A crush on you「大丈夫か」
梯子を登って、掛けてきた最初の言葉がそれで、勝太はこっそり苦笑した。
身にまとった毛布で口元を隠していると、目の前にマグカップが差し出される。甘くてほんのり香ばしい匂いがする。
「大丈夫、なわけねーだろ!」
ほころんだ顔でマグカップを受け取ったはずが、勝太の口から飛び出したのは表情とは真逆の、厳しい言葉だった。ついでにしゃがもうとしたドラゴンの太ももをゲシゲシと蹴り付ける。大して痛くもないだろうが、うっ、とドラゴンはうめく。後ろめたいところがあるのだから、それも仕方ない。ふふん、と鼻を鳴らして、勝太はマグカップに口をつけた。クタクタになった体に甘いココアが沁みる。いくらか飲んでほっと息をついていると、隣に大きな体躯が座った。当然のように体重を預けても、気にする素振りもない。事後であってすら、ドラゴンには勝太を特別意識するところがないらしい。スキ、とか、コイ、とか、よくわからない、と心底困ったように言われたことを思い出すと、しみじみ、こういうことか、と思わされて悲しい。結局、勝太はムスッと顔を顰めた。
「どうした、どこか痛いのかpain?」
「あ?ちげーよ……」
勝太の表情には気がついたのか、ドラゴンが心配そうに尋ねてくる。それも的外れで、勝太は余計がっくりと肩を落とした。
ひどく虚しかった。普段なら流してやってもいいのだが、今はタイミングが悪い。だって、ついさっきまで所謂、愛し合うための行為をしていたのだ。背中がしなるほどきつく抱きしめてくれたのに、もうこっちから触れても何とも思ってくれない。人情ってものがない。と、思うと、そうだコイツ人間じゃなかった、と思い出してため息が深くなる。我ながらとんでもないモノに恋をしたものだ。愛しさ余って憎さ100倍とは本当にこのことで、ドラゴンの脇腹を不意に肘でどついてやれば、また、くっ!と情けない声が上がった。
「やめろ、stop!全くお前は、そんなに俺に当たって楽しいか!」
「あーあー楽しいね!どついてもわかんねーだろうけどな!やーい、ドラゴンのドは鈍感のド〜!」
舌を突き出して、おちょくるように顔の横で指をバラバラと動かしてみせると、呆れた、と言ってドラゴンが顔を背けた。呆れてんのはこっちだよ、と内心腹が立ったが、勝太はそれ以上のことを口には出せなかった。
よしんば言葉で説明したところで、おそらく分かってはもらえないだろう。これ以上虚しい思いをしたくはなかった。何より、そんな真似はまるで恋しいあまり相手に縋り付くかのようで、惨めで恥ずかしい。
一方で、好意を曝け出した方が、きっとドラゴンは優しくしてくれるだろうことも勝太にはわかっていた。彼は真面目な龍だから、真剣な想いには誠実に応えようとしてしまう。でも勝太が欲しいのは、そんな礼儀みたいな気持ちではない。
自分に夢中になって欲しい、狂って欲しい、なんて高望みはしない。ただ触れたら、ほんの少しでいいから笑い返して欲しいだけだ。
「思い返してみれば、お前は最初から俺にぶち当たっていたなcrash」
俯いていた勝太の頭上に、呆れつつも僅かに楽しそうな声が降り注いだ。そっと様子を窺えば、やはり、口角を上向けたドラゴンがこちらを見ていて、勝太は小さく息を呑んだ。
「覚えてるかremember?」
「お、覚えてらぁ、あんなムカついたこと!忘れるもんか」
ドラゴンの問いかけに慌てて答える。同時に、出会った時のことが脳裏をよぎる。10年余りの勝太の人生の中でも、1番不貞腐れて面白くなかった頃。怒りに任せて駆け出した途端、激突した不動の存在。
思えばこの男を屈服させたくて我武者羅になっていたはずなのに、気がつけば最後は、命懸けの戦いですら一緒なら身を投じてもいい、なんて思わされていた。一体全体どういうことだろう。
「不思議なものだなmysterious。お前のことなんか、弱虫の虫けらワーム程度にしか思ってなかったんだがな」
ドラゴンが目を閉じて、満足そうに微笑んでいる。こういう時は大概、勝太との友情のあれそれを思い出して感じ入っているのだろう。まあ、それも嬉しいんだけど、と微妙な心境で、当の勝太は下唇を緩く噛む。何というか、ドラゴンはこのように根が本当に良いやつなのだけれど、勝太との関係においてのみ、かなり性質が悪い、とも言える。
しかし、兎にも角にもドラゴンは今、勝太のことを考えてくれている。それだけでも嬉しいのは本当で、自分が絆されているのを勝太はじわじわ感じてしまっていた。
なんてオレはこの龍に甘いんだろう!その甘さたるや、腹立ち任せに飲み干した冷めたココアの比ではない。そして、その程度の甘いものを飲み干したところで、この釈然としない気持ちが晴れるわけもない。だから勝太の口からはまた、やけっぱちの偉そうな言葉が溢れた。
「感謝しろよな、ぜーんぶこのオレ様が流れ星みたくお前にぶち合ってやったおかげなんだからな!」
「流れ星……?猪の間違いじゃないのかmistake」
「うるせー!お前がリュウセイならオレだって流れ星でいいじゃねーか!」
そういうものか?と顎に手を当ててドラゴンが訝しむ。勝太の勢いばかりの屁理屈に、些か頭が弱いからかこうして付き合ってくれるドラゴンが、バカっぽいし、でもやっぱり愛しい。そう思うと何だかたまらない気持ちになって、勝太は体を毛布でぎゅっと包んだ。危ない。気を抜いたら、またドラゴンを誘うあの変な匂いが自分から漏れてしまいかねない。今はそんなもののせいで、ただならぬ展開に雪崩れ込むような目にあいたくない。
などと考えていたら、そんなものに頼ったおかげで、こうして今やただならぬ関係に持ち込めていることが、またもや無性に悲しくなってくる。こんな僅かの間でも、感情はジェットコースターのように上下する。恋って辛い。いや、こんな鈍感ドラゴンに恋をしたことが辛い。
「そうか」
何やら、一人得心したらしい声が、ひどく近くで聞こえた。勝太が目を開けると、ドラゴンの腕が目の前を通り過ぎる。そのまま毛布ごとふわりと抱き寄せられて、勝太は目を剥いて、自分のこめかみに額を寄せてきたドラゴンを見つめた。
あまり、見たことのないような微笑をドラゴンは浮かべていた。
「流れ星を自称するとは図々しい気もするが……そうだな、お前を捕まえたから、俺の願いは叶ったのかもなcome true」
全身が沸騰したようで、勝太は一気に汗をかいた。頭がクラクラする。心拍数が跳ね上がって、息も上がる。みっともない。落ち着け、とドラゴンの言葉を必死で整理しようと頭を働かせた。ドラゴンが言っているのは、きっと勝太のおかげで姫を見つけられたということだ。そうに決まっている。そんなのはいつもの、友情に感謝しているだけのことだ。
ただ、その、捕まえた、という言い方は、なんだろう。そんなこと、今みたいにわざわざ手を伸ばさないとできないことだ。
いつでも追いかけているのはオレの方なはずなのに、何で。
思わず勝太がそのようなことを問いかけそうになったとき。
「……うっ…」
いつのまにか勝太の首筋に顔を埋めていたドラゴンがうめいた。勝太の頭に疑問符が浮かぶ。どうしたのだろう。蹴ってもどついてもいないのに。まもなく、緩慢な動きでドラゴンが勝太から少し距離を取った。顔の下半分を大きな手できつく覆いながら。
その仕草と、渋いものでも食べたような顰め面に見覚えがあり、勝太は、あっ、と声を上げた。
「切札勝太……お前、また……」
「ち、ちがっ……!バカっ!嗅ぐな!息吸うな!」
「無茶言うな……それに」
特別濃いぞ、とドラゴンが消え入りそうな声で呟いた。その理由に十分心当たりがあるものだから、勝太はカッと赤面した。
「う、うっせ!バーカ!おま、お前がこんなこと、する、から……いや、あの……」
混乱のあまり墓穴を掘ったのに気づいて、勝太の喚きは急速にしぼんだ。ドラゴンの、匂いに当てられて据わった目が刺さる。最悪だ。あなたに抱きしめられて、何だか甘いことを囁かれたので大変ときめきました、と白状してしまったのだ。この状況で、それは暗にYESと返したようなものだ。案の定、再びドラゴンが腕を伸ばしてくる。
「あっ、あっ、こらっ、やめろ、このドスケベドラゴン……!」
幸い、柔らかい毛布のおかげで床に倒れ込んでも、勝太がそんなに痛い思いをすることはなかった。
一応ドラゴン曰く、匂いにつられた=かったくんのことがちゃんと好き、ということなんですけれども、いかんせん本人に自覚がなくて、かったくんがツラ……ってなってる脳内龍勝。