緋き尾は引き トマトの枝を切る。もう収穫の時期になった。普段は園芸屋に任せているけど、苗を植えるとか、収穫とか、そういう節目の時だけは絶対自分でやるようにしてる。残り20分。最初のアラームが鳴る。アラームはあと2回。
「よお」
ドアの方から声がした。遠過ぎて誰呼んでんだか分かんないその声が私に向けられた声だって、聞いたことある声じゃなきゃ分かんなかった。
「久しぶりね。ジェタークCEO」
「それやめろ」
「他になんて呼ぶのよ」
目の前のトマトをまたひとつ切り取ってから、背中のドアへ振り向いてあげる。ドアの正面、廊下の向かいに、見えるように腕を組んで、ピンクの前髪が立っている。グエル・ジェターク。
「愛する旦那とでも呼べって?」
「チッ、相変わらずいけすかねえな。ベネリット総裁?」
「……悪かったわよ」
呼ばれると分かる。最悪。他の時に呼ばれたって、当然だもの、気になんないのに、このたった30分の間だけ、どうしたって我慢ならない。トマト植える時もやったのに、どうしても、当たってしまう。
「で? 何の用?」
「……別に」
「用も無いのに来るなんて、ジェターク社って暇な訳?」
「俺も残り20分だ」
でしょうね。また分かってて言った。これも8ヶ月前とおんなじやりとり。なら、同じ理由で来たんでしょうし、同じ感傷に浸って、同じく何も得られないまま、私達は別れるんでしょうね。
赤毛が翻る。おどおどと声が笑う。進めばふたつ。記憶の中のあの子はいつまでも学生服のまま、最後に私を元気付けて、彼女の家族と飛んで行ったっきり、今も帰って来ない。
ベネリットグループは解散して、テロリストはテロリストじゃなくなって。あの子を守る為の会社だけが回り続けて、理由をなくしたまま私は自分の興した会社にしがみついている。みんなよくやってくれてる。地球寮から始まった株式会社ガンダムは、いつしかアーシアンの就職先としてその規模を否応なしに拡大させて。今もあの子の居場所があるのか、あの子の居場所が残せているのか分からないまま、最後の意地を一生懸命張っている。聞こえてくれない幻聴に比べたら、クソ親父の残していったグループ残存事業継承なんて、新生ベネリットグループ総裁兼務なんて、どうってこと、ない。
「当該地域の捜索は」
グエルの声で現実に引き戻された。
「前と変わらない。機体の欠片ひとつまだ見つかっていない」
「周辺住民の」
「変わんねえよ」
遮るように教えられた情報に安心してる私はおかしいかしら。スレッタも、エアリアルも、生きてるかもしれないって、生きててほしいって、もう何年も経ってる今も諦められない私は。
「今回は水星へも調査員を派遣してる。開拓人員には戸籍がない連中も多くてな。まだ見つかっていない」
スレッタを諦められない。この一点においてだけ、私はこの男と共闘できて良かったと思ってる。旧御三家後継で残った内のひとり、奇跡の生還を果たした男。スレッタが帰って来なくなった後、次に強いのはコイツだった。私が17歳になった時点でホルダーだった奴と結婚する。事態が落ち着いた時、私はとっくに17歳じゃなくなってたし、クソ親父はもうこの世にいなかった。それでも学生時代の忌まわしいルールを持ち出したのは、スレッタが帰ってくるまで私は生き残らなきゃならない、たったそれだけの理由だった。
たったそれだけの理由だったけど、かつての乱暴さがすっかり消えたコイツが、私の次にスレッタを諦めてないコイツが、スレッタの次に強くてよかったと、その時から今もずっと、思ってる。
「地球はおまえんとこでやった方が早いだろ」
「分かったわ。当たってみる」
そうよね。何年も経ってるなら、故郷の水星や伝手を頼ろうと地球に迷い込んでる可能性だってあるわよね。もう、何年も、経っている、んだから。
やることは毎日毎時間毎分のようにあって、ホントに夫婦と言うには形ばかり。8ヶ月ぶりって何? 我ながら笑っちゃう。しょうがないわよね。私の花婿はまだ帰って来ないし、私は認めてないけどコイツの想い人だって、それをお互い了承して、交わした契約だもの。スレッタが帰ってきたら? 昔みたいに決闘でもして決めようかしら。今度はあの子を巡って。私の代わりにあの子に出てもらうの。私の花婿なんだから当然でしょ。絶対勝って、やっと私の花婿はあの子になる。だから早く帰ってきなさいよね、馬鹿。
ふう、と廊下に反響したため息がここまで届く。私の会社で溜息吐くんじゃないわよ。でも、この時間だけは何も言わないであげる。私達の家なんてものは最初から作ってないし。結局地球に居を構えた株式会社ガンダム本社、その社長室が実質温室で、私の寝起き部屋も兼ねている。遠く高等学校の温室よりずっと立派にトマトだけは育ってくれてるのに、世話を任せられるたったひとりがいない。あの子がいてくれるなら、普段の世話だって園芸屋に任せなくていいのに。場所や形が変わってもここは私とあの子の温室なのにね。あの子、また傷つくのかしら。私が任されたのにって。早く任せたい。これはいくつめの願掛けかしら。不合理を許せるのもこの温室と、あの子に関することだけ。
アラームが鳴った。あと10分。トマトは全然収穫出来てない。今日収穫し切らないと熟しすぎちゃう。次いつ来れるか分かんないんだから。
「手伝わないからな」
「当然でしょ」
ハッ。鼻で笑う声は昔みたいにはトゲがなくて、同類のようでムカつく。私の方がずっとあの子を欲してるに決まってるでしょ。八つ当たりのようにハサミを動かしていく。昔はもっと手に馴染んだのに、今は慣れない道具のよう。キッチリ『教育』してやった元無神経な乱暴者は、今はちゃんと温室の外で、きっと呆れたようにニヤついてる。アンタがあの子を思い出すのすらホントはムカつくんだけど。私のスレッタだし。思い出を邪魔してやると思うとハサミが2倍早く音を立てていく気がする。あの子に最初に食べさせたトマト、あれの次においしいやつを、今なら食べさせてあげられる。次の種まきはいつ出来るかしら。またどこかから聞きつけてコイツは来るんでしょうね。たった30分。数ヶ月のうちたった30分ずつ、私達は互いの意志を確認し合って、互いの諦めの悪さを嗤って、安心して、讃えあって、次の数ヶ月へ向かっていく。次こそ、決闘、してみせるんだから。