ワンルーム殺人事件 狐の口から鮮血が漏れた。
ゴブ、ゴブッと咳と一緒に吐き出された血が真新しいフローリングに飛び散る。赤い斑点を狐はまじまじと観察する。想像していたよりもずっと鮮やかな赤い色をしていた。
これ、僕が吐いた?
確認を取るかのように白波を見る。その手にナイフが握られていた。刀身にはぬるりとした粘りのある血液が光っている。
それで僕を刺したの?
目で訴えかけるが、白波はいつも通りほのかに笑みを湛えた不思議な表情をしていた。その顔を見て、狐も思わず血を吐きながら笑った。
「ひどい、僕の事刺したんだ」
狐の言葉に白波は何も答えない。緑色の目がじっと狐を見ているだけだった。
初めて会った時も白波は狐を見ているだけだった。ジャングルジムに腰を下ろし、星空を眺める姿は今でも思い出せる。流れる銀髪を見た時の驚きと恐怖だって、鮮明に記憶の中にあった。
体から力が抜け、膝からぐしゃりと崩れる。自分が吐いた血に顔を擦り付けるようにして、狐はうつ伏せに倒れた。その拍子に眼鏡が床の上を転がっていく。
血はまだほのかに温かかった。刺された胸からまた新たに血液が漏れて狐の体を濡らしていく。
トンと鈍い音、衣擦れの音がする。何かわからないが頭の方で何か動いたのだろうか。確認するのが億劫だった。
床と胸の間に手を差し入れられ、ぐるんと仰向けにされる。抵抗する力も気力も無い。頭がクラクラするし、胸の傷が熱い。もう少し優しくして欲しかったが、口を開くのも面倒だった。
後頭部を持ち上げられ柔らかな場所に置かれる。何をしているのかと閉じていた目を開くと、白波が狐の顔を覗き込んでいた。
白波の緑色の目が笑っていた。膝枕をしながら、優しく狐を見ている。
ひどい。
狐の目に涙が浮かんだ。
そっと白波の手が優しく狐の頭を撫でた。顔にかかる銀髪を丁寧に払われる。温かくて柔らかい指の腹の感触が頬に触れた。
狐が顔を強張らせる。
怖い、触らないで。
怯えだした狐に白波が安心させるかのように微笑む。静けさと優しさ。まるで死んだ星を見ているかのように狐を見ている。
恐怖と悔しさがないまぜになった酷い感情に、狐が顔を歪めた。
ひどい、ずるい。僕が缶蹴りが弱い事を知っていても負けてくれないくせに、こんな時ばっかり優しくしないで。
活けられた杏の花。からかう視線。
(臆病な愛、乙女のはにかみ…。君にぴったりだね、狐先生?)
僕の事知っているくせに、だけど嬉しいと思った僕の気持ちなんて知らないくせに。
流れる涙を白波の指が丁寧に拭った。
「ねぇ、狐先生。私の事は好き?」
そんな事を聞かないで、僕の近くに来ないで。
最期の力を振り絞り、狐は口を開いた。
「大嫌いだ」