと願っているのは向こうも同じなのだから、中で勝手に待たせてもらおうか。普段だったら絶対に考えないことを考えながら一真は鍵のかかっていない扉を開く。
    「おーい。入るぞー?」
     一度だけ問いかけて、部屋、と呼べるのかわからない空間に足を踏み入れる。瞬間、家主が『地面』と主張していた床に倒れているモモの姿が目に入った。
    「っ……! おい! どうした!?」
     一真は周囲の警戒もせずに床に倒れているモモを抱き起こした。モモの呼吸を確認して、そのからだに外傷がないことを確認して、初めて周囲に気を配る。危険も他者の存在も感じ取れないが、なぜモモが倒れているのだろう。
    「モモ、俺がわかるか?」
     外傷がないのなら病気だろうか。あまり揺すらないようにしながら軽い力でモモの頬を叩く。するとモモは目をうっすらとひらいて、弱々しい声を出した。
    「……いた……」
    「いた? どっか痛いのか?」
     やはり怪我をしているのだろうか。そっと背中をさすっていると、今度こそモモがハッキリと口を開く。
    「おなかすいた……」
    「……は?」
    「水……」
     どうやら水が必要らしいモモに積まれていたペットボトルの一本を取り出して渡す。モモは一気に半分以上を飲み干して、大きく息を吐いた。
    「……生き返った」
     なんとなく、うっすらとわかってしまったが、「どういうことか」と念の為に聞こうとしていた一真を遮ってモモは恨みがましく呟く。
    「……キミが遅いから……」
     覇気のない声を絞り出しながら、モモはよろよろとキャンバスへと向かう。その手を掴み、遮った。
    「……お前、あの夜からちゃんと飯食ったか?」
    「……ドラッグをやんないと……なんにもやる気起きなくて……」
     話を聞けば、ずっとベッドに転がっていたらしい。そうして一真が来るまでの時間を過ごし、喉が渇いたので水を取りに立ち上がったら思ったよりも限界が来ていてさっき倒れたと感情の乗らない声でモモは言った。それなのにモモはふらふらとキャンバスへと向かおうとする。その細い腕を一真は掴んで口をひらく。
    「飯食ってないんだろ。バーガー買ってきたから先に食って……」
    「やだ。早くキミが描きたい」
    「やだじゃねぇよ。食わなきゃ描かせないぞ」
    「はぁ? 約束が違うよ」
    「嘘吐きでいいから、とりあえず飯だ」
     そう告げて一真はその辺に放り投げてしまったバーガーショップの袋を拾う。バーガーは形が崩れただろうが、腹に入れば一緒だろう。
    「バーガーいくつか買ってきたから。テーブルの上のものってどかせるか?」
    「無理。その袋を床に敷けばいいじゃん」
     テーブルみたいなもんだよ。本当に面倒だと言うようにモモは呟いた。
    「お前……本当に生活終わってんな……」
     床のこと地面って言ったのはお前だぞ。でも袋は汚れてないんだからいいじゃん。
     結局モモの言葉に折れた一真は床にビニールを広げる。そう言えば普段はどこで食べているのかと聞けば、椅子に食べ物を乗せて床に座り込んでいるらしい。
    「……まぁ、お前がいいならいいけどさ」
     本当はよくないのだけれど、言っても無駄だと短い付き合いで理解した一真はビニールにバーガーを取り出していく。広げたバーガーを先に選んでいいと一真が言えば、モモはぽつりと「なんでもいい」と言葉を返した。
    「なんでもいいってなんだよ」
    「食べ物に興味ないんだ。それより早く絵が描きたい……」
     そう言って適当なバーガーを手にしたモモは大きな口でかぶりついた。口元がケチャップで汚れるのを気にすることもなく、味わうこともなくただ作業的に食事をする。その様子に一真の胸はざわついた。
    「……普段飯とかどうしてんだ?」
    「言ったでしょ。そこに詰んである、災害用の備蓄だよ」
    「よくぶっ倒れるのか?」
    「別に、今日はたまたま……ううん、キミが遅いせいだ」
     そう言ってモモはじっと一真を見た。一真がまだベッドに移動する気配がないとわかるともうひとつバーガーを取って齧りつく。絵を描くことができないのならバーガーを食べる程度に腹は減っているらしい。
    「キミを描くこと以外、なんにも考えられなかったから……」
     だから食事をすることも水を飲むこともなかったというモモの言葉を聞いて一真はぞっとした。俺がもう少し来るのが遅かったらモモは死んでいたのかもしれないと、冗談抜きにそう思う。
    「……お前、いつか死ぬぞ」
    「死ぬわけないじゃん。死んだら絵が描けないんだよ?」
     モモは3つめのバーガーとドリンクに手を伸ばした。オレンジジュースを一気に飲み干して、またバーガーを胃のなかに収めていく。
    「だから……生きるためなら食べるし飲む」
     めんどうくさい。時間の無駄。本当は食事なんてしたくない。そう目が語っていた。
    「……絵を描いてない日は何をしてるんだ?」
     食事には興味がないなら他になにか好きなことはあるのだろうか。もう答えはわかりきっていたけれど、質問せずにはいられなかった。
    「絵を描かないなんてありえない。僕は毎日ドラッグをキメて、絵を描く」
    「……そんで、絵を描くために食べる」
    「そう。食べるし、飲むし、寝る。やだよね。全部時間の無駄なのに、絵を描くためには必要なことなんだもん」
     彼の日々は絵を描くことで成り立っている。彼はドラッグをやらないと絵が描けない。彼の人生には、ドラッグが必要だ。そうしないとこの生き物は食べることも飲むことも寝ることもやめてしまうから。
    「……そうしないと生きられない」
     そう呟いたのは一真だったのか、モモだったのか、二人にはわからなかった。
     一真が食べ終わる時間すら惜しいのだろう。一真のバーガーも奪い取って平らげたモモは今度こそ、と言うように一真の手を取ってベッドへと引きずっていく。一真はその細いからだを後ろから強く抱きしめて──思い切り足をかけてベッドへと押し倒した。
    「ちょっ、なにするの!?」
     一真は抵抗しようとしたモモの肩を強く掴み動きを封じる。されるがままのモモが悲鳴というにはあまりに危機感のない抗議の声をあげた。
    「えっち! けだもの!」
    「誰がエッチなケダモノだ!」
    「じゃあへんたい! 絵を描かせてくれるって約束じゃ、」
    「いいから一度寝ろ」
     ぴた、とモモの動きが止まる。なぜ自分が気にしていないことをこの男にあれこれ指図されなければならないのかと、モモの眉間に不機嫌な皺が寄る。
    「お前、ベッドに転がってたってだけで寝てねぇだろ。めちゃくちゃふらふらしてるぞ」
    「だからどうしたの……どいてよ……!」
     ぎゅむ、と一真はモモをベッドに沈めながら言う。
    「一時間だけ寝ろ。そしたら描かせてやるから」
    「さっきからなんなの……!? 描かせてくれるって約束したでしょ……!」
     抵抗する力はあの月夜に一真を引いた手よりも弱い。お互いが万全でも勝てたとは思うが、こんなにふらふらなモモに一真が負けるはずはなかった。
    「嘘吐きで結構だよ。ほら、寝ないと絵を描く時間がどんどんなくなるぞ」
    「さいっ……てい……!」
     寝ないと描かせてもらえないことを理解したらしい。モモは渋々と言った様子で薄い布団を抱きしめて一真を見る。
    「……30分なら寝る」
     それ以上は嫌だと口をとがらせてモモは力を抜いた。くたりとしたモモは一真の返事を待たずに不貞腐れたようでどこか不安げな声を出す。
    「……30分経ったら絶対に起こしてよ」
    「ああ、約束する」
    「嘘吐きのくせに」
     そう言ってモモは目を閉じた。寝ると決めたら早いのか、本当にもう限界だったのか、1分も経たずに柔らかな寝息が聞こえてきた。ふわふわとベッドに揺蕩う金髪を手で梳きながら、一真は呆けた様子で言う。
    「……なんか、別人みたいだったな」
     ドラッグが抜けたモモにあの月夜の面影はなかった。本来のモモはこんな人間だったのだろうか。そういえば『ドラッグがないと外に出る気も起きない』とも言っていた。彼からドラッグを──絵を奪うということは、きっとそういうことなのだろう。
     そうやって、殺風景な部屋とモモの寝顔を交互に見ていた。緩やかで、穏やかで、ゆっくりとした時間だった。一真の胸は優しい気持ちで満ちていく。
     無理やり寝かしつけたとはいえ、こうやって無防備な姿を見せてくれるのは嬉しい。モモが食事をしていると嬉しい。モモがちゃんと眠ってくれたら嬉しい。自分は思った以上にモモのことを心配していて、モモを大切に思っているのだと一真は自覚する。
     一真はモモにくっついていた口元のケチャップを拭ってやって、軽く頭を撫でた。そういえば、昔に弟を寝かしつけたこともあった。そうやって今は亡き弟のことを考えながら、一真は自分よりも少しだけ幼い寝顔を見つめながらふと思う。
     特徴的なハートの形をした泣きぼくろは相変わらずかわいいし、淡い色の髪や長い下まつげ、そして整った目鼻立ちは見惚れるほどに美しい。さすがに全体的にボロボロではあるが、あの生活をしておいてここまで見目が良いのはどういうことだろう。惚れっぽい自分がモモに焦がれるのは決して顔の造形のせいではなく、あの日に見た狂気的な絵への執着やミステリアスな雰囲気に惹かれたわけなのだけど──。
    「……いや、普通にかわいいな」
     あばたもえくぼどころか、惹かれてやまない内面を持った人間にこんなに好みな顔がついているだなんて、なんというか、得だな。絵を描かれている間中ずっとこの顔を見られるのは、とんでもないラッキーなのではないか。そんなことを考えていたら、天使の寝顔が突然般若のように険しくなった。ばちり、開いた般若の目と目が合う。
    「……起こすって言った」
    「まだ30分経ってねぇよ」
    「そうなの……? あ! 嘘だ! キミ時計持ってないじゃん!」
    「バレたか。ま、大体30分だろ」
    「適当だ……」
     モモはぐい、と一真の腕を取り、寝起きとは思えない力でベッドに座らせた。もう余計なことはさせないというオーラを全身から放ちながら、今度こそモモはキャンバスに向き合って、あの日のように袋からうっすらと青いセロファンのようなものを取り出した。ルナリスブルーだ。
    「……やっぱりそれがないと描けないか?」
     その言葉に、しらけきった様子でモモは返す。
    「今更止めないでよ? 僕はキミを描くんだから」
    「ああ……」
     一真は止める言葉を持たなかった。止めてはいけないとすら思っていた。きっと正論をかざしてドラッグをやめろと言うのは簡単で、正しい。それでもそれはモモの世界を奪うことになると一真は痛いほどに理解していた。
     そして、仄暗い感情があった。もう一度モモのあの美しい狂気を見たいと一真は思ってしまったのだ。キャンバスに向かうモモは、月夜の下で手を取って走ったモモとも、倒れるほどに食事を面倒がってぶーぶーと文句を言うモモとも、無防備に天使のような寝顔を晒していたモモとも違っていた。もう一度あのモモに会いたいと、一真は願ってしまったのだ。
    「……お前は絵を描くとき以外、薬はやらないのか?」
    「……そうだよ。まぁ、絵を描いてない時はほとんどないけど」
     モモは舌の上にそっとルミナスブルーを乗せた。ドラッグを享受し、陶酔するようにまつげを伏せて、夢を見るように口にする。
    「でもね、キミにあった夜は違った。予感がしたんだ。だからドラッグをキメたのに絵を描かずに外に出た」
     そうしたらキミに会えた。そう言ってモモは微笑んだ。なんだか、ひさしぶりに笑った顔を見た気がした。
    「……運命だって、そう思ってるよ」
     そう言ってモモはテーブルの上の絵の具を弄びはじめる。そういえば、この前もそんなことをしていたな、と一真は思う。きっとドラッグに溺れる前の癖のようなものなのだろう。
     話をするのならモモが沈みきっていない今なのかもしれない。好きな食べ物、好きなスポーツ、行きたい旅行先、趣味。でもモモはこれらの答えを持っていないと、先ほどのやりとりで一真は理解していた。
     モモのからだと心は絵の具で満ちていて、描くことを取り払えば彼はからっぽだ。それでも、だったら、からっぽを構成する枠組みだけでも知りたいと思ってしまった。
    「……家族とか、いるのか?」
    「いないよ」
     徐々に惚けていく瞳のままでモモは言った。それならドラッグに縋り付いて日々を塗り潰していくこの男は、いったい誰に頼るんだろう。
    「……そうか」
    「詳しく知りたい? いいよ、それくらい」
     ドラッグの話までしたんだ。もう隠すことなんてないとモモは明るく笑う。
    「僕には教えられることが少ないから。趣味も、好きな食べ物も、なんにもない」
    「その少ないいくつかの、なんでもいい。俺はお前のことが知りたい」
    「なんでも話すよ……でも、あとでね」
     ぴたりと絵の具を弄んでいた指先が止まった。モモは唇に人差し指を当てて、自らに深く潜るようにそっと瞳を閉じる。
     永遠のような一瞬の後、モモの瞳が開かれる。一真が焦がれて待ち侘びた、狂気を孕んだ眼光が一真を捉えてぐちゃりと歪む。
    「……うん、描けそう」
     鋭く爛々と煌めいた、世界を飲みこんで自らに組み込むような捕食者の眼光。あの日、あの夜に見たモモだ。歓喜か恐怖なのか、一真自身もわからない衝動が背筋を震わせた。
    「キミを描くんだ……僕はキミを描く……」
     視線に射抜かれて咄嗟にからだが強張るが、大きく息を吐いて力を抜いた。モモに飲まれてはいけない。だけど突き放してもいけない。
     受け入れる。捧げる。そうやって、彼の柔らかい部分とひとつになれたら。
     モモはしばらく一真を見ていた。そうして一言「違う」と呟いていきなりキャンバスを手に取り、投げ捨てる。突然のことに目を丸くした一真などまるいないもののように、モモは呟いた。その言葉は呼びかけにも聞こえるが、一真はモモの意識の外にいる。
    「……人を描くって面白いね。いろんな色が見える」
     モモはふらふらと歩き出し、壁に立てかけてあったいくつかのキャンバスのひとつを手に取った。その顔は出かけようとした矢先に雨が降り出した子供によく似ている。
    「……キミは思ったより優しいみたい」
    「俺は、」
    「だから、描き直し」
     モモは少しだけカサカサとした唇をうっすらと開いて一真の言葉を遮った。そうしてまた指先で絵の具を弄びながら少しだけ考えるような仕草を見せた。
    「……うん、大丈夫」
     描ける。小さな声で呟いてモモはもう一度だけ一真を見る。そうして、あの夜のようにいきなり真っ白なキャンバスに絵の具を塗り重ねていった。それを一真はただ見ていた。
     お手本のような静寂に普段なら意識すらできない音すら聞こえてきそうだ。自分が息を吸って吐く音、モモの浅い呼吸、音なんて出ないほど柔らかい筆がキャンバスを走る音。音は本当に聴こえているのか、音のない世界に退屈した脳内が勝手に作り上げていくのか、一真にはわからない。
     モモはもうキャンバスから視線を外さない。そんなモモを一真はただ見ていた。笑った顔や拗ねた顔や眠っていたときの顔とは違う、命を燃やして熱を宿した瞳に魅せられる。数十分も前には可愛らしいと思っていた薄い月のような髪が頬に乱れていて、なんだか別の生き物のように見えた。
     どれくらいの時間が経ったのだろう。少し緊張を解いて意識を彷徨わせれば、この部屋には時計も窓もないことに気がつく。いや、窓があったであろう場所は木の板で塞がれていた。きっと時間を刻む針の音も、陽の光も、モモにとっては邪魔なのだろう。
     監獄のようだと思う。しかし、ここがモモの望む世界であることは疑いようもない。なんだか自分が囚われているような錯覚をして、一真は自嘲する。自分がモモに囚われていることなんで、とっくにわかっていたことなのに。
     退屈すら感じさせない、永遠のような時間だった。お互いにお互いの存在しかない世界で、ただ呼吸だけをしていたモモがか細い声を出す。
    「……おいていかないで」
    「え?」
    「ここにいて。……ああ、これが人を……誰かを描くってことなのかもしれない」
     ふらりと立ち上がったモモが一真の元に歩き出した。そうして、一真にすべてを預けるように倒れ込む。咄嗟に抱き止めたモモは電池が切れたように眠っていた。
    「……終わった、のか?」
     ベッドに横たえようとしたモモは一真を強い力で抱きしめていた。一真は引き剥がすことはせずにモモを抱きしめてベッドに横たわる。眠りを邪魔するつもりはなかったし、モモには温かい食事を食べさせてから別れたかった。時間の流れもわからない部屋で眠るモモにくっついているうちに、一真もいつのまにか眠っていた。


     目を覚ました一真が最初に見たのは、キスが出来そうなくらい近くにあるモモの顔だった。吐息のかかる距離からは、モモに染みついた絵の具の匂いがする。
    「ん……」
    「んん……ヒイロくん……?」
     目の前にいたモモが一真を見て笑みを浮かべる。一真は寝起きでぼやりとした頭で、脳を一切通さずに思ったことを口にした。
    「かわいい……」
    「ありがとう……?」
     お互いに寝ぼけたまま見つめ合う。先に覚醒したのは一真だった。
    「うおっ!?」
     咄嗟に後ろに引いた一真はそのままベッドから落下する。にじにじとベッドのふちに移動したモモがそれを見てふにゃふにゃと呟いた。
    「……なにしてるの?」
    「……何してるんだろうな」
     落下の衝撃で冷静になった一真はまだ少し眠そうなモモに優しく声をかける。
    「もう少し寝てろよ。俺はちょっと出てくるから……」
    「え? ……やだ! やだよ!」
     瞬間、モモは飛び起きて悲鳴のような声をあげる。そうして立ち上がり、一真の腕にしがみついた。
    「帰らないで、まだここにいて」
    「モモ、俺は」
    「やだ、お願い」
     取り乱した様子のモモを抱きしめ返しながら、一真は「落ち着け」と背中をさする。
    「大丈夫だ。なんか飯買ってくるだけだから」
    「……いなくならない?」
    「ああ、なんか買ったら帰ってくるよ」
     そう言って一真は部屋を出た。取り残されたモモはただぼんやりと口にする。
    「……嘘つき、なのに」
     望まないのにあれこれ世話を焼いてくる男だ。食事をする時間も眠る時間も惜しいのに「嘘吐きで結構だよ」と言いながら僕に善意を押し付ける男。
    「うそつき。なんで信じちゃうんだろう」
     モモにとって一真はこの上なく魅力的だった。だが、それは絵のモデルとしてだ。だから絵を描ききってしまえば興味なんて失せてしまうと思っていた。それなのに、一真の帰りを待ち侘びている自分がいる。それはモモにとって、初めての感情だった。
    「……ご飯なんていらないのに」
     この部屋では時間がわからない。普段は心地いいそれが今はこんなにももどかしい。モモの気はだんだん重くなっていく。ドラッグの抜けた頭に不安が渦巻いて、思考を暗く落としていく。帰ってくるのを待つくらいなら、いっそ嫌いになってしまったほうが楽なんじゃないか。そんなことを考えていたら立て付けの悪い扉が開く音がした。
    「待たせたな。なんでも食えるって言ってたから適当に買ってきた」
    「……遅いよ」
    「悪い悪い。コンビニ探してたら手間取っちまった」
     もう夜遅いんだな、という独り言のような一真の言葉を聞いて、モモは今が夜であることを知る。まだ倒れるほど消耗していないのに、お腹が空くのが不思議だった。
    「ほい、テーブル」
     一真は床にビニール袋を広げながら「一番広いテーブル買ってきた」と笑う。次々に出てくる食べ物でぺらぺらのテーブルが埋められていくのを見てモモが言う。
    「みんなビニール巻いてあるし、全部床に置いてよくない?」
    「俺が嫌だわ。ほら、食おうぜ」
     ぺたりと床、もといモモのいう地面に2人は座りこむ。一真はモモが好きなものを取るのを待っていたが、モモは一番手元にあった菓子パンに手を伸ばした。それを見届けて、一真は適当な惣菜パンを取って食べ始めた。
     菓子パンを食べ終わったモモは次の食べ物には手を伸ばさずぽつりと呟く。
    「……帰ってきてくれたんだね」
    「おう。約束したからな」
     この人はズルい。嘘をついたり、約束を守ったり。でもモモにだって、それは自分を心配したからだというのがわかる。
    「なんかごめんね。……僕はね、きっとキミが思っているより大丈夫だよ」
     大丈夫、大丈夫。自らに言い聞かせるようにモモは呟く。
    「……僕には絵があるから。だから、大丈夫」
     そう言ったきりモモは黙ってしまった。沈黙を笑い飛ばすように一真は笑う。
    「お前から絵を奪うつもりはないけどさ」
     絵の具の匂いに支配されたこの部屋でしかモモは生きられない。でも、モモが少しでも変わる時が、変わりたいと思う時がきたのなら。
    「大丈夫じゃなくなったらいつでも呼べよ。力になるから」
     目を伏せたモモはなにも返さなかった。少し気まずくなった一真がおにぎりに手を伸ばした瞬間、モモが一真に問いかける。
    「……キミのおすすめは何?」
    「ん?」
    「食べるもの。キミが好きなものを食べてみたい」
    「……おう!」
     昆布のおにぎり。クリームパン。カツ丼。あんぱん。差し出された食べ物をモモは食べる。ゆっくりと噛み締めて、ぽつりと呟いた。
    「……おいしいね」
     モモは真っ直ぐに一真を見る。口のはしにクリームをつけたままモモは微笑んだ。
    「ありがとう。ヒイロくん」
    「いいって。俺が勝手にしたことなんだから」
    「それはそうだね」
    「そ、そうだけどそう言われるとなんだかなぁ」
    「ふふ、冗談だよ。……ありがとうね」
     そうやってまた、ゆっくりと、時間を引き延ばすようにモモは食事を再開する。
     食べ終わりたくなかった。ずっと一緒にこうやって向かい合ってご飯を食べていたかった。うまく言えないまま、モモは最後のパンを口に運んだ。


    「それじゃ、俺は帰るから」
     ちゃんと寝ろよ、と一真は言う。モモはそれを見送ろうとして──気がついたら一真に抱きついていた。
    「モモ……?」
    「やっぱり、やだよ」
     モモにとって絵を描いていない時間に意味はなかった。ただ生きるためのタスクをこなすだけの時間だった。それなのに、いま、どうしても1人になりたくなかった。
     引き止める言葉を探していたモモが「そうだ!」と声を上げる。
    「親の話をするよ! 僕にできる話ならなんでもする……だから、ねぇ、帰らないで」
    「しなくていいよ。ちゃんと寝ろ」
    「いやだ! お願い、ねぇ、」
     半ば取り乱した様子のモモを落ち着かせるように背中をぽんぽんと叩いて、困ったように一真は言う。
    「あー、違う。あれだ、それなら泊まってくから」
    「……え?」
    「不安なんだろ? だったらここにいる。いいか?」
     だからちゃんと寝てくれ。そっと抱きしめ返されたモモは安心したように息を吐く。
    「……うん」
     近づいた距離からは絵の具ではなくモモ自身の香りがする。ハッと我に返ったように、一真は意図的に話題を変えた。
    「えっとぉ……したら風呂とパジャマ借してくれ」
    「お風呂はそっち。パジャマはないよ」
    「そうだよな、パジャマはなぁ……」
     一真は風呂に入ろうとしたが考え直す。モモが寝落ちしてしまう可能性があったから、モモが先に風呂に入ったほうがいいだろう。そう伝えたら、モモはめんどくさそうな息を吐いた。
    「……そんなに汚れてない」
    「確かにいい匂いしたけど……」
    「え?」
    「いや、なんでもねぇ。お前あれだろ、ずっと寝っ転がってたなら風呂入ってねぇだろ」
     だから入れ、と言ってもモモはギリギリまで駄々をこねるつもりのようだ。さっき食事を食べて初めて「おいしい」と言ったくせに、風呂はめんどくささが勝っているのだろう。もしくは、風呂は毎日入るものではなく汚れたら入るものという認識なのかもしれない。
    「汚れてない……」
    「風呂はじりつしんけー? だかなんだかを整えるんだと。入っとけ」
    「うちバスタブないよ。シャワールームだけ」
    「ならシャワーだけでも浴びとけ」
     納得していない様子のモモをシャワールームに放り込んでベッドに腰掛ける。目の前にはキャンバスがあった。そういえばずっとモモを気にしていて、まだ完成した絵を見ていない。一真が立ちあがろうとした瞬間、何かを発見したようなモモの声が聞こえた。
    「ヒイロくーん! 気づいたけどシャンプーもリンスもない!」
    「そうだな! そんな気がしてた!」
     発見どころか何もない。いや、何もないことを発見したのかもしれない。
     本当に、どういう道理であの生き物からはいい匂いがするのかと一真は首を傾げる。まぁ一昨日まではシャンプーもリンスもあったのだろうと結論づけた一真の脳裏に、少し不躾な疑問が浮かぶ。
    「……シャンプー使ってんのか」
     てっきり横着をして頭から爪先まで石鹸で洗っているものだと思ってた。いや、そもそも部屋の隅に積まれた食料は1人では運べるはずもない。彼は生きているけれど、生活ができるとは思えない。
     きっと、誰かがモモを助けている。
     ようやくそんな当たり前のことに思い至ったとき、一真が抱いたのは安堵ではなく誰にだって言語化のできないドス黒い感情だった。
     一真はあの儚い生き物に必要とされて嬉しかった。でも自分しかいないと錯覚していたモモの世界には誰かがいて、自分よりずっと長い間モモが生きることを助けている。モモは自分だけのモモじゃない。そもそも相手を自分だけのものにしようというのが間違っている。それなのに、そんな当たり前が嫌だった。
    「……面倒見るなら、ちゃんと飯食わせろよ」
     一真は顔も知らない誰かに向かって悪態を吐く。苛立ちとも悲しみともつかない気持ちを逃すように大きく息を吸い込めば、いつのまにかモモが隣にいた。
    「……どうしたの?」
    「え……ああ、モモか」
     モモが何かを言う前に一真は立ち上がる。風呂を借りるとだけを言って、付きまとう感情を振り切るようにして浴室に向かった。
     一真はシャワーを浴びながらモモのことを考える。自分がいなければ水すら飲まなかったモモを心配していたのは本当だし、モモのことを助けている人間がいるならそれは安心できることのはずで、こんなドロドロした感情を持つことは間違っている。理屈ではわかっているのに、一真はその事実がどうしても嫌だった。
     きっと俺はあの魅力に当てられてどうにかしているんだ。
     もうどうしようもなくおかしくなってしまった。でも、それに気がついたのならいい隣人になれるはずだ。
     一真は善良な人間だったし良識もある。数度深く息を吐き、自分本位な気持ちではなくモモの幸せを願おうと決める。
     俺には俺にだけの、モモにしてやれることがある。そう結論づけて一真はシャワールームを出た。
    「あ、ヒイロくん」
     少しうとうとしながら、それでいてどこか嬉しそうにモモが笑う。それを見てどうしようもなく満たされてしまうほど、一真はモモに絆されていた。
    「お前……髪の毛びしょびしょだぞ」
    「ほっといたら乾くもん。ねぇ、お話しようよ」
     モモは自分の横にスペースを作って、そこをぽんぽんと叩いて一真を待つ。一真が素直に座れば、モモは穏やかに喋り出した。
    「親はもういないよ。死んじゃった」
    「え?」
     不意打ちのような言葉だった。数秒して、一真はモモが律儀に、数少ない『できる話』をしようとしていると気がつく。
    「……言いたくないなら言わなくていいんだぞ?」
    「……ううん、話してみたいんだ。誰にも言ったことがないから、話してみたらどうなるんだろうって興味がある」
     いやな気持ちになるのかな。それとも安心できるのかな。ぼんやりと言葉を宙に浮かせて、モモは淡々と喋りだした。
    「えっと……親は死んでる。自殺した」
    「自殺……?」
     それを聞いた一真はうわごとのようなモモの言葉を思い出した。「おいていかないで」と、モモは確かにそう言っていた。
    「僕が……いくつくらいだったかな? 17か18にはなってたはずだけど」
     モモは何回か指を折って、忘れちゃったと笑った。
    「僕の親はドラッグをやっててね、いつも楽しそうだったよ。僕もやってみたかったんだけど子供だからダメって言われてた」
    「親が……?」
    「うん。で、死んだ。遺書には『天国に行く』って書いてあった」
     天国ってなんだろうね。そう呟くモモは変わらずに笑っている。
    「あの人たちはドラッグで天国を見たんだ。僕をおいてそこに行った。……親の話はこれでおしまい」
    「そうか……辛かったな」
    「え? なんで?」
    「は? なんでって……」
     親が死んでるんだぞ、と言いかけて一真は口を噤む。そういう『当たり前』や『正論』は軋轢を生むだけだ。
    「あとは周りがうるさかったから引っ越して、遺産を食い潰しながら絵を描いて暮らしてた。うちの親、そこそこお金持ちだったみたい」
    「……まぁ、継続的にドラッグが手に入ってたみたいだしな」
    「そうそう。でもお金もなくなって……それで……うーん、あの時なにを考えてたんだっけな。思い出せないや」
     思い出せない理由はそこまで感情が動かなかったからなのだろうか。それとも思い出すのが辛くて記憶に蓋をしたのだろうか。モモにも一真にも、それはわからない。
    「で、手元にあった……親がお金以外に唯一残したドラッグをやってみた。きれいな色が見えたから、それを絵に描いた」
     その色はさぞかし鮮烈だったのだろう。モモがうっとりとした表情でため息をつく。その艶やかな仕草と聞かされている話のギャップに一真はくらりとした。
    「それで……そうそう、SNSにあげたんだっけな? そこであの人に見つけてもらった」
    「あの人?」
    「僕のあしながおじさん」
     ふふ、と笑ったモモが大きなあくびをしたので「眠いなら寝ていい」と一真は言う。それを聞いているのかいないのか、モモは眠りに落ちる寸前の多幸感そのままにふわふわと口にした。
    「あしながおじさんは絵を集めてたんだ。でもね、僕の絵以外なにもいらないって言って持ってた絵を全部燃やした」
     自分のために今までの全てを捨てた人間がいるという事実に酔うように、楽しかったなぁ、とモモは唇を歪めた。
    「僕には才能があるって言ってくれた。こんな僕のために、僕の絵のためになんでもするって言ったんだ。だから最低限の生活と、誰とも関わらなくていい環境と、ドラッグを用意してって頼んだ」
    「それが、ルナリスブルー……?」
    「うん。あれって最近話題だけどさ、結構昔からあるんだよ」
     モモの瞳がふにゃりと溶けている。きっともう眠たいのだろう。眠くないのかと一真が肩に触れれば、モモはからだを一真に預けてくる。
    「それで……なんだっけ? もうないかも……」
    「そっか……ありがとうな」
     もう寝ようと一真が言う前にモモは眠りについていた。一真はモモをそっとベッドに横たえて、空いたスペースに寝転がる。
    「……そいつが面倒見てるんだろうな」
     モモは何も言わずに眠っている。スイッチの場所がわからないから電気が切れない。目を閉じても光がチカチカとしていて、余計なことを考えそうだ。
    「これがお前の幸せなのはわかってるけどよ、なんでこんなに苦しんだろうな……」
     幸せってなんなんだろう。誰も答えを持っていない問いが一真の頭をぐるぐると回る。それでもモモの世話をしている人間のことを考えるよりはよっぽど気持ちが楽だった。
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