エピローグ自身の左手に収まる砂金石を眺めて、アベンチュリンは息を吐く。解放されたこの身は、ようやく自由を得た。
ピノコニーを再びカンパニーの手中に収める──その任務を受け、その結果砕くこととなった砂金石。カンパニーの十の石心としてあるまじき行為であり、命と同等に扱うという取り決めを軽んじた行動だ。それが咎められるのは必然といえよう。
制裁を下す一つの天秤に、アベンチュリンを除く石心達が是非に自身の命を賭けていく。謂わば、その席を空けるかどうかの懲罰会議。批判する者、庇う者、評価する者、無関心の者、傍観する者。それぞれいた中、最後の一票は均衡であった。これはアベンチュリン自身の運が勝ったというよりも、オパールの言う通り、まだ誰かが犠牲になるようなタイミングではないのだろう。全ての命はダイヤモンドに預けている。石心が砕ける時は、彼がその鉄槌を振るう時だけだ。
詰められていた部屋からの退出を許されたアベンチュリンは、誰もいない廊下を見渡す。左右に長く続くそこは、どちらにも曲がり角があった。出口のある方へ歩きながら、考えるのは星のことだった。会議が始まるまで、他者との接触は勿論、会話も許されない。持っている通信端末は全て没収されるし、許されることといえば書類仕事を淡々とこなす事だけだ。最早、あの時間そのものが懲罰であろう。
会議自体も、一堂に集まって行われるものではない。カンパニーが用意したプライベート通信を使って、機械越しに会話するのみだ。それは他の石心同士が結託をし、誰かを罠にかけないようにする為の措置でもあり、公平を保つ為のルールでもある。ジェイドとトパーズはピノコニーだろうが、他の石心がどこにいるのか、アベンチュリンは知らないでいた。ちなみに、自分がいるこの建物もどこのものか分からない。助けを求められないよう、輸送される際に全ての情報を遮断されてしまった。
ともかく、最大の難所は越えた。アベンチュリンは帽子を深く被り、帰ってきた通信端末を手に取ろうとした時、誰かがその背中を軽く叩いてきた。
「今回は、ちょっとだけヒヤッとした」
その声は、トパーズのものだ。会議の為の正装に身を包む彼女の足元には、相棒であるカブが大人しく付き添っている。
「ああ、トパーズ。君にお礼を言わなくちゃね、ありがとう」
「うん?私は何もしていないよ。ただ、自分の意見を述べただけ。任務達成という観点で言えば、君はそれを完璧にこなした。それだけの話」
多数決において、最初の一票はとても大事なものだ。その第一歩が否定的な意見ならば、大方そっちに流れていくケースが多い。今回、その否定的な一歩と共に一票目を投じたのはスギライトだった。それを即座に偏見と切り捨て、肯定票を投じたのはトパーズであり、それがあったからこそジェイドの票へと繋がったと言える。
「正当な働きには正当な評価をしなくちゃ。そうでしょう、アベンチュリン総監?」
「君の言う通りだ、トパーズ総監。そして僕は……ふむ、昇格の話はなかったし……」
──ジェイドとの賭けは、引き分けか。そこまでは口に出さず、アベンチュリンは飲み込む選択をした。ここで彼女の名前を出せば、トパーズは突っかかってくるだろう。その様な事態は避けたい。折角、今は仲良くやれているのだからそれを維持しようじゃないか。
「ああ、そうだ。アベンチュリン、おめでとう」
「会議の話?おめでとうと言うには内容が些か……」
「会議の話じゃない。星の話」
トパーズの口から星の名前が出てきたことに、アベンチュリンは驚いた。ヤリーロ-Ⅵの一件で面識があることは知っていたが、どうして──そこで、一つ思い出す。そういえば、レイシオと星がいつ面識を持って彼に助けを求めたのか。その謎が、まだ解けていない。そして、トパーズはアベンチュリンと星の関係を既に知っている。ここから予測出来ることがあるとすれば。
「そうか、星はまず君に助けを求めたんだね」
「そういうこと。でも私に出来ることは少なくて、私からレイシオ教授に頼ることにした。彼、上手いこと君に発破をかけくれたみたいで良かったよ」
星からトパーズへ、トパーズからレイシオへ。そうして渡されたバトンは見事、アベンチュリンを星の元へと走らせた。なんということだ、自分たちが付き合うまでの過程でここまで人が動いていたとは。せいぜい、星が無茶を言ってレイシオが渋々出てきたもとばかり思っていたが、考えが甘かったようだ。
「星のこと、大事にしなよ。あの子、大胆だけど繊細なところあるから」
どこか悪戯っ子の様な笑顔のトパーズは、石心というよりも少女のようだ。そうだねとアベンチュリンは頷いて、懐から端末を取り出す。事前に星へ、暫くは連絡が取れなくなると伝えていた。だが、そんなことはお構いなしに彼女からのメッセージが大量に溜まっている。その一通一通を大切に読んでいると、まだピノコニーにはいるが、じきに列車で再び銀河へと旅立つようだ。
「ところでトパーズ、君がここにいるってことは……この建物は、ピノコニーのもので良いのかな」
「ピノコニーも何も、現実のリバリーホテルの一室だよ」
「なるほど。……それは、幸運なことだ。ふふ、僕も運がいいな」
「どういうこと?何を企んでいるの、アベンチュリン」
懲罰会議に呼び出される前に、やり残していることが一つある。些細なことだろうが、どうしても達成しておきたいことだ。
「なんでもないよ。僕から星へ、一つ贈り物をしたいだけ。良き友人ではなく……彼女の頼れる恋人としてね」
◉
「直接会って渡せばいいだろう。何故、このような回りくどい方法を取るのか、理解に苦しむ。まさか君のような男が、恋人相手に正面切って贈り物をすることに恥ずかしさを抱くようなこともあるまい」
「別に、気がついてもらわなくてもいいのさ。ただ、このピノコニーという地は僕にとっても、星にとっても少し特別な意味を持つようになった。もし、何かを惜しんで彼女がここに戻ってきた時に、少しの支えになれば良いと思うだけだよ」
アベンチュリンの言葉に、レイシオはため息を吐いた。眉間に皺を寄せる端正な顔立ちは、その思考の理解に苦しんでいるようだ。ピノコニーの特産品と、特別な二つの贈り物を内包した箱は、無事にリバリーホテル郵送センターから暉長石号へと飛び立っていく。
「いやぁ、でも本当にありがとう教授!星穹列車の限定版模型の発売日、思いっきり会議の日と被るだなんて思っていなかったから買えないとばかり。やっぱり、持つべきものは信頼のおける相棒だね」
「ピノコニーでの任務はとうに終わっている。僕と君の相棒関係は解消されているはずだが」
「なら、どうして君は僕のわがままに付き合ってくれたんだい?」
そう問いかけると、レイシオは眉間の皺を解いた。簡単な話だと、彼は言う。
「君たちの問題に首を突っ込んだのならば、最後まで付き合わねばならない。そう思ったまでだ。これに関して言うのであれば、理論的と言うよりも感情的と言うべきだろう。君たちの恋愛感情に、ただの凡人は突き動かされたというわけだ」
一見して冷たい言い方だが、そこにあるのはレイシオの遠回しな優しさだ。それに気がついたアベンチュリンは、素直にありがとうと言葉を返す。
宇宙を飛び回る星へ、何か重たいものを渡すことは気が引けた。ただ、自分たちを繋ぐ架け橋である列車にまつわる何かを贈りたいと考えていたアベンチュリンの元へ飛び込んできたのが、星穹列車ミニチュア模型の販売であった。夢の地を救ってくれた開拓者へ感謝と話題を込めて、ピノコニーのファミリーが作成しようと決めたらしい。贈るならこれだと意気込んだはいいが、その直後に舞い込む会議を優先せざるを得なくなり──結果、アベンチュリンはレイシオを頼ることにした。
彼は奮闘してくれたようで、見事望んでいた星穹列車の限定模型を二つ入手してくれたことについて、感謝してもし足りない。お礼にとレイシオにお金を渡そうとしたら、とても嫌そうな顔で断られた。
「ところで、二つ模型を買うことは理解出来る。一つは君、もう一つは星へ……だが、彼女の元へ贈った一枚のエディオンコインはなんだ?」
「ああ、あれ?あれはね、懲罰会議前にちょっと遊んだ時に入手したんだ。ただのコインなんだけど、あれでガチャマシンを回したら七連続で一等賞を引いたんだよ。まさに幸運のコインと言っても差し支えないと思わないかい?」
そう言いながらアベンチュリンの脳裏を過ったのは、星と一緒に黄金の刻で巨大ガチャマシーンへ挑んだ時の記憶であった。会議前に遊んだものは、それとは別の個体であるが──あれからさほど日数は経っていないはずなのに、もう懐かしい気持ちになる。
互いにピノコニーから出れば、会えない日々が続くだろう。だが、既にレイルは繋がった。それは千切れない限り、永遠に互いを結ぶ強固な絆だ。だから、星が贈り物に気が付かなくてもアベンチュリンとしては問題は無い。これを贈るのは、ちょっとしたお礼のつもりでもあり──切っても切り離せない、悪癖ともいえることへの挑戦でもあった。
「いつか、暉長石号から夢境の星を見たいと思った時に気がついてくれるだけでいい。幸運も善意も、押し付ける気はないからね」
「ずっと気がつかない可能性だってある。それでいいのか?」
「まさか。それはあり得ないよ。彼女は必ず気がつく。僕は、そっちに〝賭けた〟んだから」
自信に満ちた笑みと共に、アベンチュリンはレイシオを見る。彼は呆れ返ったような、しかし穏やかな笑みを浮かべてこう言うのだ。
「懲りないな、ギャンブラーめ」
◉
人生は選択の連続だ。
毎秒、毎分、選択を迫られる。列車に戻るか、暉長石号へ一度空を見に行くか。星が選んだのは、最後に見る夢境の空であった。
甲板へ足を運ぶと秘書が出迎えて、操舵手が星を案内する。船長室はいつでも綺麗に片付いていて、ゴミ箱の中まで埃一つ落ちていない徹底ぶりだ。
「船長、お荷物が一つ届いているのですが……」
秘書が言うには、暉長石号ではなく星個人宛のようだ。まさか、この船の主人が自分であると広まるのがここまで早いとは──どこか誇らしい気持ちで、星は個包を受け取った。伝票に書かれた綺麗で細い字は、どこか見覚えがある。
「……アベンチュリン?」
その正体に思い至った時、心臓が面白いぐらい高鳴った。まるでそれは、この世のものとは思えないほど存在感を放つゴミ箱に行き合った時のようだ。晴れて恋人となった相手からの初めての贈り物に、開封を急ぐその手が震える。出来るだけ包み紙を綺麗に剥いで、そこから取り出したのは星穹列車の限定模型であった。そこには、一枚の手書きメッセージがついている。
『ささやかな贈り物だけど、星穹列車が暉長石号を手に入れたことをお祝いするよ』
一見してそっけない内容だが、恐らくだが他人に見られても良いような内容でしたためたのだろう。恋人関係を隠すこと、それに星は抵抗はないがアベンチュリン側の事情というものはある。それとも、彼はこういったことに慣れていないが故に照れているのだろうか。どちらにしても、彼が用意してくれたものだ。喜ばない道理はない。
模型の他に、ピノコニーの特産品が沢山詰まっている。その中に一枚、エディオンコインが紛れ込んでいた。場所が場所ならば、異物混入として騒がれていてもおかしくはない。しかし、ピノコニーの輸送システムがこれを通したのならば安全なのだろう。何より、アベンチュリンとコインは切っても切り離せない存在だ。あれを思いっきり投げつけられると、とても痛い。過ぎる彼との戦闘の記憶を他所に追いやって、星はコインと埋もれたもう一枚のメッセージカードを手に取った。
『このコインでガチャマシンを回したら七回連続で一等賞を当てたんだ。これが君に幸運をもたらすことを願っているよ』
その文面に目を通してから、星はコインを大事に握り締める。これは、アベンチュリンが自分へ贈ってくれたお守りだ。
ああ、暉長石号へ足を運んでよかった。旅立つにはまだかかるが、しかし、ここを離れる前に彼の贈り物を受け取ることができたのだから。
(アベンチュリン、何してるのかな。元気だってメッセージは来てたけど。そうだ、荷物受け取ったって連絡しないと)
そのついでに、最後にアベンチュリンと何処かへ遊びに行けたらいい。忙しいだろうか、いや、自分が言ったなら彼は時間を作ってくれる確信が星にはあった。
ピノコニーを離れたら、しばらく会えなくなるだろう。それでも、対して寂しいと思わないのは心の繋がりが強固になったからだろうか。
星がどん底に落ちそうになったのなら、腕を掴んでアベンチュリンが助けてくれる。逆に彼が運命の袋小路に囚われたのならば、星がバットでその壁をぶち破りに行く。
姿は無くとも、側にいる。それが約束というものだろう。
「……もしもし、アベンチュリン?うん、大丈夫。今ちょっと時間ある?あるよね。うん、あるね。ありがとう」
メッセージにしようと思ったが、いても立ってもいられなくなった星は電話をかける。機械越しの苦笑を彼の声は、記憶のままのそれだった。