彼らのこと ぐす、と鼻をすする音がする。仙道はぼーっと空を眺めていたが、振り返ってその子どもの顔を覗き込んだ。
「どうしたの」
「あっちにおばけがいる……」
目をこすりながら、少女は公園のブランコを指差した。仙道もそちらを見てみる。だが何も見えない。公園にいるのは仙道と少女、二人の母親だけ。風に揺られ、ブランコがキイキイと音を立てて揺れている。
「みえない」
正直にそう言うと、少女は更に泣き出す。困った、どうしようと仙道は頭をひねる。母親たちは何か談笑していて、泣いている少女に気が付かない。
「だいじょうぶだよ」
仙道は迷いながらも、少女の手を握った。お互いの小さい手を重ねて、ぎゅっと力を入れる。少女はゆっくり顔を上げて、涙で濡れた丸い瞳を仙道に向けた。目と、鼻と頬が赤くなっている。守ってやらないと、そう思った。
「おれがいるよ」
「……」
そう言って少女と手を繋いだまま立ち上がった。少女は仙道の背中に張り付いて隠れるようにして歩く。仙道はすごく歩きにくかったが、そのまま母親のところまで歩いた。
「ハジメが泣いちゃった」
「あらあら、どうしたのかなー? 眠たいかな?」
少女の母親が少女を抱き上げて、どうしたのと頬を摺り寄せた。少女は母親の首に顔をうずめてまた泣き出す。しばらく泣き止む様子はない。
「ありがとうね彰くん」
「ううん、いーよ」
今日は帰るわねと少女の母親が言うので、仙道も帰ることにした。仙道は自分の母親と手を繋いで散歩する。すると、母が何気なく神社へと連れて行った。
ほとんど人がいない、ひっそりした場所にある神社。木の葉がざわざわと揺れている。母と手を繋いでお賽銭の前に立った。
10円を渡されたので、仙道はそれをひょいと投げて賽銭箱へ入れた。チャリン、良い音がした。ガラガラと鈴を鳴らして、母に倣ってお辞儀をする。パンパン、手を叩いて母が祈るように目を瞑った。
「家族みんな、元気で過ごせますように」
その母のつぶやきを聞いて、ああ今お願い事をするのかな、と仙道は思った。だから仙道も手を叩いて、同じように祈った。
「ハジメとずっと一緒にいられますように」
そうつぶやいた時、ちりん、とどこからか鈴の音がした。気になって顔を上げると、変なお面をかぶった人が、神社の屋根に座って仙道を見下げていた。
お面をかぶっているというのに、どうしてか目が合っているような気がする。だから仙道は目をそらさずにずっと見ていた。
「彰、何見てるの?」
「おめんのひと」
「お面? どこにいるの?」
母親に言われて仙道は屋根の上と答えた。だが母は一向にその人を見つけられない。そうこうしているうちに、お面の人はどこかへと行ってしまった。
「いなくなったよ」
「えー、神様でもみえてたのかしら」
ふふ、と母は笑って、また仙道の手を握って歩き出した。神社を出るとき、振り返ってまた屋根の上を見るが、誰もいなくなっている。
ざわざわ、木の葉が揺れる。あの時、いったい誰が仙道のことを見ていたのか、今でもふと気になるときがある。
「ごめんね彰君。ハジメちゃんのことでお話があるの」
小学4年生のとき、仙道は担任の先生に呼び出された。面談室に呼ばれて、誰にも聞かれないようにお話しする。
「ハジメちゃんね……たまに、可笑しなことを言うでしょう」
「……」
「きっと皆に構ってほしいからだと思うのよ。でもね、そういうやり方は良くないの。彰君、ハジメちゃんが皆の輪に入っていけるようにしてくれないかな。ほら、休み時間とか、体育のときとか」
担任は優しい笑顔を浮かべて、仙道にそう言った。仙道は静かに、ニコニコしながら聞いていたが、先生が言いたいことを言い終えてから首をかしげた。
「どうしてハジメが皆のところに行かないといけないんですか」
「え……?」
「おれがいるから大丈夫ですよ」
仙道はさも当然という風にそう言いのけた。先生は驚いて言葉を詰まらせる。まさか、拒否されるとは思っていなかったらしい。
「でもね、ハジメちゃんも他にお友達が欲しいと思……」
「いらないです」
「……あのね彰君、それはハジメちゃんに聞かないと」
「じゃあ、ハジメの話すこと、信じてくれる子だけ友達にします」
「……」
そんな子、いるわけないだろうと、幼い仙道にもわかるくらい担任の顔が呆れかえった。仙道はニコニコ笑ったまま、担任の顔を見つめる。
「俺、バスケいかないと。せんせい、さようなら」
そう言って仙道は勝手に面談室を出ていった。
あいつに友達なんていらない。だって俺たちはずっと一緒だから。神様にお願いしたら、本当に仙道は彼女と一緒になることが多くなった。クラス分け、席替え、給食当番、掃除当番、何やら何まで。だから心配しなくてもいい。だって一緒なんだから。
それから担任は、仙道とハジメを引きはがそうとするようになった。席替えはくじ引きでなくなったし、給食当番も新しくグループを作った。でも来年になって担任が変わったら、また仙道とハジメは一緒になった。前の担任は交通事故にあって、しばらく入院しなければならないらしい。やっぱり、神様は仙道の味方だった。
中学になったら、ハジメは普通になろうとするようになった。女の友達もできたみたいだった。仙道は少しそれが面白くなかったが、でも本当のことを知っているのは自分だけだと思うと、気分が良くなった。
ハジメは釣り部に入部した。そこで、先輩にいじめられていると、仙道は耳にした。結構陰湿で、先生も一緒になってやっているとも聞いて、仙道はハジメに聞いてみた。でもハジメはそんなことないと隠す。だから仙道は自分で見に行くことにした。
ハジメの部活のロッカーには、濡れた雑巾や壊れた釣り道具、袋に入れられたごみが詰められていた。ハジメは物をたくさん溜め込まないから、きっと誰かが入れたんだろう。
こういうのって良くないよと、仙道は3年の先輩に直接言った。でも先輩は自分がやった証拠はないと言う。次に先生に話すと、ロッカーのものはきっとハジメのゴミなんだろうと言った。誰も取り合ってくれなかった。
「なあ、担任にも言おう。あれは酷い」
「いいよ、別に」
「でも」
「放っておいて。ほら、彰はもうすぐ全中でしょう。忙しいんだから」
困った仙道はハジメの母親にも話そうと思った。でも中々会いに行く機会がない。そんなとき、バスケ部で神社で勝利祈願しようという話になった。
向かった神社は、学校から一番近い神社だった。そこでバスケ部全員で手を合わせた。きっと皆バスケのことを祈っているのだろうが、スポーツに神頼みなんて意味がないと思っている仙道は、別のことを祈った。
ハジメをいじめている人たちに、罰が当たりますように。
ちりん、鈴の音が聞こえた。目を開けると、先輩が鈴をつけた自転車のカギを地面に落としてしまったようだった。
神社に行った翌日、釣り部の先輩が人を刺して警察に捕まったという話が学校中で広まっていた。釣り部の顧問は、飲酒運転の車に突っ込まれて骨折したらしい。彼らは部活からいなくなり、ハジメへの嫌がらせはピタリとなくなった。
へえ、やっぱり神様って見てるんだな。そう仙道は思った。自分が祈ったおかげとは思わなかった。そんな力が自分にあるはずはないと。
「ハジメ、今度の大会東京開催だけど、見に来ないか?」
「東京なら行く」
いじめがなくなったからか、ハジメの顔が元気になった。やっぱり辛かったんじゃないかと仙道は言いそうになったが、ぐっとこらえて頭を撫でるだけに留めた。