【祈りの息づく】 ヤクの背に食料と衣類を詰めた袋を括り付け、フユミは高原へ続く山道を下る。向かう先は末弟ショートと、そのつがいのイズクが暮らしている草食獣の集落だ。
ユーエイ村と一括りに呼ばれているものの、その名が示す土地はとてつもなく広い。夏の間は各々の生き方に合わせて各地に散らばっている形態は、どちらかと言えば郷と呼ぶべき規模になる。
力と上下関係が絶対の、狩猟を主とする肉食獣。
自由と個人主義の、採集と農耕を行う鳥類。
相互扶助の精神を尊ぶ、遊牧民の草食獣。
その他にも多様な種族が暮らす坩堝のような場所がこのユーエイ村だ。
一年の半分近くを寒く厳しい冬が占め、春と秋は夏との境目で僅かにしかないこの土地では、単独での越冬は自殺行為に等しい。そのため冬は夏の間に得た食料や物を持って一つ所に集まり、一丸となって耐えるのがこの村の慣習だ。各種族の結束によって成り立っていると言っても過言ではない。
そんな中で雪豹族の跡継ぎ問題の渦中にいる男が異種の羊族と、それも男同士でつがいになったとなれば、どこにいても話題となるのは必至で。賛成・反対・中立、どの派閥からも注目の的、あるいは煙たがられる存在になる事は火を見るより明らかだった。
エンデヴァーの実子であるショートは無論の事、義理の息子となったイズクにも直接危害を加えるような命知らずはいない。それでも万が一の事だってあるだろうと、つがいの身の安全を第一に考えたショートの希望で、二人は今、イズクの師匠が纏める集落に天幕を置かせて貰っている。羊や馬、山羊などの草食獣を祖先に持つ人々が集まるその集落は、先ほど挙げた例に違わず扶助の精神が強い。
山道を下り終えた先、山の裾野は一面に草原が広がっている高原地帯だ。枯れ葉の色がぽつぽつ現れ始めた山の上と違って、日差しはまだ夏の強さで降り注いでいるというのに、草原を撫でる風の中には僅かに秋の気配が混じっている。
その草原の中を更に小一時間ほど歩き続け、目印の石積みの指標を過ぎた頃。ようやく見えてきた草食獣の集落に、フユミはふぅと息を吐いた。
ショート達の天幕は集落の中央、師匠が住む天幕のすぐ脇に張られている。立場の危うい二人が安心して暮らせるように取り計らってくれたのだとフユミは聞いていた。一言挨拶をしていこうかと考えたものの、繋柱に馬がいない所を見るにどこかへ出かけているのだろう。仕方がないのでその横を通り過ぎて、目当ての天幕の前にヤクを繋ぐ。
「ごめんくださーい、いらっしゃいますかー?」
まだ汚れの少ない、真新しい天幕の戸をとんとん叩いて天幕の中へ呼び掛ける。すぐさま入室を許可する声が返って来たので、フユミは遠慮なく戸を開けた。本当なら家人が開けるまで待つべきだが、相手にすぐ動けない事情があると分かっているし、家人からも許可は貰っているのだから問題ない。
「こんにちは〜」
「こんにちは、フユミお義姉さん」
「遠いのにわざわざどうもねぇ」
「インコさんもいらっしゃったんですね、こんにちは!」
家主のイズクは入って右側の奥、壁際に置かれた寝台に寄りかかっていた。隣の椅子には彼の母のインコが座っていたが、フユミの来訪を労うために立ち上がって、今は乳茶を淹れている。
二人で針仕事に精を出していたらしい。何を作っているのか聞けば、御包みと掛け布団のカバーだと答えが返ってくる。
「冬物の支度ですか?」
「早ければ来月末にはもう雪が降り始めちゃうだろうから。赤ちゃんが凍えたら大変でしょ?」
「ですね」
刺繍はユーエイ村に古くからある伝統の一つだ。草木で染め抜かれた色とりどりの糸で作られる刺繍は、壁掛けの幕から寝具の収納袋まで様々な日用品に用いられている。布や糸の元になる羊毛が身近にあるからなのか、羊族のような遊牧民は特にその伝統を大事にしている。他の種族が母から娘へ伝えるのが基本の中、子の性別を問わず受け継がせているのも羊族ならではだろう。
二人が針を通す布には、御包みと布団を使う赤子が食べ物に困る事がないよう穀物の柄と、健やかに育つよう邪悪なものを退けるまじないの柄。そして両親の祖先を表す獣の柄が、祈りと共に緑や紅白の色の糸で象られていた。
「インコさんの刺繍ってやっぱり綺麗、温かみがあって好きです。縫うのだって速いのに丁寧ですし」
「あらそう? 嬉しいわぁ」
「対価をお支払いしてでも習いたいですね……私、料理は出来るんですけど刺繍はからっきしで」
受け取った乳茶を飲みながら二人の手元をしげしげと眺める。拙い手付きで一針一針、図案を確認しながら縫うイズクに対し、長年この手仕事をしているインコは熟練の腕前を見せた。下絵もない無地の布だというのにその手は迷いなく動き、次々と模様を完成させていく。
「私はこれくらいしか取り柄がなかったから。良いと思ってくれるなら、それは夫がそこに価値を見出してくれたお陰ね」
イズクの父ヒサシは羊族だが、遊牧民ではなく行商隊で商人をしている
変わり者だった。ユーエイの外、他所の土地に出向いて商材を探している最中にインコと出会い、紆余曲折あって結婚に至ったらしい。
もっとも一度行商に出てしまうとしばらく、下手をすると年単位で帰らない人なので、イズクは子沢山が当たり前の遊牧民では珍しく一人っ子になってしまったのだが。
「お母さんの刺繍は凄いんですよ! 村一番の……いえ、世界一の刺繍なんです!」
「やだ、この子ったら。大げさ」
自分の事以上に胸を張って、自慢の母だと誇らしく述べるイズクと、頬を染めて困ったように微笑むインコ。朗らかな母子のやりとりはフユミの目には少し眩しく映る。
「……と、そうだ。イズクくん、これ今週のパンね」
ヤクから下ろしてきた荷を解く。袋の中から出て来たのは雪豹族の集落からショート達に分配された一週間分の食料だ。別の袋にはフユミが持ち帰って洗濯していた衣類も入っている。
「あとソバ粉が手に入ったからお蕎麦も作って来たんだ。他の食料と一緒に棚に入れておくから」
「ありがとうございます。ショートくん喜びます」
天幕の中の配置は伝統的に入って右側が妻の領域となっている。妻子が共寝する寝台は奥に置かれ、出入り口に近い場所を家事用の空間として使う事が一般的だ。逆に左側は夫の領域で、馬具や毛刈り用具といった道具類の置き場として使われる。
イズク達の天幕もその例に漏れず同じ配置をしていた。食器棚や調理器具等が置かれるのもその周りだが、そこは勝手知ったる弟の家。どこに何を置いて入れるのか大体分かっているフユミは、持ち込んだ食料を次々と収めていく。
「服はどうする?」
「僕が後でしまうので、寝台の上に置いちゃって下さい」
「ん、了解。ショートのは分けてあっちの寝台に置けばいっか」
「助かります。すみません、僕らの分まで洗濯を頼んでしまって……」
「良いって良いって、身重に重労働なんてさせられないよ。むしろウチのごたごたの所為で迷惑かけちゃってるんだから、これくらい引き受けさせて?」
針仕事をする二人の邪魔にならないよう脇から着替えの山を寝台に置く。その際ちらりと見下ろしたイズクの腹はふっくらと丸みを帯びていて、腹を潰さないよう幅の広い女物の帯を巻いていた。その姿は紛れもなく妊婦──イズクは男だから妊夫と呼ぶべきだろうか。呼び方はともかくとして、イズクはショートの子を孕んでいる。
思わずじっと見つめてしまったのか、止まって動かないフユミを不思議がってイズクが上を向いた。
「どうかしました?」
「あっ、や! ごめんね、ジロジロ見ちゃって。お腹の様子はどうなのかなって気になって」
「お陰さまで順調です。良かったら触ってみますか?」
「いいの?」
「もちろんですよ」
どうぞ、と言って服の合わせを寛げるイズクに失礼して、フユミはそっと掌で触れる。肌着越しに感じる膨らんだ腹の感触は、生命を宿すゆりかごの生々しい重みがした。この中に弟の血を引く命が宿っていると思うと、なんとも感慨深い。そんな事を思いながらフユミは掌に意識を集中させた。頭上の耳も、小さく早い鼓動が鳴る場所に向けられる。向けられたのだが。
「んー……んん〜?」
「朝は動いていたんですけど……」
「今はお休み中みたいだねぇ」
掌越しに何かが伝わってくる気配はなく、フユミはがっくしと肩を落とした。もう少し粘ってみたい気持ちもあるが、腹を冷やしてしまっては元も子もない。
いそいそと腹を仕舞う手伝いをしながら、フユミはふとイズクが胸当てをしている事に気付く。
「あ、もう胸当てしてるんだね」
「そうなんです。最近ちょっと胸が張り始めていて……」
「お乳が出るようにイズクの身体が変わり始めたんでしょうね」
男の身体は、俗に十月十日と呼ばれる期間より早い八ヶ月ほどで出産を迎える。胎児が大きくなり過ぎると産道代わりの直腸を通れなくなってしまうからだとか、男は胎が小さいからそもそも大きくならないなど色々言われているが、真実のほどは不明だ。
そして親の方も、早産で生まれた子にすぐ乳を与えられるよう出産の一ヶ月ほど前、大体妊娠七ヶ月頃から母乳が出る身体に変化し始める。イズクの懐妊が明らかになったのはまだ寒さの厳しい春の初めの頃だ。今はそれからおよそ六ヶ月後なので、本格的に母乳が出るようになるにはまだ一ヶ月ほど早い。
「前もって着けておけばお乳が出始めても服に染みないし、いま着けるのに慣れておけば後でラクでしょう?」
なるほどとフユミは頷いて、上手く腕が回せずに手こずっているイズクに代わって帯を留めた。 仕方のない事だが、自分で自分の世話がままならないというのはイズクも落ち着かないのだろう。背すじをモゾモゾさせて胸の違和感と戦っていた。
「……お母さん、男の妊娠について詳しいよね。誰か知ってる人にいたの?」
「あら、話してなかったかな。私の従兄弟にいたのよ、出産に挑んだ男の人」
「それ僕、初耳なんだけど」
そうだった? と頬に手を当てて首をかしげるインコにイズクは苦笑する。そして妊娠が発覚してからの母の行動もいやに早かった訳だと納得もする。
「まあ、あまり言いふらすような話でもないから」
「と、言いますと?」
「……その人ね、赤ちゃんを産んですぐに亡くなっているの」
「えっ……」
イズクとフユミはその言葉に息を飲む。無理もない反応にインコは苦笑すると、遠い過去を思い出すように目を細めた。
「私が夫と結婚してユーエイ村に来る前だから……大体三十年くらい前になるかな」
インコがまだイズク達より幼い少女だった頃の話だ。二つ年上の従兄弟は同じ羊族の男をつがいに望み、結婚の約束を取り付けた。相手は十も歳が離れた大人だったが、誠実な人となりに従兄弟の方から惚れ込んで、やがて今のイズクと同じように子を孕んだそうだ。
「けど、従兄弟の赤ちゃんが生まれた年は酷い干ばつが続いていて。草地も家畜も痩せ細ってしまうし、狩りに出ても獲物がどこにもいない。そんな状況で他所にまで食料を分けられるほど余裕のある家なんて、もうどこにもなかった」
私の家族は木の根を嚙って飢えを凌いだけれど、とてもひもじい思いをしたのは今も覚えてると、インコは胃のあたりを手で擦りながら話を続ける。
産後の肥立ちがとても重要だという事は、二人の弟の出産と育児に立ち会った経験のあるフユミにはよく理解できる話だった。一人目の弟のナツオを生んだ後、母はうまく食欲が戻らなくて山羊の乳を代わりに与えていた時期がある。
「じゃあ、その人は」
「赤ちゃんが産まれて一月もしないうちに亡くなって……赤ちゃんも後を追うように弱って、息を引き取った」
「そんな……」
親戚の辿った悲運にイズクは掌を握りしめて俯いた。フユミも口元を手で覆って、動揺を隠せずにいた。
その後、インコはヒサシの元に嫁ぎ故郷を離れる事になったのだが、それから間を置かずインコの故郷の村は人手不足で立ち行かなくなってしまったらしい。村人達は親族等の伝手を頼って散り散りになり、一部はインコと同じようにユーエイ村に来たのだが、しかしその中に、従兄弟の夫となった人の姿はどこにもなかったという。
つがいと我が子を喪った悲しみに耐えきれず蒸発したのか、はたまた新たなつがいを求めて別の土地へ旅立ったのか。三十年近く経った今では知る由もない。
「だからその事を思い出すと……って、やだ、ごめんね! こんな暗い話、する必要なかったよね。フユミちゃんもごめんなさいね、私ったらどうかしてるよね!」
「い、いえ、そんな事は」
「それよりイズク、あんた赤ちゃんの名前の話どうしたのか聞きたい──」
「お母さん」
天幕内に落ちる重く暗い雰囲気を変えようと努めて明るく振る舞うインコだったが、その空元気をイズクの穏やかな声に遮られた。
「大丈夫だよ。僕は……僕たちは大丈夫だから」
イズクは至極落ち着いた様子でインコを安心させるように微笑む。身につまされるような話を聞いたというのに、その表情に悲壮感は微塵も浮かんでいない。
「って言っても、僕もショートくんもすぐ無茶するから、あまり信用ないかもしれないけど」
眉尻を下げてふにゃりと笑い、形の歪な右手をひらひら振ってみせる。傷痕だらけのその手が、二人が絆を繋いだ証として存在していた。
「それよりも、お母さんにとっても辛い事なのに……でも、大事な話を聞かせてくれて、ありがとう」
「イズク……」
母子で揃いの碧の瞳越しに、イズクの覚悟とショートへの深い愛情と信頼が伝わってくるようで、インコは目頭に溢れ出した涙をそっと拭った。
「まだまだ子供だと思っていたのにねぇ」
「お母さんに比べたら僕なんて子供だよ」
「うふふ、そうね。もう少し綺麗な刺繍が作れるようにならないと、一人前の羊族とは言えないね?」
「お、お母さん!」
それは言わないでよと、膝の上に置いていた御包みの布を隠すように手繰る。縫い目の不揃いなイズクの刺繍は、インコの繊細で緻密なそれと比べてしまうとやはり拙い。
「そ、それより! 子供の名前なんだけどさ!」
「ああそうだった。結局どうしたの」
「私も気になる! もう決めてあるの?」
話題を逸らす事には成功したものの、今度は二人から興味津々な視線がざくざく突き刺さって、却って居心地が悪い。
「その、まだなんです。出来れば顔を見てから決めたいねって、ショートくんとも話していて」
名付けは子供への最初の贈り物、とも言われている。二人で少しずつ候補を出し合ったりもしたのだが、最終的に生まれて来るその子に合った名前をつけてあげたいと見解が一致したのだ。そうかと頷くフユミ達だったが、でも、と口を開く。
「いきなりゼロから考えるのは難しいよ、きっと」
「そうよねぇ。いくつか候補を考えておくくらいは良いんじゃない?」
「んん……やっぱり考えておいた方がいい?」
正直に言ってしまうと、今はまだ何も思いつかないから誕生まで後回しにしているという自覚がイズクにはあった。しかし今決まらないものが数カ月後に決まっている確証なんてないのも確かであるし、二人の言う通り候補を考えておくのも悪くはないだろう。
「生まれる予定が秋なんだから、やっぱりその頃に咲く花とかにちなんだ──」
「イズクくん達の身近にあるものとか、気象現象からも発想を膨らませて──」
「わわ、待って、メモ! メモするから!」
当事者を放り出してどんどん進む話に、イズクは慌てて上着のポケットから愛用の手帳を取り出す。賑やかな談笑は太陽が天頂に登り、やがて傾いて空を赤く染める頃まで続いた。
*****
「姉さんもお義母さんも、俺が戻る前に帰っちまったのか」
西の果てに太陽が沈んだ頃、ショートがフユミ達と入れ替わるように放牧から帰宅した。
草食獣の集落に居を移してから、ショートは師匠に師事して放牧に赴いている。イズク達の負担を少しでも減らそうと彼なりに努力している事が伺えた。
慣れない仕事で疲れていないかと心配するイズクを余所に、むしろ手土産に野ウサギを捕らえて持ち帰って来る余裕すら見せるのだから驚きだ。祖先の獣の性なのか、ショートは放牧に出かけた先でついでに獲物を捕らえてくる事が多い。自身の懐妊が発覚してからはより顕著になったとイズクは思う。
「暗くなってきたし今日は泊まりませんかって引き止めたんだけどね。その……『若い二人の邪魔はしちゃいけないから』って……」
「……今度、帰った時に、ちゃんと礼を言っておく」
「うん、そうして」
夕食後の乳茶も飲み終わり、一息つくのんびりとした団欒の時間。真夏と同じ格好では少し肌寒くなって来ていて、そろそろストーブを常に炊く必要がある時期になるのだろう。
互いの温もりを分け合うように寄り添う夜の過ごし方は、最近のイズクのお気に入りだった。ショートは寝台に腰掛けるイズクを後ろから抱きかかえながら、膨らんだ腹を労るようにゆっくり撫でる。寄りかかる重みは以前より増しているが、それはショートにとって望外の重みだ。彼の長い尻尾も左側から回り込んで、イズクの腹を労るようにふさふさの毛並みで包み込んでいる。
「ふはっ。尻尾、くすぐったいよショートくん」
「お、悪ぃ。腹に障ったか?」
「ううん、それは大丈夫だし、構わないんだけど……さっきからずうっとお腹を撫でてるから、どうかしたのかちょっと気になって」
「いや……お義母さんの従兄弟さんの話、他人事じゃねぇよなって思って」
「……うん。そうだね」
ショートとイズクと同じ男同士のつがい、心から愛し合っていただろう二人に訪れた死別という悲劇。それを思うと、何とも言い難い感情で胸が締め付けられるのだとショートは語る。
幸い今年のユーエイの夏は天候に恵まれ、越冬にも困らないだけの収穫が望めそうではある。それでも、何が起こるか分からないのがこの土地の冬の厳しさなのだが。
「もし食料が足りなくなったとしても俺が狩りに出て、意地でも獲物を持ち帰る。お前と子供を絶対に飢えさせたりしねぇ」
ショートの言葉を聞きながら、イズクは膨らんだ腹に視線を落とす。まだどちらの種族かも性別も分からない命だが、この子はショートとの想いを繋いだ大切な子だ。それを守りたいと願う気持ちはイズクも同じくらい強く持っている。
「お母さんから話を聞くまで、僕、何があっても──僕の命に代えてでも守るって意気込んでたんだけど……違うんだね、ショートくん」
「ああ、そうだな。こいつとイズクと、それから俺も。三人揃ってねぇと意味がねぇんだ」
ショートは再びイズクの腹に手を当ててするりと撫でる。イズクも温かな彼の手に右手を重ねて、まだ見ぬ我が子へ万感の想いを注ぐ。
「二人で、守るぞ」
「うん」
「そういや胎動ってもう始まってんだよな?」
「うん。もう何回かぽこぽこしてるの感じてるよ」
「マジか……一回も知らねぇぞ俺」
イズクの体調を一番に心がけ、誰よりも寄り添っているという自負があるだけに、ショートはまだ一度も胎動を感じていない事が不満……というか、少し不安らしい。早くも反抗期かと力なく項垂れるつがいの姿に苦笑しながら、腹を撫でる手にそっと自身の手を重ねる。
「もしかして嫌われてんのか、俺」
「うーん……赤ちゃんもお腹の中で寝たり起きたりしているみたいだし、たまたま寝てる時に当たってるだけじゃないかなぁ」
「そうか?」
「そうだよ。あ、そうだ。お腹に話しかけてみるのはどうかな?」
「おお」
声に反応するかもしれないという提案にショートは頷くと、狩りの時に見せるような俊敏な動きで寝台から降り、イズクの腹の前に陣取った。
「いきなり大声はこの子が驚いちゃうかもしれないから、最初は抑えてゆっくりね」
「分かった。……聞こえるか? 俺はショートだ。お前の父さんだ」
頬擦りするように腹へ顔を寄せたショートは、中の子によく聞こえるよう一言一言丁寧に発音し話しかける。触れた唇から腹に声が響く感触が何ともくすぐったい。
──イズクん中は居心地いいのか? あんまり蹴ってイズクを困らせるなよ。俺も頑張ってお前を迎える準備するから。早く、元気に生まれて来てくれ。
そう懸命に腹の子へ向かって話しかけるショートの姿に、イズクは胸の奥がじんわりと熱くなる。
「ほら、君のお父さんがお話ししてくれてるよ」
得も言われぬ多幸感に包まれながら、自身の手でも腹を撫で、中の子に答えてくれるよう祈った。
その瞬間は唐突にやって来る。
「……あ、」
「おっ」
「ね、今、動いたよ、分かった?」
「分かった、動いたな。おぉ……」
蟀谷より少し下、ショートの頬骨のあたりに腹の内側から衝撃が伝わった。驚きと喜びと、感動に興奮するショートの耳と尻尾は、上下に左右にぴこぴこぶんぶん動いて忙しない。
「すげぇな。本当に……ここに、いるんだな」
俺たちの子が。そう幸せを噛みしめるように呟いて、ショートはイズクの腹を撫でさする。
小さな小さな命の力強い胎動。ショートの声に答えるように動いたそれを、イズクとショートはしばらくの間、静かに身体を寄せ合って感じ続けた。
──それから二ヶ月が経った、ある晩秋の日。抜けるような青空の下で一つの産声が上がる。
雪豹族と羊族のつがいの元に生まれたのは、白銀の産毛に浅葱色の瞳をした、羊族の女児だった。
その誕生を祝いに雪豹族の長が妻や三人の子女らと共に息子の天幕を訪れ、つがいが驚きの声を上げる事になったのは、また別の話になる。