頂天までもうすぐSide R
最近、三井サンが変だ。
いや、高校で出会った頃から三井サンはいろんな方向にずーっと変だ。いつも変だけど、最近のはなんかチョット違う。受験もひと段落ついてヒマになったからか、オレを色々な場所に誘ってくるのだ。近場の江ノ島だったり水族館だったりはもちろん、鎌倉の和スイーツ店とか藤沢のレコード屋だとか、今まであんまり行かなかった場所にも。
前も休日にちょくちょく会ってはいたけど、大抵バスケをしてコンビニや海辺や学校に寄るくらいだった。卒業間近で思い出作りてえのかな?そう思ったが、そのワリに出掛けてる最中、かなりの確率でボケーっとしてる。
横浜の観覧車のチケットあっから付き合わねえ?と言われた今日も、春で、小雨で、暖かい電車内、三井サンは座ってぼんやり車窓を眺めている。オレは立ってるから互いに違う方を見て、無言で。
楽しいのかな、コレ。
もういろいろ話し尽くした気もするし、三井サンの事何も知らないような気もする。オレに関して言わせてもらうなら、こうして自分だけ誘われるのは、特別扱いされてるみたいでスゲェ胸をくすぐられる。休みがあるたび次はどこに誘われんのかなあとか思ってるから、結構楽しみにしてんのかも。高い鼻に雨に濡れたような目、すらっとした顎のラインにオレが付けた傷跡。だんだん目立たなくなってきているソレを見るたび、ずっと残ってればいいのに、と図々しい気持ちになる。だってほんの短い期間とはいえ、オレと一緒の時を過ごした証みたいなモンだから。
「サクラギだな」
降り立った桜木町駅の看板の前で、三井サンがようやく口を開いた。オレはハナミチだ、と返して手のひらで雨を受けるポーズをする。
「なんで傘持って来ねーんだよ」
「小雨だったし。入れて下さいよ」
「貸してやる。オマエ一人でさせ」
「そこまで図々しくないっす。三井サンの方がタッパあるんだから傘持っていいスよ」
ああ?とか威嚇しながら開かれた緑の傘の下に、当たり前みたいに滑り込む。木の板を敷き詰められたプロムナードを押し合いへし合いしながら進んでいると、こんな日々がずーっと続いてくような錯覚に襲われて胸がちくりと痛んだ。三井サンは四月になったら大学生で、知らない街に行ってしまう。
「観覧車、あっちの船がある方じゃね?遊園地もある」
「全部ぬれてるし今日は乗れねだろうな。しかもちっちぇえ」
「幼児向きなんでしょ。三井サンにピッタリ」
「おう。サイズはオマエ向けだけどな」
道路や建物の隙間にちらほら覗いてる横浜の海は、湘南のとは違くて、そこに見えるのに全然さわれそうにない。近くにあるのに手が届かないなんてまるでマボロシみたいだ。こんなところに来ても海を探してしまう自分に呆れながら、隣を歩く人に歩調を合わせる。
休止の札が立てられたちいさなジェットコースターの脇をすり抜け、雪や氷のハリボテで飾られた氷の世界体験館を通り過ぎ、あっという間に観覧車乗り場にたどり着いた。
休日とはいえこんな天気だから、観覧車はまあまあ空いてるようだった。十分ほど列に並び、運ばれてきた黄色いゴンドラに乗り込む。足元がグラリと揺れて、オレたちは地上と別れを告げた。
「これに乗るの初めて。三井サンは?」
「博覧会あった時乗ったな、親と。あん時は晴れてて遠くまでよく見えたぜ」
「雨もまたいいじゃん。なんか街が灰色でシブいし」
「全然良くねーじゃねーか」
ワハハと軽く笑いあって、それから先の会話は途切れてしまった。観覧車の回転はゆっくりで、ようやく四分の一を通過したくらいだ。オレは思い切って、今日試してみたかった話を持ち出す。
「ナンカ妹が言ってたんスけど、カップルが観覧車のテッペンでキスすると両思いになる、とか何とか。まじないなのかな都市伝説なのか。バカおめーオレが一緒に乗んの三井サンだぞ!?とか言って」
冗談めかして笑いながら言ったけど、三井サンはノってくれなかった。はあ?とか言って窓の外の雨を見て、長い指を太腿の上で組む。
「テッペンか。いまさらだけどよ、前乗った時の気分思い出した」
ため息をつきながら今度は眼下の風景を一瞬覗き、俺の顔をじっと見る。
「高えの苦手かもしんねえ」
「ハ?」
「高所恐怖症状?あれ。お前が一緒なら気にならないかと思ったんだけどよ」
「コウショって。え、今怖いんスか?隣行こっか?」
「バカおめー動くな、立つな!バランス悪くなんだろ!」
「大丈夫だよこんくらい。そっちこそ暴れんなって」
オレは若干ふらつきながら歩いて、向かいの椅子の端っこに腰を下ろす。三井サンは出入り口に付いたバーをギュッと握って、バカヤローと言いながら目をふるふると震えさせた。
「ホラ見てジェットコースターがあんなに小さい。そろそろ慣れなよ、もう半分くらい来たし」
「一番高えよ。もうダメかもしれんキスでもしねえと気が紛れねえ」
バーを握って天井を凝視したまま、三井サンは言った。オレは混乱してよく分からないまま「じゃあしてみたら?」と返す。胸がムギュッとなってて、自分はその場から一ミリも動けなかったけど。
三井サンはオレの顔をギッと見て、バーから手を一本ずつ離した。じわじわ腰をずらしてコッチに近づくと、順にオレの肩、オレの腕をがしりと握る。
「テッペン過ぎたスよ」
うるせい。と短く言うと、三井サンは目を閉じてゆっくり唇を重ねてきた。オレは小さく震えてしまう。もしかしたら高所恐怖症がうつっちゃったのかも知れない。
「まだ怖いスか?」
いつもなら大爆笑間違いなしの至近距離で見つめ合う。
「怖えな」
低いトーンで返されて、オレ達は同時にゲラゲラ笑う。マボロシに手が届いちゃったな。ひとしきり笑いあった後、今度は自然に顔を寄せ合ってもう一度キスをした。
「お前、どっか行きてえとことかあんの?」
駅近くの古臭い喫茶店でランチを食べながら三井サンが言った。オレは向かいの皿のハンバーグを、スプーンで素早く切り取って口に放り込む。
「んー、そうっスね。最近二人でしてねーし、バスケしたいかな」
三井サンはオレのビーフカレーの皿をしばらく見分して渋い顔をした。フォークでカレーは奪いにくいだろう。
「ここまで遠出する必要ねーじゃねーか」
「そうなんだって」と返しながらオレはまた笑う。
「前に観覧車乗った時はオカーサンの手とか握ったワケ?もしかしてオトーサン?
慣れた方がいいし、また乗ろうぜ」
うっせえもう二度と乗らねえ。そう言って三井サンは、オレの皿からぷすりとラッキョを掠め取った。別の人と乗ってキスされちゃ困るオレは、「そうだね」とさっきと真逆の事を言う。
もしかしてあれはマジでマボロシだったのかも。もう一緒に観覧車に乗るチャンスも無いだろうし。
顔を上げると、ラッキョを口に入れた三井サンが酸っぱいのか口を窄めてる。オレはいつもみたいにワハハと笑って、心の中に浮かんだ気持ちを飲み下すみたいに、コップの水をぐいっと飲み干した。
「引越し、いつするんスか?」
「月末。手伝いに来いよ。いらねー物あったらやるし。参考書とか」
ボールを足の間に通しながら、三井サンがドリブルする。いつもの公園のバスケットコート。もうじき桜が咲くんだろう、離れていても蕾が膨らんでるのがわかる。
あれからのオレ達は、相変わらず付かず離れず、って感じ。ふと手が重なった時に指先を繋いだ事が一度あったけど、それが何だったのかについてもお互い触れないままでいる。遠くに行っちゃうし、ややこしくならないでこのまんまでいいのかもな。オレは自分にそう言い聞かせることを選んだ。
「参考書はチョット。けど金目のものあるかもしんねーから行こっかな。花道連れて。
ね、モノじゃないんだけど一つ頼んます。スリー打って下さいよ。失敗するまで」
ハア?無限に終わんねーぞ。
そう言いながらも、三井サンは何歩か下がってスリーポイントを打ち始めた。すっかり見慣れたフォームからリリースされた球は、当たり前のようにネットに吸い込まれていって、オレはボールを拾ってはパスを出す。「やっぱすげえ」彼がスリーを打つのが単純に嬉しくて、その美しさに簡単に感動する。ああ、近くにあるけど触れられないものが、もっと手の届かない遠くに行ってしまうんだな。
バテながらも三十五投目のスリーを決めた時、三井サンはオレの顔をまじまじと見て「ああ!?」と大きな声で言った。
「なんか…いろいろ連れてってよォ」
ハアハア言いながらボールを足元に落として、オレの側にゾンビみたいにゆっくり近寄る。
「その顔だよ。ソレ見たくて俺ァ」
オレの顔?意味がわからないままバテた顔を見上げると、肩をガシッと掴まれてキスをされた。
ああ、そうか。今がテッペンだ。
Side H
ああ、もうすぐ告られんな。ってのに察しがつき始めたのは、中学の頃だった。
まず目が合う回数がやたら多くなる。大体その目はウルウルしてて、次は見つめられる時間が徐々に伸びてくる。そして他の奴にはやらない親切を受けたり、何気ないボディタッチをされたり。ここまで来ると大抵「三井クンに話があるんだ?」みたいなお呼び出しがかかって、告られる事になる、ってのがセオリーだ。
そういう兆候を、後輩の宮城に感じてしまった。
試合中に見せつけらるあの何とも言えない表情に、俺は取り憑かれている。試合でアドレナリンが出ているせいじゃないか?冷静な俺は自分にそう言い聞かせてるが、イヤあの眼は只事じゃねえぞ、ともう一人の俺が納得しない。
じゃあもし万が一、宮城が俺に恋をしていたとしたらお前は受け入れるのか?散々考えてみたがイエスだ。ヤツの事もっと知りてえしもっと一緒に過ごしてみてえ。
じゃあ逆に、恋でなかったのなら?それはもう、何でも無いままの方がお互い幸せだろう。
そこまで答えは出ていたが、卒業も近くなって来るとこのまま終わっていいんだろうか?と焦りが出てき始めた。確かめるべきじゃねえか?納得してない俺が囁く。けど確認して勘違いだったら?おそらく後輩をひとり無くしてしまう事になる。堂々巡りだ。
じゃあ試合以外であの顔をしたら?それは脈アリってコトだろう。
そう結論付けた俺は、試しに宮城をいろいろな場所に連れ出すことにした。自分のこの、どっち付かずな気持ちをハッキリさせる為にも会う機会を増やすのはアリだろう。そうも思ったからだ。
みなとみらいに向かう電車の中。
あいにくの春の雨で、車内は微妙に混雑していた。俺は座って、宮城は俺の前に立って。これまで何度か電車で出かけてるが、いつも俺を先に座らせようとする。「センパイだから」とか「膝がヤベエから」とか、いろいろ理由を付けて。
最初の頃は膝なんて治ってるし、吊り革だって俺の方が近いんだから逆だろ?と言ってたが、今は受け入れて大人しく座るようにしている。親切や好意を素直に受け取るのも、ある意味寛容さで優しさだと知っているから。
宮城はその辺に疎いみたいで、いつも周りの好意を断って、何でもひとりでやろうとする。まあ、高校生なんだからそんなモンだろう。自分だってグレたり一悶着あったりしなければ、そんなことには気付かないままだったかも知れない。
桜木町駅に着くと宮城が雨を確認するような仕草をしてみせた。薄々気付いていたが、いつものように傘を持たないで来たらしい。宮城に傘を貸して自分はジャケットを頭から被ろうかと思ったが、相合傘でいいと言う。毎度の事ながらどういうつもりなんだろう?時々やたらと甘ったれてくるのだ。
「もっと大きい傘がいいっスよ」
「アホか。次はニ本持ってくりゃいいんだろ?」
「次って。そんな雨降るかな」
「雨男かもよ?」「オマエがな」
そんな話をしながら歩くうちにふと気付く。
赤木や木暮、親友らしい安田や思い人らしいアヤコにもこんな風になってるところは見かけない。こういう年下仕草をして見せるのは、知る限り俺に対してだけだ。好かれてんだろ、と言えるほどの根拠にはならないが、じわり胸が熱くなった。
「うお、揺れる揺れる」
乗り込んだ黄色いゴンドラは、俺たちを連れて鉛色の空に向かう。宮城は「街が灰色でシブい」とか言ってくれたが、初めて乗るヤツにこんな天気はあんまりじゃねーか、と思う。
そういやあ。
前乗った時高さで頭がクラクラして、すげー怖かったんだよな。今日は宮城と一緒だから大丈夫だと思ってたんだが。冷や汗が背中に湧いた気がした。
「ナンカ妹が言ってたんスけど、カップルが観覧車のテッペンでキスすると両思いになる、とか何とか。まじないなのかな都市伝説なのか。バカおめーオレが一緒に乗んの三井サンだぞ!?とか言って」
宮城が楽しそうに妹の話をしている。コイツ妹と仲良いよな。俺の周りに歳が近い兄妹と仲がいいヤツなんてほとんどいないけど。カップルか。アヤコと乗れたら良かったとか思ってんのか?アイツなら高い所も平気そうだし。
「高えの苦手かもしんねえ」
誤魔化し切れなくなってそう言うと、宮城は立ち上がって向かいから俺の隣に移動してきた。ゴンドラがぐらりと揺れた気がして俺はますます焦る。もうダメだ、この高さから落ちたら確実に死ぬ。思い残す事ばかりなのに。
「キスでもしねえと気が紛れねえ」と苦し紛れに言うと、宮城がしてみたらいいじゃん。といつもの調子で返してきた。いいのか?それ、さっきの話によれば両思いになるって事じゃねえか?なんとか隣に座って、薄く目を閉じて顔を近づけると、宮城もギュッと目を閉じた。あー、目ぇ閉じんだな、かわいいとこあるな。そんな呑気な事思ってるが、心臓はバクバクだ。
チュッとして、余裕があるみたいに見せたくて、なるべくゆっくり顔を離した。
「まだ怖いスか?」
いまのキスの意味を問われた気がして悩む。気を紛らす為だけだったのか、もっと意味があったのか。
「怖え」
正直に口にすると互いに大爆笑した。恋よかコッチの方がやっぱしっくりくる気がする。宮城がとても優しい目をしてたからもう一度キスしてみたが、「あの顔」は見せずじまいだった。結局答えを見つけられないまま、俺はみなとみらいを後にした。
「引越し、いつするんスか?」
夕暮というには遅すぎる春のバスケットコートで、ふと宮城が言った。
俺たちの毎日は観覧車みたく同じ所をグルグルしてたのに、いつの間にか違う回転軸に嵌め込まれて、それぞれ回り始めなきゃいけない。当たり前の事だと人は言うけれど、まだ見てもいないものをそんな簡単に信じられるワケがない。俺は車軸を失ってばらばらになったりしないだろうか?グレてた頃みたいに。
あの後、二人の関係があまりにいつも通り過ぎたので、思い切って宮城と手を繋いでみた事があった。そして何もなかったみたいに離れた。
いつもの日常ーーーキレのいいパス、ハイタッチやチェストバンプ、一緒の登下校、ちょっとした口ゲンカ、コンビニアイス、切り取られたハンバーグ。全部があまりに良すぎて、恋なんて言葉が侵入する隙間がなかったからだ。
空に一番星がきらり瞬きはじめ、そろそろまた今度。になろうとした時、宮城がスリーを失敗するまで打って欲しいと言い出した。一対一とかなら分かるが、そんなん一方的に見てて楽しいのか?変なこと言うな、とは思ったがそんくらいの願いなら、叶えてやりたい。百回でも二百回でも。俺は問いただす事なくスリーポイントを打ち続けた。
何本打っただろうか?めちゃくちゃ上手くいってしまって、だいぶ腕に疲労が溜まってきた頃、ふと宮城を見ると「あの顔」をしていた。何で今なんだよ?と、ああやっぱりそうなんだろ?という気持ちがごちゃごちゃになって上手い言葉が出てこない。ストレートに
「その顔だよ。ソレ見たくて俺ァ」
と、何も伝わらない言葉を吐いて驚いた顔の宮城と唇を重ねた。
言ってたよな、てっぺんでキスしたら両思いになれるって。今がその時だと思わないか?