「うぇ〜、最悪」
「いや、こっちの台詞だわ!」
「はいはい、愚民ども、静粛に。王様の命令は絶対だから」
ははは、と豪快に笑う千切が赤い印のついた割り箸を二人に見せつけるように顔の前で掲げた。他のメンバーもヤジを飛ばすみたいに「やれやれ〜」と次々に声を放つ。千切王が下した命令は「一番と七番がキス」という酒の席にはよくありがちなもので、その第一犠牲者が俺と凪だ。「めんどくさ」「最悪」と繰り返す凪に、俺だってやだよ! と思わず声をあげる。
「ほれほれ、はよせんかい」
「まだ〜?」
「こういうのはすぐやらないと、どんどん気まずくなるよ」
と他人事だと思ってガヤがうるさい。さっさとやっちまおーぜ、と凪に声をかけると、凪も覚悟を決めたようで、はぁと長めにため息を吐いた。
「玲王、みないで」
弱々しくそう口にした凪は、俺の方に向き直り肩に手をついた。
一瞬だった。頬に柔らかいものが触れたのはほんの一瞬だった。
「はい、おわり」
「えー、ほっぺかよ」
「は? キスは口だろ!」
「どこ、とは言われてない」
いや、そうだけど。最初からそのつもりだったんなら、そんなに嫌がることなかっただろ。と心の中でツッコむ。「凪、おまえ〜!」と千切王がその権利を振り翳して凪の頬をぐにぐに引っ張った。凪はされるがままだ。
「お嬢、その辺にしてやれ」
「いてて、」
「はい、じゃあ次行こー♪」
蜂楽の元気な一声でゲームが再開された。そういえば凪、玲王に見ないでって言ってたけどガッツリ見られてたし、何なら「お前ドーテーかよ」とか揶揄われてバシバシ背中叩かれて笑われて、ちょっとだけ可哀想だ。側から凪の言動を見ていたら、度が超えるほど好意を剥き出しにしているのに、当人には気づいてもらえず――いや、気づいてはいるかもしれないが、全く相手にされていない。流石に同情する。
語尾に「ばぶー」をつけて話すとか、ちょっと恥ずかしい初恋の話とか、このメンバーの中で誰かを抱くとしたら?みたいなちょっと際どい質問とか。次々に変わる王様があれこれ命令を下していく。凛が他のメンバーを「にいちゃん」と呼んだり、馬狼が語尾に「でちゅ」をつけて話したりするターンは、割と地獄だった。みんなゲラゲラ笑ってたけど。アルコールが入ってるからできることだな、と改めて思う。素面だったら殴られてるな。
「王様だーれだ!」
何ターン目かで、ようやく俺は赤い印のついた割り箸を引き当てた。ここはやり返すぞ! と意気込んで俺の言葉を待つ平民たちに揚々と命令する。
「三番と九番が口にキス!」
「お〜、今度は逃げられないね」
「三番と九番、誰だ〜?」
「エロいやつな!」
誰かがそう付け足した。別にそこまで求めてないが、どうせなら盛り上がる方がいい。特に訂正することもなく、犠牲者が名乗り出てくるのを待つ。
「あー、俺だわ」
と手を挙げたのは玲王だった。凪がぎょっとして玲王を見つめて、それから俺を睨んだ。どうやら凪は三番でも九番でもなかったらしい。あとで文句を言われそうだ。
「九番、俺やわ。ほな、こっち来ぃ」
名乗りあげた烏が、顎をクイっと動かして玲王を呼んだ。一つしか歳は変わらないのに、なんだかとても大人な仕草だ。おぉ〜、うわぁ、っと周囲から声が上がる。玲王は「お前かよ」と笑って立ち上がると、机を挟んで向かい側に座っていた烏の元へ歩み寄った。
烏は片膝を立てて座っていて、玲王はその足に跨り膝を床についた。烏の肩に手をおいているせいもあって、向き合うとかなり密着していて二人の距離はかなり近い。キスするんだからそりゃそうか。隣から奥歯を噛み締める音がした気がした。
「じゃあ、期待に応えてエッロいやつかましたろか」
「おぅ」
玲王は耳に髪をかけながらこちらに視線をやった。
「なーぎ、よく見とけよ」
キスはこうやってするんだ。
とでも言うように玲王は凪に向かって得意げにそう声をかけた。
烏が玲王の腰を片手でくい、と引き寄せれば二人はさらに密着する。玲王は烏の顔を両手で挟んで上を向かせ見つめ合うと、ゆっくりと唇を重ねた。食べ合うみたいにお互いの唇を喰んではびちゃびちゃと音がする。俺は急に沸騰したみたいに顔が熱くなった。まるで海外ドラマのエッチなシーンを見ているような気恥ずかしさを感じる。
玲王が烏の首に腕を回し後ろ髪を掻く。ノってきたのか顔の角度を変えながら、上を向く烏に覆い被さるように唇を押しつけてキスをする。唇が離れそうになるたび、赤い舌が見え隠れしてそれはもうめちゃくちゃエロい。余裕そうに片手を床につき受け身の体勢でのけ反っていた烏も、息が上がってきていつの間にか玲王の腰をがっしり掴んでいる。し、なんなら太ももを触ったり尻を揉んだりしているせいで、細身のスラックスが食い込んでしまっている。
最初は、おぉ〜とかヒューとか揶揄い交じりに歓声やら騒ぎ声がしていたが、いつの間にかその場の誰もが二人のキスに夢中でぴちゃぴちゃと響く水音だけがはっきりと聴こえる。ワックスで固められた烏の髪はすっかり乱れて、タックインしていた玲王のシャツはスラックスからはみ出ている始末だ。
ようやく唇が離れたときには何故かみんなぐったりしていて、赤くなっているのがアルコールのせいなのか興奮のせいなのか分からなくなっていた。
「いさぎぃ、これで満足したか?」
烏の肩に頭をあずけて舌足らずに問いかけてきた玲王に、俺は「あぁ」と曖昧に返事をすることしかできなかった。「そこまでやれって言ってねーよ」と千切が冗談交じりに言ったおかげで、その場は楽しげな雰囲気を取り戻した。その後すぐお開きになったが、俺は隣を向くことが出来なかった。視界に入った拳は震えていたように思う。
家に帰ればそのままベッドに体を放った。目を瞑ればあの二人のキスが鮮明に蘇ってしまって、アルコールで元気をなくしたそれをぎゅっと掴むと控えめにゆっくり擦った。多分、他の何人かは同じような目にあったことだろう。罪悪感と快感の狭間で体を震わせて、俺はそのままぐったりして眠ってしまった。