七人の男 敗戦。それは俺にとって、大きな出来事だった。
エースを奪われたとき、味わった気持ちよりも何倍も衝撃が走った。何か月もうなされているうち、いわゆる「イマジナリーフレンド」のような妄想が頭に出来上がった。
『よ!松本!調子どうだ?』
爽やかに話しかけてくるのは、神奈川代表 湘北高校の三井寿だった。あの後、実は一度出会っていたその時のイメージで彼の姿は出来上がっている。
試合後、手洗いから出てきた三井と俺はこんな風に会話した。
『・・・お疲れ』
俺が最初に口火を切った。礼儀を大切にするのは山王の基本の基本。たとえ負けた相手に出会っても、先に挨拶をするのが山王バスケ部だ。
『あ!お疲れ!』
顔は疲れ切っているけれど、勝利の喜びがまだ声に張り付ていて、そのままの声色で返事をされた。
俺は会話をするつもりはなく、すっと横を通り過ぎトイレのドアに手をかけた。
『お前さ、名前なんてーの?』
俺の名前も知らないまま、対決していたというのか。思わず腹から沸き上がる怒りの熱が、そのまま口から飛び出すかと思った。
『相手チームのメンバーくらい知らないのか』
『おー・・・悪いな。前情報入れてたはずなんだけどな』
忘れたという話を本人に直接言うなんて、失礼極まりない奴だと思った。あと、トイレに行かせてくれ。
『松本』
『松本な!よろしく!俺は三井』
『知ってる。じゃ、トイレ行ってもいいか』
『お、ワリ』
コートでの最悪の邂逅には、続編が加わってしまった。俺はトイレに出るとき、あいつが待ち構えていないだろうかと恐る恐るドアを開けた。
そして、自意識過剰な自分に落ち込んだ。
『松本、今日はバスケすんのか?』
頭の中に聞こえるのは、超低音というわけではなく、でもどこか染み渡る心地のいい音。柔らかさがあり、男のそれとしてしっかりした太さもある。
―――
ウインターカップは優勝した。推薦も獲得し、あとは毎日新生活とバスケの準備を怠らなければ卒業式が待っている。俺たちは部活を引退した後に体育館を使うことはできない。だが、監督のつながりで毎年引退後のバスケを続ける三年生に向けて、市立体育館を準備してもらっている。ボールは部活のをいくつか卒業まで貸し出される。
要はバスケによって学校に貢献した俺たちへの施しなのだ。一年生でその話を聞いた時は仰天したけれど、優勝後の今は「当然だ」と思った。勉強もそれなりに成績を保ち、将来のために結果を出した上、毎年の推薦枠を途切れないように進学する。
これほどの貢献度合いであれば、校長はじめ教師陣も俺たちには一目置くに決まっているし、特別待遇は努力の対価だと受け止めていいものだと教育されている。もちろん態度には出さないし、許されないことだが自己肯定感を高く保つことも強くなるための秘訣だと教わっている。
体育館の受付で名前を書くときは高校の名前をカッコで書き込む。受付の女性の反応は、薄いけれど確かに俺たちを見上げる。すぐにわざとらしくなく目を自然と伏せるのはちょっとすごいと思っている。
俺たちは、仕上がりがいいと前評判が良かったのに緒戦敗退を背負ったチームなのだ。それを人は今後も背後に見透かすだろう。深津が主に衆人環視に晒されてしまったことは、チームメイト全員が悔やんでいることではある。でもそれはキャプテンの役割なのもわかっていて、俺たちは皆で表面的には手出しをしないが深津を支えた。
一人一人、体育館に集まる。同じ大学の推薦を取った深津とは、始まる前にいつも今日の練習の打ち合わせをする。大学リーグともなると、さまざまな高校で違うスタイルのバスケプレイをする人間の集まりだから、チームメイトとなる先輩たちの高校研究をしている。
マネージャーがいない分、自分たちで練習メニューを決める。監督は相談に乗ってくれるし、引退したマネージャーも手伝ってくれることはあるが、基本自力だ。最初は難しくてルーティンをこなしていたが、深津と俺でOB見学に行った先で先輩に脅されたのだ。
「高校バスケと違うんだから、冬休み怠けんなよ」
その先輩たちを、夏大前日に打ち負かしたのを恨まれているらしかった。負けた相手が緒戦敗退ともなると、ますます面子が傷ついたとでもいいたいのかもしれない。しったこっちゃない。
俺と深津は言われた通り、油断せず怠けなかった。卒業式の日、河田が声をかけてきた。
「お前ぇ、なんか切羽詰まってたべ」
「何が」
「冬終わってから・・・あんま気ぃ張んな」
「そう見えただけだよ」
じゃあなと握手を交わし、深津と二人上京した。
―――
最初の一年は学生寮で、そこからは未知の一人暮らしだ。高校の学生寮との違いに初日から度肝を抜かれたが、人間慣れが肝心だと深津に釘を刺された。
「松本は器用なのに貧乏だピョン」
「使い方が間違ってる、器用貧乏だろ」
「自覚あるんだピョン」
「・・・あるよ」
高校時代からしっかりバスケ部で叩きなおされたから目立たないけれど、融通が利かないし切り返しも下手だ。人よりも環境に慣れるための時間がかかる。だからこそ、狡猾に観察したりツンとした態度でいる必要があっただけなのだ。
自分の根っこが変っていないことを見抜かれているのは照れがある。でもそれくらい深津とは分かり合っているんだと安心感も強い。
「昔よりは、マシになっただろ」
「ついこないだピョン」
「言ってろ」
夜中になっても騒ぐ隣室にうんざりしたけれど、その分自分の騒音にも無頓着でいい、と割り切ることにした。汚らしい廊下にはうんざりしたが、自分の部屋や共用部で我慢ならないっところだけ気を遣うことにした。
「松本だっけ?お前綺麗好きなんだな」
「ああ、家がそうでさ」
”おまえんちと違ってな”と心の中で嫌味を言う余裕もできた。あわただしい日々の中、自分の成長を感じている。
バスケ部のOBを教室や食堂で探し、なるべく挨拶をしに行った。深津が一緒の時は深津も誘った。
「律儀ピョン」
「こういうのが面倒な先輩にとっては大事だろ」
「すでに面倒だピョン」
「いいから」
また一人食堂で見かけた。OBの顔は卒業アルバムである程度把握している。1つ上の先輩だけでも5人いるので、卒業前に学校の卒アルでチェックしたのが役に立った。
「そんなにマメだったピョン?」
「俺は変わりたいんだよ」
もっと柔軟になりたかった。もっと自由に気持ちを表現したり、軽やかでいたい。それはある男の影響だった。
『なーお前肩こらねぇの?』
負けたあの日から、今日までに三井が知らぬ間に出来上がった。詳しく彼を知っているわけじゃないのに、試合の後関わったわけでもないのに、俺の中に住んでいる。
「肩コリはない」
頭の中で会話するのにも慣れた。最初は独り言をつぶやきそうになり焦ったものだったが、今では平然と脳内でコミュニケーションをとれる。
『もっとさぁ、力抜けよなぁ』
「お前に言われたくないね、ヘロヘロ」
『あーひでー傷ついた』
「言ってろ」
三井はことあるごとに、俺が悩んだり立ち止まると声をかけてきた。もっと頭を柔らかくしろ、気を張るな、肩に力がはいってるぞと言われると嫌気が差した。
「お前はなんでそんな風に言うんだ」
『ん?だってお前窮屈そうじゃん』
「そんなことない!」
『おわ、ビビった・・・怒るなって、な?』
「怒って・・・悪い、怒ってない』
「謝んなくてもいいけどよ」
「どっちなんだよ」
『お前色々考えてて、頭もいいんだろなぁ・・・俺は勉強サボってたからさぁ」
「頭の良さって勉強じゃないだろ」
それは自分か長らく抱えている葛藤だった。深津や河田は成績を落とさないタイプだったが、エースの座を奪った沢北は勉強が苦手だった。飲み込みは早いが、勉強する癖がなく先輩たちでよく面倒を見る羽目になった。それくらい山王ではレベルの高い部活生活を求められていたから、卒業してもバスケを離れても世の中を立派に渡り歩く先輩方を多く輩出していた。
勉強ができなくても、沢北はバスケに置いて頭の回転が速い。それに感覚も備わっていた。もちろん、頭の良さでは河田の方が理知的だし、深津の方が感覚は上回っている。でも、その沢北に自分が負けたことは大きなコンプレックスの塊を胎に作り出していた。
『ん~まぁそうかもなぁ。でも勉強できるってすげぇじゃん』
「ふん・・・お前に言われてもな」
『褒めてんだから素直になれよ!』
「・・・そうだな、良くない癖だ」
『あ~!もう!ずっと俺が励ましてやってんのに!意味ねぇじゃん!』
「は?はげます?って?なんだ?」
『俺はな、励ましたいんだよお前を』
「励ましてるようには聞こえなかったな」
『下手で悪かったな!肩の力ぬいてやればもっとうまくやれるぜって励ましてんだろが』
「そうか・・・」
「わかったか?」
「・・・わかったよ、悪いな三井」
『謝るよりありがとうだろ』
「お前よくそんなこと言えるな、恥ずかしげもなく」
『ハァ?!てめー舐めんなよ!」
「わかったわかった、ありがとな。怒るなよ」
『ふん、わかりゃいいんでぃ』
この三井は、励ましの三井だった。一人目として最も長く俺の中に居座っている。
4人目のOBを見かけたので、声をかけようと近づくとすでに誰かと話し込んでいる。
「せんぱ・・・」
それは、よく知っている顔だった。
「あっれーお前山王の!」
「あ、先輩お疲れ様です。山王生の松本です」
「お、おお。お前ここ入ったんだな」
「はい」
「あ、松本だ」
「三井・・・人の話をさえぎるな。すみません先輩」
「いいよ、こいつ知り合い?」
「あ、対戦したことがあって・・・その、インターハイの」
「あ~・・・はいはい。三井くん?」
「はい、三井です」
こいつ、敬語使えるんだなと思った。
「すっげぇじゃん、山王に勝ったチームかぁ!」
先輩は全容を知っているくせにわざとらしく大きな声で三井の肩を叩いた。
「あ、っす・・・」
さすがに三井も気まずそうな顔になる。全てが自分にとって悪夢のような瞬間だった。
「松本も三井もバスケ部だろ?」
「「はい」」
「モメんなよ!」
「は、はい。気を付けます」
「えっそこは揉めませんじゃねぇの?!」
「三井、声がでかいよ」
「はっはっは!おもしれー、明後日顔合わせだよな。よろしくな」
「「はい」」
「じゃーな」
「よろしくお願いします!」
先輩がやや得意げな顔で去っていく。人前で後輩二人に挨拶をされる様子は、彼の自己顕示欲を満たしたようだった。
「・・・な~んか、ムカつくやつだったな」
「おい、三井。先輩に滅多なこと言うなよ」
「は?俺の高校の先輩じゃね~し」
「これからバスケ部の先輩だろ」
「まだだろ」
「あいつ・・・なんでお前にあんなこと言うんだ?」
「湘北と戦う日の夜に、先輩たちとOB戦やったんだよ」
「ほーすげぇ。先輩ってそんなこともしてくれんのか」
「それで、めっためたに倒したからだと思う」
「はっはっは!!!いーじゃんそれ!だからか!」
「そうだよ、あの人たち器が小さいんだ」
「おまえ、結構言うじゃん」
「ほんとのことだからな」
「笑える、おもしれーじゃん。改めてよろしくな松本!」
「え?」
「握手!」
「うわ・・・っおう、よろしく」
こうして頭の中の三井は、現実でも俺の生活にすんなりと現れたのだった。
一緒に生活するうちに、もうひとりのキャラクターが生まれた。それが三井の顔をした、新しく知る三井の一面にそっくりで自分の妄想力に飽れた。
「・・・どうした三井」
「ん?今日雨だからちょっとな」
同じ授業の教室にめずらしく先についている。窓際の席で、よく降る雨をじっと眺めている。普段騒がしいのに、しんみりした顔で頬杖をつく様子は雰囲気が違う。
「どこか痛いのか?」
それは思いつきの言葉だった。三井の過去を知らない。うちの従姉が大怪我の経験があり、雨の日は古傷が痛むと言っていたくらいの知識で声をかけただけだ。
「えっ・・・」
静かな表情のまま、三井が目を開いた。その瞬間はまるで映像のようなスローモーションに感じた。目を見開く様子は男同士でもはっとするくらいのドラマチックさがあった。
「あ、いや・・・身内に、古傷がいたいって言う、人がいるからさ・・・」
目の前の情景に気を取られてしまい、歯切れの悪い返事になる。気まずそうな様子になってしまったのは不本意だった。
「そ、そっか。わかるぜ、古傷って記憶で痛んだりもするし」
「どっか痛いのか?」
三井は微妙にはぐらかしたので、改めて聴いてみる。
「・・・遠慮して聞かねぇタイプかと思ってた」
「言いたくないならいいけど、同じチームだろ」
三井の言う通り、俺は結構遠慮はしないタチだ。遠慮すべきものはわかっているつもりだし、チームとしてやっていくなら遠慮よりコミュニケーションが優先だと考えた。
「膝、昔な」
「どれくらい前だ?」
「・・・事情聴取かよ」
「そんなに嫌ならいいけど」
「いや、いいよ。高一。完治してる」
「痛いのか?」
「多分記憶」
「そんなにはっきり残るもんなのか?」
「どっちかっていうと気のせい?くらいの感じ」
「そうか。きつかったら言えよ」
「・・・おーよ」
目を伏せて窓の外を見つめる三井には、まだ含みがあった。でも、必要な情報は聞き取れたし三井を怒らせたくはないから、三井の終わりの合図で会話を辞めた。
そのまま前の段に座る。三井はまだ窓の外を見ていたいだろうから、気を遣って隣はやめた。授業を聴いてはいるけれど、背中に神経を集中させている。今日の三井は静かだった。
ほの明るくなってきても、雨は降り続いた。小雨になり、光が拡散されている。授業が終わり振り向くとき、自分の音をなるべく立てないよう無意識に振舞った。何故だかは知らない。
授業をどういう態度で聞いていたかはわからないけれど、振り返ったとき三井はまた外をみていた。柔らかい光が三井の横顔を縁取っていた。睫毛がゆっくりと動いている。そんな風に人の顔を表現したことがない自分は、しばらく見とれていたらしい。
「どした」
「・・・いや、お前こそ」
「ちょっと、眠い」
「なんだそれ」
「な、食堂いこうぜ」
「俺、次移動なんだ」
「そっか。じゃ、また部活でな」
午前中の授業なのに、今日はもう会わないと宣言されたみたいだった。この後もう一コマ後で重なっていた気がするけれど、来ないつもりなのかもしれない。
「おう、後でな」
三井の曖昧な言葉を追いかけることなく、俺たちは校舎内でそれぞれの目的地へ行くために分かれた。
部活まで少し時間があって、俺は図書館へ向かった。膝の故障について読みたい本があったからだった。大学の中は、見たこともない他人だらけだ。閉鎖的な高校生活とは一風変わって、大勢の中の一人になれるのは楽だった。
人の衣擦れや椅子を動かす音、書き物をする筆記用具が紙に擦れる音が溢れる図書室で、二冊机に置いた。座って紙をめくる。
『そんな本、よく見つけたな』
静かな語り口は、いつものアイツと違うなと思う。
「知ってるのか?」
『病院で読んだ』
「そうか。俺も従姉がやっててさ」
『脚?』
「大腿骨。きつかったみたいだ」
『スポーツ?』
「事故。陸上部だったよ」
『辞めたんだな』
「いま、また走ってるけどね」
『ふうん』
独特の会話のリズムだった。ワンテンポ遅いな、と感じるのはいつもの三井と比べてのことだったので、現実の三井はリズミカルにしゃべるんだなと思う。
『お前、優しいのか遠慮がないのかわかんねぇやつ』
「なんとでも。好奇心旺盛なんだ」
「そっか」
三井はそれ以上喋らない。俺はこの静かな三井に、何を見出すのだろう。教室での知らない一面を見せた三井は、俺に心を許しているのか。それとも誰にでもそうなのか。専門用語を目で追いながら、淡々と三井のことを考えた。
『雨、止んだな』
「ほんとだ。もう痛くないのか?」
現実と混同する。
『俺は痛くない』
「そうだったな、悪い」
『へんなやつ』
緩んだ表情は、見たこともないのに自然に想像できる。三井の眉毛はいつもキリッと上向きだが、眉間が広がると目じりが下がって甘い顔になる。
先ほどまで凪いでいた心の真ん中が、どくんと脈打った。本を閉じて貸出手続きに向かうことで誤魔化したつもりだ。静かな三井は、頻度は多くないけれどゆっくり考えたいときや部屋で眠れない時に現れるようになった。
―――
三井と俺は、部活で深津と三人合わせて行動することが増えた。同世代、インハイ経験者。コミュニケーションが最初から出来上がっているわけでなくても、共通点があるだけでアドバンテージがある。パスも出しやすいと深津が三井に関心していた。
「な~終わったら飯行こうぜ」
「ラーメンの口だピョン」
「深津って結構ジャンク好きだよな、松本は?」
深津のキャラクターに一切ひるまなかった三井は、俺にも深津にも平等に接する。
「ん~、米の気分だな」
「そしたらあっこの中華でいいじゃん、ラーメン屋じゃなくて」
「三井に任せるピョン」
「おっけー」
「シャワーは?」
「ちゃっといこうぜ」
「ピョン」
この大学で一番気に入っているのはシャワールームだった。最新の施設で清掃も頻繁に入る。明るいシャワールームはアメリカの大学風で、個室になっていないけれど大人数が使える。仕切りは一応あって、配慮はされていた。
三人並んで更衣室で豪快に練習着を脱ぐ。バスケットは季節関係なく汗をかくから、とにかく洗濯物が増えるのは悩みの種だった。高校時代は選択に関し、学生寮に住まうスポーツ組だけ特別寮母さんが洗濯を手伝ってくれていた。下着や汚れの酷い物意外は、名前さえ書いてあれば毎日洗濯しきちんと天日干ししてくれる。
秋田は日照時間が少ないから、日中の太陽が出ている時間は貴重だった。ましてや学生で部活もしていると、そんな時間に干せる機会などなかったので助かっていた。今はそんな贅沢な生活がなく、毎日というほど洗濯機から洗濯物を取り出す日々だ。
「三井はいいよな、実家だろ」
「通うのが面倒っちゃ面倒かな」
「でも、洗濯の心配とか、そういうの楽だピョン」
「そりゃな~どっちもどっちよ」
「たしかにな、俺は満員電車がきついよ」
「秋田なんて満員見たことなかったピョン」
「電車走ってんの?」
「シンプルに馬鹿にするなよ」
「知らねぇからさ~」
「一応あるピョン」
「一時間に何本あるかって感じだよな」
「来ないと絶望するピョン」
「それはそれでいいとこじゃん」
「秋田にも遊びに行きたいよな」
「冬以外がいいピョン」
「だな」
だらだらと会話しながら、それぞれにシャワーブースに入る。スポーツ関係のやつらしかいないし、皆前を隠したりだとか遠慮することはない。それが当然だと思っていた。
シャワーを浴びている間、声は出さずに淡々と汗を流す。キュッとシャワー栓をひねる音がそこかしこから聞こえる。坊主頭から少しだけ髪を伸ばし始めたから、シャンプーの時間が長くなった。
隣のブースに入った三井のブースから、シャワーの栓の音が聞こえる。先に出るんだなと思い、なぜか振り向いてしまう。すると、湯気の中にふんわりと浮かぶ背中と尻、脚が見えた。
なんとなく、先日の三井の様子が頭をよぎる。初めて見る三井の知らない面に、どきりとした自分はなんだったんだろう。そして今、どうして俺はチームメイトの尻を目で追っているのだろう。
背中のラインが綺麗だなと思った。頭がのぼせていたのかもしれなかった。
しばらくシャワーを出しっぱなしにしていて、はっとする。見ているのがバレたらまずい、と完全に覗き魔の気分だった。焦って体を洗い自分も栓をひねる。タオルを腰に巻いて脱衣所に入ると、既に二人は殆ど支度が終わっていた。
「遅いピョン」
「なんだぁ、長風呂?」
「悪い、外で待っててくれ」
二人とも、まさか自分が三井の尻を見つめていただなんて知らないだろうが、どことなく気まずかった。ばたばたと支度をしながら、下着を身に着けるときに思わず自分の性器を確認してしまった。勃ってないよな。
三人で連れ立って街の中華で腹を満たす。俺は米を食いたいとか言った癖に、いざチャーハンが目の前に来てもがっつくことができなかった。シャワーでの一見がどうもひっかかる。俺は男の体で興奮するんだろうか?でも三井の背中から脚までの形は好きだな、と感じていたのは確かだ。
「松本が食欲不振ピョン」
深津は無断で俺の飯をさらったりはしないから、ボーっとしていた。正面にいる三井はタンメンを食べながら俺を上目遣いで見た。
「くわねぇ、なら俺食うけど」
「三井はそんなに食べれないピョン」
「そんなことね~よ!ラーメンももうすぐ終わるし」
「いや・・・食うよ。ちょっとのぼせたのかも」
「手伝ってほしかったら言えよ」
「三井が今度動けなくなるピョン」
「そんなことないピョン」
「やめてくれよ、笑っちまう」
上目遣いの三井が脳裏に焼き付いたことを気が付かず、目の前の冷めかけたチャーハンを口に運ぶ。腹は空いていたのは確かで、がつがつと食べた。
「松本ってさぁ、飯食うよなぁ」
「山王で小食はいないピョン」
「へー!寮生活ってそんなもん?」
「スポーツ系のやつらばっかりだからな。飯が基本多い」
「ふ~ん、共同生活ってしんどくねぇ?」
「そうでもないピョン、自分の時間くらいとれる」
「まぁ慣れれば楽だよ、大人の目がないし」
「そういうもん?よくわかんねーなー」
「三井はもっと飯くうベシ」
「新しいバージョンだしてくんなよ」
「三井、それは旧バージョンなんだ」
談笑しつつ腹を満たして、部活帰りを楽しんだ。寮へ向かう道すがら、三井と別れる、
「じゃーな、オヤスミ」
「おう」
「また明日ピョン」
三井のふるまいは、目立って丁寧ではないけど「おやすみ」と言ったり食事をするときの所作がきちんとしていた。大学から少し離れた場所で二年か三年には一人暮らししようかと言っているから、おそらく家の後ろ盾もあるんだろう。
俺は潔癖なところがあるから、食事の席で汚い奴が苦手だった。深津も三井も、その点は安心できた。
「・・・さっき、シャワールームでなんで三井見てたピョン」
「・・・っえ」
「バレてないと思ったピョン」
「いや、よく見えなかったよ。三井だったのか?」
「三井のケツ、見てたピョン」
「・・・三井が怪我してたってこないだ聞いたんだ。だから別に尻を見てたわけじゃない」
「怪我?」
「膝の故障だって」
「サポーターしてるピョン」
「治ってはいるらしいぞ」
「ふうん」
「だから、なんとなく気になっただけだよ」
「ふうん」
「じゃ、明日な」
「おやすみピョン」
「おやすみ」