申年と酉年の話「「あ」」
昼下がりの神域に淡い小豆色の髪が揺れていた。
よく見ると何故か酉年が俺の神域にある花壇の前で座っていた。
「うわー。こいつと声重なるのツイてない日ね。最悪ね。くたばればいいのに。」
「え〜すごーーーーく心の声漏れてるよ〜?申年」
「なら早く帰れね。邪魔ねお前。」
俺は持っていた如雨露を酉年に向けて傾けた。
早く帰れの意を込めて。
「わ!ちょっと〜!濡れちゃうでしょ〜?なぁーに?濡れた僕も素敵だからって大胆♡」
「今すぐその顔面凹ませてやってもいいね」
「冗談だってば〜。こっそりと如意棒出さないでよ〜物騒だなぁ。はぁ〜、ここ最近君が穏やかになったって聞いたのに全然じゃない」
「内面は変わってないね。しゃべり方だけ気をつけてるね」
「ただ語尾に『ね』付けてるだけじゃーん」
「これで十分ね。」
いやいやこいつと会話をしながら弟子と一緒に植えた謎花に水をかけていく。
相変わらず百年経ってもこの花は実らない。小虎が拾ってきたから少しでも咲いたらすぐ見せてやりたいのに、だ。
ちなみにどこから取ってきたのかはしらない。
「そういえばね〜この前新しい辰年と顔合わせしたんだよ〜♡」
とても嫌な予感がする。
「………それで?」
「うふふ〜。すごぉーくかわいくてねぇ。つい、いたずらしちゃったんだけどぉ卯年にバレちゃって出禁食らっちゃったんだ〜」
こいつやりやがったな。
じっとり睨むが、その視線すらもこいつは気にしない。
「今すぐ出ていくねド変態野郎。」
「え〜ひどぉい。ここに入るの大変だったのに」
やっぱり無理やり神域のかべ壊して来たんだな。治すの簡単だけど面倒くさい作業だ。こいついつも俺の仕事増やすからほんと嫌い。
「その労力をもっと他のところに使うね。神域のかべ壊すのはそうそうできたことじゃないね。なんでいつも変なところで実力発揮するのかおさるにはわからないね。」
「一人称も変えてるの?面白いね〜」
「死ね」
「シンプルな罵倒が一番傷つくんだよぉ♡」
手元の如雨露の水がとっくになくなった頃、少しだけ鼻を掠める嫌な匂いがした。
こいつが僅かに身を揺らしたからだ。
「酉年…お前怪我してるね」
「んふふ〜バレちゃった?愛の力?やぁーだー嬉しい♡」
心做しか顔色もいつもより悪い気がする。こいつはいつもそうだ。何もないように振る舞いながらいつも何か抱えている。
こいつが酉年になった晩もそうだ。この匂いをまとわせながら来た。その時は怪我はしてなかったけど、こいつの顔は見たこと無いくらい無感情だった。
「早く自分の神域に戻って傷治してくるね。ここにいても治らないね。」
「……。」
急に黙りこくったぞこいつ。なんなんだ、さっきまでベラベラ変なこと言ってたくせに。
申年は音のない時間が居づらく感じ酉年を置いて部屋に戻ろうとした時だった。
酉年が声のトーンを下げながら口を開いた。
「干支は死んだらどこに行くんだろうね」
体が固まった。石みたいに。
「前の辰年…辰年の前任者の訃報を聞いたときちょっと思ってさ。彼女は良くやったよ。ほんとに。きっと神様も見てくれてるって信じてる。その魂はなくとも、思いはきっと懐に入れてくれるだろうって。」
息を吐いた酉年は続けて話す。
「酉年の前任者はどこに行ったんだろうね。彼は役目を放棄した。放棄した上に、」
続きを言わない理由は彼が一番知ってる。前任者の最期を見届けたから。見届けた上に最期の理由にもなったから。
「ねえ、申年。僕ねたまに夢を見るんだ。真っ暗な夢。その時少しだけ思うんだ。きっと僕が死んだ時の光景はこれなんだろうなって。」
腹部をさすりながら、また続ける
「だから少しだけ、気になったんだ。確認したくなっちゃったんだ。それでね今回わざと食らってみたんだけど」
なかなか神域に帰らないのはこれが理由か。
「干支は人間じゃないから出血如きで死なないね。核を壊されない限り。」
「知ってるよ。でも…」
こいつはたまに変だ。他の神域に入り浸るのもそうだけど、他を試すところもある。自分の欲しい言葉を他者に委ねる。それに他の干支よりも感情が細かい。喜怒哀楽の中間までもそろえている。そんなやつの相手はすごく疲れる。俺はそこまで薄情なやつではないけど、人間みたいな繊細に感情を読み解くことはできない。
「何かあるならはっきり言うね。それができないならさっさと帰るね。」
ちょっと冷たく返してみる。こっちだって異物が体内にゴロゴロ居られると困る。神域は場所じゃない。心だ。気持ち悪くて仕方ない。
「僕ね人間にはなりたくないんだけど、生き物の部類になりたいというか…」
そこまで俯きながら言った酉年は顔を上げて言葉を続けた。
「はっきりとした存在になりたいんだよね」
「…?」
やっぱりこいつは良くわからない。結局うだうだしときながら言ってる内容は曖昧すぎる。
「僕ら干支の存在って神様でもなければ人でも動物でも無いじゃない?それなのに『死』という概念も『生』という概念も持ち合わせている。これがすごく厄介だなって思うんだ。」
「…??」
「僕らって結局何なの?死んだら神様のもとに行けるなんてことは人間が創り出したお話だと思うけど、でも実際人間は神様が意識的に創った存在だよね。だから死んだあとも神様のもとに帰ると思うんだ。でも僕らは娯楽的に…突発的に創られたものだ。しかも既存の存在を使って。そんな中身のない奴らは死んだあとどこに行くんだろって思ってさ、その」
「怖いんだよ」
そこまでつらつら持論を語った酉年は次はお前の番というようにこちらを見つめる。正直考えたこともないことだから困る。嫌な汗が背中をつたる。
そもそもこの考えを正しいと肯定してしまえば、こいつと同じように自分らの存在を疑いたくなる。かといって否定すれば正しい回答を述べなくてはならない。
自分たちのあるべき存在を形にするのは難しい。
何度も言うけどこいつの考え言動は他の干支ましては俺よりも遥かにズレてる。巳年は全てを受け入れる思考があるからこいつと上手くやれてるんだろうけど俺にはない。というかそこまでの思考に至るほどできた頭もない。
「お、おさるは…今が楽しければいいと思うね…」
苦し紛れの逃げを選んだ。多分こいつの欲してる答えじゃない。死んだあととかどうでもいい。死ななければ良いのだから。実際自分は900年生きてる。今後も同じように生きていれば死ぬとかどうでもよくなる。
そんな苦し紛れの答えを聞いた酉年は呆気にとられたような顔をしている。その後吹き出して笑い出した。
今すぐこいつを神域から追い出したい。その前に頭を殴って記憶をすべて消したい。
「んく…ふははっ。は〜。そ〜だねぇ。今が楽しければ確かに悩みもなくなるし解決だ〜」
少し目元に涙を浮かばせながら腹を抱えた酉年を睨む。
「ようが済んだら帰るね。おさるも忙しいね。変なことつらつら。お前ほんとに難しいね。話すのも疲れるね。」
「そぉだね。君の考えを聞くに僕の考えは凝りすぎたかも。」
でも
そこまでいうと酉年は手元に斧を出した。
それで壁を壊したのか、斧にわずかな術をかけてるようだった。
「君も長あ~く生きてからこその考え方だもんね〜。それは僕よりも凝っててたくさんの意味を含んでるのかも」
そんなわけ無い。長く生きてからこそ何も考えなくなった結果だ。
口に出そうと思ったけどやめた。ほんとに疲れたからだ。今日はたくさん考えすぎた。こいつがいつも考えてる量に比べたら鼻で笑うレベルだ。
「先輩のアドバイスも聞けたし、僕はこれで失礼するよ。またお話しに来るからね〜♡」
「二度と来るなね」
その声もむなしくさっさと酉年は姿を消した。急に来て急に帰る。渡り鳥も驚くほどにあいつの動きは早い。
珍しく頭を使った申年は顔をしかめながら部屋に戻っては足早に寝床についた。寝て起きたらスッキリして昼のことは大半抜けてしまった。単純である。
その数日後再び酉年が来てしまったため、神域の作りを変えようと思考したのはまた別の話。