ばついち流と娘の会話「おとうさんは」
「……」
「あの人がすきなの」
いつものように、ドライヤーで髪を乾かし終え、もみじの学校での話を聞いているときだった。娘にしては珍しく、こちらを窺うような慎重さを見せた聞き方をしてきた。
流川は膝の上に乗る娘のつむじを見つめた。小さくても女だ。もし息子だったら気づくことはなかっただろう。
「だったら嫌か」
娘はプラプラと足を揺らしながら、うーんと唸った。
「ハジメがお母さんになるの」
「わかんねえ」
「お母さんのことはもう好きじゃないの」
もみじが、振り返らずに下を向いてそう聞いた。流川は久しぶりに体が冷えるような衝撃を感じた。その声色には流川を責めるような色が滲んでいた。別れるときの元嫁の言い方にも似ていた。
「……好きじゃない」
正直に流川は答えた。嘘をついてもバレるだろうから。娘はきっと元嫁のことを嫌っていないし、元通りになるのを望んでいるとも聞いていた。だがそんなのは無理だ。もうあの女に抱く気持ちは知り合いの一人に向けるものほど軽くなってしまったし、それに三嶋が近くにいる。きっと自分の気持ちはずっとそちらに向く。あの人への気持ちを殺して、好きでもない女とまた生活を始めるとなったら、それは捨ててしまいたいほど最悪な人生だ。
「もみじがおかあさんの代わりにあやまるよ」
娘がこちらを見た。その目はゆらゆらと揺らいでいるが、決壊することはない。ただ何かを堪えながら、言葉を紡ぐ健気さがあった。
「あやまったらまたすきになる?」
言葉尻が滲んだ。もみじは唇を噛んで、すんっと鼻をすすった。
流川は小さな娘の頭に自分の手を置き、ゆっくり撫でた。乾かしたばかりの髪はさらさらと触り心地が良い。石鹸の清潔な香りがした。
「ならない」
娘は何も言わなかった。黙って流川の膝から降りて、寝室へと向かった。流れた涙が一粒だけ床に落ち、フローリングを濡らしたのを、流川は静かな瞳で見つめていた。