探偵は七夕に走る 来ると思っていた。そんな気はしていた。
「稲荷田さん、指名依頼です。依頼人の方が応接室でお待ちになっています」
同僚からの連絡で探偵事務所の応接室に向かった狐は、依頼人の顔を見てすぐさま気が抜けていくのがわかった。
「やぁ、狐先生。依頼だよ」
応接室のソファに座っていたのは、この暑いのにスーツ姿の白波だった。相変わらず飄々とした笑みを浮かべ、狐に向かって気さくに手を振っている。
狐は扉を閉め、タブレット端末を机に置き、白波の向かいのソファの横に立つ。白波にわかるように小さく溜め息をついた。
「…一応挨拶はする決まりだから。今回、白石様を担当いたします、調査員の稲荷田狐です」
「知ってるとも、先生。缶蹴りは勝ち知らずの名探偵さんだ。そう畏まるとしっかりして見えるね」
「…ご依頼との事ですが、具体的なお話をお聞かせください」
色々と余計だよ、と言い返したい気持ちをぐっと堪え、狐はソファに背筋を伸ばして座った。タブレットで新しく依頼人のデータを作成し始める。
白石白波。…住所、連絡先?知らない、後で聞こう。で、今日が…、何日だ?
「今日は七夕だね」
「あぁ、7月7日」
「七夕飾りを作って欲しいんだよ」
「あぁ、七夕飾り…」
狐が画面から顔を上げた。
「七夕飾りってコアラが食べてるアレ?」
「残念、コアラはユーカリ。笹はパンダ」
そもそもパンダは笹を食べるのであって、七夕飾りは食べないよと、白波がふふっと笑う。狐が唇を尖らせた。
…そんなに笑わなくても良いのに。
依頼内容に七夕飾りの作成と入力し、その文字を読んで迷った。依頼といえば依頼なのだが、探偵に頼むような内容ではない。
狐の人差し指が宙を叩く。
「…それを依頼しに来たの?」
「そう。今夜いつもの公園で天の川を見るんだよ。七夕飾りが無いと子ども達も盛り上がらないだろう?」
「それはそうだけど…」
この案件を事務所として引き受けられるかというと、難しいだろうと狐は考えた。探偵業とは言い難い。上に相談したとしても、良い返事を想像できなかった。
…どうしたものか。
ぐっとソファの背もたれに寄りかかり、両手を頭の後ろで組む。しぱらくタブレットの画面を見てから、窓の外を見る。それから狐は壁の時計を見た。
「ねぇ、白波さん。今日の18:00から暇?」
「予定は入れてないよ」
「そっか」
白波の返事に狐が組んでいた手を解く。背もたれから体を起こし背筋を伸ばした。真っ直ぐに白波の緑色の目を見る。
「…今回のご依頼の件なのですが、こちらの探偵事務所ではお受けするのが難しいかと思われます」
しかし、と狐が言葉を続ける。
「稲荷田狐個人として、今回のご依頼を引き受けたいと考えております。報酬は線香花火で僕ともう一度勝負する事。…いかがでしょうか?」
狐がニタァ…、と笑った。