お題「月見」 我らが主は戦時中であっても、いや戦時中だからこそ季節の行事を大切にしてくれる。
今日は主の世界の暦で中秋の名月なのだという。月の見える縁側に酒とつまみを用意しての宴席となった。
「陸奥守ィ、聞いてっかぁ~?」
「おん、聞いちょるよ~」
「ホントかぁ? ホントにきいいてっかぁ?」
「聞いちょる聞いちょる。おんしの元の主の話じゃろう?」
「そう! 土方さんはなあ、そりゃあ格好良かったんだ! 俺と同じ、浅黄の羽織を着てだなあ――」
和泉守は然程酒に強くはない。以前の何かの勝負の際に、次は飲み比べ勝負をすると約束していたので先ずはと新撰組の刀達が集まる一角にお邪魔していたのだが、和泉守は早々に酔いが回ってしまったらしい。
横目で堀川をみれば、心得たとばかりに笑顔を見せた。
「すまんのう、ちくと飲ませすぎたようじゃ」
「大丈夫。兼さんは僕たちで見てますから、良いですよ。行って下さい」
「おおきに!」
ぱしんと手を合わせ感謝の意を表すと、陸奥守は立ち上がり一角を後にした。
普段であれば、和泉守が酔いつぶれようとそのまま留まり、同じ本丸の古参として話しに花を咲かせるのだが、今日はどうしても中座したい理由があった。
「まったく、陸奥守がこっち来てるのみて驚いちゃったよ。変なとこで律儀なんだから」
「肥前さん、ちゃんと三人分確保してましたもんね」
「その割に部屋の奥に引っ込んじゃったけど良いのかなぁ。あんなとこからじゃお月様見えないと思うんだけど」
「まあ月はあくまで肴のひとつだからな。見える見えないはさして重要ではないのだろうよ」
「なるほど?」
自分たちが見えていたのだから、陸奥守が気付いていないはずはないだろう。この手の席が決まっていない宴席ではさっさと酒とつまみを確保して刀の少ない静かな場所に陣取る肥前が、今日は杯を三つ手にしていたことに。
肥前忠広が好んで一緒に飲もうとする相手など決まっている。郷里を共にする南海太郎朝尊と陸奥守吉行だ。内一人は向こうで鶴丸と何やら話し込んでいる。そしてもう一人はこちらで飲み比べをしているのだから、自分たちの方がハラハラしてしまった。
「別に約束はしていない、とは言ってたけど」
「肥前も声掛ければ良いのに」
「あそこも良く分かんないね」
陸奥守の旧知は元々政府で顕現された刀だからか、もしくは他の理由でもあるのか。彼等は自分たち新撰組の刀よりも微妙な距離感でいる事が多いように思える。
「でもあのお二人と一緒に居るときの陸奥守さん、凄く穏やかなお顔されてますし、きっと仲は良いんだと思いますよ」
「ふぅん? まあ堀川がいうなら間違いないか」
「だね!」
こうして夜は更けていく。誠の旗の下でともに過ごした刀達の話題は新たなものへと移ろいでいった。
月の見えない部屋の奥に、肥前は居た。肥前は体躯に似合わずよく食べよく飲む刀だが、それにしても一振分には多い量のつまみと酒を並べている。そして、そこには手の付けられていないぐい飲みが二人置かれていた。
肥前が、自分たちの分まで用意してくれている。その事実に腹の辺りに温かな何かが満ちる気がした。
肥前は一振なのを気にする事なく、ゆったりとした所作でぐい飲みを煽っていた。陸奥守が来るまでの間にどれ程飲んだのかは分からないが、頬に赤味が差しているのを見るとそれなりに飲んではいるらしい。
あえて気配も足音も消さずに肥前へと近づいた。暗いのは月を見るためであって夜襲を仕掛ける為ではない。
「なんやおんし、こんなところにいたがかや」
いつから気付いていたのか。もしかしたら声を掛けてやっと気付いてくれたのかもしれない。肥前の索敵能力は味方の、特に陸奥守に対してはとても利きが悪い。それを嬉しいと感じたのはいつの事だったか。
こちらを向いた肥前の目には酔いが見て取れた。だが、それを除いても機嫌は悪くないらしい。ならばよいかと、返事も待たずに肥前の隣へと腰を下ろした。周囲に刀がいないのを良いことにほんの僅かな身じろぎで肩が触れそうな距離だ。
「近え」
「ええやんか、わしもまぜとおせ」
眉間に皺はよっているものの、追い返されたり身体を離されたりはしていないのでこれは大丈夫だろうと判断し、肥前が用意してくれていたぐい飲みを手に取った。土佐の飲み比べ勝負ではないので手酌だ。肥前達との飲みはこの辺りが気楽で良い。お互いに気を使わず自然に振る舞える気がする。
「先生は?」
「鶴丸と罠の話でもりあがっちょった。あ、無理に飲まされちゃあせんから安心しとおせ」
「そうか」
短いやり取りだが、ちゃんと伝わっているのが分かる。肥前達がこの本丸に来て、誰かが言っていた「身内」という感覚を初めて理解出来た気がする。肥前には親愛の情以上のものも抱いてしまっているのだが、恋仲になったからといって身内の感覚が薄れる訳ではないが。
肥前が何の約束もしていないのに三人分のぐい飲みを用意してくれているのが嬉しい。朝尊もその内こちらに来るだろう。そうしたら三人でとりとめの無い話をして「身内の宴席」を楽しむのだ。
宴席のきっかけをくれた月には感謝しているが、この場に月は必須ではない。自分たちがいて、肥前がいれば十分だ。
月の変わりという訳でもないが、なんとはなしに直ぐ横にいる肥前を見ていた。昔は見上げていた姿が今ではやや斜め上から見下ろしている。
姿形は多少変わってしまったが、肥前の清廉な美しさは何一つ変わっていない。と、陸奥守は思っている。その姿も、性分も。
だから肥前と目が合ったときほんの少しだけ驚いた。緋色の瞳には酔いの膜が掛かっている。そんなに飲んだとも思えないが、知らぬ所でもっと飲んでいたのか、それとも単なる気の迷いか。
どちらでも構わない。世にも珍しく、肥前が自分に甘えようとしている。だったら甘やかしたい。こんな機会は滅多にないのだから。
「ええよ。こがな美しゅう月じゃ、酔うてあたりまえじゃき」
こう言ったのは肥前が甘えて良いのかを迷っているように思えたから。酔っていても認めないのが酔っ払いというもの。まして酒に強い肥前ならば、この程度でと思っているのかもしれない。
だから理由をもう一つ付け加えた。
それは遠い昔に陸奥守が肥前に言われた言葉。人間の宴席に漂う酒の香りだけで酔ってしまった自分が情けなくて泣いていた時に貰った言葉。
『いいか、むつ。酔うってのは酒にばかり酔うわけじゃねえ。こんだけ美しい月だ。付喪神を酔わせるくらい簡単なものだろうさ』
酔ってしまったのは月のせいだと言ってくれた。小さな矜持を傷付けぬよう優しく気遣ってくれた優しい記憶。
「……なるほど、そういえばそうだったな」
目を細めて応える肥前の頬は柔らかく緩み、遠い記憶のまま、いやそれ以上に愛おしく思えた。
そのまま目を閉じて身を任せてくれた肥前の姿を誰も見て居ないことに感謝した。
この愛おしい姿を見られるのは自分だけで良い。こればかりは朝尊にすら見せたくないと思ってしまった。
知られたら心が狭いと笑われるだろうか。それでも構わない。誰にも、月にだって見せてたまるものか。
小さく寝息を立て始めた肥前の肩に手を回し、小さな頭を抱え込むように抱き寄せた。
これでいい。これならば欄間の隙間から僅かに見えている月にも、肥前の寝顔は見えないだろう。
陸奥守は満足げに微笑んだ。