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    アロマきかく

    @armk3

    普段絵とか描かないのに極稀に描くから常にリハビリ状態
    最近のトレンド:プロムンというかろぼとみというかろぼとみ

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    アロマきかく

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    コービン君から見た緑の話。
    と見せかけて8割位ワシから見た緑の話。未完。
    書き始めたらえらい量になり力尽きて改めて緑視点でさらっと書き直したのが先のアレ。
    コービン君視点、というかワシ視点なのでどうしても逆行時計がなぁ。
    そして33あたりから詰まって放置している。書こうにもまた見直さないといかんし。

    緑の死体の横で回想してるうちに緑の死体と語らうようになって精神汚染判定です。

    #ろぼとみ他支部職員

     管理人の様子がおかしくなってから、もう四日が経つ。



     おかしくなったというよりは……”人格が変わった”。その表現が一番相応しい。むしろそのまま当てはまる。
     Xから、Aへと。

    「記憶貯蔵庫が更新されたらまずい……それまでになんとかしないと……」
     思い詰めた様子でダフネが呟く。続くだろう言葉はおおよそ察しがついていたが、念のため聞いてみる。
    「記憶貯蔵庫の更新をまたぐと、取り返しがつかないんですか?」
    「……多分」
    「多分、とは」
    「似た状況は何回かあった。ただし今回のような人格同居じゃなしに、普段はXが表に出ていてAは眠っている状態に近い……っつってた、管理人は。相変わらず夢は覚えてないし、記憶同期の際に呼び起こされるAの記憶は、Aが勝手に喋ってるのを傍観しているような感じだったらしい」
     過去の”似た状況”においては、記憶貯蔵庫更新前ならばおおよその場合Xの引き戻しに成功していたとのこと。しかし記憶貯蔵庫更新後は一切成功しなかった、とも。
    「おそらく、管理人がAになったという事実で上書きされちまうんだと思ってる。完全に経験則だし、詳しいことはわからない。ただ……間違いなく、Aは”記憶貯蔵庫に戻る”なんてことはしない。する必要が、無い」
     そう話すダフネの目はすっかり絶望に染まっていた。口枷ギフトの奥で、歯が小さくカチカチ音を立てている。全身が強張り、爪が食い込んで血が出そうなほどに強く握りしめた両の拳が震える。
     酷く嫌な予感がした。管理人がこのまま戻らないかもしれない。その懸念も当然あるが……



     それ以上の、嫌な予感が。



     間に合ってくれ。あの馬鹿はやりかねない。



     ――・――



     全てはダフネから聞いている。管理人Xの中にはセフィラを想起するためのAの記憶が奥底に仕込まれていて、上層のセフィラコア崩壊をトリガーとしてセフィラの元になった人物とAとの記憶が想起され、Xの意識と記憶に割り込んでくるらしい。
     肝心のその情報すら、ダフネが数多くの管理人Xたちをセフィラコア抑制まで導き、その結果をXたちから聞いた上で自分の中で整理し、何とか説明できるように自分の中でまとめたものだという。
     確かに、最初に管理人から話を聞いた時は興奮と混乱で語彙が全部飛んでいて、まるで要領を得なかった。
     似たXたちだから、きっとこのような調子の説明ばかりだったろうに、よくも情報をまとめられたものだ。呆れつつも感心する。

     ダフネ曰く、その”奥底に仕込まれたAの記憶”を引き上げてしまうアブノーマリティがいくつかあるとのこと。
     そういえば、特定のアブノーマリティを収容した日は管理人の調子がおかしくなることがあった。血の風呂しかり、地中の天国しかり、無名の胎児しかり。
     露骨におかしいというわけではないが、雪の女王に対してもどことなくぎこちない対応だった。
     アブノーマリティ記録を読んで、改めて納得する。あれはAが嫌っているアブノーマリティで、管理人はそのAの影響をなんとか抑え込んで指示を出していた。イェソド抑制の際、一瞬放心したような様子を見せていたのは記憶同期の影響だけではなかったのだろう。
     無名の胎児や地中の天国に至っては、管理人がコンテナを選んだ際の記憶がなかったり、幻覚のような物が見えたりなど、明らかにおかしかった。まぁ、無名の胎児に関してはむしろ管理人よりもダフネの行動のほうについ意識が向いてしまっていたが。

     ――――

     地中の天国のときは……かつて無い様相を呈した。
     血の風呂のときの様子を踏まえ、管理人の様子がおかしいときは職員のほうでも気をつけておこう――そういう共通認識が既に皆の間にあった。
     最初にダフネが作業に入ったとき。既に管理人の様子がおかしかった。呆けたような様子で、うわ言のように何かを呟き続けて、作業が終わるとともに、管理人にしては珍しいほどの大声で、何かを振り払うように「やめろ!」と叫んでいた。
     その後、明らかに様子のおかしい管理人に対して、皆休憩を勧めた。なにせ僕たちの命は管理人の判断にかかっているのだから。休憩室に向かう管理人が無意識に零したであろう一言がやたらと印象に残った。「もう、見たくない……」
    ……一介の職員ごときが気をつけていてもどうしようもない事態もあるのだと思い知るのはそれから少しあとのこと。

     細かく休憩を挟みつつ、なんとか管理情報の開示までこぎつけた。
    『管理人のモニターに映っていないとクリフォトカウンターが下がる』
     それはつまり、管理人がわずかでも地中の天国を見ていないといけないということ。「もう、見たくない……」先程の言葉がやはり気になる。これは無理なのではないか。一旦観測を中断して、別日に持ち越すという手もある。できればそうしてほしかったが、管理人も他の皆も管理人自身も――僕とダフネ以外は――頑張れば1日で片付くからなんとかしよう。そういう雰囲気になっていた。嫌な予感が拭えなかった。

     作業はグレゴリーが入っていた。情報チームのチーフであり、高い自制と十分な黒耐性を持つ。カイルノが言うところの『なるはや』で作業を終わらせるにはまさにうってつけだったろう。作業を見守る管理人が漏らした言葉。「この感情は誰のものなんですか」。自分のことではないはずなのに、悪寒が走った。
     今思えば、あの時の管理人は作業を見守ってなどいなかったのだろう。ダフネは管理人の様子と共にクリフォトカウンターの数値も見ていた。クリフォトカウンターが下がった、それは管理人が見るのを拒否したということ。
     ダフネが叫んでいた。「目を離すな管理人!」――”見ていない”あいだ、カウンターは下がり続ける。継続的にカウンターが下がるのを見て、危機感を覚えて叫んだのだろうが……一步遅かった。

     それは同時に、瞬時に起こった。

     管理人が何かを呟いたのだけは聞こえた。作業中のグレゴリーが枝に刺し貫かれて肉が裂け千切れる音、グレゴリー自身の短い悲鳴。管理人の呟きはそれらでかき消えた。そして地中の天国は収容室から脱走、モニターに映っていない場所に突如生え、枝を伸ばし、その場に居るあらゆる人間を引き裂いていく。そのさまはまるで”真っ赤な枝が翼を広げたかのよう”だった。せめてアーニャだけでも逃がしたかったが、枝の伸びる速度は想像を遥かに超えており、見えてからではまるで間に合わなかった。目の前でアーニャの身体が、手足が、……頭が……。
     己の無力さを痛感した。目の前のアーニャひとりすら守れないのか。そんな感傷に浸る間もなく全身に衝撃が走った。瞬時に四肢と頭が身体から無理やり千切られ引き裂かれる感覚は、最早痛みとは表現できない領域のそれだった。
     見知った顔が、時にはアーニャさえも、死ぬ場面を度々見てきた。いざ自分が死ぬ側になって、言いしれぬ恐怖を覚えた。
     僕の頭部は枝の比較的高い位置にぶら下がっていた。目の端に千切れた僕の手足と胴体が映る。引き裂かれた瞬間の衝撃が強すぎて、もう痛みを感じる余裕すらなかった。なにせ頭部がまるごと身体から離れてしまっているのだ、どう足掻いても助かりようがない。いっそ諦めがついた。現実感はまるでないが、受け入れるしかないのだ、この恐怖を。
     首が千切れただけではすぐには死ねず、幸か不幸か(きっと不幸なのだろうな)気絶することすらできなかったので、せめて完全に意識が途切れるまでは何か情報を得ようと目だけでも動かしていた。酸欠と出血で急速に沈む感覚。苦しい。寒い。……怖い。

     だんだん視界が霞む。暗闇に落ちる。
     ふと見えた、転がり落ちた端末に映し出される映像。モニタールームで立ち尽くす管理人。
     あのときの管理人の姿は、虚ろとも呆然とも違う……明らかに僕たちには見えていない何かを見ていた。恐れと、後悔と、贖罪と……あらゆる負の感情を宿しながらも、
     管理人は無表情だった。

     そうだ、ダフネはあのとき、業務開始前にも――
    「気をつけろ……と言ってもどうにもならないこともあるだろうよ。だから何があってもそれを気に病むな。ただやり直せ」
     まるで、”どうにもならない何かが起こり、管理人が気に病むような事態になる”ことが最初からわかって……いや……
     ”どうにもならないことに既になってしまっている”から、管理人を業務開始前に励ましていた。
     きっと、あの惨事を何度も経験してきたからこその言動。
     地中の天国を管理人が収容し、且つ普段とは様子が違ったりおかしかったりするときは大抵、若しくはほぼあのような惨事になる、ということを。
     職員は誰も彼もが肉体を引き裂かれて、苦痛と恐怖にまみれて死にゆく。そんな惨事が起きることをわかっていて、止めようがない。わかっているからこそ、もどかしい。わかっていて止められないことが、なおさら悔しいに違いない。
     知っているからこその、辛さ。

     最初の作業が終わって管理人が叫んだ際も。
    「落ち着け管理人、呼吸しろ。そこにいるのは誰だ?あんただ、管理人」
     ダフネは知っていた。”管理人の中にもう一人居る”ことを。だからあんな言い方を。今までとは全く違う管理人の様子に気を取られて当時は深く考えなかったが、知っていなければ言えない、あんなことは。
     ダフネも内心手遅れだろうとは思いつつも、なんとか最悪の事態は防ごうと足掻いていたのだ。

     ――――

    「E.G.O武器の『後悔』、あるだろ?アレの詳細説明読んでみな」
    「それって……殺人者のハンマーでしたよね。詳細のテキストはだいぶ前に……あ」
     ハンマーを抽出した翌日には、詳細説明のテキストはチェック済みだった。
    ――『人類の未来を変える可能性を秘めた研究は地下で開始されました。非人道的な行為ながらも、大きな目標の前には実験体となった受刑者の尊厳は無視されました。』――

     一箇所だけ不可解な部分があった。
    ――『心の優しいカルメンでさえも、それを大目に見ました。』――

    「管理人は、あそこのテキストにすら記憶を引っ張られてたんだよ」
     さすがに大分前のことだし、単なるフレーバーテキストだ。ほぼ影響はなかったがな。
     そう付け加えてはいたが。確かにそうだ。唐突に出てくるカルメンという名前。なぜ僕はあの名前に疑問を持たなかったのだろう。
     まだ、心に余裕がなかった頃だからだろうか。あのテキストをチェックしたのは……アーニャが、コントロールチームのチーフになった日か。余裕がないのも当たり前だ。あの日はむしろ僕にとって大事な日だった。
     しかしあんな些細に見えるところにさえ、Aの記憶の引き金は潜んでいたというのか。もっとも、当時からしたらそれこそ「カルメンって誰だろう」程度の感想しか抱かなかっただろうけども。
     管理人にとっては、そうではなかった。

     血の風呂収容の際はやたら管理人が悲しげだった。業務開始直後、悲しげにじっと血の風呂を見つめていた。それ以降はなんとか通常の業務として終了できたが、終始悲しげな様子は拭えていなかった。
     血の風呂の作業で手に入る、作業の効率が上がる有能なギフトであるリストカッター。その見た目は血まみれの包帯。その有用性と取得確率の高さ、愛着作業で自制が鍛えやすいこともあり、結局ほとんどの職員が包帯を手に巻くことになっていた。
     後に気づいたことだが、管理人は左手に巻かれた包帯を決して見ようとしなかった。視界に入ると露骨に目を逸らす。
     僕が視線を意識しだしたのは、ダフネに対して疑惑を抱いてからだった。

     ――――

     実を言えば、入社当初から若干の違和感があった。自身を裏路地のドブ漁りと称しておきながら、他の職員や管理人に対しても物怖じせず提言する。端々に挟まる冗談めいた茶化し。今後のためにも多少残業をしてE.G.Oの抽出をしておこう。そう提言したのもダフネだった。

     1つ目の違和感。自称裏路地のドブ漁りにしてはあまりにも場慣れしすぎている。ただの裏路地暮らしではない、ドブ漁りまでするような劣悪な環境の裏路地。裏路地にもある程度治安の差があると聞いてはいた。ドブ漁りをするほどだ、きっと裏路地の中でもあまり良くない環境であったことは想像に難くない。
     新入職員で、裏路地のドブ漁りが。ああまで自然に知識や教養を持ったやりとりが出来るものか?
    ――「エックスなら、ご唱和するよりユナイトするほうだろ」――

     2つ目。仕事への理解度。僕たちだって職員研修は受けた。だからといって、
    「明日からも新しいアブノーマリティが追加されていくんだろ?だったらこのドクロのE.G.O、作っちまおうや。防具の耐性見てみろよ。今着てるスーツよりかよっぽどマシだぜ」
     ときた。言っていることはもっともだ。……あまりにももっともすぎた。
     まるで2日目以降、防具がないとやってられない、そう言わんばかりに。
     結果的にE.G.Oを抽出するため、多少の残業を行った。作業をすればするほどに職員自身もアブノーマリティへの耐性がつき、それが職員の各種素養の成長としてデータに反映されるらしい。まさか、この成長も見越して?

     若干どころではない。最初から、ダフネという男は胡散臭かった。

     以来、何かにつけダフネの動向を意識するようになった。観察すればするほどに違和感が募る。一挙手一投足、一言一句がおよそ”裏路地のドブ漁り”とはかけ離れているのだ。時折犬を食べていただの釘を舐めていただの、裏路地で生活していたと思しき言動も見られた。
     そう、時折。思い出したかのように、自分はさも裏路地出身です、と定期的にアピールするかのように散発的に。そのわざとらしさがさらなる違和感を呼んだ。これは流石に穿った見方をしすぎだろうか。

     言動そのものがおかしくなるときもあった。マッチガールの作業に耐えきれず死んで、やり直した際。
    「俺は今どこだ、どこにいる!?あんたはどこのあんただ!?」
     それまでも彼は死からのやり直しを経験してはいた。あの時の異様な取り乱し方。何を訊いていたのか。
     事情を知る今なら、なんとなくわかる。混乱のあまり自分の居る”点”があやふやになっていたのだろう。過去、どこかの点で似たような死に方をして、危うくその点と混同してしまいそうになった、といったところだろうか。
     それだけでああも取り乱すものか?最早ダフネにとって死ぬ事自体は日常茶飯事だろう(ということを考えてしまうだけでもダフネの境遇が壮絶なものであることを痛感する)。それなのに取り乱す。
     きっと、”点”を移動したくない何かがある。どうしても手放したくない何かが。多分、今いるこの点への期待。この管理人Xなら、という気持ち。思い当たるのはそのくらい。
     そうだ。今思い返せば、あの時点でダフネはどこか危うかった。

     極めつけは無名の胎児収容時。コンテナに書かれていた文言に過敏に反応し、かつてないほど取り乱した。取り乱すと言うよりは半狂乱と言ったほうが相応しい。あんなに大声で、理性を失ったかのような声を出すダフネは後にも先にも見たことがない。
     収容時、まだ次の記憶貯蔵庫刻印日までだいぶ余裕があった。とりあえず観測してみて、駄目そうなら戻ればいい。皆そう思っていた。ただ一人、ダフネを除いては。
     駄目だ、そいつだけは駄目だ、戻れ。収容されたアブノーマリティの容姿すら見ずに、ただ連呼していた。観測しようと言い出すパウシーに掴みかかる勢いだった。なんとか引き止めて業務開始までこぎ着けたが、その時点でダフネの憔悴が目に見えてわかった。
     しかし……いくら初手の作業を洞察で決め打ちしてダフネに任せていたとはいえ、管理人もこの状態のダフネに初手作業を任せることはなかったのではないか。
     確かにダフネの自制は職員の中でもかなり高いほうだ。しかし、”こいつ”を見る前に戻せ、戻れと喚いていた本人に初手の作業を任せるのは、いくらなんでも考えなしにも程がある、そう言いたくなった。
     しかも見た目は腹部にやたらと大きな口を携えた胎児のようなアブノーマリティ。胎児ならきっと食事だろう、見た目からして絶対に何か食べそうでもある。だというのに初手で洞察作業をさせるとは。流石にあのときばかりはダフネが少々可哀想になった。胡散臭いとはいえ。

     初手洞察作業の件についても後でダフネから聞いた。なんとなくそういう流れだな、とは思っていたが、やはりダフネ自身が初手の作業にあたれるよう、管理人を……ひいては職員全員を誘導していた。
     ダフネが最初に作業にあたり、無事に作業ができればよし。もし死んでしまってもその情報が後から作業する僕たちを救う。それに――自分が真っ先に死ぬ光景に慣れてくれれば、管理人もみんなも、メンタルダメージが抑えられるから、と。
     それを聞いた瞬間、「自分のものさしで人の精神を決めるな」、そう言いたくなった。本人としてはメンタルを守りたかったのだろう。人の死を見ることに、慣れることなんかできやしないのに。あまりにも身勝手な発言に憤った。

     それで……そう、無名の胎児。ダフネもいい加減業務開始時点で観念したようで、仕事自体は問題なくこなしていた。しかしその様子はあきらかに憔悴し、ほとんど生気の抜けた状態にも見えた。何かに怯えているようにも見えた。
     業務終了後、ダフネに詰め寄った。僕たちは断片的に、ダフネの”親友”がルーレットによって首が回らなくなり、その結果、首を括って死んだことを聞く。だからルーレットという単語に過敏に反応しただけ、と。
     確かに、嘘は言っていなかった。ただ、あの取り乱しようと断片的過ぎる情報。
     胡散臭いながらも、ダフネの知識や能力には何度も助けられてきた。少なくとも害を及ぼす類の胡散臭さではない。当時の認識はその程度だった。
     明らかにコンテナの文言から中身を知っている旨の発言、露骨なトラウマを抉られた反応。未知のアブノーマリティのはずなのに。
     ダフネは、何かを知っている。一体何を知っているのか。そもそも何者なのか。胡散臭さが疑惑に変わった瞬間だった。

    ――視線を意識しだしたのは、ダフネに疑惑を抱いてから。度々管理人も様子がおかしいときがあったので、自然と管理人の視線も意識するようになった。その結果気づいたのが、”リストカッターのギフトを見ようとしない”という事実。
     ダフネの視線まで含めて観察していると、度々管理人を意識しているのが見て取れた。確かに管理人からは危なっかしさを感じはしていた。度々やらかすし、特に一山越えたあとの油断によるミスが目立った。そこに関してはやはりどうしても気になる部分であったことは否めない。
     最初はそんな若干頼りない管理人を心配しているのか、と思った。すぐにそれは間違いだと気づく。時折混ざる、ダフネが管理人へと向ける視線。その中には憧憬や悲哀といったおよそ心配とは無関係なものがあった。あくまで僕の判断によるものだから、どこまで合っていたのか今となってはわからない。

     業務中のダフネは殺人者の口枷ギフトで殆ど表情が読めないのも、視線を主に見る要因だった。何せ顔の上半分だけで表情を見なければならない。さらには俯くと若干長い髪がふわりと垂れて、かろうじて見える表情すらも隠してしまう。
     ダフネの髪は色こそ特徴的だが、普段ケアしないぶん割と傷んでおり、まとまりがない。髪の手入れに手間を掛けないのはもう根っからの習慣なのだろう。そのせいで悪く言えばパサパサな、良く言えば……良いのかどうかはともかく、毛量が多くなおかつ軽い髪が、何かにつけ彼の表情を隠す一助となっていた。

    「どうせ長くても40日かそこらで他の点に飛んじまってたんだ、今更意識したって焼け石に水だろ。面倒だし。最低限ベタついたのが取れてりゃいいんだよ」
     かつて共同浴場にて、隣に座り体を洗うのに使った石鹸でそのままわっしわっしと髪をも洗うダフネを見て自分の中の境界が崩れかけた。共同浴場にはそれなりに安価なものとはいえ、シャンプーもリンスも備えてあるというのに。裏路地から離れてどれだけ経つのかは知らないが、元々手入れするつもりなど微塵もないらしい。
     せっかく綺麗な色なのに勿体無い、と思った。何かにつけアンバランスな男だった。
     髪もそうだが、顔だってきちんと整えれば髪と相まってだいぶ見違えるのではないか、とも思ったことがある。背丈も高いし、あの細身の身体を上手いことカバーできればいい線行くのでは。元々が細すぎるから厚手のものを着るなりするしかないのが厳しいか。
     流石にあの細すぎる身体は……ちょっと擁護しようがない。以前サウナで訊いたことがあったが、本人曰く「何とかならないかいくつかの点で色々試した事はある」らしい。結局変化は見られないしせいぜい生き延びられても40日程度だし、ということで早々に諦めたとか。やはり勿体無いと思った。



     だいぶ逸れてしまった。
     疑惑が確信に変わったのは22日目、逆行時計を収容したときのこと。
     相変わらずダフネは初手で新たなアブノーマリティの作業を買って出る。この頃になると僕自身もいい加減気づいていた。ダフネは”わざと”初手で作業をするように管理人を先導している。その真意は本人から聞くまでわからないままだったが、とかく疑惑の目でダフネを見始めるとその露骨な誘導がハッキリとわかった。結果的に僕たちにとっては害がないため、単に”何故か初手作業にあたれるよう誘導している”という事実しか把握できなかったが。

     逆行時計の調査。新しく収容されたツール型で、もちろん未観測なためあのときは名前すらわからなかった。ツールとしての効果も実際に使わなければ何が起きるかわからない。死に直結するような効果があるかもしれない。いつも未知に挑む第一歩というものは恐怖が伴うものだ。
     ダフネは違った。恐怖心などおくびにもださず、様々なツール型含むアブノーマリティに初手の作業を行う。大抵は管理人から頼まれて、ときには自分から率先して。「新顔の作業、一番槍は貰ったぜ」なんていういかにもな台詞を口にしたときもある。
     特に意識していなければ、単に新しい物好きだとか興味があるのだろうとか、そういった印象で終わっていただろう。ダフネの今までの言動・行動を意識して振り返れば、それらは全てダフネが初手の作業に入れるよう、管理人を誘導するためのものだったことがわかる。
     僕自身、若干の違和感を抱きながらも助かると思ったことは否めない。管理人だけでなく、職員全体の雰囲気すらも誘導されていた。細かいところまでは覚えていないが、記憶にあるだけでも並べていくとそのあまりにも露骨な誘導に、皆がまんまと乗せられていたことに空恐ろしささえも感じた。

     誘導に気づいたところで、何が出来るわけでもなく。実際僕たちにとっては気分的に助かっていた節もあり、ひとまずはダフネが新たなツール型……逆行時計の作業に入るさまをじっと見ていた。
    「やっぱ重いな、この歯車」
     無意識のうちにダフネが零したように聞こえた。何かが引っかかった。ダフネの体格と比べても相当に大きいねじ巻き式の機械。一人で巻くとなったらきっと重いだろう。
     当たり前過ぎる。当たり前過ぎるのに、なぜ改めて言う?……「やっぱ」?予想通りということか?見ればわかることを?
     気の所為かもしれないが、どことなく懐かしさを感じさせるような声音という印象も感じた。
     どうしても、引っかかる。

     1回使用して4つある電球のうち一つにエネルギーが充電される。ならば4回でワンセット?もう一段回踏む?
     どちらにせよ、すべての情報を開示するには9回の使用が必要だった。1日で開示するなら少なくとも1回は発動させる必要がある。「これ、全部チャージしないと情報が開示されないんですかね?」管理人の疑問に、軽い調子で答えるダフネ。「……まぁ、一度試してみるか。何かあったらやり直ししてくれればいい」ダフネはさも当然のように全て自分が作業することを前提として、言い放ったのだ。……およそ彼らしからぬ、あり得ないことを。
    「なんなら、そのまま先に行ってくれてもいいぜ」
     間違いなく、あの時……ダフネは笑っていた。
     彼自身度々笑うことはあったが、その殆どがまるで作り笑いかのような、強い感情などこもっていない、せいぜい愛想笑い程度のものだった。本当に極稀に、楽しそうに笑うときも確かにあった。その多くは管理人と特撮の話をしている時。
     あの時ダフネが浮かべた笑みは今までに見たことがない。懐かしいものを見るような、……まるで、旧友と再会したかのような。

     当然、「そのまま先に行く」わけもなく、僕含め皆から釘を刺されていた。ひとりパウシーだけが、黙って物珍しそうな目でダフネを見ていた。
    「冗談でもそんな事を言うものではない」……皆そう言っていた。恐らく、パウシーは気づいていたのだろう。ダフネの言動が冗談なんかで収まらないことに。ただ、結果がどうなったとしても管理人は必ずやり直すから、見届けよう。きっとそういう心持ちだったのだと思う。いわばパウシーなりの管理人への信頼の表れ、か。そして、ダフネへの興味。

     4回目の使用で完全にエネルギーが充填される。見ただけでわかる、迸るエネルギーの光。4回目でエネルギーが貯まった、ならば次。5回目の使用で、このツールの本来の効果が発揮されるはず。
     ツール型とはいえ未観測のアブノーマリティなのだ。しかもわざわざ事前に4回使用してエネルギーを貯める必要があるときた。そこまでして発動する5回目。何が起こるのか、どんな影響が出るのか、発動して無事に済むのか。わからないことばかりで、予想される事態もきっとただごとではないだろうものを臭わせていた。
    「……ダフネさん、行ってくれますか?」
     このとても重要で危険な5回目の作業。ついさっき冗談でも済まされないような台詞を吐いたダフネに行かせる管理人も管理人だ。僕なら先の言動により心配になってダフネ以外の作業希望者を募るところだ。ここでもダフネの誘導……最早誘導ではなく、ある意味洗脳の影響が色濃く出ていたと言えるだろう。

    「おう、任された」
     また、笑う。
     縋るような、求めるような、求めるものがすぐ目の前にあって、今すぐそれを手に取れるかのような。
     柔らかく、哀しい。そんな目をしていた。ダフネのあんな目は初めて見た。
    ――まずい。何がまずいのかは言語化出来ないが、とにかくまずい、そんな気持ちが湧き上がる。
     僕自身も「気をつけて」とは言ったものの、そもそも未知のアブノーマリティに対して何をどう気をつけるべきかもわからないのだ。溢れる不安を言葉にしたらああいう形になってしまったとしか言いようがない。
     ダフネがゼンマイをもう一回転させ、押し込む。「起動準備完了、いくぞ」
     迸るエネルギーのなか、祈っている。ダフネが静かに目を閉じ、心の底から祈っているように見える。
     何に?何を?これは祈る必要のあるツールなのか?何故祈ろうと思った?
     瞬時に疑問が湧き上がる。その疑問は、モニターに映る空っぽの収容室の映像ですべて吹き飛んだ。

     ……消えた!?
     ティファレトの死亡アナウンスが流れる。死……んだ?
     少なくともセフィラには死亡したと判断されたことは確かだ。僕たちにはダフネと機械がまるごと消えただけにしか見えなかったが、死亡アナウンスということは……少なくとも、ダフネは僕たちの手の届かない状態になったのだろうということだけはわかった。それが命であろうとも、肉体であろうとも。
    「逆行時計、時計。ああそういうことね」
     パウシーが呟く。合点がいった、という面持ちで。

     すぐさま管理人がTT2プロトコルでやり直す。業務開始前。ぼうっとした状態のダフネが佇んでいた。
     目を見る。薄っすらと開いた眼は焦点が合っておらず、どこも見ていない。一瞬背筋がぞわりとした。目だけではない、全身に生気を感じない。なんだこれは。今まで何度も戻ってきたが、随分遅くないか。まさか……と思いかけた瞬間、ダフネが半歩後ろに下がる。そのままバランスを崩して後ろへ倒れそうになるのを近くにいる皆で支えた。
     支えられた体勢のまま、ダフネが呆然とした顔と安堵の混じった声で、ぼそりと。
    「……あぁ、帰ってこれたんだな」
     何かがおかしい、そう感じた。何がおかしいのかその時点では答えが出せず、もやもやした気持ちが残る。とにかくダフネがちゃんと戻ってこられたことへの安堵でその場は流した。
    「おかえりなさい」
     何はなくとも、素直な気持ちを伝える。いくら胡散臭くとも、怪しかろうとも、何か隠していようとも。頼りになる同僚であることには違いないから。無茶はすれども、それはきっと僕たちの、乃至は管理人のための行為だろうから。

    「時間旅行、どうだったかしら」
     パウシーが訊く。きっとダフネだけが過去に飛んだ、もしくは未来に残された。そういう想定で訊いていたのだろう。
    「まぁ、なんとも言えないわな」
     ぼかしている。直感的にそう思った。パウシーの洞察力ならなおさら察していただろう。だが、僕もパウシーもそれ以上は訊かなかった。きっと――少なくとも今は――それ以上の答えを引き出せそうになかったから。パウシーのほうは、あるいは「言いたくないのなら無理にとは言わない」というスタンスなのかもしれない。

     やはり疑問が残る。
    「そのまま先に行ってもいい」なんて発言を冗談だろうがなんだろうがしたダフネが、戻ってきて開口一番、恐らくはほとんど無意識に発した「帰ってこれた」という言葉。
     何なんだ、この収まりの悪さ。何かが噛み合っていない。
     帰ってきた?戻ってきたではなく?”どこか”へ行っていた?では”どこ”に?
     やはり過去へ飛んだのか、それとも別のどこかへ行っていたのか。
     わからない。わからないことだらけだ。


     ――――


     そうだ、本格的に胃が痛み始めたのはこのあたりからだった気がする。兆候は無名の胎児収容時にダフネに対して詰め寄ったあたりからか。どうも腹部に違和感があるな、とは思っていた。胃腸薬で何とかなるかとしばらく様子を見ていたが……「あぁ、これは胃の痛みだ」とハッキリ認識したのはこの件からだ。
    ――まだ完治してませんからね、ダフネ。


     ――――


     24日目、ようやく逆行時計の情報が全て開示された。
    ――『正常に作動させられるのはランク5職員のみ。作動させると、使用者以外の職員を1日の最も平穏だった時間へ送る』――
     ランク5職員一人と引き換えに他の職員を救う。逆行していたのは使用者ではなく、”施設の時間と環境”だった。
    「最初、俺が作動させた時あったろ?気がついたら全員いなくなってたよ。俺以外の全員が、多分一日の始まりに戻ってたんだろうな」
     このタイミングで明かすか。パウシーが訊いた”時間旅行”の質問には答えず、このタイミングで。
     つまり……使用者は時間に関する影響を受けていない。それでいて、ダフネが使った時は”全員いなくなっていた”。
     TT2プロトコルでやり直した際のダフネの台詞「帰ってこれた」。……ダフネは一体”どこ”に行っていた?
     使用者以外が過去に戻るのならば、順当に考えれば使用者は”未来”に置き去りにされる。しかしダフネが置き去りにされた瞬間はとくに危機迫る場面などではない。あのときは観測に集中するため、他の作業はせずに逆行時計のみ触っていたはずだ。
     だったらダフネのいた場所の環境はどうなっていた?誰もいなくなっていた。アブノーマリティたちは?オフィサーたちは?
     これは……まだ何かぼかしているに違いない。
     誰もいなくなっていた、だけであればそれこそ様々な状況が考えうる。まず、”帰ってくる”と表現するような場所。ただ未来へ置き去りにされただけなら”帰ってくる”なんて表現は出て来ないのではないか。少なくとも、順当に考えた”未来”ではない。
     誰もいない環境で、順当な未来ではない場所。そして少なくとも、TT2プロトコルの範囲内である。TT2プロトコルが効くということは、L社内のどこか。L社内のどこかで、なおかつ”帰ってこれた”と表現するような場所……?
     やはり未来のL社ということなのだろうか?どうも腑に落ちない。そもそも”誰もいなくなっていた”と表現しただけであり、他の周囲の環境について何一つ触れていない。触れようとしない。明らかに情報を伏せている。僕たちに必要なのは、使用者本人の体験談であり、情報だというのに。

    ……ダフネは、”どうなっていた”?
     それは後に僕の方から切り出して聞き出した結果、予想だにしない答えが帰ってくることになる。

    ――あなたは……一度使って、結果を知ったのでしょうに。
     それでも、「俺が回す」というのですか。
     馬鹿ですか、あなたは――



     そうだ、24日目といえば。
     ダフネは以前言っていた。9日目……アーニャがコントロールチームのチーフになった日。あの日収容された『皮膚の予言』を使用する時、
    「悪影響で俺が死ぬことを前提に俺に作業を指示し続けてくれ」
     あの日は僕自身余裕がなくて多少うろ覚えだが……確かにそういう意味合いのことを言っていた。
    「何があるかわからないから、能力を分散させるより一人に集中させるほうが効率はいいだろう」
     確かにそのとおりだ。実際、ツール型は……ツール型も、か。ダフネ一人に任せてきた。
     だけど、24日目に収容された『異界の肖像』のときは。
     ダフネは最初に使用したっきり、一言も口を挟まない。管理人はそのままダフネに続けて作業指示を出せばいいものを、ログンに使用させて……
    ――『異界の肖像に新たな人物が描かれると最初に描かれていた職員は死亡する』――
     何故、ダフネは全て自分が使用して開示すると言わなかった?皮膚の予言のときの発言とまるっきり矛盾する。
     管理人も管理人だ。まさか逆行時計の件で尻込みしたのか。結局あの5回目の作業は誰が行ったって結果は同じだというのに。
     何故何も言わなかった。わざと管理人の意向に任せるような真似をして、結局あんな無惨に溶けて死んで……。
     待てよ。わざと?”わざと”管理人に任せて、それで自分が引き続き使えるならばよし、誰か別の職員に使わせたならダフネは死ぬ。つまりは”ダフネに作業を集中させるよう無言の圧力をかけていた”?まさかあの自殺行為すらも誘導の一環ということだったのか。「俺に作業を集中させないとこうなるぞ」という……。
     管理人のメンタルを守りたいのではなかったのか。管理人のメンタルを犠牲にしてまで、管理人の行動を誘導させたかったというのか。……歪んでいる。目的と手段が歪んでいる。
     この結果は他の職員にとっても、最初の作業を行うことの危険性を知らしめるいい機会になったかもしれない。結果としてダフネが最初に作業をする。管理人は引き続きダフネに作業を任せ続ける。僕たち後続の職員はその恩恵に預かる……本当にそれでいいのか?
     いいわけがない。実際、後に皆で話し合い、作業方針の変更が入ったのだから。

     ……



    ――セフィラ崩壊 クリファ顕現
    ――セフィラコアの抑制が必要



     今までに聞いたことのない警報が鳴り響く。何事かとひとまずモニタールームへ向かう。何らかの決意を固めた管理人と、既に黄金狂を着て準備万端なダフネが待っていた。とりあえず準備をしてこいと促され、わけのわからないままE.G.Oに着替える。
     しかし……ダフネはあの短時間で黄金狂を着てギフトもつけて。随分と手慣れたものだと若干呆れる。そして、こうなることを知っていた。だから途中で抜け出した。一言くらい言えよ、水くさい。
     実際ひとりだけで管理人を迎えに行ったのは、本当に今の管理人がセフィラコア抑制に着手してくれそうか、という様子見もあったのだろう。それでもわざわざ着替えてから迎えに行ったということは――きっとダフネは確信していた。”この点”の管理人は、間違いなくセフィラたちと向き合うだろうと。

     マルクトのコア抑制はなんとかなった。順当に行けば次はイェソド抑制だが……。
     あー、うん。「お前、ハゲだよ……」は悲しい事件でしたね。はい。

     ともかく。

     管理人の部屋で色々談笑して帰り際。ダフネが今までに見たことのない神妙な面持ちで、周囲に聞こえないよう小声で。
    「コービン、明日時間あるか?」
     先程明日はイェソド抑制だから気張って行こう、などと言っていたばかりだというのに何を言い出すのか。というか明日のどの時間なのかちゃんと言え、と言いたくなったが続きを促した。恐らく碌な事にはならないのだろう。そんな予感がしたから。
     胡散臭い男。疑惑にまみれた男。確実に何かを知っていて、それを隠している男。
     そんな男が振ってくる話だ。
    「明日は27日目だ。やらなきゃならんことがある。だから……」
     27日目に何があるのか、何をしなければならないのか、何故僕なのか。何も説明しない。展開としては予想できた。
    「お前にも手伝ってもらいたい」
     半ば諦めていた。これは僕がどうしても協力する流れだな、と。しかし、
    「頼む」
     ダフネが頭を下げてきた。夢でも見ているのかと一瞬疑った。言葉を失う。周囲に誰もいないのを確認して、ダフネの肩を叩く。恐る恐る上げた顔は、神妙な面持ちどころかいつの間にか深刻な顔つきに変化していた。ともすればほんの少し泣きそうな顔にも見えた。そこまでのことなのか。
     断ったら何をするかわからない。なんとしても27日目にやりたい何かがあって、それはきっとダフネにとってとても大切なことなのだろう、ということしかわからない。何も説明はない。ただ、頭を下げてきた。本当にそれだけ。それだけだが……

     溜息をひとつ。

    「それで、僕は何をすれば良いんですか」
     胡散臭くて、疑惑まみれで、何かを知っていてひた隠しにする男が、頭を下げてまで僕に頼まなければいけないこと。
     むしろ逆に興味が湧いた。
     ダフネは一瞬目を丸くして、すぐにもとの目つきに戻って、ばつの悪そうな顔でぼそりと言った。
    「……東京フレンドパークの副支配人役」
    「それではまた明日、イェソドコア抑制頑張りましょうね」
     そそくさと帰ろうとする僕の手首をがっしりと握って本当に泣くぞと言わんばかりの顔で迫ってきた。頭を下げるどころか、このままだと土下座までしかねない。流石に少し可哀想になって、真面目に返す。
    「嘘ですよ。あなたが突如突飛なことを言い出すとなったらきっと何かあるんでしょう。よりによって僕相手に。わかりました、やります。やりますから、そろそろ手首痛いんで緩めてもらっても!?」

     はっとなって、「すまない」と呟きながらずっと僕の手首をがっしり握っていた手を離すダフネ。視線は伏し目がちに逸らしている。ダフネへ疑惑を持ち始めた無名の胎児収容以降、逐一彼の視線を気にしていたが、目が合いそうになると毎度のように伏せつつ若干右へ逸らす。癖なのだろう。
     しかし、先程僕に声をかけてきてから頭を下げるまではずっと、僕の目を見据えていた。ちょくちょく僕から目を逸らしていたのはダフネ自身自覚しているはず。それでいてこの場面で真っ直ぐ目を見てくる。
     狡いな。きっと目を見て物を頼むという行為すらも計算づくなのだろう。僕の性格をよくわかっている。そんな誠実な態度で頼まれたら断れない。よりによってダフネがそんなことしてきたらそれこそ余計に。
    「ただし。あとで全部説明して貰いますからね。それが条件です」
    「すまない、……ありがとう。コービン」
     冗談抜きで泣きそうな顔。内容はともかく、明日やらなければならないということが特に重要なのだろう。
    「改めて聞きますけど、僕は何をすれば?」
    「台本あるから……読んでおいてくれ。注意事項も書いてある」
     はぁ。もう一度溜息をつく。そこまでして大真面目に東京フレンドパークをする理由が知りたいが、訊かずともじきわかるだろう。
    「読み合わせやリハはしなくて大丈夫ですか?時間はありますから多少なら」
    「ん、たぶんコービンにはあまり縁のない話がいくつかあるから噛まないようにそこだけ……あと時間と場所」
     鼻声で答えるダフネ。あの泣き顔は流石に計算ではなかったようで。あぁ、これは本気なんだな、と確信する。
     本気で馬鹿をしなければいけない。その理由は追々。



     記憶同期。”X”を引き戻す。Aに飲まれてはならない。
     わからないことだらけ……というわけでもなかった。マルクトのコア抑制の際、管理人の中にAの記憶が流れ込んできたとしきりに管理人が主張していた。マルクトの元となった人物がエリヤという女性であること、Aはエリヤのことを一切気にかけず、瀕死で助けを求めるエリヤの声をもAは無視したこと。コア抑制のあと、マルクトと話してきた管理人が言うのだからきっとそうなのだろう。
     つまるところ管理人の中にはAの記憶がある。そのことだけはおぼろげながら把握はしていた。
    「とりあえず台本に合わせて読み上げておきゃいい、細かいことはこっちで調整する」
     とのダフネの言。信じて、僕のパートの台詞だけ読み上げる。
     途中で何やってんだ僕、と理性を取り戻しかけるが、やると言った以上は最後までやって、結果を見届けないと。
     そしてこんなトンチキをするに至った経緯なども、全部話してもらわないと。

     台本が進むにつれ、何となくダフネの目的がわかってきた。敢えて”X”を強調する意味。”管理人X”の趣味ど真ん中のクイズ。Aの記憶を持つ管理人を、”X”の名で呼ぶ。そういうことか。
     わかりはしたが、やはり本人の口から語らせるべきだろう。しかし……
    「これ僕必要だったんですか?」
     悪戯っぽい笑みを浮かべながら。
    「一人でやるよか二人でやったほうが管理人の反応がいいんだよ、これ」
    「ダフネ、あなたやはり……」
     知っていた。この流れを全て。一人より二人のほうが反応がいいということは、一人で試したケースもあるということ。
     おそらくは1回や2回どころじゃない。何回も経験しているにしても、だ。毎回副支配人役を誰かに頼んできたということか。あるいは頼めなかったケースもあったのか。というかなんで東京フレンドパークなんだ。

    「あんたが上層セフィラのコアを、全員抑制できたら話そうか」
     全部、話してもらいますからね。ダフネ。



     多少苦戦しつつもイェソド・ホド・続いてネツァクのコア抑制を終え、”そのとき”が来た。
     モニタールームでダフネと管理人、二人きり。……の隣の休憩室に、僕たち。と、何故かサボテン。アーニャがどうしてもと言い張ってアンジェラさんに頼み込んでまで持ってきた。
     休憩室の窓のブラインドをほんの少し開け、二人の様子を窺いながら話を聞く。
     話しているときのダフネの表情は、口枷ギフトごしでもわかるほどにくるくると変化していた。内容自体も信じがたかったが、ダフネの普段決して見せないような表情にも結構驚いたものだ。
     話の途中、一呼吸入れる際にダフネがちらと視線を寄越す。バレている。まぁそうだろうな、とは思っていた。特にアーニャとカイルノ。リアクションが大きすぎる。むしろブラインドが揺れている。管理人は窓に背を向けているが、ダフネからは丸見えだ。バレるに決まっていた。
     バレている前提で、全て話している。皆を信頼しているんだな。少し嬉しくなった。

     27日目に必ず起きる記憶同期。その記憶同期により、Xの人格とAの記憶が統合される。最終的にAの人格にXの人格が飲まれ、AがXの記憶を保持した状態となる。管理人が、Aとなる。
     ダフネが約束した親友はXでありAではない。また、管理人がAになると今まで積み上げてきた環境が瓦解しやすいとも。ダフネは、なんとしてもAの人格を表出させたくない。そのために記憶同期の順調な進行を阻止しなければならなかった。数多試行錯誤した。その結果、司会二人で行うフレンドパークが一番確実性が高いらしいという結論に至った。そういうものなのか。人間の思考とはかくも複雑かつ単純なものなのか。わからない世界だ。

     しかし、およそダフネがどういう存在なのかある程度予想はついていたとはいえ、”繰り返し”の回数が想定を遥かに超えていた。千や二千ではないな。万は行っているかもしれない。そこまでして一方的に決めた”親友”と一方的に決めた”約束”を果たすために。もう存在しない親友のために、今までのXたちを……
     この”点”だって、上層セフィラの抑制が全て終わったから話してくれたのだし、この点が初めてということは、他のXたちは今の話の中身を知らないまま、一方的に親友の影を重ねられて、身代わりにされて。
     それは……虚しくならないのだろうか。あるいは虚しさから目を背けているだけかもしれない。

     いずれにしろ、存在しない親友のためにただ生き続けてきたダフネの印象は……哀しくて、虚しい存在。
     その生は本当に色がついているのだろうか。その生は生きる意味として見合った価値があるのか。
     ひたすら”生きる意味”を求めていた。ダフネはそう語っていた。
     ただ、あのとき生きているダフネを見つけたランク5の職員。再会できたのなら、”自分の意味”を見つけられたと礼が言いたい。そうも語っていた。――ゼンマイを回し終えたときにはすでに事切れていたと言っていたし、ダフネがオフィサーとして生きていた点とここはきっと全く違う点だろうから、もう……
     もし本当に再会できたとして、それはどんな偶然が起これば叶うのだろうか。

     そうそう。まだ全て話してもらっていない。明らかな隠し事。
     少し待ってはみたものの、向こうからは話そうとしてこない。結局二人きりになるタイミングを見計らい、僕の方から話を振った。
    「ダフネ」
    「……なんだ」
     およそ話の切り出し方が露骨過ぎた。ダフネも警戒心を顕にしている。
     僕が聞いたのはあくまで経緯だけだ。動機までは聞いていない。
     22日目、逆行時計の5回目の作業。ダフネは”どこ”へ行っていたのか。
     あのときの笑みの中身は一体何だったのか。
     なぜあのタイミングで「そのまま先に行ってくれてもいい」などと言ったのか。自分でも語ったはずだ。上層のコア抑制を成し遂げないと進めない。27日目には記憶同期があるからXを引き戻さないといけない。ならばなぜ、22日目のあの時点で、あんなことを。

     ばつの悪そうな顔でダフネが渋々喋りだす。
    「あー……その件な、悪かった」
     謝る対象が違うでしょう。声には出さず、ダフネのペースで喋らせる。
    「本当に一瞬、一瞬だけ思っちまったんだよ。これを回したら、また時間を飛べるんじゃないかって。――ほんの一瞬、親友だったあいつのいる点に戻れるんじゃないかって――」
     それだけで、ずっと支えてきた今の管理人を、捨てる?ほんの一瞬の気の迷いで、親友には会えたとしても……今の管理人を、この点を捨てるという事実は変わらない。例え親友に会えても、その事実を背負って生き続けられるのか。
     無理だろう。今の話ですら、ほんの一瞬の気の迷いで今の管理人を捨てる選択肢を取ろうとしたほどだ。きっともうダフネの精神は摩耗しきっている。22日目のことは……きっと逆行時計を見て、あのすべての始まりとなった日が、そしてかつてないほどに幸せだった親友との日々がフラッシュバックして、また1日を越えて戻れるなら、と想起してしまったのだろう。

     歪だ。哀しいほどに歪すぎる。もう存在しない親友のために全てを擲っている。もう存在しないということから目を背けているつもりでいて、内心とっくにわかっているはずなのだ。自分が立てた目的が、元より虚しいものでしかないということに。
     だから……この期待に満ちた点を、管理人を捨ててまで、逆行時計に縋ろうとしたのではないのか。”生きている親友”に、会いに行きたくなってしまったのではないのか。
     どちらにしろ、この点と親友の居るだろう点、どちらかは手放さないといけないという辛ささえも、ほんの一瞬だけ忘れて逃げようとしてしまった。
     期待して、潰れて。期待して、潰れて。一体何度繰り返してきたのか。何人のXに期待してきたのか。
     そんなことを積み重ねていたら、精神が磨り減るに決まっている。辛くなるに決まっている。逆行時計の件も、限界を迎えた精神が無意識に縋る糸を求めた結果だろう。

    「馬鹿だよな。せっかくここまで来て、このXならって期待までしておきながら――ふと湧いた弱音で全部投げ捨てようとしたんだぜ、俺」
     声に涙が混じる。自分がどこまでとんでもないことをしようとしていたのか。本人も既に自覚はしている。しているが。それでも言わずにはいられなかった。
    「……馬鹿ですね、本当に。それであなたを置いていったら、管理人は自己嫌悪で潰れてますよ」
     ダフネが珍しく天を仰ぐ。二人だけの空間、若干荒い呼吸の音が響く。
    「ダフネ、あなたの覚悟に僕がとやかく言えるものじゃないと思いますが……」
     必死に溢れまいとしていたのだろう、その抵抗に負けた涙が一筋頬を伝う。
    「今この時間を生きる管理人を、僕達を、ちゃんと見てください」
     ダフネのしようとしたことは、完全にこの点に対する裏切り行為だ。管理人のことだから巻き戻すだろうとはいえ。”そう思ってしまった”、”実行に移そうとしてしまった”時点で。
     潰れるのは管理人だけじゃない。ダフネ、あなたの心だって、自己嫌悪と罪悪感で……きっと潰れてしまう。そんなことにも気づけないほどに、彼の精神はすり減っていたのだ。
    「そうだな。ここまで来て、手を放すなんて無責任だもんな」
     あいかわらず向こう側を向いたまま、じっと上を向いて涙が流れるのを堪えている。また、一筋。堪えきれないのだ。既に。
    「……悪かった」
     だから謝る相手が違うでしょう、と。
    「それ、管理人にも言ってくださいね」
    「おう」
     すん、と鼻を啜る音。堪えるのは諦めたらしい。袖で涙を拭いている。

     つい今の今まで涙を流していたとは思えない調子に戻って。
    「あぁ、それとな。5回目に使った時、結局あの点には戻れなかったんだよ」
     声から色が消える。背筋に冷たいものが走る。
    「何もなかった」
     一瞬理解が追いつかなかった。何も、なかった?何が?L社が?それとも世界が?
    「本当に、何もない場所に放り出されて……」
     何もかも、一切がない。それはもしやダフネ自身さえも、”なくなっていた”のだろうか。
     少なくとも、僕たちから見てダフネの肉体は何処にもなかった。わかるのは、ティファレトによる死亡アナウンスのみ。
     ”何もない”ということだけはわかる場所。”何もない”という概念以外の一切がない。ダフネ自身が”なくなって”、なおかつダフネ自身が”何もない場所だ”と認識できる。そんなことがあるのか。
     死んだ蝶の葬儀のフレーバーテキストを思い出す。
    ――『誰かは死の向こうに何かがあると考えていましたが、実際は、何もありませんでした』――
     まさか……それって……
     俯いたダフネの背中から生気が感じられない。
    『まだ駄目、戻って』「――そういう声を、聞いたよ」
     ほんの少し、ダフネの顔が持ち上がる。声に色が戻る。
    「……綺麗な声だった」
     声の主などはまるで情報がないから兎も角。ダフネが放り出された”何もない場所”と言うのは、……
     確証は持てない。只々嫌な予感だけ。最悪の事態の想定。もし”最悪の事態”ならば。

    ――ダフネは、死の向こう側にいた――

     あくまで最悪の事態。実際に何が起きていたか、それこそダフネ自身だってわからないかもしれない。
     ただ何となく、本人は薄っすらとだが理解しているのではないか、とも思った。
     だからこそ、あんな事を言ったのだろう。

    「管理人、最終手段として覚えておけ。あんたが奈落に落ちて、どうしようもないと思ったそのときのために」
     自分がどうなってしまうのかを知って、それでもなお。……笑いながら、言った。
    「そん時ゃ、俺が回すからよ」

     確かに最悪の事態は常に想定しておくべきだ。だからといって真っ先に自分が犠牲になるなど。
     ダフネは自身が管理人にどう思われているのかわかっているのだろうか。
     間違いなく、”最も頼れる職員”であり、”初日からずっと付き合ってくれている大切な存在”だ。
     ダフネは、自分自身が今の管理人にとっての”親友”に限りなく近い位置にいるということがわからないのか。
     自分自身を卑下し過ぎなのだ、ダフネは。
     ”親友”と勝手に呼んでいる例のXに対しても、きっと自分の評価と”親友”の評価が釣り合わないだろうと思って、……自分では例のXにとっての親友には成れないと思って、だから一方的に例のXのことを”親友”と呼んでいたのだろう。きっと正直に切り出せば、その”親友”のXは納得して承諾してくれただろうに。なんなら、「僕にとってもダフネさんは親友ですよ」とかなんとか、そういう展開になるだろうことは簡単に予想がつく。
     不器用だ。ひたすらに、他人の心に対して不器用なのだ。ダフネは。

     ――――

     この頃になるともうすっかり胃薬常用、パウシーに相談してお粥も度々作ってもらっていた。
     毎度手間を掛けさせるのも悪いからと、作り方についても習っておいて正解だった。レシピ検索ではわからない細かいコツまで教えてくれるし、様々なアレンジや味付けについても教わった。
     ただの肉屋(ただし23区式)かと思っていたが、予想以上に作れる料理の分野が手広い。しかも美味しいときた。食に関してはとことん追求する、その姿勢に感心と尊敬を覚えた。しかし試練とアブノマ食は流石にちょっとどうかと思う。
     お陰様で今ではだいぶ自分で作るお粥も様になってきた。パウシーの情報だけではなくレシピブックも参考に、飽きが来ないよう味付けの数も増やしている。実家ではずっと家政婦任せだったが、自炊も結構楽しいものだ。確かに手間はかかる。だからこそ思い通りに出来たときの美味しさや、それを他人に振る舞うときの楽しみもある。
     なにより……コントロールチームの社食が……当たり外れが大きいなんてものではなかったから。
     マルクトのコア抑制を終えてからは多少マシになるかと思ったが、根っからのうっかり者といういわゆる”人となり”までは流石に修正が効かないらしい。あくまでコア抑制は”セフィラがAに対して抱えている問題を解決してわだかまりを解いたりする”という行為なのだろう。
     そういえばたびたびアーニャはコントロールチームの社食を食べている。彼女曰く、
    「マルクトちゃんね、抑制のあとから少しずつうっかりさんが減ってきてるんだよ。ミスしないようにすごく注意するようにしてるんだって!」
     とのこと。成る程。心の持ちようひとつでいくらでも変われると、そういうことか。余裕がないからうっかりのミスが多かった。ミスが多いから心に余裕がなかった。真っ直ぐ自分の足で立てる今は心に余裕が出来たから、結果的にミスが減った、と。だからすぐには変化が見られなかった。
    ――たまには、社食も食べに行ってみますかね。アーニャも連れて。勿論、胃の調子が良いときに、ですが。

     ――――

     全てを打ち明けてくれたダフネは、この点への期待をますます高めたようだった。
     しかし、同時に脆くなってもいた。

     女王蜂では、うろ覚えの記憶によって一步間違えばグレゴリーが死ぬかもしれなかった。
     巨木の樹液のときは、わざわざ自分が爆死するということを公言してしまった。
     ただでさえ僕たちのことを失いたくないからこそ、皆のメンタルを守りたいからこそ、自身が真っ先に作業してきたというのに。

     最初は、僕たちの死を見せることで管理人のメンタルが削れることを恐れていたのだろう。また、僕たちが死ぬことによって僕たちが死に怯え、それが管理人への悪影響となることを恐れていた。
     全ては管理人を守るため。僕たちを守るのはそのついで。そのはずだった。
     今や僕たちはダフネの理解者だ。ついでとは言い切れないまでに、存在が大きくなった。
     その大きな存在を、自分の記憶違いで死なせかけたこと。今まで散々死に慣れていたはずの自分が、目の前の死に対して恐れを抱いたがためについ爆死する事実を零してしまったこと。

     樹液に関しては、ダフネ自身がもうすぐ爆死するという情報をわざわざ口にした意図が、僕にもわからなかった。
     問いただしてみたが、ダフネ本人もその理由を理解できていない様子だった。
     パウシーと共にダフネの肉片を拾いに行っていたカイルノから話を聞いて、合点がいった。
     目の前に迫る死の恐怖に耐えきれず、助けを求めてしまったのではないか、と。「あくまでパウちゃんの見解っすから」とカイルノは言っていたが、わざわざ僕に伝えたということはカイルノ自身ももっともな説だと納得したがゆえだろう。
     ダフネ自身は元々ずっと情報を伏せておくつもりだった。それこそ爆死するまで、ずっと。自分は”慣れている”から。
     死ぬことに慣れている自分が、死の恐怖を誰かに伝えたかった。その矛盾した感情を、ダフネ自身理解できていない。だからいくら問いただしても要領を得なかったのか。「なんであんな事言っちまったんだろうな」と零し、ただ困惑していた。

     女王蜂の対処に関する記憶違いは、どうしようもなかったのだと皆責める様子を見せなかった。普通に生活していても物忘れがあるのだから、むしろ過去の記憶違いのひとつやふたつあって当然、結果的に生存できたのだからよかったじゃないか。責めるどころかひたすらに励ましていた。
     ダフネは明らかに怯えていた。
    「うろ覚えの知識を口に出して誰かを死なせるかもしれないなら、黙っていたほうがずっとマシだった」
     只々「俺のせいだ」「黙っていればよかった」とうわ言のように繰り返すダフネの姿は、最早危ういを通り越してヒビが入っていた。
     得たものが大きすぎて、扱いに困っていたのだろう。ダフネの境遇を鑑みれば、慰めや励ましの言葉だってほとんど縁がなかったに違いない。初めて手に入れた大切なものと、初めて触れる感情。自分でも理解できない脆さ。
     この状況は危険かもしれない。皆の優しさを、ダフネは受け止めきれていない。

     憔悴しきったダフネは業務が終わるなり自室に引きこもる。このままではまずい、と管理人に相談した。管理人から皆に連絡が行き、現状をどうするか話し合った。いっそ大きく作業方針を変えてしまうべきだと結論が出た。ずっとダフネに任せてきた初手の作業は能力が十分な職員の中で出来る限り分担して行う。ある意味ショック療法に近い。
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    アロマきかく

    DOODLEたまにはサブ職員さんの解像度を上げてみよう。
    49日目、オフィサーまでも一斉にねじれもどきになってその対応に追われる中、元オフィサーであったディーバにはやはり思う所があるのではないか。そんな気がしたので。
    甲冑で愛着禁止になったときも娘第一的な思考だったし。
    なお勝手に離婚させてしまってるけどこれは個人的な想像。娘の親権がなんでディーバに渡ったのかは…なぜだろう。
    49日目、ディーバは思う 嘔吐感にも似た気色の悪い感覚が体の中をのたうち回る。その辛さに耐えながら、“元オフィサー”だった化け物共を叩きのめす。
    「クソっ、一体何がどうなってやがんだよ……ぐ、っ」
     突然社内が揺れ始めて何事かと訝しがっていたら、揺れが収まった途端にこの有様だ。
     俺がかろうじて人の形を保っていられるのは、管理職にのみ与えられるE.G.O防具のお陰だろう。勘がそう告げている。でなければあらゆる部署のオフィサーばかりが突如化け物に変貌するなどあるものか。

     もしボタンを一つ掛け違えていたら、俺だってこんな得体のしれない化け物になっていたかもしれない。そんなことをふと思う。
     人型スライムのようなアブノーマリティ――溶ける愛、とか言ったか――が収容された日。ヤツの力によって“感染”した同僚が次々とスライムと化していく。その感染力は凄まじく、たちまち収容されている福祉部門のオフィサーが半分近く犠牲になった。そんな元同僚であるスライムの群れが目前に迫ったときは、すわ俺もいよいよここまでかと思ったものだ。直後、管理職の鎮圧部隊がわらわらとやって来た。俺は元同僚が潰れてゲル状の身体を撒き散らすのを、ただただ通路の隅っこで震えながら見ていた。支給された拳銃を取り出すことも忘れて。
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    MOURNINGコービン君から見た緑の話。
    と見せかけて8割位ワシから見た緑の話。未完。
    書き始めたらえらい量になり力尽きて改めて緑視点でさらっと書き直したのが先のアレ。
    コービン君視点、というかワシ視点なのでどうしても逆行時計がなぁ。
    そして33あたりから詰まって放置している。書こうにもまた見直さないといかんし。

    緑の死体の横で回想してるうちに緑の死体と語らうようになって精神汚染判定です。
     管理人の様子がおかしくなってから、もう四日が経つ。



     おかしくなったというよりは……”人格が変わった”。その表現が一番相応しい。むしろそのまま当てはまる。
     Xから、Aへと。

    「記憶貯蔵庫が更新されたらまずい……それまでになんとかしないと……」
     思い詰めた様子でダフネが呟く。続くだろう言葉はおおよそ察しがついていたが、念のため聞いてみる。
    「記憶貯蔵庫の更新をまたぐと、取り返しがつかないんですか?」
    「……多分」
    「多分、とは」
    「似た状況は何回かあった。ただし今回のような人格同居じゃなしに、普段はXが表に出ていてAは眠っている状態に近い……っつってた、管理人は。相変わらず夢は覚えてないし、記憶同期の際に呼び起こされるAの記憶は、Aが勝手に喋ってるのを傍観しているような感じだったらしい」
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