Do I miss you 「もしかして…岡くん?」「…藤村?」
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ひと月前のことだった。俺の住む地域でも出前のアプリが始まったらしく、高校生になり、夏休みに入ってからちょうどバイトを探していた俺はしばらくの間配達員になってみることにした。
そして初日。これくらい自分で取りに来いよって距離もあれば、手数料に見合ってないくらいの距離を走らされることもあった。けれども住んでいる地域が平地なこともあって、通学に使っていたママチャリでも苦労することは特になかった。
そんな時だった。そろそろ配達も終わろうかという平日の時間帯、ひとつだけ、やけに配達員が入らない注文があった。家からは遠くて知らない場所だったものの、特に迷うような道でもないので最後に注文を引き受けることにした。
結論から言えば、俺は失敗した。まさか配達先が丘の上の集合住宅だなんて思ってもみなかった。そりゃ配達員がつかないわけだ、なんて愚痴をこぼしても、商品を受け取った以上後には引けない。
全力で立ち漕ぎして、着いたら着いたで部屋は5階。おまけにインターホンから聞こえてきたのは俺と同じくらいの歳の男の声、ご飯は2人分。疲れているからか、どうせカップルなんだろ、みたいな考えが浮かんでくる。なんでこんなことしてるんだろうって気にもなってくる。
そんな矢先に、同級生に逢うだなんて思ってもみなかった。
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「岡くん、このバイトしてたんだね、知らなかったなー…」
藤村は少し気まずそうに、というか、少し照れた表情をしている。冗談のつもりだったカップル説も、ほんの少し現実味を帯びてくる。確かに顔は良い。中性的とした顔立ちで、小心者な性格も相まって、学校では可愛がられるタイプのモテ方をしている。
「藤村は…彼女か誰か来てんの?気ぃ遣わせて悪いな、それじゃ。」
「えっ!…彼女?あぁ、違うよ。」
俺の突拍子もない言葉に気が緩んだのか、微かに笑って答える。
「弟だよ。今日は母さんの帰りが遅いから出前なんだ。まあ、僕が料理出来たらそれが一番いいんだけどね。」
「…え?あ!そっか!悪い悪い、俺早とちりしちゃって、やだなほんと…」
恥ずかしくてやな汗が吹き出す。多分耳も赤かったはずだ。
「いつもは坂を下ったとこの弁当屋の宅配なんだけど、ほら、あそこの店の弁当油っぽいし、弟も飽きたって言って聞かないもんだからさ。…あ、ごめんね、話し込んじゃって、出前ありがとね。」
「お、おう。」
普段は大人しかった藤村が困ったように笑う姿を見ると、こんな笑い方もできるのかと思った。
(なんだ、結構お兄ちゃんなんじゃん。あいつ。)
辞めてやろうかと思ってたこのバイトも、少し続ける理由ができた気がした。
早いもので季節はもう冬になろうとしている。あれからというもの、毎週水曜日に藤村の家に宅配するのが次第に趣味のようになっていった。水曜の配達の時、玄関先で少し話すだけ、たったそれだけ。
丘の上までチャリを漕ぐのはやはり慣れないが、いつも笑顔で迎えてくれる藤村を見てると地獄のような坂道もなんてことないような気がしてきて、自分でも不思議だ。
不思議ついでに、藤村と出会ってから、つまりは高校生になって半年以上になるが、未だ連絡先を知らない。というか、学校では全く話さない。お互い今の距離感が心地いいのだろうと勝手に思ってるが、意外と気まずいだけだったりするのだろうか。
そんな日々を送っていたある日のことだった。バイト中に事故に遭った。自転車同士の接触だった。幸いにも命に関わる大怪我にはならずに済んだが、転倒した際に足が折れてしまってしばらくは自転車に乗れない状態が続く。その間も藤村は出前をとるわけで、俺の代わりに配達する人がいる。それを思うと、あれ程楽しみだったはずの水曜日を迎えるのが無性に怖くなってきた。誰が代わりに配達するんだろう、藤村は誰から受け取るのだろう。
8月からこのバイトを始めて、今はもう12月の半ばだ。まだ5ヶ月しか経っていないというのに、心のどこかでこれは俺の役目だと思ってしまっていたらしい。
分からない。この感情が一体何なのか。
ロゴの入った大きなリュックを背負った人なんて、今となっては珍しくもない。だけどどうしてここまで胸が締め付けられるような思いをするんだろう。
それでも水曜はやってきて、学校が終わると松葉杖で上手く歩けないくせして少し遠回りして帰っていた。別に、わざわざ藤村の家まで行こうって訳じゃない。だからといって、まっすぐ家に帰れるかというとそういうわけにもいかない。吐く息がやけに白いのは、無意識にため息が出ているからなのだろうか。とにかく今日は嫌に冷え込んでいる。
どこまで行こうか、どこで帰ろうか。コツ、コツ、と松葉杖を鳴らして歩いていると、後ろからマウンテンバイクが車道を走って、ゆっくりと歩いてる自分を追い抜かしていった。もちろん背中には大きなリュック。その姿を見ると同時に、この感情は恋心であり、俺は思っていたよりも嫉妬深いタチなんだと自覚した。
…帰ろう。そう思って道を引き返していると、家で出前を待ってたであろうはずの藤村が正面から歩いてくる。
「あれ…岡くん?」「藤村?なんで、今日水曜じゃん…弟は…」
水飴のように肌にまとわりつくような、そんな変な汗をかいてた気がする。そういや骨を折った時も同じ汗をかいてたっけ。
「弟?今日は友達んとこだよ、なんか、早めのクリスマスパーティーやるんだってさ。」
「クリスマス…あぁ、そういやそんな時期か…」
そんなことを忘れるくらいにうじうじ悩んでいたのかと思うと、なんだか情けない。
「てか岡くん制服のままだけど、もしかしてずっとそれで歩いてたの?」
「うん、えっと、まぁ、松葉杖に慣れたかった、的な。」
言い訳するにももっとあるだろうと自分でも思うけど、藤村は多分疑わないんだろう。
「そっか、でもあんま無理しちゃだめだよ。」
「分かってるって。」
「ふふっ…なんかお兄ちゃんみたいだね、僕。」
笑った。あの時と同じだ。初めて配達したあの時と。
もしかしたらあの時からずっと、俺は──。
「あの、さ、藤村。」
「ん?どうしたの?」
「こんなこといきなり言うのもあれだけど、その、俺さ、」
心臓が跳ねるのがわかる。
「…あれ?雪だ。」
「え?」
2人して見上げると、空から少しだけ雪が降ってきていた。そういえば初雪がどうとかテレビで流れてた気がする。
「今日寒かったもんね。…綺麗だね、雪。」
「あ、あぁ…」
雪なんかに話を遮られて、少し腹が立つ。次から嫌いな季節を聞かれた時は冬と答えよう。
「…岡くん松葉杖だから、ちょっと坂道は大変だけど、もし良かったら、その…うちくる?」
「…え?」
「岡くん怪我してからしばらく話せてなくて寂しかったし、それに…話の続き、聞かせてよ。」
…やっぱり冬は好きかもしれない。