犬も食わない。 秋といえば食欲の秋だ。でも、食欲の秋だからってなんでもかんでも食べていいってわけじゃないだろう。まして、人を食べるだなんて。
人を食ったような性格、という言葉はアイツにピッタリだけど、まさか本当に人を食うとは思わないじゃないか。しかも、俺が食われるとは夢にも思っていなかった。
人生で、何かに食われることがあるなんて考えたこともなかった。アイツは意味がわかんないやつだけど、ここまで意味がわからないやつだとは。
俺が食われたとは言っても、それは捕食みたいな猟奇的なことではなくて……なんていか、隠すって感じなのかなってぼんやり思う。食われた自覚はあるけれど、俺は無傷で意識もはっきりある。
なんというか、和風のホラーゲームで見たような、神隠しと似ている感じがする。あれは帰り道のことだったか。アイツが大きく口を開けた瞬間、一瞬だけ意識が暗転して気がついたら俺は知らない場所にいた。よくわかんないけど、ぱくりと丸呑みにされたって──食われたって感覚がある。
なんだかきれいで空気の澄んだ場所だった。でも絶対に日本じゃない。それなのに、たぶん外国のどこにもこんな景色はないんじゃないかって思う。ずっと月が出てて、飽きるほどは見ていないけどそれは沈む気配がない。そのくせ空はうっすらと光のさしたグレーで、明かりがなくても手元も少し遠くもはっきり見える。地面は草むらになんにもないひび割れた地面がぽつぽつと広がっていて、ところどころに廃材のようなものが散らばっている。その影には数匹の猫がいた。
「おい!」
とりあえず、大声で呼びかけてみる。返事はないが、なんとなく視線を向けられた気がした。
「なんでこんなことしたんだ!」
声を張っているから自然と怒ってるみたいになってしまった。「怒ってるわけじゃない!」と、これまた大声でフォローをいれて、俺はアイツの言葉を待つ。
「意味がわかんないんだ! 理由も! だから怒るも怒らないもないから……とりあえずどういうことか教えろ!」
伝えたいことは伝えたので適当な廃材に座る。待つことは性に合わないけれど、現状はどうしようもない。こんなどうしようもない状況で冷静な自分が少しおかしいけれど、俺はコイツが原因なら「そんなもんか」でたいていの状況を受け入れてしまう。よくない。
「だって、チビが言ったから」
ふいに後ろから声が聞こえた。俺が聞き慣れた態度の、でもいつもより高い声だ。
振り向いたらアイツ、らしきものがいた。特徴的な銀髪とはちみつ色の瞳に、この月夜に溶けそうな白い肌。それでも外見は俺が知っている青年ではなくて、あどけない少年の姿をしていた。
「俺が言った?」
心当たりがあるような、ないような。というか、ある。あるけど、それがこんなことに繋がっているんなら、さすがにそれは、みたいなそういうやつがある。
「言っただろ。明日の仕事、本当に行きたくないって」
「あー……やっぱそれか……」
それは急に決まった仕事だった。仕事だから文句を言ってはいけないんだろうが、その仕事で共演する女優のことが俺は苦手だった。それをプロデューサーに伝えていたらプロデューサーはこの仕事を別のやつにまわしたのかもしれないが、俺は黙っていたからこの仕事は俺のところにきた。
「言ってただろ。せめてあと何日かあったらいいのにって」
「言ったな……」
せめてあと数日あれば覚悟が決まったのに、とぼやいた記憶がある。よりにもよってコイツの目の前で、だ。いや、むしろコイツ相手だから言っちまったのかな。とにかく、気が緩んでた。いや、だからってこれはありかと言われれば反則だろ。
「だから何日かここにいりゃいい。何日いても、あっちじゃ三分も経たねぇよ」
「オマエは本当にめちゃくちゃだな……いや、もう帰る。大丈夫だ」
「ハァ?」
目の前の少年が不満げに顔を歪める。良いことをしたと疑っていないのに、褒められなかった時の子供の目だ。
「俺は人間で、三分は三分なんだ。ズルはできない」
「ズルって……オマエな、」
「気持ちはうれしい」
サンキュ、って言った。それだけのことで、不貞腐れていたコイツの顔がぱぁ、と明るくなる。
「そーゆーシュショーな心がけなら、また面倒見てやってもいいぜぇ。オレ様に感謝するんだな! くはは!」
「気持ちはうれしい。……あれだ、次からはひとこと言ってくれ」
コイツが近づいてきて、小さな子供の口をぱかりと開けた。
「あ、帰りもそんな感じなんだな」
暗転。意識が飲まれる。
気がついたら公園にいた。俺はさっきまで、男道ラーメンから家への道をアイツと歩いていたはずなんだけどな。そこでちょっと不満を吐き出して──そんであの、夢。
夢、もとい、おそらくアイツの胃袋の中だ。そうしてアイツが俺を隠したまま移動して……三分で来れるはずのないこの公園でのんきに寝て……あー、流れが繋がってきた。そんなわけないだろと思うけれど、振り向けばコイツがベンチに座ってこっちを見てるわけで。
「……あの変な女と仕事すんだろ」
「そういうことだ。大丈夫、覚悟決まったから」
「それならいい。誑かされんなよ」
そう言ってコイツはベンチに転がって眠ってしまった。俺だって明日の仕事のために、帰ってからだを休めないといけない。
帰り道はやっぱり少し憂鬱だった。あの女優さん、鈍い俺でもわかるくらいアプローチがすごいんだよな。なんだか狙われてる感じがして、不愉快を通り越して怖い。
アイツでさえ誑かされんなよって言ってたし、ちゃんと断る時は断らないと。
しかしアイツが俺のことを思ってあんなことをするとは思わなかった。シャワーを浴びながらぼんやりと考える。ないと思うけど、俺があの女優と共演することをアイツが嫌がってたとしたら。
「嫉妬だったら、ちょっと面白いな」
そんなわけないけど。俺の言葉が排水溝に飲まれていく。