春の日 膝丸のもとに兄が顕現されたのはよく晴れた春の日の朝だった。柔らかな梅の香りがまだ少しひんやりとした朝の空気に溶けて淡く薫る。短刀らの声が楽しげに響く中庭を抜けて渡り廊下を進むと、膝丸は鍛冶場を目指した。近侍は朝食前、昼食前、そして夕食前に必ず鍛刀をすることがこの本丸では決まっている。近侍は三日おきに交代となり、膝丸の当番は今日で最後だった。明日からは少し長く布団にいられるな、などと考えながら鍛冶場へ入ると、炉は既にごうごうと火が焚かれ、小さきものたちが一斉に膝丸を向いて微笑んだ。
「日課の鍛刀だ、よろしく頼む」
膝丸がその場で膝をつき審神者から預かった札を手渡すと、小さきもののひとりがそれを受け取り、他のものたちがわらわらと準備に取り掛かる。膝丸は邪魔にならぬようにすぐさま立ち上がると、一歩下がってその様子を見守った。
日陰はまだ寒いと感じるようなそんな朝だ。鍛冶場は絶えず火が焚かれているので、恐らく本丸の中で一番温い場所だった。
遠くでは幼き姿をした刀らの声。薫る梅の花。柔らかな日差し。温い鍛冶場。早朝の日課。
膝丸は、一瞬己が微睡んだのかと思った。ぱっと辺りが眩くなって、まるで夢の中のようだったのだ。
「源氏の重宝、髭切さ。君が……、おや?」
甘くとろりとした声が膝丸の鼓膜を撫でて、そうして優しく微笑んだ。白妙の衣装に身を包む姿に後光がさしているように見えたのは、恐らく幻だろう。けれど膝丸には確かにそう見えた。
膝丸が初めて恋を知ったのはよく晴れた春の日の朝だった。まだひやりとした空気が頬を撫でる、そんな朝。高鳴る鼓動、熱を帯びる頬、臓腑を締め付けられるような妙な心地が膝丸に春を告げたのだ。