いちばん恐ろしかったはずの記憶は、今ではうすぼんやりとした輪郭しかイサミの中に残っていなかった。
戦後のメンタルケアの一環として、イサミが半ば無理やりに同部隊の面々によって押し込まれた部屋は極端に物が少ない――刺激の少ないつくりをしていた。
終始、神妙な顔でイサミと手元のカルテとを見比べていた医者いわく、その忘却は心の防衛本能によるものらしい。 時間が解決するという言葉を添えて、イサミにはそれなりに強い眠剤と頓服薬が処方された。
だが、解決するまでの時間はイサミを否応なく苛んだ。
脳裏にこびりついた曖昧なディティールの夢にイサミはひどく魘され、そのたびに全身を汗みずくにして飛び起きる日々が続いた。締め付けられるように頭が痺れて、理由なんて要らないほど自分を取り巻くすべてが怖かった。たった一度でも大切なものを投げだしてしまえた自分が恐ろしかったのだ、
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