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    アロマきかく

    @armk3

    普段絵とか描かないのに極稀に描くから常にリハビリ状態
    最近のトレンド:プロムンというかろぼとみというかろぼとみ

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    アロマきかく

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    確か緑が蒼の傷跡着てる絵を2・3枚は見てる気がするので完全に当時の緑は蒼の傷跡でイメージが固定されちゃってたんだけど
    ちょっと前に突然緑の幹着てる絵が上がって
    本編でも緑の幹で確定しちゃってェ…

    完全に蒼の傷跡前提でちまちま進めてたやつが爆発四散してしまったので有り得た可能性として供養。
    ここからどうやって肉体関係に持っていこうかワシにはとんとわからん!ので展開止まっちゃってたしまぁええか、と。

    #ろぼとみ他支部職員

    愚痴 グラスを僅かに傾ける。安物ではあるが、ウイスキー独特の香りが鼻をくすぐる。
     香りを堪能したら、ぐいと大きめに一口煽る。ハイボールの炭酸が鼻に抜け、刺激と相まって爽快感が喉から頭へ突き抜ける感覚。微かに残ったウイスキーの香りと後味を堪能しつつ、つまみに手を伸ばす。
     アスパラのベーコン巻き……はいちいち巻くのが面倒なので、巻かずに纏めてオリーブオイルで炒めただけの”アスパラベーコン炒め”。どうせ纏めて口の中に入れてしまえば同じことだ。

    「よくそんな炭酸グイグイいけるな。口ン中痛くないのか?」
     円形のローテーブルを二人で囲む。果たしてたった二人で囲んでいると言えるのかはともかく、彼はあたしの真向かいではなくややずれた位置にいつも座る。「なんか向かいだと落ち着かないんだよ」とは彼の言。
    「そりゃまぁ、多少チクチクとはするけど痛いって程でもなくないかい?君だって缶チューハイグビグビいってたじゃないの」
    「ありゃぁ酔えれば何でも良かったから……最初は炭酸抜いてたけど、面倒になって途中から諦めた」
     ひたすらにマドラーでグラスの中身をかき混ぜる彼。からんからんと小気味好い高音が、あまり広くもないリビングに響く。炭酸が抜けすぎて本来の美味しさが味わえないのではないか、と思ったが、そこは個人の好みの問題。敢えて口は出さず、したいようにさせておく。
    「はぇー、そこまでして酔いたかったかぁ。炭酸のないヤツは試さなかったのかい?」
    「なんか、炭酸のない酒に限って口に合わないのばかりでさ。あんたが今飲んでる……え、っと」
    「ウイスキー?ハイボール?」
    「あぁそう、ウイスキー。臭いも味もなんかこう、重すぎるっていうんかね、まとわりついてくるような……おっさん臭いというか……」
    「おっさん臭いって、君ねぇ……。どういう表現よそれ」
    「そう言えばあんたも、どっちかというとおっさんっぽいよな。サバサバしてるってよりは、何かおっさんっぽいわ」
    「えぇー!酷いぞぅこんなうら若きオナゴ相手にぃ」
    「だーからそういうところだっつの」

     テーブルに肘をつき、あまり良いとはいえない姿勢でだらだらと呑む。呑みながら、彼と取止めもない話を交わす。
     実りのない時間にも思えるが、真の目的は彼が無茶な呑み方に逃げないように縛り付けるため。あまり言い方は良くないが、こうでもしておかないと、彼はとにかく酔いを優先して後先考えず無闇矢鱈と呑む。その結果、廊下で嘔吐するだのその場で寝てしまうだの、散々な有様だったらしい。……というか、その話に聞いていた散々な有様を自分が目撃してしまった結果、今こうして二人して卓を囲んでいるわけだが。


     ――・――


     前々から噂は小耳に挟んでいた。作業や鎮圧に関しては文句なしに良い仕事をするが、業務が終わるや否やあっという間に飲んだくれる職員がいる、と。それも相当に深い酔い方をしているらしい。
     業務時間内と時間外の、あまりにもちぐはぐな態度。何がその職員を酒に駆り立てているのだろうか。呑み方が尋常ではない。まさか、酔うことで何かから逃避しているのではないか。逃避しきれず、酔いを重ねているのではないか。
     無性に心配になった。
     噂には尾ひれがつくとも言うし、そこまで酷い有様では……と思っていた時期もあった。
     目の前で彼が嘔吐しながら、ぼろ雑巾のように廊下のど真ん中で転がっているさまを見るまでは。

     業務が終わり、購買で必要なものを買い揃えた帰り際だった。
     社員寮ブロックには珍しく、少々ざわついている一角。
     丁度自分の部屋の方向だったため、一体何事かと小走りで駆け寄る。
     ひと目見た瞬間、確信した。
     そこには、噂に聞いたままの状態で転がっている彼。
     目の下には濃い隈が刻まれ、頬も痩けているせいか若干老けて見えたが、そこを差し引いても自分とさほど年齢的に大差ないように思えた。
     大差ない歳なら……この呑み方は、危険だ。
     もちろん肉体面でもだが、より心配だったのは精神面。若くして酒に逃げなければいけないような何かを抱えている。直感的に、そう思った。

     少々お節介するかぁ。

     こんな無茶な呑み方をさせないように、そして、こんな無茶な呑み方をさせるような原因となるものを取り払うために。
     何より、自分自身、この有様を見て黙って通り過ぎることができる性格ではなかったから。いわゆる『放っておけない気質タチ』。L社に入る前から、人の面倒を見るのが好きな性分だった。L社の前は孤児院に勤めていた――むしろ半ば住み込み状態だった――のは、その性分もあるのだろう。
     彼が転がっていた場所からあたしの自室が近いのは幸運だった。大声でやめろやめろと喚く彼を文字通り引きずって、強引に自室に連れ込んだ。汚れた衣服を一気に全部脱がせ、バスルームへと放り込む。
     彼はかなり酔いが回っていてろくに歩けないのをいいことに、脳天から足先に至るまで洗ってやろう。そう気合を入れた。洗っているうちに酒も抜けるだろう。

     彼をバスタブの中に入れてからシャワーを浴びせかける。念のためバスタブの中に入れることで、這って逃げようにもワンクッション必要にしておいた。
     案の定、彼は逃げようともがいた。もがくほどにシャンプーでつるつると滑るバスタブ。加えて、彼はやたらとシャンプーが目に入ることを恐れていた。暴れると余計目に入りそうだから、と、シャンプーが終わる頃には抵抗することも諦め、すっかり大人しくなっていた。その様子はどことなく大型犬を彷彿とさせた。
     汚れを落とした彼の髪色が綺麗な深い緑である事に気づき、こんなに綺麗な色をしているのに勿体ないな、と、トリートメントも出した。暴れることは諦めていたものの、これも大層嫌がっていた。変な臭いだの、ヌルヌルするだの。秘蔵のちょっとお高いヤツなのに、変な臭いとは失礼な。
    ――シャンプーが目に入るのを怖がっていた理由は後に彼自身から聞いた。
     裏路地出身であり、殆ど風呂というものに縁がなかったこと。L社に入ってからは何度か使ったが、どうしても垂れてくる泡に慣れることができなかったこと。そもそもL社に入ってからも、面倒だからとあまり風呂に入ろうとしなかったこと。……道理で。

     衣服を一切合切脱がせた以上、もちろん全身洗う気でいた。ところがいざ体を洗おうという段階で、彼は動けないなりに強く抵抗してきた。もうこんな状態なんだから諦めろ、と嗜めるも、最後の砦と言わんばかりに「下はいい!下はもういいから!」と蹲ってしまった。
     くるりとダンゴムシのようになった彼の体をひっくり返し、濁点のついた悲鳴がバスルームに響く中、徹底的に隅々まで洗い倒した。
     ここの社員寮は結構防音性が高いとはいえ、あれだけの悲鳴、外に聞こえてないといいのだけど。
     部屋に連れ込む際に引きずっている間じゅうずっと喚いていたから、今更心配しても変わらないか。

    ――背丈こそ高いものの、彼の体躯は驚くほどに痩せ細っており、部屋へ連れ込むときに引きずったときから感じていたが、見た目以上に軽い体重が余計に不安を煽った。思い詰めた末に酒に逃げたのだとしたら、相当厄介なものを抱えているだろうな、と思った。

     そして、これは”少々のお節介”どころの話では済まないだろうな、とも。



     さすがに彼の背丈に合う服はなかったので、元々彼が着ていた衣服をお急ぎモードで洗濯機と乾燥機にかけることにした。大きめのバスタオルを何枚か取り出し、髪と体を拭こうとするも、自分でやる、と拒否された。
     人に自身の身体を触られるのが嫌なのだろうか。ならちゃんと自分で拭いてね、とバスタオルを預け、洗濯機の設定をする。ついでに外の吐瀉物諸々を掃除でもしておくか、と道具を取り出し、大まかにではあるがとりあえず始末を終えて自室に戻る。
     バスタオルを渡されたときの姿勢でびしょびしょに濡れたままの彼が、すっかり酔いも抜けた空虚な眼差しでぽつんと座っていた。
     半ば乾いた体に、いまだ水気のたっぷり残った髪から滴る雫。肩口に溜まって溢れるそれは、細かい古傷をなぞるように滑り落ちる。
     肩をすぼめて小さく震える体。すっかり冷え切ってしまっているだろう。
     まるで、彼だけが世界から取り残された……そんな風にも見えて、尚更放っておけなくなった。

     急いでバスタオルの一枚を広げ、ざっと髪と体の水気を取る。
     指先で触れてわかるほどに冷えてしまった肩と腰。乾いているバスタオルを掛け、巻き付けてから留める。
     ドライヤーのコードを目一杯伸ばし、大まかに髪の水分を飛ばす。首筋が温かくなるように、多少意識して温風をあてる。
     大分傷んでいるのだろう、ブラシは粗いものを使ったのだが、それでも鮮やかな深い緑の髪がちょくちょく引っかかる。改めて、勿体ないなと思った。
     洗濯機の具合を見る。まだ時間がかかりそうだ。さすがに長時間バスタオルのみというわけにもいかないだろう。
     押入れからタオルケットを引っ張り出して、バスタオルの上から掛け、クリップで留める。不格好だが大分ましにはなるだろうか。
     ずっと床の上じゃ冷たいだろう、とラグの上に来るよう彼に呼びかけるが、動こうとしない。脇の下に腕を入れ、持ち上げつつ引きずろうとしたところでようやく彼が自分から立ち上がった。ローテーブルの前に座るように促す。
     仕方なく、といった様子で胡座をかいて座り込んだ。が、テーブルの方に向こうとしない。ただ単純に、指示した場所に座っただけ。最小限の動き。

     ここからどうしたものかと考えた末、衣服が乾くまでの間を繋ぐことも兼ねて、短時間で軽く食べられるものを作ることにした。

     身体が冷えているし、温かいものがいいか。確かラーメンの買い置きがあったはず。昨日茹でたモヤシも、余った分は水を切って冷蔵庫に詰めてある。そこまで味に癖はないだろうから、あまり好みではなくとも食べられなくはないだろう。
     醤油と塩、どちらにしよう。野菜を入れるなら塩のほうが合うかもしれない。あっさりめの味だし、酒の後に食べるにも向いていそうだ。
     片手鍋に袋の表記通り水を張る。少々思案の後、張ったばかりの水をシンクに捨てた。
     代わりにポットから湯を注ぐ。少しでも早く、温かいものを食べて欲しいという気持ちからだ。水から沸かしている時間すらも惜しかった。
     加熱を始めてものの数秒で鍋から細かい泡が立ち始める。先にモヤシを取り出し、やや乱雑に鍋に放り込む。昨日のものだし、冷蔵庫から出して間もないから、先にしっかり火を通し直しておいた方が良いだろう。
     沸騰する湯に麺をそっと入れ、器に粉末スープを開ける。本来は茹でた後火を止めて茹で汁に混ぜ込むものなのだが、混ざってしまえば同じだろうし、鍋の汚れが若干だが少なくなる。今回は粉末タイプだが、液体スープと同じ手順で出来るということもあり、いつもこうしている。
     菜箸を麺の隙間に刺し、溢れない程度に揺り動かしながら、ちらと彼の様子を見る。
     テーブルの前に座ってから微動だにしていない。

     初めてだ、ここまでの子は。
     彼がいくつなのかはわからないけれど、小さく背中を丸めて座る姿は、世界から見放されて誰からも手を差し伸べられない幼子に見えた。
     孤児院の子どもたちでも、ここまで極端に他人を拒絶するような、世界から拒絶されたような、異様に悲しげな空気を纏う子を見たことがない。それともうちの孤児院が比較的穏やかだっただけなのだろうか。もっと酷い裏路地や、外郭であればこのような――

     鍋が吹きこぼれかける音で我に返る。慌てて火力を落とし、1本つまんで茹で具合を確認。よし。
     茹で汁を先に器に入れ、後に麺とモヤシをそっと入れる。器に入れてあった粉末スープが完全に混ざり合うように、麺同士の絡みをやや大げさにほぐす。沈んだモヤシを上の方に乗せ直して、と。

    「ほら。これ、食べなよ。盛大に吐いてたからどうせ腹ン中空っぽでしょ?モヤシもオマケしといたぞ、残り物だけど」
     器を彼の前に置いて、
    「さ!モヤシ同士共食いせぃ!」
     言葉の調子とは裏腹に、優しく抱くように肩を叩いた。

     おずおずと体をラーメンの器に向ける彼。割り箸を手に取り、恐る恐るといった様子でぱちんと割る。
     あ、箸、使えるだろうか。そう思いかけたが、握り方は歪ながらも一応は使えている様子。
     あまり慣れていないであろう箸づかいで、一口。
     味はどうだろうか。彼はモヤシ嫌いでなければいいのだが。

     色々考えていると、彼の箸が止まった。
     口に合わなかった?塩より醤油の方が良かったか?一抹の不安がよぎる。
     箸が止まったのは、味のせいではなかった。

     彼が、泣いていたからだった。

     両の目からぼろぼろと溢れる涙。口元と手先が小刻みに震える。手を止めたのは僅かの間で、すぐさまがっつくように次の一口をすする。涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、その涙すらも意に介さずといった調子で、ただひたすらラーメンとモヤシを口に詰め込む。時折モヤシを噛むシャキシャキとした音が混ざる。
     拒絶せず、素直に食べてくれたことにまず安堵する。食べている様子から、生気が伝わってくる。
     体だけでなく、心も少しでいいから、温まってくれるといいのだけど。
     視線が気になるかもしれないと思い、何か他に出せそうな物がないか冷蔵庫を漁ることにした。
     お世辞にも上品とはいえない麺をすする音を背中に受けて、これで良かったのかな、と自問する。

     たぶん、良かったんだろうな……と思いたい。

     あ、ザーサイあるじゃん。入れればよかったか。でも多少癖があるから……どうだろう。単品で出して様子を見ようか。
     瓶からいくらか取り出し、小皿によそう。
     すぐに持っていこうかと思ったが、一旦足を止める。おそらくまだ涙が収まっていないのではないか。思わず溢れたものとはいえ、やはり人に涙を見られるのは本意ではないだろう。
     鍋を洗う時間で、感情が収まるのを待つ。とはいえほんの十数秒といったところ。
     すする音がやや水っぽいものを含んでいる。スープを飲んでいるのだろう。鼻水……じゃ、ないよね。そろそろいけるかな。

     意図的に明るい調子で切り出す。
    「食ったかー?満足したかー?はいこれザーサイ。まだ物足りなかったらつまんでていいからね。器、方しちゃっていい?」
    「……ん」
     ほんの少し、器を押し出す仕草。おーおー食ったねぇ、と器を受け取り、キッチンへ。
     手早く器を洗い、取り出したグラスに氷と麦茶を二人分。
     リビングでは、慣れない箸でザーサイをつまみ上げ、まじまじと見つめる彼の姿。
     そのままゆっくりと口へ運び、ひと噛み、ふた噛み。
    「ん、辛っ」
    「苦手だった?」
    「……食える」
    「なら良かった。はい麦茶。洗濯機のほう見てくるから、適当にやっててー」

     洗面所へ。丁度、処理完了を示す電子音に迎えられた。
     扉を開けて、手のひらで湿り気が残っていないか確かめる。
     よし、問題なし。多分あの調子だと、服の方もあまり洗濯していないに違いない。風呂でさえ面倒がってあまり入ろうとしていなかったくらいだ。一回しっかりつけ置き洗いでもしたほうがいいだろう。
     彼、着替えとか持っているのだろうか。
     乾燥機から取り出し、ざっとシワを伸ばして畳む。

    「ほらよー。服も乾いたぜーぃ。とっとと着替えちまいな」
     奪い取る勢いであたしの手から服をかっさらう彼。よほど落ち着かなかったのだろうな。
     それもそうか。いきなり全部脱がされて、上から下まで全部洗われて、その過程で諸々見られて。
     そこからずっとバスタオルとタオルケットで、えらくスースーしただろうなぁ。

    「……おい」
    「ん?あぁ、向こう行ってるからその間に着替え」
    「ちがっ、……」
     そういえば、彼から話を切り出すのは初めてではなかろうか。食い気味に否定したところによると、どうも着替えに関することではないらしい。
    「なんであんたは……俺なんかに、ここまでする」
     そちらですか。答えは簡単、単純明快。
    「君のことが心配だったからさぁ。それにあんなところで盛大にぶっ倒れてて、無視したら寝覚めが悪いもん」
     言い換えれば、単なる自己満足。……だけど、まだまだ満足できそうにない。あの呑み方。意図せずであろう流れた涙。彼の抱えるものが根本的に解決したとは到底言い難い。
     彼のことが、心配でたまらない。

    「って答えじゃご不満?」
    「わけわかんねぇよ!なんであんたは自分の時間割いて、俺なんかのために、その、ここまで出来るんだよ」
     だんだん尻すぼみになる語気。裸を見られたことを思い出して、恥ずかしさがこみ上げてきたのだろうか。
     わけわかんねえよ、とまた小さく呟く。手には奪い取った服を抱えたまま。

     ”俺なんか”。彼は自身を指すときに卑下した言い方をする。このあたりにも、彼の抱える厄介なものの原因がありそうだ。そんな気がする。
    「とりあえず君は早く服を着たまえ。あたしはキッチンの方行っておくからさ」
     踵を返し、彼に背を向ける。
     キッチンの壁にもたれかかる。どたどたと彼がバスタオルを脱ぎ捨てて自分の服に着替えているであろう音が聞こえる。ちゃんとタオルケットもあとで洗っておかないと。急ぎではないから問題はないか。

     思っていたよりも早く、着替えの音が止んだ。
     体中についた古傷を見たときから何となく勘づいてはいたが、やはり彼は裏路地出身なのだろう。着替えや食事といった行為をできるだけ早めに済ませる習慣がある人は、大方裏路地で暮らしていた。
     孤児院でもそういった子が何人かいた。話を聞くと元々裏路地で暮らしていたが、何らかの理由で親と離れざるを得なくなったという。掃除屋に見つかって逃がすために親が囮となっただの、単に食い扶持の確保ができなくなったために捨てられただの。
     23区に売り飛ばされる寸前だった子もいたらしい。あたしはその場に居なかったから真偽の程はわからないけれど。

    「もういいかーい?」
     彼に聞こえるよう、大声でやや茶化すように問う。返事を待たずに彼の元へ。
     こっそりと出ていく気でいるかと思ったが、予想に反して着替え終わった彼はテーブルの脇に座り込んでいた。
    「返事くらい待てよ、このお節介が」
    「ゴメンゴメン。目を離したらいつの間にか居なくなっちゃいそうでさ」
     ふと、彼の目つきが変わった。表情からは読み取れるものがなかったが、何か彼の気に障ることでも言ったのだろうか。
    「頼んでもないこととはいえ、あんたが世話してくれたのは確かだろ。その分の、えっと……飯代とか、払うから」
     相当に予想外な反応が飛び出した。随分と律儀なんだな。今までの印象が大幅に覆った。それこそ、飲んだくれて嘔吐して、そのまま寝そうになっていた人間と同一人物とは思えないほどに。

    「いーのいーの。全部好きでやったことなんだから。さっきも言ったけど自己満足よ?お金貰うほどのモンじゃないって」
    「……なら、それはそれとして……これ以上はもう俺と関わらないでくれ。今度そこら辺に俺が転がってても無視して通り過ぎてくれ」
     これだ。極度の拒絶。そこまで人間関係を構築したくない理由が何かあるのだろうか。
     しかしこちらも性分なもので。
    「やだ。転がってたら強制連行確定」
    「関わるなって言ってんだ!なんなんだよあんたは!!」
     ばん、とラグ越しに床を叩く音。
     無償の善意――と言うと聞こえは良いが、有り体に言えばただの自己満足のお節介である。そうとしか言いようがないから困ったものだ。

    「ただの世話好きなお姉さん。あとね、”あんた”じゃなくって、カティヤ。あたしの名前。……君は?」
    「……君は、って何がだよ」
     訝しげな目をする彼。なぜ唐突に名乗ったんだ、とでも言いたげだ。
     気になってしまったものは仕方がない。おそらくまた近いうち、彼に何かしらのお節介をするだろうという予感がしている。ならばせめて名前くらいは覚えておいたほうがいい。そんな気がしたから。
    「だから、名前。ずっと”君”じゃぁ、なんか分かりづらいじゃん」
    「どうせもう関わることもないだろ、同じチームでもなし。俺のことなんか今日限りで忘れちまえ」
     拒絶すればするほどに、彼の底にあるものを取り除いてやりたくなる。
     少し、突っついてみるか。

    「ここまで世話しちまったからにゃー、そうそう忘れることもできないなぁ。ダフネくん」
    「おい知ってんじゃねぇかよ、なんで訊いた!」
    「君の口から直接聞きたかったから。服脱がせたときに社員証見たから知ってたんだけどさ。”君”の口から、聞きたかったの」
    「何だよ……わけ、わかんねぇよ……」
     語気が弱まる。理解できないことが多すぎて、きっと慣れないことも短時間にたくさん経験して、心身疲れたのだろう。

     今なら、いけるだろうか。

    「ねぇ、これからもお酒は呑むのかい」
    「なんでそんなこと訊くんだよ」
     彼に響くだろうか。
    「無闇矢鱈と呑むんじゃなしにさ、もっとうまい呑み方、教えたげる。なんならさ、呑みたくなったらあたしんとこおいでよ。ちょっとしたつまみとかなら出すよ」
     響かなかったら、それも仕方のないことだけど。
    「断る」「あとさ」
     予想していた返答を無視して、無理やり続ける。
    「辛いこと、あるでしょ。何か思い詰めてるよね」
     彼の身体がぴくりと反応し、息を呑む。黙ったまましばし逡巡する。
     この反応は、きっと迷っている。
     辛いことがあったら楽になりたい、誰しもそう思うはず。それは彼だって例外ではないと信じたい。
    「愚痴くらいなら、いくらでも聞いたげるよ。酒かっ喰らいながら、辛いこと苦しいこと、全部吐き出しちまえ」
     苦痛を溜め込んだまま生きるのは、辛いに決まっている。きっと彼は気持ちのやり場が無かったのだろう。やり場のないものを抱えたまま迷って迷って、果てしない迷い道の先に行き着いたのが酒だったのではないか。

    「……なんで」
     逡巡の末、ようやく絞り出した声は僅かに震えていた。
    「なんで、俺なんか、そんな」
     まともに言葉を紡ぐこともままならないようで、途切れ途切れの言葉をつなげてなんとか疑問の形に織り上げる。
     すっかり俯いて、顔色は伺えそうにない。
    「ダフネのことが、心配だから」
     名前で呼ぶ。彼のなかに、響いてほしいから。

    「あんな姿見せられたら、そりゃ心配にもなるでしょ。心配だから、世話好きのカティヤちゃんはつい様々手を尽くしてしまうのだ」
     ほんのりと茶化しながら、ティッシュ箱を差し出す――やいなや、凄まじい速度でティッシュを掴み、箱から何枚か引き抜く。
     かろうじて溢れるのを堪えていたであろう涙を拭き、そのまま盛大な音を立てて鼻をかんだ。
     思わず苦笑いが漏れる。
     役目を終えたティッシュをくしゃっと丸めて握りしめ、どうしたものかとそわそわした様子の彼。
     そばにあった屑篭を彼の方に押しやる。聞こえるかどうかと言うほどにか細い声で「すまない」と一言、持て余していたティッシュを手放した。

     もう一つ、理由が見つかった。
    「それとね、呑み友達が欲しいんだ。あたしの同期、下戸だったり酒嫌いだったりでさ」
     取ってつけたような理由だが、これも本心。周囲に同じくらいの歳で酒が飲める人間が居なかったのは事実。夕食のあとは一人寂しく映画でも見ながら自室でグラスを煽るだけだった。
    「酒呑みながらさ、どうでもいい話ダラダラするの。一人で呑んでるとなーんかウジウジしてきちゃうんだよね」
     声は聞こえなかったが、彼の口が小さく”のみともだち”と動いた……ように見えた。



     結局彼はその後何も言い返すことなく、そのまま帰ってしまった。去り際、「世話になった」と小さく呟くように言い残して。
     飲まれることのなかった麦茶のグラスに結露が溜まり、一筋、二筋、垂れていく。
     それは堪えきれず溢れた涙にも似て、ぐっしょりと濡れたグラスの結露を手のひらで受け止めるように包み込む。
     両手を使ってもなお、受け止めきれる量ではなかった。
     指の隙間から手の甲を伝って流れ落ちる水滴に、彼の涙を重ねる。
     すっかり氷も溶けてぬるくなった麦茶を一気に飲み干す。
     受け止めきれなかろうが、やれるだけはやってみよう。あたしが受け止められる分だけでも、それがほんの少しだけだったとしても。



     翌日、さして代わり映えのしない業務。
     E.G.Oの回収のため頻繁に記憶貯蔵庫に戻るせいで、既に観測済みのアブノーマリティが収容された際は特に何があるということもない。注意点といえばせいぜい試練の鎮圧でヘマをしないように気をつけることくらい。
     良く言えば比較的平穏な、悪く言えば退屈な日。とはいえ些細なミスが命取りになり得ることには変わらない。それすらも、いつも通り。

     過度な期待を抱いていたつもりはなかった。業務が終わり、自室に戻って何をするでもなしにぼーっとしていた。
     特に何をしようという気が起きなかった。
     普段ならもう寝ようかという頃合いになってようやく、彼がここに来ないことが心配で何も手につかないのだと気がついた。
     彼は――放っておけないというよりは、放っておいちゃダメだ。あたしのお節介センサーがそう言っている。
     ドアを開け、廊下に出てみる。
     時間が時間だ。周囲はすっかり静まり、静寂が場を支配する。
     この静寂のもっと奥、あたしの知らない所で、彼が――ダフネが、また無茶な呑み方をしてやいないか。呑みすぎて吐いていないだろうか。
     ひとり、やり場のない感情を抱えて辛い思いをしていないだろうか。
     毎晩のようにあんな無茶な呑み方をするくらいなのだから……。

     勝手に他人の心配をして胸が苦しくなって、バカみたいじゃん、あたし。

    ……でも、心配なものはしょうがない。
     部屋に戻り、ベッドに仰向けになる。
     今夜はもう、まともに眠れそうにない。
     少し呑めば眠気がくるだろうか。
     さすがにやめておこう。

     ただただ寝返りを繰り返す。これじゃ、あたしが思い詰めてるみたい。
     みたい、じゃなくて、思い詰めてるな。これは。

     身体の疲労に思考が負けてきた。少しずつ瞼が重くなる。
     少しでも寝ておかないと。きっと寝不足だろうけど――。



     あぁ、やらかした。
     案の定眠気を引きずってぼーっとしていた。
     クリフォト暴走のレベルが上がるタイミングを完全に見逃していた。

     機械仕掛けの試練――緑の白昼が1体、部門をまたいでこちらに向かっているとの通信が入った。
     こちらのチームは戦力が少ない。そもそもの人員が少ないし、装備面でも不安が残る。まともに緑の白昼とやり合えるような装備が充分に行き渡っていない。
     あたしの防具、『ランプ』はクラスこそWAWだけど、赤属性攻撃への耐性はさほど高くない。あの丸鋸を真正面から耐えきる自信がない。
     武器は黒属性で奴らの弱点なのだけど、ハンマー型の武器なのでその見た目通り重たい。どうしても振るのが遅くなってしまうから、有効打にはなっても相手に反撃の機会を与えてしまう。
     奴らは時折動きを止めて充電期間を挟むが、その隙に叩こうにもやはり武器の振りの遅さがネックとなり、隙をつくにも一発が限度。
     1体でもどうにかこうにか、という状態なのに、2体目がこちらに向かっている。

     あたし一人じゃ、無理だ。
     チームの同僚はあたしよりも装備に乏しい。
     あたしの武器は相手の黒耐性を下げる効果があるけれど、必ず発動するわけではない。速攻を狙うにしても確実性に欠ける。しかも同僚たちは耐久面で圧倒的に脆い。もし攻撃を受けたらその時点でアウトと思ったほうがいいだろう。

     端末で敵性個体反応の位置を確認する。今はまだ大丈夫だが、このままでは挟み撃ちの可能性がある。
     奴らは基本的に1部門に1体現れる。こちらに2体ということは、遊撃として動ける部門があるはず。援軍が来るまで持ち堪えるしか無い。援軍がどれだけの戦力を備えているかはわからないけれど。
    「あたしが囮になって引き付けておくから、君たちは別ルートで情報チームまで駆け抜けて!いい?絶対に試練と戦おうとは思わないように!」

     侵入してきた2体目の移動先が変わった。今から走れば、追いつかれる前に情報チームまでたどり着けるはず。
     躊躇う同僚に檄を飛ばし、送り出す。
     だいぶ近くまで迫ってきている1体目の相手をしないと。攻撃に巻き込まれる前に、逃げるのが間に合って良かった。
     奴らは丸鋸による近接攻撃だけではなく、機銃での遠距離攻撃手段も備えている。やたらと連射速度が速いから、油断しているとあっという間に蜂の巣になってしまうだろう。
     まず1体、倒せずとも足止めだけでもいい。とにかく彼らが逃げる時間を稼ごう。
     時間が稼げたら頃合いを見計らってあたしも離脱か、増援が来るならば合流すればいい。……よし。

     ドアが開く。壁に血糊がちらと見えた。オフィサーのものだろう。たじろぐな。怯えるな。
     あたしが止めないと。
     腹の底から雄叫びを上げる。
     『ランプ』のハンマーを盾にするかたちで構え、一気に踏み込んだ。

     通路の中ほど、こちらを向いた試練のセンサーアイが赤く光る。
     捕捉された。……それでいい。そのためにあたしはここにいるんだ。
     あの丸鋸よりは機銃攻撃のほうがまだ耐えられる。肉薄せず、やや距離をおいて構える。
     乱射される無数の弾丸が、腕を、脚を、無数に掠めていく。直撃したところで、『ランプ』防具の表面を覆う羽毛がクッションとなって受け止め、致命傷には至らない。
     見た目には明らかに貫通してしまいそうな薄さの服だが、E.G.Oとはそんな単純なものではないらしい。
     あたしには難しいことはわからない。今は目の前の状況を何とかする。ただそれだけ。

     機銃の発射音に混じって聞き逃しそうだった。
     微かに聞こえた、ジジ、と電子音めいたノイズ。と同時に弾丸の雨が止む。充電のため、一時的に全ての機能を停止させる瞬間。
     奴は機銃を撃ちながらもにじり寄ってくる。ひたすら機銃の射撃に耐えていればいいというわけでもない。近づかれればいずれは驚異の切断力を持つ丸鋸の射程内に入ってしまう。
     もうあと何秒もしない内に射程圏内、というところだった。
     通路に踏み込んですぐ立ち止まったから、背中からドアがだいぶ近い。まだメインルームに残っているオフィサーも多い。このままドアを背にして戦うのは得策ではないだろう。

     『ランプ』のハンマーを握り直す。右上に振りかぶって、一気に突っ込む。
    「どぉっせぇぇい!!」
     勢いをつけてすくい上げるように、一気に振り抜く。『ランプ』という名前とは裏腹な、闇そのものを叩きつけた。
     物理的な感覚ではないが、ずんと両手に響き渡る確かな手応え。
     勢いのままに、奴の背面へ回り込む。これで少しは距離が離せる。丸鋸の刃が出てくるまで、僅かだが猶予が伸びた。

     充電の時間は早くも終わりのようだ。畳んでいた脚がゆっくりと動き、ボディを持ち上げる。
     再び機銃を構え直す試練。万が一目に銃弾が当たらないよう、ハンマーを構え直して慎重に耐える姿勢を取った。

     あたしの背中側から、ドアの開く音。
     逃げ遅れたオフィサーか、と思った瞬間。
     背中に銃弾の衝撃を受けた。

     2体目――!



     背筋を冷たいものが走る。機銃だからまだいいものの、2体ともあたしからの距離はさほど離れていない。
     まずい。
     前と後ろから同時に銃撃の雨。背後はノーガードだから、E.G.O越しでも確実に傷が増えていく。貫通しないとはいえ、着弾の衝撃はそれなりに痛い。
     まずい。
     前から、後ろから、乱射する機銃の音が近づいてくる。
     まずい、まずい……
     背後からの射撃が、止まった。
     駆動音。腕部の丸鋸が回転を始めるモーター音。今の防具なら即死ではないにせよ、一撃もらったらもうまともに動けるかどうか。
     腹、括るかァ。

    「おぁぁぁッ!!」
     振り向きざま、渾身の力を込めてハンマーヘッドでノコギリの刃を弾く。
     その衝撃で試練は壁に叩きつけられたが、金属の擦れ合う音と関節の軋む音を立てながらも、まだ立ち上がろうとする動作が見えた。
     賭けだった。背後が見えていないから、完全に勘で動くしか無かった。
     それでも背後から無防備に斬られるよりは、と自棄にも近い発想で身体が動いた。
     先に吹き飛んだほうを無力化できれば。
     向き直り、今しがた吹き飛ばしたほうの試練に向かって真上に構えたハンマーを振り下ろした。
     ハンマーから染み出した闇が鉄のボディをひしゃげさせる。
     あとは最初の――

     右の脹脛に鋭い痛みが走る。
    「ぎ!ぃ、っ……」
     完全に肉薄されていた。もう1体の試練。
     疲労と油断も重なり、右足の力が抜けて尻餅をつく。
     まずい。
     立てない。全身が強張って、防御姿勢すらもとれない。
     試練が丸鋸を持つ腕を引き、再び突き出そうとする動作が、やけに緩慢に見えた。
     いやだ。
     死にたくない……!



     突き出された丸鋸の先端が、火花を散らせて跳ね上がった。
     反動で喧しい音を立てながら試練が床に転がる。
     蒼い毛皮のコートがあたしを飛び越えていく。そのまま立ち上がろうとしていた試練のボディに巨大で獰猛な爪を突き立てる。

     何が起きたのか理解するのにも、疲労と寝不足で靄のかかった頭では時間がかかった。

     蒼い毛皮と巨大な爪――『蒼の傷跡』。
     WAWクラスのE.G.Oのなかでは最も赤属性の耐性に優れているが、武器も赤属性だったはず。
     緑の白昼は赤属性に耐性があるはずなのに、それでもなお、あっという間に赤属性の武器で試練を仕留めてしまった。
     蒼の傷跡を着た人物はすぐさま踵を返し、今度は壁に叩きつけられたもう一方の試練へ飛びかかる。
     左足で試練のボディを踏みつける。金属が歪む音が妙に反響する。
     死者に鞭打つかのように、ひしゃげたボディへ右腕の爪を突き立てた。



     蒼の傷跡の大きな爪を試練のボディから引き抜きながら、ぶっきらぼうな、だが聞き覚えのある声でぼそりと、
    「邪魔だぞ、あんた」
     ぼーっとした頭で、蒼の傷跡を着る人物の言葉に反応することも、助けてくれたことに対して礼を言うこともすっかり忘れていた。ただ目の前の光景を呆然と見る。
     歪んだボディに爪が引っかかっていて上手く抜けなかったのだろう、暫しの間ぎしぎしと音を立てて動かなくなった試練と格闘していた。
     耳障りな金属の擦れる音を立ててようやく爪が抜けた。舌打ちと共に、完全に鉄屑となった試練を蹴り飛ばす。

     反動で、ふわりと緑の髪が跳ねた。

    「……ダフネ……?」
     ぴくり、と動きが止まる。ぎこちない動きでこちらに振り向く。
     試練を打ち倒したときの、大きくて悪いオオカミを彷彿とさせる、素早く力強く荒々しい動作。
     今はその名残すらも見られない。
    「げぇっ」
     心底嫌そうな彼の顔。
     一昨日の姿と、ついさっきの姿と、たった今の顔の激しすぎるギャップに、思わず吹き出してしまった。
    「ッ、っ」
     一気に気の緩みが押し寄せたせいか、腱まで斬られた脹脛が熱と激痛を訴える。身体は出血のせいで寒気を帯びている。
     黒い生地の上からではわかりにくいが、膝から下はべっとりと血に塗れており、周囲には血溜まりもできていた。傷口を押さえることも忘れていたせいで、だいぶ出血してしまっている。
    「あんた、脚……」
     血溜まりになってしまっている以上、一目瞭然な事実。
     気が緩んだせいで気力も尽きてしまったのか、頷くことしかできない。ただ歯を食いしばり、ひたすら痛みに耐えることしかできない。
     小さな舌打ちのあと、彼は素早く自身のE.G.Oのネクタイをほどく。腿にネクタイを巻きつけて結び、結び目にペンを挿し込んできつく締め上げた。
     あまりにも手際の良い、緊急の止血帯。

    「立てるか?」
     傷の位置と出血量から無理そうだと察していたのだろう、返事を待たずに手を握って引き上げてくれた。なんとか壁にもたれかかるように体を支える。
     はじめから自力で立てそうにないとわかっていて、敢えて質問の形で訊いたのは彼なりの気遣いだろうか。
     このままなんとかメインルームまで戻れるだろうかと、ふらつく身を捩る。

     ふと見ると、背を向けて彼がしゃがみ込んでいた。
     すっかり回らなくなっていた頭では、すぐには理解できなかった。呆然と見ていると、
    「どうせ歩けねぇだろ。早くしろ、馬鹿」
     あぁ、負ぶされ、ってことか。
     わりと一刻を争うほどの出血量なのだろうか、真剣味に満ちた声音で急かされる。殆ど動かない脚を任せるのには難儀したが、どうにか彼の背に身を預けた。

    「……ダフネ」
    「どうした」
    「ごめんね……、っ、あり、がと」
     彼の背に身を預けた瞬間、安堵で胸が一杯になって、押しやられた感情が一気に溢れてきてしまった。耐えきれず言葉を詰まらせる。
     絶対に同僚を守らないと。怖い。痛い。殺される。死にたくない。――助かった。
    「お、おいこら、泣くな!痛むのか?すぐ着くから我慢しろ!」
     血液を失って震えの走る身体に、防具越しでもありありと伝わってくる彼の体温があまりにも温かかったから。
     負ぶさってみたら案外広い背中……というわけでもなく、相変わらずびっくりするほど細い。
     そんな細くて温かい背中に、甘えてしまった。
     情けない。
     情けないけれど、甘えてしまってもいいかなと思える優しさがそこにあるのもまた確かで。
     まさか泣くとは思っていなかったのだろう、慌てる彼の様子も少し可笑しくて。
     負ぶさる腕に、きゅっと力を込める。

     この温かさの奥に、一体何を抱えているのだろう。
     酒に逃げるしかないほどの、何を抱えているのだろう。
     彼の強さを知って、尚更わからなくなってしまった。

    「救護オフィサー、早く!かなり血が出てる、急げ!」
     メインルームの救護スペースへ駆ける彼の足音が遠い。
     瞼が重くなってくる。負ぶさってしがみ付こうとする腕に力が入らない。
     メインルームにいた皆が駆け寄ってきて、手伝う声。
     耳に緞帳が降りたかのよう。全ての感覚が薄れていくのがわかる。
    「寝るな!リアクターもある、すぐ治るから!耐えろ!」

     あたし、死んじゃうのかな。
     せっかく彼に助けてもらったのに。
     それで死んじゃったら……彼に悪いよ……
     怖い
     しにたく、な……



     妙に意識がふわふわとしている。
     目に入る景色はメインルームの救護スペースだから、たぶんあたしは助かったのだろう。
     意識を失っていたのかどうかもわからない。まだ夢の中にいるような感覚。

     生きてさえいれば、メインルームの再生リアクターで傷は少しずつ癒えていく。凄い技術だなぁ、と改めて思う。
     起き上がろうとして、左腕に違和感。点滴の針が刺さっていた。まだ動くのはやめておこう、ともう一度ベッドに横たわる。
     きっと輸血もしてもらったのだろう。寒気はあまり感じない。
     傷だけ塞がっても失血による臓器不全や合併症は起こりうるため、たとえ再生リアクターがあろうとも、深い傷の場合は今回のようにきちんと処置をしておかなければならない。そのための専門のオフィサーも待機してくれている。
     医学部卒の医者の卵や、病院から引き抜きで雇われた現役の医者もいる。実はかなり本格的な面々が揃っている。
     管理業務は、彼らオフィサーの存在もあってこそ成り立っているのだ。
     名目上は管理職と事務職オフィサーとで大まかに分けられているけれど、オフィサーだってさまざまな彼らなりの重要な仕事がある。
     あたしたちは、文字通り、彼らに助けられている。

    「あっ、気が付かれましたか。気分はどうでしょう。喋れそうですか?」
     救護オフィサーの女性が柔らかい物腰で問いかけてくる。
     頷いてから、はい、と小さく応える。すっかり喉が乾いていて掠れた声になってしまった。

     彼女は看護師をしていたところ、L社ここに引き抜かれたと聞いた。
     何かと首を突っ込んで世話を焼いてしまう気質のおかげかどうかはわからないが、管理の手が空いているときはちょくちょく救護オフィサーの手伝いも買って出ていた。とはいえ専門的なことは出来ないから、搬送されてきた職員をベッドに移すのを手伝ったりだとか、その程度のものだけれど。
     オフィサーとはいえ度々顔を合わせるので、たまたま平穏な日の休憩中は雑談に興じたりもする。その時に彼女が自身の前職を教えてくれた。
     情けないところ見られちゃったかな。

    「――はい、意識が戻りました。バイタルと意識レベル、そちらに出ていますか?……はい。了解」
     意識が戻った旨の報告をしている様子を、ぼんやりと見つめる。
     きっと麻酔もガッツリと効いているのだろう。傷の深さからして無理もない。眠くはないのだが、どうにも頭に薄く靄がかかったような、ふわふわとした感覚が残る。
     何となく既視感。何だろう。……そうだ、ほろ酔いの感覚と少し似ている。酒と違うのは、火照りも高揚感も無いこと。
    「意識は戻ったけど……ちょっとバイタルもまだ安定していないし、麻酔も残ってますよね?」
    「え、と。そうですね。ぼんやりしてます。真っ直ぐ立てるか不安かも……」
     思い出した。脚をバッサリいかれたんだった。
    「あ、あの、傷は……」
    「ご心配なく。ちゃんと塞がっていますよ。骨まで届いていなかったのが不幸中の幸いです。切れた腱も繋がっていますから、あとは体力さえ戻れば大丈夫」
     安心させるような、穏やかな笑顔で現状を教えてくれた。
    「万一、腱のほうに違和感があったら、報告をお願いしますね」
    「はい。……ありがとうございます」

     何か、忘れているような。

     獲物を狩るかのごとく容赦のない残酷な爪。
     背中を向けてしゃがむ細い背中。
     深い緑色の髪。
     温かい、背中。

    ――そうだ、彼だ。
     慌てて見回すもその姿はない。担当部署へ戻ったのだろうか。

    「あの、……私をここへ運んでくれた職員がいたと思うんですけど」
     彼にも担当する作業があるだろうし、あたしを助ける形になったのもたまたまかもしれないし。
     とっくに戻っちゃってるよね。
     改めてお礼くらいは言いたかったのだけど、仕方ないか。

    「そうそう、カティを背負ったまま、ものすごい勢いで駆け込んできて。びっくりしちゃった」
     報告を終えた彼女はすっかり雑談モードに切り替わり、あたしを愛称で呼ぶ。柔らかな敬語で喋るのは仕事モード。普段は砕けた口調なのだ。
     負傷者さえいなければ救護スペースも平和なもの。あたしもあとは身体を休めて調子を戻すだけ。
     まだ休憩時間ではないだろうに砕けた口調で話しかけてくれるのは、先の鎮圧での緊張が少しでもほぐれてくれれば。そういった狙いもあるのだろう。
     つかの間、和やかな空気が流れた。
     それも本当につかの間。

    「その職員さんも脇腹あたりに結構な傷負っててね。カティ程じゃなかったけど、ちょっと放っておくには危険な状態だったのに。それでカティ背負って猛ダッシュしてきて」
    「え……え?」
     麻酔が残ってぼんやりしていたとはいえ、即座には理解できなかった。耳には聞こえていたけれど、頭に内容が入ってこなかった。
     試練を倒した際の獰猛な動き。あたしを負ぶって、励ましながら駆ける程の体力。
     なのに。
     怪我、してたの?
    「あたしを運んできて、そのあと彼は?どのくらいの怪我だった?」
    「カティ降ろしたあとに、あなたも処置しないとって言ったんだけど。俺は部署戻るから、って引き止める間もなく行っちゃったの。こっちは処置に手一杯だったから見送るしかなくってねー。血がコートにまで滲んでたから、少なくとも浅いとは言えないね、あれは」

     そういえば。
     彼の装備は『蒼の傷跡』。使用者の生命力が低下すると、ただでさえ強力な爪がより鋭さを増し、周囲の味方ごと敵を引き裂くという恐ろしい特性がある。
     E.G.Oは原則、適当に振るっても敵性個体のみを攻撃するよう調整されている。だからあたし達のような戦闘訓練を受けていない職員でも強力な武器を思う存分振り回せるのだ。
     勿論例外は存在する。その例外の一つが『蒼の傷跡』。
     例外たる特性は文字通りであり、生命力の低下に呼応して狼の狂気が目覚め、敵も味方も関係なくその爪で引き裂くようになる。また身体能力にも補正がかかり、それこそ狼の狩りのような、しなやかで鋭く残酷なほどの力強さを与える。――E.G.Oの説明書きにはそう記述されていた。

     思い出す。いくらWAWクラスの武器とは言え、赤属性のダメージである蒼の傷跡。赤属性に耐性を持つ緑の白昼を、瞬く間に2体も屠っていた。
     あれは……バイタルが低下していたからこその、”本気モード”だったんだ。

     疑問が湧き出る。
     彼は自身も傷を負いながら、たった一人で駆けつけた。
     戦力が手薄なのに、2体もの試練が侵入してしまったこちらの部門へと。
     おそらくは担当部門の試練を撃退したか、撃退の目処がついたから駆けつけたのだろうけど。
     怪我の手当もしないままに。他の職員も居ただろうに。
    ……どうして?

     どうして、そこまで自らの危険を顧みず行動できるのか。
     どうして、自分の身体の心配をしないのか。応急処置くらいここで受けて行ってもいいのに。
     どうして、自分の命を命とも思わないような無謀なことを。
     それでいて、あたしのことは迅速に助けてくれた。

     今はもうほどかれた、急拵えの止血帯。
     きつく縛ってあったため、まだうっすら跡が残っている。
     掛け布団をめくり、指でなぞる。結び目の部分がほんのり凹んでいる。
     メインルームまで背負ってくれただけでも充分すぎるほどなのに、わざわざ止血までしてくれて。
     止血帯を巻く時、やたら手際が良かったな。裏路地だと生傷が絶えなかったりするから、自力の応急処置技術も自然と身につくのかもしれない。
     彼自身の傷は……止血したのだろうか。

     話には聞いていた。仕事はそつなくこなす、と。
     最初に彼を見たときの印象、その後彼の全身を洗ったあとの印象、そして先程の彼。
     それらがあまりにも剥離しすぎていて、現実味が湧かない。
     なんとかしがみついていた彼の背中。朦朧とする意識のなか確かに聞こえた、彼の励ましの声。
     やはり彼の心根は、きっと真っ直ぐで温かい。
     あと、不器用。



     麻酔も粗方抜けきったので、処置の礼を言ってから作業に復帰した。
     時間にすると然程経ってはいない。出血と麻酔で意識がない時間もあったが、それも僅かのことだった。
     その日はもう特筆すべきこともなく、残りの仕事を淡々とこなして業務終了と相成った。

     購買で食材と日用品をカゴに入れたあと、酒類の売り場前まで来て思い直す。
     流石に今日は、アルコール控えておくか。
     後ろ髪を引かれる思いも多少はあったが、元はと言えば寝不足による注意力散漫でやらかしたのだ。ときには自制も必要、と自分を戒める思いで気分を上書きし、精算を済ませて自室に戻った。

     特に業務を終えたあとに何か用事があるというわけでもなく、必然的に一人の時間をだらだらと過ごすだけになる。
     酒こそ飲まないが友達付き合いのある同僚もいくらかは居るのだが、今日の怪我を労るメッセージこそ届けど、お誘いの類は無し。
     無事だったとはいえ、怪我からの復帰直後である人物をその日のうちに遊びに誘ったりするなど、気が引けるに決まっている。せめて今日くらいは養生してくれと、あたしだってそう思う。だからこそ、酒を買うのも我慢したのだ。
     しかし深刻なほどに手持ち無沙汰である。携帯ゲームでもしながら溜まっていたドラマを消化するか。
     兎にも角にもまずは夕飯だなぁ、と重い腰を上げる。
     と、その時。
     インターホンの音が部屋に響いた。

     誰かがお見舞いにでも来たのだろうか。にしては若干中途半端な時間ではあるが。
     特に細かいことは考えず、ひとまずインターホンのモニター越しに誰の来訪かを確認しようとしたのだが……カメラの範囲から見事に外れた位置にいるようだ。廊下の照明によって伸びる人影が、カメラの端の方で微かに動くのがわかるのみ。
     訝しく思いつつも、応対する。
    「はーい、どちらさまー?」
     返事がない。どういうことだろう。まさかこんなところでピンポンダッシュもあるまい。それにカメラが映す人影の存在が、確かにそこに誰かが居ることを示している。
    「ご要件はー?」
    ……やはり返事がない。イタズラかなぁ、と思い直し、インターホンを切ろうとする。
    「いいから早く開けろ」
     ここ数日で最も印象に残っている声が、焦りと苛つきを滲ませながら、顰めた調子で聞こえてきた。
     小走りで玄関に急ぐ。試練に斬られた腱は綺麗に繋がっており、違和感もない。

     玄関のドアを開ける。人の姿はなく、一瞬誰もいないのかと錯覚した直後。
     インターホンのカメラから外れるように立っていた人物が姿を表した。
     ドアを開けたはいいものの、まさか向こうから来ることはないだろうなと薄々諦めていたのも確かで。迎えの言葉も出てこないままにただ目の前の来訪者を呆然と見つめる。
     何故カメラを避けていたのか。なんとなく察する。彼ならば、特に理由はなくともカメラを避けたがるだろうな、と思った。
     どちらも声を発することなく、玄関のドアを開けたまま沈黙の時間が過ぎていく。
     しびれを切らしたのか、とうとう向こうからおずおずと切り出してきた。
    「……その、あー……、っと、……」
     正確には、切り出そうとしてきた。
     要件がなかなか出てこない。彼の意思に任せ、急かすのはやめておいた。

    「……ぐ、愚痴りに、来た」
     何故だか無性に泣きたくなった。自分でもこの滅茶苦茶な感情をどう表せば良いのか、わからなかった。

     ぐっと堪えて、招き入れる。長々と立たせっぱなしにしているわけにもいかない。
    「どうぞ。入って」
     できるだけ自然体を意識する。せっかく来てくれた彼の意思を萎えさせたくはないから。
    「ん」
     声とも音ともつかぬ短い返答と共に、敷居をまたぐ。
     その時初めて、彼が何か手から提げていることに気がついた。小さな白いビニール袋に、形からしておそらくは”飲み物”の缶。
     手ぶらで来ないところに微笑ましさを感じる。
     ちょっと座って待ってて、と彼をローテーブルにつくよう誘い、キッチンへ。
    「夕飯、もう食べちゃった?」
    「……いや」
    「あたしまだなんだよね。丁度これから作ろうかと思ってたんだ」
     二人分かぁ。余分なものはあまり買ってないし、作れそうなもの何かあるかな。
     冷蔵庫を漁りながら考える。と、すかさず彼の声。
    「俺は、いい」
    「なんでぇ!?」
     思わずキッチンから飛び出す。
    「この袋、中身アルコールでしょ!?……やっぱり」
     彼の脇に置いてあったビニール袋を引っ掴んで、中身を確認する。思った通り、”飲み物”の缶は酒だった。
     ”中身”をテーブルの上に置く。あたしの剣幕に驚いたのか、ぽかんとした顔で固まっている彼。これはきっと、何が問題なのかわかっていないに違いない。

    「ダフネ、もしかしてずっと夕飯抜いてた?」
    「面倒臭いから……なんでわかった」
     初めて彼を見たときの酔い方からも、なんとなく予想はついていた。
     食事を抜くだけなら、普段から慣れているのであればある程度は問題ないだろう。
     問題は……
    「あー、やっぱり空きっ腹に酒入れてたかぁ。そいつはよろしくないっ。内臓に負担はかかるし、いい酔い方もできないよそれじゃ」
     ただでさえ、吐くことで食道を痛めているというのに。酒のアテというものはただ酒をより旨く呑むためだけではない。胃腸にものを入れることでアルコールの負担を減らす目的もあるのだ。
     元裏路地暮らしであれば、食事を摂ることもままならないことだってあっただろう。夕食を抜くくらいは日常茶飯事かもしれない。
     実際、先程の試練鎮圧時の彼はずっと夕飯を抜いているとは思えなかった。
    ……ん?もしかして……
    「昨夜は、呑まなかった、の?」
    「だからなんでわかるんだよ」
     道理で。悪酔いする呑み方をしていたら大抵翌日に引きずっているだろう。二日酔いの身では、E.G.Oの身体補正があれどもああも機敏な動作は出来ない。

     何だ。完全にあたしの思い過ごしだったわけだ。
     勝手に人の心配して、それで眠れなくなって、寝不足でやらかして。
     全部あたしの一人相撲だったってこと。我ながら呆れちゃうよ。
     でもまぁ……いっか。



     夕飯の話はひとまず置いといて、あたしも座り込む。ローテーブルに軽く肘をかけ、彼の方を向く。
    「君が昨夜呑んでたら、たぶんあたしは死んじゃってたと思うから」
    「……あぁ」
     照れくさいのか、若干顔を赤らめてそっぽを向く彼。
     試練鎮圧の状況を思い出す。間違いなく、一歩遅れていたら脹脛どころか全身バッサリ行かれていた。
     あぁ死ぬんだと悟った瞬間、全てが緩慢に見えた。迫りくる丸鋸と、モーターの駆動音がフラッシュバックして身震いする。

     鎮圧時の光景を思い返していると、唐突に彼が切り出した。
    「そうだ、……謝ろうと思ってた」
    「へ?何を?」
    「試練片付けたあと、あんたに邪魔だって言ったろ。あんたが動けないのも知らずに。……悪かった」
     あぁ、彼は。
     彼の心根は。
    「実際邪魔な位置にいたわけだし、別にそっちが謝ることでもないでしょうに。律儀だなぁ、まったく」
    「少なくとも、怪我人にかける言葉じゃなかった」
     やっぱり……温かいんだ。

     俯きがちに、消え入りそうな声で謝ってくる彼。気にしなくてもいいんだよ、と笑いかけて顔を上げるよう促す。
    「わざと自分の傷を放っといて、意図的にE.G.Oを強化してたでしょ。目一杯振るうにはあたしの存在が邪魔になってたんだよね、他の職員も巻き込んじゃうから。あれは、危険だからぼーっとしてないで早く下がれ、っていう意味合いで言ったんでしょ。そんな間もなく君が2体の試練を倒しちゃったけど」
    「……知ってたのか、アレの特性」
    「知ってたというか、気づいたのは治療を受けたあと。救護オフィサーに、君も怪我してたって話聞いてさ。E.G.Oの特性思い出して、そういうことか、って」
     彼が僅かに苦い顔をする。
    「他の奴らは大した傷も負ってないくせに、一旦メインルームに戻って万全にしてから行くとか悠長なこと言ってた。試練の位置反応を見て、もう戦闘が始まってるのはすぐわかった。いい具合にノコギリで腹ァ抉れてたから、E.G.O任せで一人でも行けると思って」
     一拍置いて、言い直す。
    「……違うな。一人でも行かなきゃいけないと思った。あいつらには任せちゃられないって」
    「無茶だとか無謀だとか、思わなかった?敵反応は二つ、交戦中の職員が居るかもしれないとはいえ、そこにたった一人、傷を負ったまま。怖くなかった?」
    「そんな感情はいつかのどこかに置いてきた」
     淡々と、無感情な声で答える彼の姿に……少しだけ、ほんの少しだけ。恐怖を感じた。



     少しだけたじろいでしまったけど、彼の口数が増えてきたのはいい傾向だろう。そう思うことにした。
     さて、夕飯の話に戻さないと。
    「やっぱりさ、食べていきなよ。さっきのお礼も兼ねて、ってことで」
     立ち上がりながら、今ある食材で何を作ろうか、何が作れるか、ひたすらに考えをこねくり回す。
     どのように食材を組み合わせても、”どうあがいても二人分は厳しい”という結論にしか至らない。
     それならそれで、別の献立にすればいいか。無理して同じものを二人分用意することもあるまい。
     妥協という着地点を見つけたところで、彼が申し訳なさげに口を開いた。
    「なぁ、その……」
    「ん?」
     言いかけたはいいものの、次の言葉が出てこない。言うべきか言わざるべきか、葛藤しているように見えた。
    「いや……いい」
     言わざるべきと判断したのだろう、そのまま口を閉ざしてしまう。どうにも気になってしょうがない。ここは突っついてみるか。
    「何だい何だい、そういう言い方はズルいな~。気にしてくれって言ってるようなもんだぜぃ。……言ってみ?言うだけならタダだぞ」
     膝に手をついて屈み、顔を近づける。あからさまに顔を真っ赤にした彼が、顔色を見られないように思い切り俯く。
     俯いたまま、おずおずと。
    「その、前に出してくれた……あれがいいって、思った、だけで……」
     前に出したあれ――あぁ。
    「インスタントラーメン?他にも出せるものはあるけど、あれがいいの?」
     無言で頷く彼。深い緑の髪の合間から真っ赤な耳が覗く。
     なるほどね。礼として夕飯を出すのなら、この際リクエストしてしまおうか悩んでいたということか。可愛い所あるじゃん。声には出さず、腹の底でにししと笑う。
    「醤油と塩があるけど、どっちがいい?こないだは塩だったけど」
    「じゃぁ……醤油」
    「モヤシどうする?入れるなら今から茹でるんでちょっと時間かかるけど」
    「できれば」
     色々とこねくり回して妥協点を見つけた献立を全て投げ捨てた。
     あたしも今日はインスタントラーメンにするかぁ。
     それで、食べたあと少しだけ呑もう。冷蔵庫にストックあるし。
     買い物のときに踏み留まった自制心も投げ捨てる。
    「ちょいと拝借」
     テーブルの上に置きっぱなしになっていた缶2本をひょいと取り上げる。彼が何か言いたげに片手を上げかけて、すぐに降ろした。
    「冷やしといたげる。すっかりぬるくなってるでしょ」

     取り上げた缶の表記をざっと見る。1本はありふれたチューハイ、もう1本は最近流行りのアルコール強めなヤツ。
     普通のチューハイはともかく、空きっ腹にストロングなヤツ入れてたってことか。流石にキツいよそれは。
     冷蔵庫にストックしてあった1本とストロングなヤツをこっそり入れ替える。今の彼にはあまり強いものを呑ませたくない。アレを呑むなら何かでさらに割ろう。明日は割るためのジュース買ってくるかなぁ。
     ボウルに氷をふた掴み、塩をざっと回しがけて、その中に水を張る。ぬるくなった缶をボウルに突っ込み、からからと軽く缶を回す。氷が溶け始めて水が冷たくなったのを確認し、買ってきたばかりのモヤシを開けて茹で始める。
     彼が醤油なら、あたしは塩にするか。予めインスタントラーメンの袋を取り出し、すぐ手の届く位置に立てかけておく。

    「ごめんねー、待たせちゃって」
     リビングに背を向けたまま、声が届くように腹に力を入れて投げかける。
    「あんた、脚……いいのか」
     予想外に近い場所から聞こえてきた声に驚く。
    「うお!居たのか」
     彼がキッチンの入り口に寄りかかり、じっとこちらを見ていた。
     いつからかはわからないが、待っている間は手持ち無沙汰だから、何をしているのか暇潰しがてら見ていたのだろう。あたしとしては別段構わないけども。
     それよりも、彼の言葉の内容の方だ。どう捉えても心配してくれているとしか思えない。
    「あー、脚はね、すっかり元通りよ。たまーに神経が上手く繋がらなくて再処置する場合もあるみたいだけど。あたしは無事にこのとおり」
     普段着兼部屋着のハーフパンツから突き出た脹脛をぐいと押し出し、見せびらかす。
     あまり鍋から目を離すことも出来ないため、ちらと見やるだけで一目では気づかなかった。
    「傷跡、残っちまってるけど」
    「え、マジ?」
    「……まじ」
     鍋の火加減を落とし、吹きこぼれないようにしてから脹脛をじっと見つめる。僅かながら、丸鋸で斬られた箇所にうっすらと凹凸ができていた。それでも本当に目を凝らして見ないとわからないほどの傷跡。実質完治も同然だ。
     キッチンの入口からそこそこ距離があるうえに、ただでさえ見えづらい傷をすぐさま見つける彼の視力と観察力に舌を巻く。
    「このくらいなら誤差よ誤差。命あっての物種、ちっこい傷跡のひとつやふたつ、ってね」
     確かに鋸の傷は単なる刃傷と違って綺麗に塞がりづらい。傷口の切断面が粗いからだ。
     なのにここまで目立たなくなるよう処置してくれた救護オフィサーたちと再生リアクターの効果には感謝してもしきれない。誤差とは言いつつも、もっと目立つ傷だったらハーフパンツは諦めざるを得なくなるところだった。
     楽でいいんだよねぇ、ハーフパンツ。

     大きめの鍋を引っ張り出し、二人分の麺を一度に茹でる。その間に器をふたつ出して醤油と塩、それぞれのスープを入れておく。
     茹で上がったモヤシをザルに空けて水を切る。麺の硬さを見て、ちょうどいい塩梅なのを確認する。
     麺の茹で汁をお玉で2つの器に移し、次いで麺を均等に分ける。麺をほぐしてスープと混ぜ、最後に水を切ったモヤシを乗せて、できあがり。
    「ほれ、伸びないうちに食べるぞ、席につけぃ」
     結局できあがりまでじっと見ていた彼をローテーブルの方に追いやろうとするが、彼は動こうとしない。
    「自分の分は持つから、寄越せ」
     あぁ、そういうところまで律儀なんだな君は。
     熱いから気をつけて、とお決まりの注意を促して醤油の方の器を渡す。あたしも塩の方の器と割り箸を二膳持ってキッチンを出た。

    「やー、たまに食うインスタントも悪かぁないね。毎日だとアレだけど」
     たまーに無性に食べたくなる、この味。モヤシも合ってるし、結構いいじゃん。
     それに、今日はひとりごはんではない。
     ひたすら無言でラーメンとモヤシを貪る彼が居る。インスタントといえど、こうもいい食べっぷりを見せてくれると嬉しくなってしまう。
     にしても、食べる速度が凄まじい。
    「そんな急いで食べて、熱くない?火傷には気をつけてよ?」
    「……うまい」
     返答になっていない返答をもらい、大丈夫そうだな、とこちらも麺をすする。

     初めて会った日、涙をぼろぼろ零しながらラーメンを掻き込んでいた彼を思い出す。
     ずっと夕食は抜いていると言った。なら朝は?昼は?何を食べていたのだろう。まともなものを食べていただろうか。彼の反応を見るに、とてもそうは思えない。
     ”温かい食べ物”というものを、ほとんど口にしていなかったのではないか。
     作りたてのもの。誰かが作ってくれたもの。温もりがあるもの。
     温もりそのものに触れてこなかった、のだろうか。
     そうだとしたら、哀しすぎる。寂しすぎる。
     社食にだって行こうと思えば行けるはずなのだ。おそらく彼は……行こうとしなかった。
     行きたくなかったのか、行けなかったのかはわからない。どちらにせよ、何かしらの理由があるはず。
     余程深刻な、何かが。

    「伸びっぞ」
     唐突な彼の声に、はっと我に返る。既に彼の器は空になっていた。
     いまだ半分も減っていない自分の器に手を付ける。若干冷めており、多少多めに頬張っても火傷の心配はなさそうだ。
     既に伸びかけの麺とモヤシをまとめて頬張り、格闘する。その横から彼の声。
    「あ、っと……ごちそうさん」
     照れくささによるものだろう、顔を赤らめながら。
     頬張った麺とモヤシを飲み込み、笑顔で応える。
    「おかまいなく」
     そうだ。せっかくの彼の手土産も出さないと。
     もう麺が伸びるのは諦めることにした。

     空になった彼の分の器を片付ける。洗う時間も勿体ないので、ひとまずシンクに置いて水を張っておく。
     しっかりと冷えた缶をボウルから取り出し、表面の水気を取る。
     グラスふたつに氷を入れて、缶と共にテーブルへ。
     彼とあたし、お互いに缶とグラスがひとつずつ。深酔いはさせたくないから少しずつ。
     彼に笑いかける。お待ちかねの時間だぞと言わんばかりに。
    「呑もっか」
     彼は食べかけのラーメンに何か言いたげだったがすぐに諦めて、こくりと頷いた。



     またしても出し忘れたザーサイをつまみ代わりにする。
     キッチンでザーサイをよそっている間も、背後から甲高い音が響いてくる。
     グラスと氷とマドラーが奏でる音はこの部屋で聴いてきたどんな音よりも魅力的に感じた。
     実際は彼が必死に炭酸を抜いている音なのだけど。
     ついでに林檎も剥いておくことにした。ザーサイと林檎、妙な組み合わせだが何も両方食えと言うわけでもない。
     好きなものを好きなようにつまんでくれればいい。

    「ほい、口が寂しかったらつまんでくれぃ」
     ようやく納得行く程度に炭酸が抜けたのか、彼がちびりちびりとグラスに口をつけ始めていた。
    「何か……不思議だな」
    「?何がよ」
    「あんまりガブガブ呑むような気にならないんだよ」
    「良いことじゃん。ただ量呑むだけじゃ得られないものだってあるのさぁ」
     これを機に、ただ酔いに走るような呑み方をやめてくれるといいのだけど。
     もっと言えば、ただ酔いに走りたくなるような呑み方の原因を取り除きたい。ただ、そこに突っ込むにはまだまだ時期尚早な気がしている。今訊いても、間違いなく彼はその話題を避けようとするだろう。そのせいで”呑み友達”を失うのは勿体ないし、何よりあたし自身が納得いかない。
     あたしが何より欲しいのは、彼の心の安寧。
     何がきっかけでも良い。きっかけがあたしじゃなくても構わない。
     彼の心根が真っ直ぐで温かいことを知ったから、余計にそう思う。
     こんな彼を酒浸りにさせるほどの何かを、どうにかしてあげたい。
     ただ単純に、それだけが目的だった。……けど。
     一人じゃない卓ってのも、悪くないなぁ。

     腰を落ち着けたので、改めて脹脛の傷跡を眺める。言われなければわからないくらいには目立たない。が、触れてみるとよく分かる。切断面に沿って僅かな凹凸が指先に伝わる。
     救護オフィサーの彼女によると、骨まで切断されてしまうと完治にかなりの時間を要するらしい。だからあたしは割と運がいい方だったとか。「斬られた直後に圧迫止血してればもっと楽だったんだけどねー」とは彼女の弁。そこに関してはあたしも死を目の前にして何か色々悟っちゃったものだから仕方がない。

    「ねぇ、ダフネ」
     名前で呼ぶ。不思議な響きを持つ彼の名前。
    「ん」
     顔を上げてこちらをちらりと見る彼。目を合わせようとするとさっと逸らしてしまう。こちらを見ているのかいないのか、曖昧な視線。
    「今日はありがと」
     いくら逸らされようが、それでも目を見て、改めて礼を伝えた。
     照れ隠しに、カクテル(ストロングなヤツとすり替えたうちのストックだ)をぐびりと一口。吐息に甘さが混ざる。
    「別に……昼間のは、ただ仕事をしただけだから……」
    「おぉ、謙遜謙遜」
    「ンなんじゃねぇって」
     酒も入り、更に赤みが増した顔をぷいと背ける彼。口数が増えたせいもあるのだろう、初めて会った日とはだいぶ印象が異なる。
    「誰かが死んだらまた1日やり直しだろ、E.G.O回収作業中だと特に面倒なんだよ」
     割と普通にまともな仕事の内容らしい答えが返ってきた。
    「まぁ……あの管理人サンなら、死者イコール即リトライだろうけど。助かったのは確かだから」

    ――あれ?
     何だろう、この違和感。上手く言葉に表せない。けど、何かが引っかかる。
     言っていることは納得できる。確かにあたしも似たような感想を抱いた。
     でも、何かがおかしい。何かが噛み合わない。その”何か”がわからない。
     疲労とカクテル漬けでホンワカし始めた脳みそでは、それ以降の進展は見込めそうもなかった。
     疑問は一旦投げ捨てよう。

    「でもさ、君だって怪我してたわけじゃん?いくらE.G.Oが強くなってるとはいえ、自分が死ぬかもとは考えなかったわけ?」
     戦闘中の通路に飛び込むわけだから、機銃の流れ弾や、最悪の場合丸鋸が突然飛んできたりする可能性だって充分有り得る。いくら赤属性耐性の高い『蒼の傷跡』といえど、彼自身の生命力が落ちている関係上、危険なことには変わりないはず。
    「俺は死なないからいいんだよ」
     理屈も理論も何も無い、無茶苦茶な答えが返ってきた。
    「はー大層な自信で。試練ロボ2体を一瞬でブッ壊すお方は言うことが違いまさぁね」
     あまりにも荒唐無稽な返答だったので、つい茶化した言い方をしてしまう。
     酔いが顔に出やすいのか、見事な赤ら顔に据わった目をした彼。ただでさえ仏頂面で目つきが良くないというのに、殊更威圧感を醸し出す。”ガン飛ばしてる”と言われても仕方のない目つき。
    「って言うけどな、あんた先に両方とも……少なくとも一発ずつはブチかましてたろ。強化されてるっつっても流石に一撃で無傷のアイツは倒せねぇからな」
    「へ?そうだっけ?」

     思い返す。ちょっと記憶が曖昧だけど……。
     メインルームから同僚を逃した。近づいてきている1体目を引き付けるため通路に飛び出した。機銃に耐えていたら充電が始まったから……そうだ、そこで一撃入れてる。
     位置が入れ替わって、2体目が出てきて、……えっと、丸鋸の音がしたから反射的に後ろの奴どついて、せめてタイマンに持ち込もうとトドメ刺すためにもう一発。

    「……あ。結構攻撃してたわ、あたし」
     そのあと脹脛に丸鋸食らって、立てなくなって死にたくないって思って、……彼が助けに来た。
    「ハンマーは一撃が大事なんだからもっと考えて動けよな」
    「ぐあぁ最もすぎる正論!」
     大げさに仰け反るあたしを気にすることもなく、続ける。
    「明らかに2体とも、装甲が脆くなってた。『ランプ』の侵食ダメージと、耐性低下によるものだろ。あんたの与えたダメージが無かったら、俺だって緑の白昼2体相手にああも強気にゃ出られねぇよ」

     仕事の評価は高い。その意味が良くわかった。試練の鎮圧そのものもそうだけれど、他人が使用しているE.G.Oの特性まで把握しており、自信満々に見えても自分の能力を過大評価はしない。自身の出来る範囲で最大限の結果を出す。
     回収作業中に何度か試練とやりあってきたけれど、別に何十回と戦ってきたわけではない。他の種類の試練も出てくるから、緑の白昼に限れば精々両手で数えられる程度だろう。それだけで、こうも冷静に俯瞰できるものなのだろうか。
     俺は死なないという発言も、きっと”少なくとも”俺は死なない、そういう意味なのだろう。巻き込まれたり既に力尽きていたりといった職員まで責任は持てない――と。
     でもやり直すのが面倒だから、犠牲が出ないように出来る限りは助ける、か。
     間違いなく仕事を円滑に進めるための評価は自然と高くなるだろう。
     だからこそ、業務終了後に即酔い潰れるというギャップが噂となって広まるのもわかる気がする。
    「ちょっと待って。……てことはさ、必死に試練鎮圧してもあたしが死んじゃったらやり直しになって面倒だから、止血したり背負ったりしてくれたの?」
    「他に何があるよ」
    「ぉぁぁ」
     もんどり打って倒れた。

     即座に起き上がり、続けざまにさらなる疑問をぶつける。
    「でもさでもさ、ダフネも怪我してたじゃん。あの爪ってだいぶ深い怪我負わないと強化されないでしょ。あたし運んだあとそのまま戻ったって聞いたよ。治療くらい受けていけばよかったのに」
    「それは……担当作業があるから……」
    「だからってその場で治療するのと自分の部門で治療するのと、大して変わらないでしょー」
     むすっとした顔で黙る彼。実際どのメインルームで治療を受けたところで結果は変わらないだろう。どうしても言いたくないのなら、無理にとは言わないけれど。でもなんだか気になってしまう。
    「仮にあそこで治療受けて、あんたが途中で目醒ましたらきっと喧しくなるだろうから……逃げた」
    「へーへー、大体そんなとこだろうなとは思ってましたよ」
     むくれた顔でわざとらしく肩をすくめる。酒のせいもあるのだろうか、彼が饒舌になってきたのが嬉しくて、ついオーバーリアクションになってしまう。
     どんな返答であろうと、彼が質問に答えてくれることが嬉しい。
     どんな内容であろうと、彼が自分の考えを言葉にしてくれることが嬉しい。

    「ねね、傷どうなった?見せて見せて」
    「とっくに塞がってるぞ、あんたよりかはだいぶマシだったし」
     と言いつつもだぶついた服をまくりあげる。この前と同じ服。やっぱり彼、着替え持っていないのでは。
     細かい古傷が脇腹にも無数についている。洗っていたときは必死だったからそこまで気にしなかったけれど、落ち着いて見てみるとやはり痛々しい。
     ひとつ、やたらと大きい傷がある。しかもこの傷は完治していない。え、この傷……?
    「違う違う、ここな、さっき抉られた部分。全然わかんねぇだろ。まぁこんな身体ナリだし、傷が残ろうが残るまいが気にしちゃいないさ」
    「じゃぁ、この生傷は?」
    「そっちは……入社の少し前に出来たやつ。ちょっとした諍いの結果」
     裏路地ではこんなに大きな傷ができる諍いが”ちょっとした”で片付けられているのか。
     しかしなぜ生傷のままなのだろう。
    「これ、リアクターとかで治らないの?」
    「再生リアクターってな、正確には治してるんじゃなくて業務開始時の状態に戻してるんだ。大抵は業務開始時って健康体だろ。傷を負ったらそいつを治すんじゃなくって、傷のない状態に復元してる。たまにあんたみたいに傷口がガタガタな怪我の場合は上手く復元できないこともある。この傷が治らないのも、常に生傷として復元されちまうんだよ」
     それでも日にちが経ちゃぁ自然と塞がるから。彼が付け加える。
     知らなかった。状態復元の技術だったとは。てっきり医療技術の進歩だと思っていた。実際は救護チームの医療技術との合わせ技なのだろうけど。それにしても、
    「ダフネくんさぁ、詳しすぎない?」
     一介の裏路地出身職員にしては知識が豊富すぎやしないか。先程の鎮圧のときといい、各施設の仕組みや技術といい。
    「入社案内パンフとマニュアルに全部書いてあるだろが」
     呆れた様子で返される。
    「あれー?そうだったっけー?」
     そういえば、ほとんど目を通していない気がする。今度ちゃんと腰を据えて読む必要がありそうだ。
     全部読んだのかぁ、アレを。え、……全部”読んだ”。読んだうえで、全部理解した。
     本当に?
     裏路地で暮らしてても、あのくらいは読めるものなのだろうか。
     しかも内容まできっちり把握しきっているとは……まさか入社してから暇潰しの手段がアレしかなかった……とかない、よね。
     今度、趣味とかそれとなく訊いてみようかな。……あるのかな、趣味。

    「ったく、もうちょっと自覚持てよ。種類は違えど俺らはWAW装備任されてんだ。それ相応の活躍が期待されてるんだよ、管理人に」
    「う、心に刺さる……」
     酔い潰れてゲロ吐いて転がってた人物に仕事内容でガチ説教を食らう日が来るとは。
     もしや、愚痴りに来たって……このことだったり?
    「確かにやり直しは面倒だけどさ、それは管理人だって同じなんだ。むしろ俺らより業務全てを統括している管理人のほうがやり直しの負担がでかいだろ。負担がでかくなるってことは人為的ミスが増えるってこった」
     なるほど。管理人のヒューマンエラーは一歩間違えるだけでも致命的だ。作業時のミスで済むレベルではない。
     それこそ、管理人の指先ひとつで職員が死ぬことだって……。

    「俺は……管理人に、自分のせいで職員が死んだと思わせたくない。そんなことで管理人が精神的負担抱えるなんて、あっちゃならないんだよ!」
     にわかに語気を荒げる彼。見ると、拳は血が出そうなほどに強く握られている。微かに歯ぎしりのような音も聞こえてきた。管理人に、何か思うところがあるのだろうか。
    「ダフネ……?」
    「あ、い、いや、」
     咄嗟に誤魔化そうと口をついて出かかった言葉が吃り、逆に”何かがある”ことを強調してしまう。
    「酒、入ったせいかな、ちょっと興奮しちまった」
     誤魔化すことに失敗したことは彼自身自覚しているようだ。露骨に顔を背けて、少しでも内心を悟られまいとしている。
     もし彼の抱えるものに管理人が関わっているとしたら……厄介なことになってくるかもしれない。下手したらあたしの手が出せるような案件ではないのかもしれない。

     それでも。
     出来る範囲でやってみよう。業務中の彼のように。
     業務外の彼の心が、いくらかでも軽くなるように。

    「あんなべろんべろんに散々酔っ払っておいて、今更興奮も何もあるかい」
     まだ触れる段階ではないだろうから、
     無理に触りに行くようなことはしない。



    「――大体さ、何であいつら俺よりもピンピンしてやがるのに悠長にメインルームでのんびり出来ンだよ。敵反応の動き方見りゃ交戦中だってわかるだろ。強化されてるとはいえ急いで駆けつけようとするのが俺だけだったってのがマジで信じらんねぇ。そりゃ面倒だから加勢に行くんだけどよ、面倒云々の前に人が死ぬかどうかって場面なんだぞ、危機感足りてねェんだよ」
     缶チューハイ1本呑み切るかどうかといったところだが、既に出来上がってきている。怒涛の勢いでナチュラルな愚痴を垂れ流し始める彼。
     ちゃんと食べてから呑み始めたはずなのだけれど。もしかして彼、割かし酒に強くないのでは……。
     ストロングなヤツをこっそりすり替えておいたのは正解だったかもしれない。普通のチューハイ1本で既にこの調子だと、他の酒も勧めづらくなってしまう。炭酸は苦手らしいからビールは除外、ソーダ割り系統のものはある程度炭酸が抜ければなんとか行けるだろうか。
     いっそ水割り……とか?

     どうにか彼に酔うだけではない酒の旨さを伝えたいのだが、予想以上に選択肢が狭い。どうしたものかと頭を抱える脇で、全自動愚痴垂れ流しマシーンと化した彼がひたすらに愚痴り続ける。
    「あいつら面識の薄い他チームとはいえ人が死んでも何も感じないのかよ。投薬で鈍感になってるからとかそういうレベルじゃねェんだよ、あとで薬切れたときに自分がどう感じるか考えてねぇんだ、あいつら。まだ充分とは言えないけどだんだんE.G.Oだって揃ってきてンだ、最初に切り刻まれたトラウマずっと引きずってんじゃねぇっての。かすり傷程度でいそいそメインルーム戻りやがって」
     愚痴の物量に圧倒される。最早饒舌を通り越し、とめどなく溢れてくる。
     だが、ほぼほぼこれらが彼の素の考え方だと思っていいだろう。
     よくよく聞いてみると巻き戻しが面倒というよりは、人が死ぬと嫌な気分になるから急いで加勢に来た、らしいことに気づく。
     面倒だからというのは理由の一つではあるが、あくまで建前に近いようだ。やはり彼としては感情的な理由で死者を出したくないらしい。

     先程もやけに力がこもっていた、管理人を気遣うような彼の言葉。『管理人のせいで死者が出たと思ってほしくない』。彼の挙動を見るに、この気持ちこそが死者を出したくないという最たる理由なのではないか。

     人が死ぬと必ず管理人は巻き戻す。仕事のやり直しが面倒であり管理人の負担にもなるので助ける。
     人が死ぬと管理人が心を痛める。それを避けるために助ける。
     人が死ぬと彼の感情が軋む。それが嫌だから助ける。

     およそこういったところだろうか。大雑把にまとめてから気づく。
     彼の感情は、明らかに管理人へと向いている。それが何の感情なのか、正確にはわからない。ただそれが何であろうと、彼は”管理人を守ろうとしている”ことがありありと見えてくる。
     勿論彼だって、人に死なれては気分がよろしくないに決まっている。
     だがそれ以上に――彼は管理人の心を気遣っている。管理人のために仕事をこなしている。管理人が傷つけば、彼もまた傷つく……?

     確かにあののほほんとした管理人サン、どうにも危なっかしいところがままあるのは否めない。だが評価としてはそれだけだ。危なっかしいながらも管理指示そのものは目立ったミスもなく、堅実といえば堅実。根が怖がりなのだろうか、その堅実さから外れた想定外の結果が出ると取り乱す場面も幾度かあった。
     今はE.G.O回収作業中ということもあるせいか、堅実さ――少々悪い言葉になるが、”ビビリ”という印象もある――を遺憾なく発揮して大きな事故もなくやれている。
     あたしがやらかしてしまったのは、寝不足による注意力散漫からの、独断で無茶な作戦を決行したから。決して管理人のせいではない。完全にあたしの自己管理不足。まぁ、余程のことがない限り一人二人の死者が出たとしてもL社ここでは”大きな事故”とは言えないのだけど。
     彼のおかげで事なきを得たが、もしあたしが死んでいたら……管理人は、自分を責めるのだろうか。完全に管理人の責任の外にあるアクシデントだというのに。ううん、多分管理人はあたしに独断で行動させてしまった自分自身を責める。そんな気がしてならない。彼はそれを危惧している?

    ……考えれば考えるほどにややこしい。彼の抱えるものは何なのだろう。彼が管理人に対して過剰なまでに気を遣っているらしき理由は何なのだろう。
     これらの正体が判明すれば、彼の心を軽くする一助になる予感はしている。しかし一体全体、どこから手を付ければいいものやら。
     直接訊くのはまだ早すぎる。彼さえ良ければ、もう少し”呑み友達”として付き合って欲しい。
     彼の心に擦り寄る必要がある。彼の内心を知る必要がある。

     それにあたし自身、こうして彼と二人、卓を囲んでちびちびグラスを傾ける時間が愉しい。
     呑み友達、なってくれるかな。
     今日だけお情けで仕方なく、とかだったら……ちょっと、寂しいな。



    「気分、大丈夫?気持ち悪くなったりしてない?」
     缶1本分呑んだだけで目に見えて酔いが回っている様子だった彼。程々のところで止めておかないと。流石に吐くまで呑ませるわけにはいかない。
     ほろ酔いの頭で考えをこねくり回している間に、気がつけば垂れ流されていた愚痴も収まってすっかり静かになっていた。
     彼からの返答がない。ローテーブルに突っ伏してぐったりしている。途端、不安が押し寄せる。自ら誘っておいて相手の様子を気にかけていなかったなんて、問題外もいいところだ。
    「ダフネ?大丈夫?」
     彼の骨ばった細い肩に触れる。何かしらの反応が返ってくることを願いながら軽く揺する。
    「……ん……」
     起きているのかいないのか。微睡みの中に沈んでいるであろう短い反応が吐息混じりに返ってくる。とりあえず大事にはなっていないようで、ひとまず安堵する。
     あらためてよく見れば、一定の間隔で小さく浮き沈みする背中。耳をそばだてれば微かな寝息も聞こえる。
     ずっと着続けてきたのだろう、よれよれになって大きく開いたニットの襟からは筋張ったうなじが覗く。そこには彼の出自を匂わせる多くの細かな古傷。元々大きなサイズのものを着ていたのは――そのおかげで最初に出会った時は洗うために脱がせることも容易にできたのだが――背丈に不釣り合いな細い体躯にコンプレックスでもあるのだろうか。
     着古されてすっかりくたびれた襟元。首筋から肩口までが丸見えで、どことなく寒々しさを感じさせた。
     着替え、持ってなさそうだなぁ。E.G.Oの回収作業が終わって先に進むことが決まったら、いくつか見繕ってあげよう。きっと彼は面倒がるだろうから、脱いだり着たりに手間のかからないもので。

     風邪ひくよ、と声をかけようとして、一旦躊躇する。ちょっとした好奇心。悪いかな、と心のなかで思えど、勢いには抗えなかった。
     あたしにそっぽを向く角度で居眠りする彼。反対側にそっと回り込んで、彼の寝顔を見つめる。やや眉をしかめ気味にしつつも、普段纏っている他人を拒絶するような雰囲気を感じさせない寝顔に、見ているこちらが安堵する。
     長い睫毛。整った鼻筋。角度によっては女性的にも見えるだろう彼の顔つきに儚さを感じ、細い体躯と合わせてともすれば消え入りそうな彼の輪郭を確かめる。
     あまり深くもない呼吸ですうすうと寝息を立てる彼。眠りが浅ければ、ちゃんと起こして彼の部屋まで連れて行くべきだろう。まだ遅いというには憚られる時間だ。
     今日は色々あったから、きっと彼も疲れていたのだろう。色々。本当に、色々。

    「ダフネ、風邪ひくよ」
     今度こそ目的の台詞を彼に投げかけて、そっと肩を揺する。強く揺すったら折れてしまいそうに思えて、つい力を抑えてしまう。返ってくるのは、おそらく眠りを妨げられたくないであろう意思のこもった短い唸り声。
     起きそうにない。起こしたところで彼がちゃんと部屋まで戻れるか不安になってきた。
     どうしよう。ベッドまで移動させるにも引きずる形になっちゃうし。

     方針は何も決まっていないが、何をするにもまずはテーブルを片付けよう。洗うのはあとにしてシンクの端に寄せ、未来のあたしに任せる。
     押し入れを漁る。何か良さげなものはなかっただろうか。
    「……あ」
     三つ折りのマットレス。そこまで分厚くもない。備え付けのベッドのマットレスが気に入らないので、通販で購入したものだ。しばし試してみたけれど、あたしにはどうも質感が合わなかったから仕舞っておいてそのままだった。今使っているマットレスがしっくりきて気に入っているから、完全に存在を忘れていた。
     マットレスは高反発ウレタンタイプで、大きさのわりにかなり軽い。取り出すのには邪魔なものを退ける必要があったけれど、一旦出してしまえば持ち運ぶのは楽。退けたものをまた仕舞うのと、使い終わったマットレスをまた押入れに詰め込む苦労もこれまた未来のあたしに押し付ける。

     敷きパッドの洗い替えを取り出し、広げた三つ折りのマットレスに掛ける。マットレスの位置を調節してからローテーブルに突っ伏した彼の上半身を起こし、そのまま仰向けになるように彼の上半身をマットレスにそっと受け止めさせた。
     ローテーブルをずらして足を持ち上げようとしたところで、「んん……」と彼の声。起こしちゃったかな、と手を止めて彼の様子を見てみるも、起きる気配はない。改めて彼の両膝のあたりに腕を入れ、ぐっと腰に力を入れて持ち上げる。予想よりもずっと軽い手応えに拍子抜けするとともに、この身体のどこからあんな力が出てくるのだろうと不思議に思う。やはり彼も”男の子”だから、だろうか。
     彼の全身をマットレスに乗せ、ふぅと一息。こういった動作は存外疲れるものだ。
     たまに怪我した職員をストレッチャーに寝かせるのを手伝ったりもしてきたが、普段使わない部分の筋肉を使ったり、腰に負担がかかったり。疲れるのはわかっているのだが、つい手伝ってしまう。日頃お世話になっているお礼だとか、そういう感情の裏返しではない。ただ何となく、手を差し伸べたくなってしまう。お節介と言われればその通りかもしれない。でも、それがあたしなんだ。

     さて、彼を寝かせてハイ終わりではない。薄めの肌掛けを1枚、ふわりと彼の肩まで包むよう掛ける。バスタオルを畳んで、彼が起きないようそっと頭を持ち上げてから枕代わりとして差し入れた。
     深くも淡い、光の当たり方で印象が変わる不思議な緑の髪。相変わらずガサガサで、べたついている。
     お風呂、サボったな。もし起きて時間に余裕があるのならシャワーでも浴びさせよう。拒否するのなら強制連行だ。
     髪もそうだけれど、顔のパーツも結構いいもの持ってるじゃない。いいもの持ってるのに、なんだか台無しになってしまうのはいつも仏頂面な彼の態度から滲み出るもののせいだろう。あと、手入れ不足。
     よくよく見たら髭だって剃り残しが目立つ。鏡に映して見える範囲で適当に剃刀を当てているだけなのかも。あ、カミソリ負け発見。彼のことだから、シェービングなんちゃらなんてものは使っていないに違いない。おそらくは石鹸を泡立てて塗りたくっているだけ。
     はーあ、勿体無い。思わず溜息が漏れる。きっと大層な原石だと思うんだけどな。彼は全く自分のことを気にかけないから、これ以上原石を磨くのは無理そう。

     そんな原石くんが暢気に寝息を立てる横で、シンクに残した洗い物と押し入れの片付けのことを思い出し、もう一度盛大に溜息を吐いた。
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    アロマきかく

    DOODLEたまにはサブ職員さんの解像度を上げてみよう。
    49日目、オフィサーまでも一斉にねじれもどきになってその対応に追われる中、元オフィサーであったディーバにはやはり思う所があるのではないか。そんな気がしたので。
    甲冑で愛着禁止になったときも娘第一的な思考だったし。
    なお勝手に離婚させてしまってるけどこれは個人的な想像。娘の親権がなんでディーバに渡ったのかは…なぜだろう。
    49日目、ディーバは思う 嘔吐感にも似た気色の悪い感覚が体の中をのたうち回る。その辛さに耐えながら、“元オフィサー”だった化け物共を叩きのめす。
    「クソっ、一体何がどうなってやがんだよ……ぐ、っ」
     突然社内が揺れ始めて何事かと訝しがっていたら、揺れが収まった途端にこの有様だ。
     俺がかろうじて人の形を保っていられるのは、管理職にのみ与えられるE.G.O防具のお陰だろう。勘がそう告げている。でなければあらゆる部署のオフィサーばかりが突如化け物に変貌するなどあるものか。

     もしボタンを一つ掛け違えていたら、俺だってこんな得体のしれない化け物になっていたかもしれない。そんなことをふと思う。
     人型スライムのようなアブノーマリティ――溶ける愛、とか言ったか――が収容された日。ヤツの力によって“感染”した同僚が次々とスライムと化していく。その感染力は凄まじく、たちまち収容されている福祉部門のオフィサーが半分近く犠牲になった。そんな元同僚であるスライムの群れが目前に迫ったときは、すわ俺もいよいよここまでかと思ったものだ。直後、管理職の鎮圧部隊がわらわらとやって来た。俺は元同僚が潰れてゲル状の身体を撒き散らすのを、ただただ通路の隅っこで震えながら見ていた。支給された拳銃を取り出すことも忘れて。
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    アロマきかく

    MOURNINGコービン君から見た緑の話。
    と見せかけて8割位ワシから見た緑の話。未完。
    書き始めたらえらい量になり力尽きて改めて緑視点でさらっと書き直したのが先のアレ。
    コービン君視点、というかワシ視点なのでどうしても逆行時計がなぁ。
    そして33あたりから詰まって放置している。書こうにもまた見直さないといかんし。

    緑の死体の横で回想してるうちに緑の死体と語らうようになって精神汚染判定です。
     管理人の様子がおかしくなってから、もう四日が経つ。



     おかしくなったというよりは……”人格が変わった”。その表現が一番相応しい。むしろそのまま当てはまる。
     Xから、Aへと。

    「記憶貯蔵庫が更新されたらまずい……それまでになんとかしないと……」
     思い詰めた様子でダフネが呟く。続くだろう言葉はおおよそ察しがついていたが、念のため聞いてみる。
    「記憶貯蔵庫の更新をまたぐと、取り返しがつかないんですか?」
    「……多分」
    「多分、とは」
    「似た状況は何回かあった。ただし今回のような人格同居じゃなしに、普段はXが表に出ていてAは眠っている状態に近い……っつってた、管理人は。相変わらず夢は覚えてないし、記憶同期の際に呼び起こされるAの記憶は、Aが勝手に喋ってるのを傍観しているような感じだったらしい」
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