Loud-Less 人類は声を失った。文明の進歩の導き出した結論は、会話において声は不必要だという"進化"であった。
今から何百年かの昔の事だった。
とある企業が、新しいコミュニケーションツールを提案した。
「-Loud-Less system-」
通称「L2」。詳しい仕組みは分からないが、体内に埋め込まれた機械が対面した相手と通信をし、まるでサイキックであるかの様な会話を可能とした。
しかし人類は進化の代償を負うことになる。
L2が普及して30年くらいが経った頃だろうか。その年から新生児はみな一様に声帯を持たずして産まれてくるようになった。
当時の政府は新生児へのL2の装着を義務付けを進めた。さらには生産数を増やす為に一時は国営化される話もあったという。勿論、L2の危険性も問題視された。しかし、その時にはもう人々はもはや声を上げることなどできなかった。
………
L2により急速に規模を拡大した大企業「テロメア」。街には広告がそこかしこに張り出されている。
L2は音楽産業を著しく衰退させた。
街中で聞こえてくる音楽といえば、掴みどころのないBGMしかない。
もちろん歌手なんて居るはずもなく、人の心を動かす詩も生まれない。それによってか、音楽に携わる人間は年々減少していった。
そんな中だった。彼が現れたのは。
御神依複、Eveという名で歌手をしている、声を生まれ持った青年。声帯を持って生まれただけでも珍しいのに、それが素晴らしい歌声なのだから、彼の評判は瞬く間に広がり、いまや神が遣わした天使とまで持ち上げる人もいる。もはや歌手という名詞は彼を指す言葉になっているくらいだ。
………
いつもの様に電車に揺られ、街へ向かう。
「――駅、――駅。左側の扉が開きます。」
扉が開くと女子高生が2人、斜向かいに座った。
『ね!Eveがまたライブやるんだって!』
……声が響く。
『私もニュースになってたの見た!今回こそチケット取れないかな〜。』
……頭が痛い。
『無理無理!チケットの倍率どれだけ高いと思ってんの!』
『だよねー…』
……吐き気がする。
ギターの入ったソフトケースを掴む指に力が入っていく。
足立柘夢。彼は生まれつき、他人のL2の声が無意識のうちに聞こえてしまう。普通聞こえるはずのない会話を傍受してしまうのだ。いくら検査しても機械に異常は見られず、体質のせいだと医者もメカニックも言う。四六時中頭の中に声がするものだからか、目の下にはひどいクマが見える。
ただ他人のL2の声が聞こえるだけなら、さほど問題は無い。しかし、それが制御できていないのだから困ったものである。電車に乗れば、学生の話し声やサラリーマンの愚痴なんかが自然と頭に入ってくる。人に聞かれる心配のない会話だからか大抵は下卑た話が多い。そんな話が頭に響くものだから、なおさら電車なんかに乗ると話の内容も相まってすぐ吐き気がする。こんな体質だからなのか、それ以前に元の性格のせいか、対人関係など上手くいくはずがなく、友達同士の会話を傍受しては絶望する事も少なくなかった。
しばらくすると、電車がホームに着いた。
「――駅、――駅、左側の扉が開きます。」
足立は急いでホームへ出ようとして、何も無い場所でつまづいてよろける。それを見て女子高生が鼻で笑う。
『え、何あの人、急ぎすぎじゃない?』
つい、視線が2人の方へ向いてしまう。
『うわ、こっち見たんだけど。』
ハッとしてそそくさとホームへと降りた。
駅を出てからは、出勤する人の流れを逆流し、人気のない商店街の、シャッター街の裏路地へと進む。ギターを背負う足立を迎え入れるのは、郊外の寂れたアーケードだけであった。
コツ、コツ、コツ、と足音だけが響く。
路地を抜け、空き地へ出るとそこには小さなプレハブ小屋がぽつんと建っていた。撤去するのも金がかかるもんだからと、近所のオッサンが貸してくれたが、毎月それなりに金を取る。
ガタガタと鳴る建て付けの悪い扉を開けばそこには、散らかっている楽譜と大きなアンプが置かれたちょっとした防音室がある。といっても吸音ボードを貼っているのは壁だけで、窓からの音漏れは酷いものだ。まあこんな空き地で騒音対策なんか必要ないだろう。
(今日はバラードかな、)
ギターをアンプに繋ぎ、チューニングをする。
(……いや、やっぱ気分じゃない、)
アンプのツマミを思い切り回して、弦を少し緩め、音を下げる。
(じゃあ、何からやろうか。)
………
しばらくして、演奏に興が乗ってきた頃に外からある"声"がした。
「こんな寂れた商店街で弾くにしては、もったいない演奏ですね、これは。」
また通りすがる人の声を傍受したのかと思ったが、どうやらそうではないようで、声の主である1人の青年が小屋に入ってきた。ベージュのジャケットに身を包んだその青年のワイシャツはくたびれており、黒色のタートルネックには汗が滲んでいる。足立はそんな突然の訪問者の声に呆気を取られていた。
「…ああ、こっちの方が良いですか。」
そんな足立の様子を見て、L2に切りかえて話を続けた。
『やあ、君ですか、人のL2を無意識に盗み聞きする男ってのは。』
知らない男が土足で小屋に乗り込んでくる。突然の出来事に足立は呆気に取られていたが、その男は続けた。
『いつだったか貴方を診た技師がいたでしょう、L2の。…あれはうちの社員でしてね。』
男はそう言うと名刺を渡した。
株式会社テロメア 技術部 巳上
『と、いう訳で。突然で申し訳ありませんが貴方、歌手になりませんか?』
訳の分からない男からの訳の分からない提案。困惑しながらも何とか頭で言葉を綴る。
『歌手って言っても、声がなきゃ何も歌えねぇだろ。』
便利なもので、こういう時にも機械はハキハキと喋ってくれる。
『そう、そこで私の出番って訳です。』
未だ話が見えてこない。
『端的に言えば、私と貴方で喉を造ります。』
足立からしてみれば、こんな提案は何一つとして現実味のないものだった。
そんなものがあれば、きっとすぐに普及するだろう。足立自身、そんな未来を夢見て何度も思いを馳せた。しかし、そうでないのにはそれ相応の理由があるのだろうと、いつしか空虚な願いは消え失せていた。
『何を馬鹿なことを言ってんだあんた、第一俺は開発者でもなんでもないんだぞ。』
『何も貴方に技術力は期待しちゃいないですよ。貴方は歌を作り、私がそれを歌わせる。』
この男は本気で言っているのか、と足立は唖然とする。
人間が再び声を手にしたら、世界は変化する。今この世界の音楽は、Eveという1人の声で支配されていると言っても過言ではない。そんな現状を、突然目の前に現れた、この巳上という男は打ち破ろうとしている。
『とにかく、貴方にその気があるのなら、まずはベータ版の実験台になってもらいたい。』
巳上はアンプの上に小さな機械を置いた。それは白いシート状のもので、裏には短い針のようなものがついている。どうやら小型のスピーカーらしい。
『なんだよそれ、そんなので声が出んのか?』
『理論上は。細かいことは省きますが、それぞれが持つ遺伝情報を血液から抜き取って、その人が持つはずだった声を作り上げます。…まあ、それで貴方の声が聞くに堪えないものだったならば目も当てられないですがね。』
これっぽっちで、声が?
足立にとっては、にわかには信じ難い話だった。想像していたよりも機械が小さかったこともあるが、まだ尚目の前にいる男の胡散臭さは拭いきれていない。
『あのな……そもそもあんた誰なんだよ!』
『名刺ならあげたでしょう。』
『そういう話じゃなくてだな、何が目的なのかとか、なんで俺に目をつけたとか、色々分かんねぇことばっかなんだよ!』
『ったく…わかりました、また明日出直しましょう。…まぁ、明日になれば気が変わるでしょうね、きっと。』
足立は葛藤していた。いつかの夢がこれっぽっちの機械で手に入るという事実に。迷いが無い訳では無かった、けれども。
『…待て、わかったよ、詳しいことはよく分かんねぇがやってやる。機械でもなんでも歌うために使ってやる。』
『いいでしょう、じゃあまずはこれを喉に刺してください。』
『は?』
『やめますか?ほら、もたもたしてないで早く刺してください。』
こんな針を喉に刺すだなんて、足立は躊躇っていた。
『いや、他に方法はあっただろ、なんでまた喉なんかに刺すんだよ。』
『…それが一番都合がよかったんですよ。分かったら、ほら。』
足立は意を決して喉に針を突き立てる。先端が刺さり、じんわりと血が滲む恐怖で呼吸が少し荒くなる。しばらくその状態が続いたが、一息に針を喉に突き刺した。
林檎型のシートに血が滲む。やがてそれが真っ赤に染まった頃に、巳上は言った。
『それで準備完了です、声は出せますか?息を吐くみたいにすればいいはずです。』
思えば、声を出す感覚なんて知るはずもなかった。色々と試行錯誤していると、やがて足立の喉から掠れた音がした。
「あ……はあ……」
「おお!ちゃんと声は出るじゃないか!」
初めての発声の感覚に戸惑いながらも、何とか声を出すことはできた。巳上は興奮して、L2を介さずに叫んでいた。
「喋れますか?」
足立の頭の中には声が出せたことによる高揚感と、これまで経験したことがない発声という動作による困惑が渦巻いていた。
「なんだ…これ…」
「それが本来の"喋る"ってやつですよ。ま、そりゃ慣れませんよね、最初なんだから。」
「なる、ほど、な…」
「声はちゃんと出たとしても、音質にも安定性にも欠けている。とはいえ、改良の余地はあります。」
巳上はジャケットの内ポケットから使い古された手帳を取り出しては、足立に目もくれずになんらかのデータを書き連ねている。