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    2885_hajime

    @2885_hajime

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    2885_hajime

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    無自覚両片思いの九莇。
    全然くっつきません。九門にゴリゴリ捏造の彼女(名前なし・よく喋る)がいます。
    同じものを支部にもあげてますので、そちらがお好みの方はbio欄からとんでいただければと……!

    その恋心、取り扱い注意につき。▽1

    「フってあげよっか?」
    「……え?」

     セーテンノヘキレキ、っていうんだっけ、こーゆーの。
     夕方の商店街。季節が進んで日は短くなってきたけど、まだまだ日差しの鋭さは変わらない。じりじりと熱をはらむコンクリートの上を並んで歩きながら、雨降るかもなあ、早めに駅まで送ってあげよ、なんて考えて、オレは呑気に空を見上げていた。間近で明瞭に発音されたはずの言葉が、頭のなかを通り過ぎていく。あれ、えっと、なんて。

    「な、なんて…言っ――」
    「フってあげよっか、って」

     わざとらしいくらいにはっきりと唇を動かして、彼女がもう一度言う。こうなると、さすがのオレもぼーっとしているばかりではいられなくて、「フッてあげよっか」の八文字を働かない頭でなんとか捕まえて、口のなかで転がしてみた。

    「フって……あげ…えっ……!」
    「……」
    「えっえっ? 待って、どーしてそんなこと言うの?! ごめんオレ、なんかしちゃった?!」

     だってこれまで、うまくやってきたじゃんオレたち。
     今日だって、学校帰りにデートして。受験生だからパーッと遊ぶわけにはいかないけどって、駅の近くのカフェに入って参考書を広げて。オレは結局喋ってばっかで、彼女はちょっと呆れながら、それでも楽しそうに話に相槌を打ってくれて。「勉強は?」ってオレのこと小突く彼女の悪戯っぽい表情が、スッゲー可愛くて。暗くなってきたからそろそろ帰ろっかって、夕方の喧騒に紛れて手も繋いで。
     なんで、なんで?

    「なんかしたっていうか……その、さ」
    「……」
    「どうしてって、兵頭くん本気で言ってる?」
    「えっ、うん……」
    「……」
    「……」

     彼女が俯いたまま黙ってしまって、会話がとまる。気まずいし何か言わなきゃって思うけど、本当に心当たりがない。でもそんなふうに言うってことは、オレがなんかしちゃったってことだよな。ごめん、って謝ろう。そんで許してもらおう。
     そう思って彼女の方に一歩近づいたオレよりも先に、彼女が口を開いた。

    「……いつも莇くんのことばっかで、コッチは何聞かされてんだろって感じだよ」
    「へえっ? 莇……?」

     思いもよらない名前に、変な声が出る。ちょっと恥ずかしかったけど、しょーがない。何言われるんだろって身構えてたけど、まさかそんなこと言われるなんて思ってもみなかったから。
     だって、そーじゃない? オレがフラれることと莇に、どんな関係があるんだろ。

    「兵頭くん、莇くんのことで頭がいっぱいでしょう」
    「んえ? そーかなあ……」

     そんなこと、ないと思うけど。受験も卒業もぐんぐん近づいてくるし、次の舞台のことだって気になる。ティガースの試合の結果は常に押さえておきたいし、兄ちゃんのカッコよさを思わない日はない。もちろん彼女のことも、ちゃんと気にかけてる。
     オレの毎日だって、他の人に負けず劣らず、結構盛りだくさんだ。そーは見えないかもだけど。莇で頭がいっぱいってことは、うん、さすがにない。

    「あのさ――」
    「莇くんって、兵頭くんにとってどんな人?」

     大丈夫だよ、違うよ、って言おうと口を開いたけど、それは彼女の言葉によって遮られた。

    「えっ?」
    「どんな人」
    「えっと、莇は、――これ何か意味ある?」
    「いいから言って」
    「わ、わかった、ええっと……同じ劇団に所属してる仲間。歳が近いから一番よく話すかな。それからオレの恩人。これは話したことあるよね。そーだな、そんで、友達!」

     よくわかんないけど、ここは彼女に従っとこう。ちょっと怒ってるし。オレは指を折りながら、思いつくままに莇との関係を挙げていく。

    「それ、本気?」
    「えっ?」

     本気以外の何があるんだろう。彼女の言いたいことが全然わからないまま、オレは大きく頷いた。そうすれば彼女が納得してくれると思ったから。

    「本当、失礼」
    「へっ? しつ…?」

     彼女の大きな瞳が、こちらを向く。その動きに合わせて、目の上で丁寧に切り揃えられた前髪がさらりと揺れた。元からだという少し茶色がかった髪は夕日に透けて、いつもよりちょっと明るく見える。学校指定の紫のリボン、紺色のブレザー、紺色のスクールバッグ。そこに付けられた、お揃いで買ったピンク色のくまのストラップ。
     全部、いつもの色のはずだった。なのに、その瞳だけが今までにない色をしていて、オレはどうしたらいいかわからなくて、眉を下げて曖昧に笑うしかなかった。
     オレさぁ。その色知ってる。見たことある。オレが試合のたびに熱出して、マウンドに立てなくて、そんでチームメイトがオレに向けてた目の色だ。何言っても無駄って諦められて、哀れまれてるときの、色。

    「ねえ、兵頭くんってさ、人を好きになったことないんじゃない? わたしのことも大して好きじゃなかったんだよ」
    「そ、んなこと!」
    「そんなことない? 本当に?」
    「……そんな風に、人の気持ちはじめから決めつけないでよ」
    「ひどい、って思った?」
    「……」
    「ひどいのはどっちかよく考えてみて」

     送ってくれてありがと、ここまでで良いから、と彼女が言う。するりと手が離れて、あ、手つないだままだったんだ、ってどうでも良いことをぼんやり思った。
     あれ……? これ、オレ、フラれた? マジで?
     右手が、彼女の抜け殻みたいになって空中で固まっている。その手をゆっくり、とじて、ひらいて、それから、それから。突然の出来事すぎて頭は全然追いついてないけど、手を握り込むたびに、オレはまた何か間違えちゃったんだなぁ、って苦い気持ちが身体にじんわりと広がっていく。
     なんでだろ、なんでオレは、いっつも、好きな人に好きになってもらえないんだろ。

    「はは……なんの涙だよ」

     気付くと涙が頬を伝っていて、オレは苦笑いで呟く。こんなふうに泣くことって、最近は全然なかったな。
     寂しい? 悲しい? 悔しい?
     年甲斐もなくボロボロ流れる涙を、シャツで雑に拭う。顔を擦り付けた肩口からは、彼女の匂いがする気がした。シャンプーか、ハンドクリームか、それとも香水なのかな。とにかく女の子、って感じの甘い匂い。さっきまで並んで歩いてたんだもんな。あーあ、好きだったのになぁ。


    『ねえ、兵頭くんってさ、人を好きになったことないんじゃない?』


     ――彼女の言葉が頭のなかに響く。そんなことない、好きだった。だから告白を受け入れて付き合ったし、一緒にいたんじゃないか。ちゃんと好きだったよ。

     だってだって、これが「好き」じゃないなら、この気持ちは、なに?


    その恋心、取り扱い注意につき。


    ▽2

    「はぁ?! 付き合ったぁあ!?!」
    「ちょ! こ、山口! 声! でかい!」
    「っぶ、痛ってぇ!」

     オレは慌てて、山口の言葉を遮る。言うだけじゃ足りない気がしたから、手のひらで口も覆った。勢い余って、口っていうか顔っていうか、ちょっと強めに叩いちゃったけど、しょーがない。山口が急に大声出すからだ。
     誰かに聞かれただろうか。両手を山口の顔に押し付けたまま、ぐるりと教室を見回してみる。でもどっちかと言えば、オレのこの行動の方がみんなの目を引いているみたいだ。

    「なあにジャレてんの」
    「暑苦しいぞ男子~」
    「あはは……」

     近くに座ってお弁当を食べてた同級生がからかい混じりに声をかけてくるけど、曖昧に笑ってごまかすしかない。良かった、聞かれてない。オレの手の下でもごもごも言う山口から手を離すと、山口は不服そうに口を尖らせた。

    「んだよ、どうせいつかは分かんだから同じだろ」
    「それとこれとは話が別!」
    「なに、言わないって約束でもしてんの」
    「そーじゃないけど」
    「だよな、俺に話してんだもんな?」

     山口が片眉を上げて、こちらを見る。今までは隠さなかったのに、今回はそうじゃないから、山口も気になるんだろう。でも、それがどうしてなのかは正直自分でもよくわかってない。だからそんな顔で待たれても困る。なんも言えることがないんだもん。
     もうそんなのどっちでもいいじゃん、って話を切り上げたい気持ちでいっぱいになるけど、特に次の話題も思いつかなくて、とりあえず弁当の卵焼きをつまみあげて眺めるくらいしかできない。綴さんの卵焼きはしょっぱくて、初めて食べた時はびっくりしたっけ。うちのは甘いからなー、ってちょっと現実逃避気味に考え始めたところで、おもむろに山口が口を開いた。

    「……あの子、結構人気あんの知ってる?」
    「え? あ、うん」
    「ウゼー、自慢してんなよ」
    「山口が聞いたんじゃん!」
    「知らね」
    「何それ、意地悪じゃない?!」
    「俺のですよって知らせとかなくていいわけ?」
    「……へ?」
    「だから、他の男が寄って来るかもよって話」
    「あ」
    「言わねえの?」
    「うーん……」

     なるほど。そういう方向の考え方もあるのか。目から鱗が落ちた。今まで周りに彼女のことを報告してたのは、嬉しかったことや面白かったことをつい話したくなって、その流れで、って感じだったから。思わず、目の前の山口をまじまじと見つめてしまう。

    「うははっ、何その顔」
    「いや、山口そんなことわかるんだって思って」
    「ウワ、何気に失礼じゃね?」
    「まじスゲーって思った」
    「はいはい、そうですか」
    「うん。まあ、ほら、皆にからかわれるのも面倒だし」
    「ふーん」
    「いや! 一応受験生だし! そういう浮かれたの嫌がる人もいるかもじゃん!」

     「からかわれたくない」っていうのはさすがに相手に悪いかな、と思って慌てて付け足す。山口は、さっき自販機で買ったブリックパックにストローを刺しながら、「一応じゃないだろ」と言ってちょっと笑った。

    「……ま、九門の好きにすりゃ良いと思うけどさ」
    「ありがと」

     気を取り直して、お弁当を広げる。豚の生姜焼きに、昨日の夕飯の残りの鶏のから揚げ。卵焼きが三切れ。全部のおかずの土台に、ぎゅうぎゅうに敷き詰められた白飯。申し訳程度に添えられたキャベツの千切り。コイツにこのお弁当の彩りの役を任せるのは、うーん、ちょっと荷が重そう。
     「おっ、綴大先生の茶色弁当~」――今朝至さんがからかいまじりに口にしていたお決まりのフレーズが思い起こされる。でもね? 至さん。
     「この茶色いのが旨いんだよ、よきよき」――そうそう、そうだよね。綴さんのお弁当って、食べたいものだけがぎゅ~って詰まってる感じ。すっげーウマい。

    「よきよき」

     思わず同じように口にしながら、生姜焼きとキャベツを一緒に掴んで口に放り込む。ついでにご飯も。

    「んん~~~っ!」
    「一口デカすぎ」

     山口がこっちを見て笑ってくる。だって、全部まとめて食べるのがウマいんだもん。口いっぱいに詰め込み詰め込み、お弁当を食べてたら、廊下を歩く莇の姿が目に入った。

    「んふみー!」

     教室の窓から廊下に向かって身を乗り出して、莇を待ち構える。体と一緒に廊下側に差し出した手には箸が握られていて、急いで反対の手に持ち替えた。改めて、ぶんぶん、手を振る。

    「おー、九門……リスみてえになってる」

     無表情で歩いてた莇が、オレに気付いてふはっと噴き出す。ありきたりだけど、色がつくみたいな、花が咲くみたいな、そんな感じだなって思った。それこそ綴さんだったら、もっとカッコよく表現するんだろうな。莇が笑うと、オレは嬉しい。

    「ほーひて、んふに――」
    「九門、口ン中のもん食べてからにしろよ」

     莇が呆れたように言って、眉を寄せる。いっけね。オレは頷いて、口の中のものを急いで飲み込んだ。

    「どうして、ここにいるの?」
    「あー、センコーが資料運ぶの手伝えって」

     一年から三年の教室までは結構距離がある。しかも昇降口を挟んで左右に位置しているから、お互いにお互いの教室の近くを通る機会はほとんどないのだ。だから、もしかしてオレに用かな、って思ったんだけど。莇はこの先の準備室に用があるらしい。

    「え、何? その顔」
    「えっ? なに?」
    「いや、俺が聞いてんだけど……」

     莇が困ったように山口の方を見る。ここまで黙ってオレたちのやりとりを眺めていた山口は、もう空になったブリックパックのストローをくわえてブラブラさせながら、「何も知りません」みたいな顔をして肩をすくめた。

    「えっ……何!?」
    「ハイハイ、なんでもないなんでもない。巻き込まないで」
    「ぜってー何かある!」

     山口の肩を掴んで揺さぶるけど、山口はだんまりを決め込んで答える気がないみたいだ。

    「ほら、莇くん困ってんじゃん。もう行っていいよ。ごめんね。こいつバカで」
    「あ、いや、」
    「ひどい!」
    「莇くんのお仕事の邪魔すんなよ」
    「……まー、いつものことなんで」
    「莇も!? ひどくない!?」
    「じゃー、また帰りのときな」
    「…! うん!」

     そういえば今朝、談話室ですれ違った莇に「一緒に帰ろ!」って言って寮を出てきたんだった。最近三年は朝の時間に補習をするようになって、受験生としてはありがたいんだけど、莇と登校できないからそれはちょっと寂しくて、だからせめて下校だけでも、って。遅刻しそうで慌ててて、一方的に言い残して出てきちゃったから、それが莇にちゃんと届いてたことが分かって嬉しい。当たり前のように了承してもらえたことも。
     さて昼ごはんの続きを……と機嫌よくお弁当に向き直る。山口は変な顔をしてこっちを見ていた。やめてよ、そのモノイイタゲな表情。

    「……おまえさあ、いい加減にしとけよな」
    「え、何が?」
    「怒られるよ」
    「へっ? 誰に?」

     うるさくしすぎた? 確かに、教室の奥で受験勉強をしているあの子の視線が、ちょっと痛いような気がするけど。

    「…………じょに」
    「えっ?」
    「かーのーじょーに!」

     山口がいきなり顔を近づけてきて、わざとらしく強調する。ビビった。なんだよ、なんだよ、もう。

    「なに、関係あったいま?」
    「もーいいよ、なんでもない」

     俺は巻き込まれたくないからな、山口がさっきと同じことを繰り返す。どういう意味、教えてよ、ともう一回聞こうとしたところで、予鈴が鳴った。目の前にはまだ食べ終わっていない綴さんのお弁当。早く食べなきゃ。あれ、次の授業ってなんだっけ。宿題あったっけ。とにかくオレはお弁当箱を抱えて、大急ぎでかきこんだ。
     全然、わっかんねー!


    ▽3

    「……まー、いつものことなんで」

     運悪くセンコーに捕まり頼まれてしまった “お手伝い” のために、普段は行くことのない準備室に向かっていたら、今度は九門に捕まった。三年の教室の前を通るから、会うかもなとは思ってたけど。
     騒がしい九門は放っておいて、もう行っていいと山口先輩が言うので、俺は軽く会釈をしてその場を離れた。「え、何が?」九門の声が廊下に響いている。声デカすぎだろ。
     九門と山口先輩がああやって一緒に過ごしている様子を見るのは、そういえば初めてかもしれない。二人は仲が良い。たとえば劇場でやりとりをしているところを見ることはあるし、二人で野球の試合を見にちょいちょい出かけているのも知っている。でも、学校での二人を見るのは初めてだ。九門はいつも通り九門だけど、何となく、いつもよりも遠くにいる気がした。
     三年生は忙しい。朝は早いし、放課後も勉強のためにどこかに寄ることが増えた。九門と一緒に登下校ができないからって駄々をこねる気はさらさらねーけど、俺のこと構えよ、と思ったのも事実だ。
     「じゃー、また帰りの時な」なんて。九門の視線を山口先輩から引きはがしたくて、あんな言い方をしてしまった。ガキくせ。すんません、山口先輩。ちょっと申し訳ない気持ちになって、心のなかで謝ってみた。
     準備室で資料を預かり、教室へ戻る。また三年の教室の前を通るのは何となく気が引けて、少し遠回りにはなるけど、別の道で行くことにした。

    「おーい、泉田ぁ」

     名前を呼ばれて振り返ると、同級生がこちらに手を振っていた。振り返った拍子に風を受けて、コピー用紙の角がひらひらと浮く。散らばると面倒だ。かさばる資料の束を落とさないように顎で押さえつけて、両手の位置を調整する。よいせっと。それから「おー」と返事をすると、ソイツは小走りで近づいてきた。

    「泉田、パシられてる」
    「うっせー」

     同級生は、同じく教室に向かっているようで、俺のスピードに合わせて隣を歩き始めた。半分持ってやろう、みたいな気はないらしい。まー別に、手分けしなきゃいけないほど重くはないんだけど。なんとなく、これが九門だったら、「半分!」とか言いながらこの束のほとんどを奪っていくんだろーな、とか思う。

    「なあなあ、三年のあの可愛い先輩わかる?」
    「え?」
    「いやだから、三年の先輩! ほら、吹奏楽部の部長だったさ、」
    「あー……」

     突然の話題についていけず、聞き返す。名前を言われるが、その可愛いという顔は全然思い浮かばなかった。吹奏楽部の部長。
     入学したての頃、俺らのために開かれた歓迎会で部活紹介の企画があった。その時、吹奏楽部の代表としてみんなの前に立った人らしい。体育館に集まった一年生は床に座らされて、一応静かに話を聞いていた。だけどたしかに、その人が出てきたとき、場が少し騒がしくなったような気がする。

    「髪は肩くらいの長さでー……」

     次は吹奏楽部です、というアナウンスを受けて、その先輩は係からマイクを受け取る。こんにちは、と彼女がお辞儀をすると、少し茶色がかった髪がさらりと揺れた。それで、普段から丁寧に手入れしてんだろーな、と思った。あー、あの人か。

    「髪がキレーだなと思った気はする」
    「ええ、それだけかよ」
    「入ったばっかだったし。はっきり覚えてるヤツの方が少ないんじゃね」
    「いや、あの可愛さが記憶に残らん男はいない」
    「あっそ。で、その人が何?」
    「お、興味出てきた?」
    「いや、お前が話したいんだろ……」
    「あはは、バレた。その高嶺の花に、彼氏登場、なんだよ!」
    「へー」

     あまりにウキウキした様子に、苦笑する。こ、恋バナ、にはまだ全然慣れないけど、高校に入って聞く機会がぐんと増えたおかげもあって、少しはまともに取り合えるようになった。たまに耳をふさいで逃げ出すこともあるけど。夏休み明けてすぐは、その……まあ、最悪だった。破廉恥すぎる。

    「兵頭先輩と、付き合い始めたらしい」
    「……は?」

     同級生はずいっと顔を近づけてきて、小声で言った。小さな子どもが内緒話をするときのように、ご丁寧に手で口元を隠しながら。こーいう話もまあまあ聞けるようになったよな、なんて余裕かましてた俺は、その一言で完全にフリーズする。
     兵頭。つまり…………、九門?

    「泉田、先輩と仲良いじゃん? なんか聞いてない?」
    「いや……仲良いっていうか、劇団が同じだけだし……」
    「そうなん?」

     九門がなんだって?
     …か、彼女、がいて、つっ……付き合い始めた? そんなん、一ミリも知らねえんだけど。……俺ら、「仲良い」んじゃねーの?

    「……」
    「駅前で二人が手つないで歩いてるとこ、見たヤツがいんだって。いいよなー」

     まずは、お付き合いする前に両親に挨拶して、二人でデートして、婚約してから、手をつないで……って順番がある――っていうのが、今どき古いし堅すぎるっつーのには、さすがに気付いてる。
     そうだよな。恋人同士は、一緒にいるもんだよな。最近帰りが遅い理由もわかった。勉強じゃねえじゃん。なんだよ、俺なんかと帰ってる場合じゃねーだろ。なあ、九門?
     胸がチリチリする。帰りの約束をするだけで、九門を繋ぎとめた気になっていた自分が恥ずかしい。九門は、とっくに、別のところにいんじゃねーか。

    「……泉田?」
    「……わり、手ェしびれてきてあんま聞いてなかった」
    「それそんな重くなくね?」

     やっぱりコイツは、資料を運ぶのを手伝ってくれない。

    「あ、バレた。聞き流してたからごまかそーとした」
    「なんだよ、ひっでーの!」

     同級生と一緒に、あはは、と声を上げて笑う。教室はもう目の前だ。胸のチリチリは治まりそうにない。
     ばっかじゃねーの、俺も、アンタも。


    ▽4

     《終わった?》
     
     15分前に送ったLIMEにはまだ返信がない。ひとまず一年の教室に行ってみたけど莇の姿はなくて、ここで待とうか、いや、別の場所を探そうか、と悩んでいると、莇のクラスメイトが「もう帰ったっすよ」と教えてくれた。莇と一緒に歩いているところを何度か見かけたことがある。はきはきしていて、良い子そうだ。 
     で、教室を離れたんだけど。「帰った」となるとますますどこを探せば良いのか迷ってしまう。昼休みに莇の方から声をかけてくれたから、約束を忘れて一人で帰っちゃったってことはないだろうし。職員室に寄ったとか? 先生と話している間はスマホを見ないだろうから、それならLIMEが未読なのもわかる。そうだ、きっと職員室だ。
     ……そう思ったのに!

    「どこだよ~莇ぃ~~」

     莇が全然見つからない。オレはがっくり肩を落として、職員室を後にした。

    「絶対いると思ったのになあ~」

     《いまどこ?》追加でメッセージを送るけど、既読がつく様子はやっぱりなくて、もう諦めて帰るしかないのかなあと思い始めたところで、ふと、見覚えのある黒髪が目に入った気がした。んん、待って、今のは。莇を探して、キョロキョロと周りを見回す。

    「…………あ!」

     校門を一人で通り過ぎる莇が、窓越しに見えた。あれ、莇、帰っちゃうの? 待って待って! 莇には「恥ずいことすんな」ってあとで怒られちゃうかもだけど、ここから追いかけたんじゃ間に合わなそうだから仕方ない。オレは廊下の窓を開けて、下に向かって大声で叫んだ。

    「莇ぃ~~~!!」

     莇はぎょっとした顔で振り返って、周りを確認した。でも、なかなか見つけてもらえない。こっちだよ、上、もっと上。

    「莇! 上! 三階!」

     オレの声をたよりに顔を上げた莇と目線が合う。よっしゃ。「今そっち行くね!」そう言おうとして、大きく息を吸い込んだところで、職員室の扉がガラリと開いた。

    「こら兵頭! 何やってんだ!」
    「うわっ」
    「廊下では静かにしろ!」
    「すんません! ……さようなら!」

     莇よりも先に先生に怒られて、大慌てで窓を閉める。しまった、ここ職員室の前だった。これ以上ここに留まってたら、お説教が余計なところに飛び火しそうだ。オレは莇に向かってパーの形にした両手を突き出してから、走り出した。そこで待ってて。

    「走るな!」
    「ウス!」

     先生がまた怒鳴る。やっべー。でも急いでるんです、大目にみてください。莇、待っててくれるといいけど。

    「……莇…!」
    「……おー」

     廊下を走って、階段も何段か飛ばしながら降りて、そんで校門にたどり着く。莇は、校門に寄り掛かって立っていた。周りの女の子たちが、チラチラ莇を見ている。男のオレでもキレーだなと思うんだから、つい見たくなる気持ちもわかる。ポケットに手を突っ込んで立っているだけで画になるんだからすごい。

    「良かった、莇……いた……」

     ゼーゼーと息を切らすオレを見て、莇は苦笑した。

    「そりゃいるわ」
    「だって伝わってなかったらと思って……!」
    「あんだけでっけー動きでジェスチャーされりゃ、誰でもわかんだろ」
    「LIMEに返信ないし!」
    「あー……。わり、見てなかった」

     まあ莇もオレもマメな方じゃないし。カズさんとか万里とか、あと至さんとか。カンパニーの面々を思い浮かべる。みんな忙しいはずなのに、LIMEを送ったらすぐに返信が来るから、その早さにはいつも驚かされる。

    「そっかー。会えて良かった!」

     探したけどいなかったから、と莇は言う。それこそ、LIMEしてくれれば良かったのに。オレもあちこち動いてたから、すれ違っちゃったんだね。でもだとしたら、莇のこと見つけたオレ、スゴくない?

    「タイミング良すぎだろ……」
    「え? なに?」
    「なんでもねー」

     莇は、ちょっと苦い顔をしてふいと横を向いた。

    「……莇、一人で帰りたかった?」
    「そーいうわけじゃねー、けど……」
    「けど?」
    「…………けど、お前は俺と帰るんでいーのかよ」
    「ええ? いいに決まってるじゃん!」

     莇が急にそんなことを言うので、大きな声で否定する。莇はびっくりした顔をして、オレの顔をまじまじと見た。声デケー、という文句付きで。

    「なんかアンタのその大声も久々な感じする」
    「そう? さっき職員室の前で叫んだら怒られたよ」
    「あーたしかに」

     さっきの光景を思い出したのか、莇がふっ、と息を漏らす。良かった、莇笑った。

    「でもさー、『久々』っていうのも間違ってないかも。だって莇の隣に立ってしゃべるのって最近なかったから」
    「あーそうかも」

     二人で並んで歩く。あちー、と言いながら莇はシャツの襟をもってパタパタと体に風を送った。前髪が額に張り付いている。莇は髪が長いから、夏はオレよりも暑くて大変そうだ。冬はオレの方がキツいかな。短く刈った髪は風を通して、すーすーする。 
     ウチの学校の周りは緑が多い。背の高い木々が道のところどころに影を作っていた。その影に入れば日差しも遮られて少しは涼しいけど、それでもまだまだ暑いことに変わりはない。

    「ほんと暑い! 夏が長いよ~」
    「夏好きなんじゃねーの」

     莇がからかうような表情で聞いてくる。好きだよ、夏にしかない楽しいこといっぱいあるし、オレ夏組だし。

    「そりゃ好きだけどさ! でもやっぱ、涼しくなってほしいと思っちゃう」
    「まー、こう暑いとしんどいよな」
    「うんうん」
    「来週はちょっと気温下がるらしい」
    「そうなんだ! 秋が来たら、莇たちの季節だね」
    「おー」

     オレはしゃべるのは好きだけど、マシンガントークってわけでもないと思う。特に莇と二人の時は。だって、莇の話を聞きたい。できる限り丁寧に莇の話に耳を傾けるから、いろんなことを教えてほしい。 
     嬉しいなー、と誰に聞かせるでもなく声に出してみた。嬉しいなあ。

    「あっそ」

     そんなオレの様子を見て、莇はまた横を向いてしまった。髪の間から透けて見える耳のふちがちょっぴり赤くなっていて、莇が照れていることに気付く。たしかに恥ずかしいこと言ってるかも。オレもつられて照れてしまって、話題を変えようと目の前のコンビニを指さす。

    「あっ、莇、コンビニ寄る?」
    「……」
    「莇?」

     反応がないことを不思議に思って振り返ると、莇はどこか一点をじっと見つめて立ち止まっていた。うーん、固まってる、っていう方が近いかも。その視線をたどると、道の向こうを彼女が歩いている。あれ? 莇、知り合い? それとも隣にいる友達の方だろうか。

    「知り合い?」
    「あっ……いや、その」

     莇と一緒になって彼女を見ていたら、視線に気づいた彼女がこちらを見た。パチッ、と目が合う。彼女はちょっと驚いたように目をしばたかせたが、すぐに笑顔になって手を振ってくれる。オレも笑って手を振り返した。わ、こうやって外ですれ違うのって、初めてじゃないかな。なんかくすぐったい。

    「…………っ」
    「おわ、ちょっ、莇?!」

     彼女と手を振り合っていると、莇が突然、オレの腕を掴んで歩き出す。オレはそれに引きずられるようにしてその場を離れた。莇は周りの視線もも気にせず、ずんずん進んでいく。ちょっと、どーしたの莇、今日変だよ。

    「ちょっ、莇、!」
    「……」

     オレの大声に莇がびくりと肩を揺らす。立ち止まってゆっくりとこっちを向くと、オレの腕からおずおずと手を離した。わりい、莇がそう呟く。いや、全然いいけど。俯いてしまった顔を、腰を曲げて覗き込む。莇は悪いことをして叱られた子どもみたいな顔をしていた。 
     オレが体勢を戻すと、莇は思い出したようにゆっくり歩き始めた。さっき一言謝ったきり、なんにも言わない。何をどうやって話そうか、悩んでるみたいだ。そんな、泣きそうな顔しなくて大丈夫だよ。どーしたの、ホントに。さっきとは打って変わってのろのろ進む莇の横を、そのペースに合わせてゆっくり歩く。

    「……コンビニ入る?」
    「いい」
    「じゃ、ラーメン?」
    「いや……」
    「…………コロッケうどん?」
    「ぜんぶいい」

     何か食べたら気もまぎれるかなって思って提案してみるけど、どれも莇のお気に召さない。あまりに素っ気ない返事に、気持ちが一気にしぼんだ。

    「莇、機嫌悪い?」
    「……別に、」

     もう、何を言えばいいかわからなくなってしまった。完全にお手上げだ。気まずいけど、もう黙って歩くしかない。あーあ、もう半分以上帰ってきちゃった、と思ったところで、莇が口を開いた。

    「……九門」
    「……! なに!」
    「……アンタさ、俺なんかと帰っていーのかよ」
    「? えっ、オレは莇と帰りたいよ?」

     莇がさっきと同じことを言う。もしかして、何かあったのかな。オレは今日だって、すっごく楽しみにしてたし。用事さえなければ毎日莇と帰りたい。そう口にすると、莇の顔が曇った。あれ、オレ、なんかマズイこと言った?

    「かっ……か、のじょと……」
    「え?」
    「……」
    「ゴメン、よく聞こえなかっ――」
    「彼女と! 帰るべきなんじゃねーのって言ってんの!」

     顔を真っ赤にして莇がそう叫ぶから、オレはびっくりして立ち止まった。突然のことにアタマが追いつかなくて、言葉が出てこない。パチ、パチ、と自分のまばたきの音が聞こえるような気がした。道行く人たちも怪訝な顔をしてオレたちのことを振り返っている。
     えっと、莇、なんて言った?

    「えっ……と…」
    「……さっきのヤツが、か…彼女だろ」
    「えっ、あ……うん。……彼女、のこと知ってたんだね」
    「……今日、クラスのやつが言ってた」
    「あっ、そうなんだ……」

     噂が巡るのは早い。特にこういう恋愛関係の噂は、高校生にとって一大トピックだから、本当に早い。だから知られることのないように、山口にも口止めしていたのに。まさか、一年生に噂が回っているとは。
     流れる沈黙が、さっきまでとは比べものにならないくらい気まずい。気まずすぎる。それに何となく恥ずかしくもあって、オレはへらりと笑った。そんなオレを見て、莇は眉を寄せる。……ダ、ダメ?

    「あ、莇さーん……」
    「……それで……、っ」
    「う、うん」

     莇が覚悟を決めたように勢いよく顔を上げて、キッとオレの方を見る。美人特有の迫力にオレは思わずたじろいだ。左右の手は、腿の横で固く握られて震えている。やべー、オレ、殴られるんじゃない? とんでもない考えがアタマがよぎる。いや、莇がそんなことするわけないって知ってるけど。それにオレだって、メイクをするための、魔法をかけるための莇の特別な手をそんなふうに使ってほしくない。

    「お前が、手、とかつっ……繋いで帰ってるところを見たヤツがいるって聞いて」
    「ぅえ?!」

     すう、と息を吸い込んで莇が放ったのは、予想もしてなかった言葉だった。致命的な打撃をくらったような気がする。分かんないけど、殴られた方がまだ傷が浅かったかも。

    「そっ……か、見た人が」

     たしかに、最近は駅前デートが定番になりつつあったから、学校の誰かと遭遇する可能性はゼロではなかったけど。でも、手を繋ぐのは学校の周りではナシって決めてたのにな。彼女の家が学校から近いのもあって、いつもその最寄り駅まで二人で帰っていた。電車に揺られる17分間、オレたちは “友達” の距離を保つ。 “恋人” になるのはその後だ。……あの駅、ほかにもうちの生徒がいたんだなあ。
     
    「……恋人同士は、一緒にいるもんだろ。俺なんかほっとけよ」
    「……」

     そんなこと、言わないでよ。莇に知られたくなかった。オレが莇を優先したいって思った気持ち、無視しないで。莇のせいでもなんでもないのに、拗ねた気持ちがわき上がってくる。でも、唇をかみしめている莇を前にして、それを表に出すほどオレも子どもじゃない。心のなかで深呼吸して、落ち着いた声を出すように意識する。

    「予め伝えてたし、大丈夫だよ」
    「……」
    「ほら、彼女も友達と一緒に帰ってたじゃん?」
    「……」

     なだめすかすみたいにして言葉を重ねる。なんにも答えてくれない莇に、莇のせいじゃないけど、オレのせいでもなくない? って思わなくはなかったけど、せっかくのこの時間がつまんないまま終わるのが一番いやだから、あの手この手で話しかけてみる。

    「いつも一緒にいなきゃダメってわけじゃないからさ」

     一瞬、莇の肩が揺れた気がした。それから少しの間をおいて、莇はまた黙って歩いていってしまう。

    「あ、莇……」

     莇の髪が肩のところでさらさらと風に揺れた。白いシャツからは肩甲骨がうっすらと透けている。見つめる背中は、思ったよりも薄かった。莇はオレより背は高いけど、肩幅はオレの方が広い。
     結局、寮に着くまで、オレはその後ろをついていくことしかできなかった。


    ▽5

    「うわ~、落ちてんねえ」
    「……もう無理」

     机に突っ伏している私に、友達が声をかけてくる。キツイ高2の夏を乗り越えた部活の同期。私が部長で、彼女は副部長だ。あの夏はめちゃくちゃ悩んだし、めちゃくちゃ落ち込んだ。そんなふうにお互い支え合ってきた私たちの、お互いの励まし方は決まってる。

    「ほら、立ちな。いちご牛乳おごってあげるから」
    「はああああ……」

     彼女に腕を引っ張られ、のろのろと立ち上がる。昇降口のところに自販機があって、そこで買える百円のブリックパックが、私たちの魔法のアイテムだ。私がいちご牛乳で、彼女はレモンティー。

    「ちょっとお、自分で歩いてよ」

    「私のこと励ましてくれるんでしょ、優しくしてよ~」

     彼女にもたれかかりながら廊下を進む。ダル絡みになんやかんや言いながらそのままにしてくれるこの子は、やっぱり優しいなと思った。さすが私の戦友。
     自販機の前で、彼女は一瞬悩んでから「いつもの?」と聞く。「うん」と頷くと、その指は迷わずいちご牛乳のボタンを押した。

    「ほいよ」
    「ありがと……」
    「大丈夫か」
    「…………フってあげよっか、なんてカッコつけるんじゃなかった……」
    「まあ、そのときのアンタにとって一番良かったんでしょ。それが」
    「ううう」

     あの日。莇くんと一緒に下校する兵頭くんに会った。「今日は莇と帰る約束したから」と兵頭くんは予め知らせてくれていたし、二人の仲が良いこともよく知っていたから、その光景には別に驚かなかった。むしろ、約束してなかったのに会えるなんて、とすれ違ったこと自体に驚いて、素直に嬉しいな、と思った。

    「うわ、顔ゆるゆる」
    「……いいじゃん、嬉しいんだもん」

     隣に立つ友だちにからかわれるけど、こればっかりは仕方ない。私はにこにこしながら兵頭くんに手を振る。彼も楽しげに手を振り返してくれて、心が満たされる。

    「あの隣の子が噂の莇くん?」
    「たぶん」
    「ひー、綺麗な子。みんなが騒ぐのも納得だわ」

     私も莇くんのことを直接見るのは初めてで、噂通り綺麗な子だなと思った。もしかしたら、噂以上かもしれない。白い肌にすっと伸びた鼻筋。透き通るようなブルーの瞳に長いまつげが影を落として、彼のミステリアスな雰囲気を一層引き立てていた。さらさらの黒髪は肩くらいの長さがあって、その長髪は、あなたじゃなきゃ似合わないよ、と感嘆してしまう。

    「ほんとに、綺麗でびっくり」
    「……あれ?初めて?」
    「うん。兵頭くんからいつも話は聞いてるけど、見るのは初めて」
    「意外」

     そうなのだ。兵頭くんは莇くんの話をよくするから、私は彼に会ったこともないのに、彼のことをよく知っていた。二人は同じ劇団に所属しているけど、組は違う。兵頭くんは夏組で、彼は秋組。莇くんは同じ組のお兄さん? にいつも突っかかっているなんて話も聞いていたから、もっとやんちゃな感じの子なのかと勝手に思っていた。

    「アンタの彼氏様よりよっぽど大人っぽいんじゃない」
    「兵頭くんの魅力はそこじゃないからいいんです」
    「わ、のろけた」
    「ふふ」

     彼女と軽口を叩き合っていると、突然、視界から兵頭くんが消えた。莇くんが彼の腕を引いて歩き出したのだ。驚く兵頭くんの声はこちら側にまで届いてきたけれど、その姿はあっという間に見えなくなってしまった。

    「……」
    「……私たちも、行こうか?」
    「……うん」

     あの時。分かってしまった。莇くんは、兵頭くんが好きなんだって。なにかをこらえるように唇をかみしめた莇くんは、きっと兵頭くんが私にとられるって心配だったんだ。独占欲、って知ってる? まだ気づいてないかな。「莇、すっげーウブなんだよ」って、いつだかの兵頭くんの言葉が頭をよぎる。
     でも、私の目に焼き付いたのは、莇くんじゃない。その後ろにいる兵頭くんだった。強引に歩き出した莇くんのこと心配そうに、気遣わしげに見ていたあの瞳が忘れられない。そんなの、初めて見た。兵頭くんはいつも明るくて、誰にでも優しくて、あったかい人だけど。
     あの瞬間、兵頭くん、莇くんのことで頭がいっぱいだったでしょう。直前まで手を振り合ってた私のことはすっぽり忘れて、目の前の莇くんのことだけ考えてた。
     ――だから、決めた。そう告げることに。『フってあげよっか?』って。
     私の唐突な発言に、兵頭くんの動きが止まる。強い西日に照らされて、私たちの影は長く伸びていた。今でもありありと思い出せる。仲良く並んでいる二人。その先を見つめながら、彼の返事を待つ。
     きっとあの時、彼は一生懸命理由を考えてた。だって、私たち、うまくやってたもんね。
     学校帰りにデートして。受験生だからパーッと遊ぶわけにはいかないけどって、駅の近くのカフェに入って参考書を広げて。それなのに兵頭くんは結局喋ってばっかりで、私はちょっと呆れたフリをしながら、でも本当はすっごく楽しくて。一応、「勉強は?」なんて言いながら兵頭くんを小突いたりしたけど、ずっとこの時間が続けばいいのにって思った。暗くなってきたからそろそろってお店を出たあと、兵頭くんが繋いでくれた手はごつごつしていて大きくて、やっぱり男の子なんだなってドキドキした。すっごく、嬉しかった。
     でも、だって、好きだから。好きだからさ、分かっちゃうんだよ。


    『わ、わかった、ええっと……同じ劇団に所属してる仲間。歳が近いから一番よく話すかな。それからオレの恩人。これは話したことあるよね。そーだな、そんで、友達!』


     なんかもう、いっそ、「特別な人」とか言ってくれたら諦めがついたのに。なんでそう、君は鈍感なのかな。その素直さが好きだけど、それに傷つく人もいるんだよ。だんだん腹が立ってきて、それで。
     『人を好きになったことないんじゃない?』なんて。意地悪だよね。ごめんね。
     送ってくれてありがと、と繋がれた手を離した。するりと逃げていく温もり。もう二度と、繋ぐことないね。
     ありがと、兵頭くん。奢ってもらったいちご牛乳は、いつも通りの甘い香りがした。


    ―― 後編に続く ――
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