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    fuji6ra

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    三松お焚き上げ2 同大IF ノンケ×クローゼットケ゛イで不倫ネタを書きたかった

    自分が『そっち側』の人間だと気づいたのは中学生のときだった。
    はじめて性欲をしっかり己の実感として自覚した相手が部活の指導に来てくれたOBの大学生だったのだ。
    彼は強豪大学でレギュラーを獲得しているくらいだったから、バスケ自体とても上手だった。だから、今思えば憧れも半分ほどあったと思うが、休憩中に彼がTシャツの襟を伸ばして顔の汗を拭ったときに見えた素肌と、薄っすら生えていたおそらく陰毛へとつづいている臍の毛から目が離せなくなったのだ。そして、あけすけに言えばそれを見て勃起をした。
    当時は己の異変にひどく狼狽えて、焦って「すみません、お腹が急に痛くなって」とトイレに逃げ込んだのを覚えている。そして、収まるまでじっと、ただひたすらじっと耐えていた。
    どうにか勃起を収めても、一度それが気になってからはまったく集中できなくて、せっかくの機会だったのに「松本はいつも一番上手いのになあ。調子悪いのか?」とコーチから心配されてしまうくらいだった。OBの彼が「僕の教え方が下手なんですかね」と笑って和ませてくれるのも申し訳なかった。
    自慰もせず耐えたのは、その現実を受け入れがたかったからだ。そのころはちょうど周囲もそういう色っぽい話題にも興味が出てくる年頃で、しかし松本は友人たちとは違って女性にはまったく興味が湧かなかったのだ。そのときは、それはきっとバスケに打ち込んでいるからだと思っていた。
    けれど、そうではなかったとわかってしまった。自分はたぶん、男性が好きなのだ。そして、それがマイノリティであることも同時に自覚した。だから、耐えるしかないと思っていた。
    ただ、己の性的志向を自覚してからは余計に恋愛に興味がなくなったのもあり、さらにバスケットボールに打ち込むことができたともいえる。競技に集中しているあいだは余計な思考や猥雑な会話から避けるから、逃げ道があるのは助かった。
    おかげで、最強と謳われる山王工業高校への進学も決めることができて、バスケ人生でいえば順調だった。松本としても、現状に不満はなかった。時折彼女は欲しくないのか、とか、そういう会話を振られることもあったが「バスケで忙しい」と言えば「おまえはそうだよなー」と笑って流してもらえた。
    そして、いよいよ山王工業に入学してからは否が応でもバスケ漬けの生活を送ることになり、正直言って恋愛どころではなかった。強豪校らしい縦社会のルールも覚えないといけないし、練習はとにかくハードで、寮に帰れば生活に必要なことをして即就寝という毎日だった。
    けれど、そんな高校生活の中でもひとつ気づいたことがあった。自身の好みについてだ。同性が好きなのだとは思っていたけれど、寮生活を送っていて誰かの裸を見たとしても何の感情も湧かないのだ。興味すらない。
    どちらかといえば、ときどき顔を出してくれるOBの先輩だとか、先生たちのほうが惹かれた。特に、進級するにつれ深く接するようになった監督の堂本は松本にとって惹かれる対象の一人だった。
    堂本は若く見える(実際、他校の監督たちからすれば若いだろう)のを気にしてか、髭をたくわえているのだが、松本の目にはそれも可愛らしく見えた。また、堂本は人としても生徒ひとりひとりをよく見てくれていると感じるし、指導も的確だった。
    多分、性の目覚めが中学時代に出会った彼だとしたら、恋愛感情に近いものを理解したのは堂本だったと思う。けれどこのときにはもう己の感情に蓋をすることに慣れはじめていたし、ほのかな憧れでだけでとどめることができていた。
    ただ少し困ったのが、松本は他のバスケ部員に比べて人当たりがいいとか見た目がいいとかで(もちろん自分ではそう思わないが)、数少ない女子生徒や大会で松本を見たらしい他校の女子生徒から秋波を送られることが少なくない回数あったことだった。
    そのたびに周囲からは羨ましがられたり冷やかされたりして、しかし女性に興味がないと言えるわけもなく、松本は毎回「バスケで忙しいから……」と申し訳ない気持ちいっぱいで返事をしていた。



    松本が高校三年生のときの夏のインターハイ、山王の不敗神話は神奈川の無名高校――湘北高校――によって崩されることとなった。誰も予想していない展開だった。
    チームメイトの誰もが敗北、初戦敗退の二文字を噛みしめ、やり場のない感情に打ちひしがれていた。啜り泣く声も聞こえるロッカールームで、松本は泣けなかった。
    死ぬほど悔しくて、たらればの想像ばかりが脳裏を過ぎったが、ただ息を吸って吐く、それに集中していた。次の学校の試合も控えているし、いつまでもここにいるわけにはいかないし。
    素直に感情を吐き出せている、スーパーエースの沢北が羨ましかった。沢北は可愛い後輩だが、いずれ松本が呼ばれるはずだった「エース」の座は彗星のごとくあらわれたこの男に取って変わられた。もちろんそれに嫉妬やライバル心はあったけれど、勝利に向けた最強のカードができたことはチームとして喜ばしいことだったし、バスケ馬鹿の存在は松本にも張り合いを生ませた。
    沢北は、今回の試合中でも気分のムラはあったものの素晴らしい働きをしていた。自分本位な面も多いが、それだけの実力を兼ね備えている。
    比べてはいけないとわかってはいるものの、松本は後半、ずっと湘北の十四番に翻弄されてしまっていた。そういう自覚があった。間違いなく、あいつは限界を超えていた。きっと自意識よりも先の、身体が覚えている動きだけでゾンビのように何度もよみがえり、あのシュートを放ち続けたのだろう。
    あの完璧な放物線を描くスリーポイントのフォームは忘れられない。足だって動いていないし、シュートを放つとき以外は腕にも力は入っていなかった。そして、ぶつぶつと自分自身に言い聞かせるような妙な独り言をつぶやきつづけていた。
    ――三井……。
    松本はその独り言につられるように、咄嗟に彼の名前を呼んでしまったことを思い出し、おそらく一生忘れない名前だろうな、とぼんやりと思った。



    松本のバスケ人生はあの夏の敗北で終わるわけもなく、バスケ以外にない、ということもあり、松本は大学に進学してもバスケを続けていた。
    というよりも、あのあとのウィンターカップでは無事返り咲きを果たし、山王はやはり最強山王として松本は高校最後を有終の美で飾ることができたのだ。また、沢北不在の山王でエースらしい働きをしたのは松本だった。そして、それを見ていた大学関係者からのスカウトがあり、松本は強豪大学への進学を決めた。
    大学でも寮生活だったが、高校の寮とは違って借り上げのアパートがあり、そこで暮らすよう宛がわれるといった感じだった。スカウトでの進学ということもあり、松本は卒業式後すぐに上京し、大学入学前からバスケ部の練習に参加させてもらっていた。
    松本と同じくスカウトされた新入生は、やはり全国大会で見たことのある顔ぶれで「おまえもか松本」と声をかけられることもあった。大学のバスケ部は、高校の時とはまた違うハードさ、ストイックさがある。
    それもまた楽しく思いつつ、同級生から言われた「大学生活も楽しもうぜ」の言葉にも頷いたのだった。
    四月一日、入学式よりも先にオリエンテーションがあるため、もうすでに親しくなっていたバスケ部の仲間とともに寮から大学へ向かった。オリエンテーションは学科ごとに行われるので、いったん仲間たちと別れて自身の所属する学科のオリエンテーションが開かれる教室へ向かった。
    松本はスポーツ科学学科に進学したが、だいたいが松本のようなスカウトかスポーツ推薦の面々が多い。一般入試で入ってきた学生もいるようだが、多くがもうすでに知り合いといるようなので数は少なそうだ。
    空いている席を探して腰を下ろし、一息つく。そのとき「あれ?」と一席空けた隣の席にいた男から声をかけられた。自分に話しかけているのか? と思って視線を向けると、忘れもしない顔の男がそこにはいた。

    「おまえ……」
    「おまえ、山王の六番だよな! うわー、おまえもこの大学だったのかよ~! 昨日の敵は今日の友ってやつ? すげー偶然、いや偶然でもねえのか。あ、おまえってもしかしてスカウト?」

    よくしゃべるやつだな……、と松本はその勢いにやや引きながら「あ、ああ」とだけ答えた。

    「オレの名前、わかるか?」

    忘れるわけがないだろう、というのは飲み込んで「三井、だっけ……」と答えた。すると、三井はピカーっと光るような笑みを浮かべて「お! 覚えててくれたのか! おまえ松本だろ~、オレも覚えてるぜ~」となぜか上機嫌に言った。
    三井はせっかく空けていた席をなぜか詰めてきて「オレ、一般入学なんだけどさ、バスケ部ってどんな感じだよ」と興味津々といった様子でたずねてきた。試合中、あのゾンビのような動きへの恐怖とともに抱いていたのはきっと頭のいい男なんだろうという印象だった。
    けれど、いざコートの外で会ってみるとその印象を百八十度覆されるような、そんな明るさとガサツさが一言で感じ取ることができた。もっとクレバーでクールな男なのかと思っていた。いまの質問だって、ふんわりとして的を射ない。

    「どんな感じ……? まあ、それなりにハードだけど……」
    「山王のおまえがそう言うんじゃ結構キビシイのか! つーかさ、オレほんとはここの推薦狙ってたんだけど内申点がどーのこーのでやっぱムリでよー、結局死ぬほど勉強して一般入試でギリギリ滑り込めたんだぜ。すごくねえ?」
    「……すごい」

    圧されるがままに頷く。一応この大学はバスケ界以外、一般世間からしてもそれなりの中堅大学だから内申点で躓くような男が一般入試で受験するのはまあまあ大変だったのではないかと思う。
    三井は「いやー、知り合いがいてよかったわ~」と呑気に言って「松本おまえ、スカウトってことは試験受けてねーんだろ。今ならオレのが賢いかもな」となぜかフフンと勝ち誇ったように言った。

    「面接はあったからおまえより態度は良い」

    なんとなく三井のその表情が気に入らなくて、つい当てつけるように答えれば、三井は一瞬驚いたように目を見開いたあと「あ、オレうるさい?」とようやく気付いたらしかった。

    「……周りを見ろ。チラチラみんなこっち見てる。おまえいつもそんな大きい声なのか?」
    「高校ンときも周りがあんなんだったからよー、自然と声デカくなったわ」

    あはは、となぜか楽しそうに三井は言った。確かに思い出してみると、彼のいたチームはなんというか……言葉を選ばず言うなら不良っぽくてチャラかったから、おおよその想像はついた。
    三井の横顔を見ながら、松本は嫌な予感に胸がざわついた。この男にまた翻弄される、嫌な予感だった。



    三井は当然のようにバスケ部に入部し、一般入試組だと珍しがられて、先輩たちからも可愛がられていた。
    松本が当初抱いた嫌な予感は、部活面においてはまったくもって的中せず、むしろ三井の能力の高さに驚かされた。スリーポイントを切り札に持つ男としか思っていなかったが、それ以外のことも器用にこなすし、コート内や互いの心理状況がよく見えている。当時の気味悪さが異様だっただけで、案外頭の良い男らしい、と印象が一変した。
    ただ、ここには『バスケにおいては』という注釈をつけねばならない。私生活や大学生活においては、まったくもってその頭の良さが発揮されない。地頭はいいのだろうが、とにかく勉強はダメだった。あとレポートの締め切りだって忘れる。
    同じ部活、同じ学科、ということで松本が三井と過ごす時間は他の部員たちに比べても多かった。面倒をかけられる率は松本が圧倒的に高かったけれど、三井も義理堅い性格だというのもあり、次第に、友人と自他共に認める仲になっていった。
    そして、仲が深まるにつれ互いの交友関係も見えるようになっていって、三井はいわゆる”モテる”男だった。一般的に見れば背も高いし、顔立ちだって悪くない。ただ、少しデリカシーに欠ける面があるので、長続きはなかなかしないようだった。

    「そういや、おまえが彼女連れてるとこ見たことねーな。真面目すぎてモテねーか」
    「うるさい。ほっとけ」

    三井はよく松本の寮へやってくる。一人暮らししているアパートより大学が近いからとかそういう理由で「寮っつってもアパートじゃん」といってよく入り浸っていた。
    それは一年生の夏ごろから始まり、三年に進級した今も変わりない。なんとなく、卒業までこんな感じなのだろうなと松本は思っていた。

    「でもおまえ、顔は悪くねーし、優しいし、モテそうなのにな」
    「褒めてくれてありがとな」
    「おう。じゃなくて、ほんとに彼女いねーのか? もしかしてオレがここに入り浸りすぎて連れ込めねーとかそういうことじゃねーよな?」

    どうやら三井は誰かに何か言われたらしい。松本がじ、と目を見れば「……おまえは松本に頼りすぎだって言われて……」と白状した。
    確かに、大学の試験だとかレポートなどにはかなり手を貸してやっているし、履修登録の時点で「松本と一緒のやつにするわ」と寄せてくるのだから頼りにされている自覚はある。
    だが、大学の友人たちにとってはそれがもはや当たり前の光景であるらしく誰も三井に注意することはない。ここまで三井が気にするとは、と思っていれば「いや、こないだ赤木たちに会ってよぉ」と話し始めた。

    「松本と同じ大学だっつって、今のこの、何? 生活の感じを言ったらよお、なんか、すげー……」
    「すげー、なんだよ」
    「松本に迷惑をかけるな、とか、松本の立場になって考えてみろとか言われて……いやでもそんなにオレたちべったりじゃねえよな? オレだってフツーに彼女できてるし、おまえだって自分の時間あるし、そこまでじゃなくね?」

    当時言い返せなかった怒りが今湧いてきているのか、三井は熱っぽく「仲良いのって悪いことじゃねーだろ! オレは徳男とだって今も仲良いぜ!?」といきり立った。
    三井の片手にはビールの缶が握られている。どこかで飲んできたらしい三井が「泊まらせてくれ~。これ宿代」と持ってきたものだが、結局自分で飲んでいる。三井とはそういう男だとこの二年半でよくわかった。
    松本は「そうだな」と適当に受け流して、メールの着信を知らせた携帯を見た。三井はまだぶつくさ言っているが放っておいても問題ないというのも、この二年半でわかったことだ。
    ――あと別に、彼女の心配はしてくれなくても大丈夫。
    松本は口には出さずに届いたメールに返信をした。文章を打ち込みながら、つい口角が緩んでいたのか、三井に「なんだ、彼女?」と指摘された。
    いや、と一度首を振りかけてから「まあ、そんなもんかな」と返事をした。

    「はあ? 松本おまえ、そんな、テキトーな付き合い方できる男だったのかよ!?」
    「あーもう、大きい声を出すな。夜なんだから」

    松本が返答を濁したのは、確かに交際関係にはあるけれども“彼女”ではないからだ。相手は二十歳以上年上の男で、関係は一年近くになる。
    上京し、ある意味身軽になった松本は自身と似たような志向を持つ同士が集まるバーに行き、そして彼に出会った。彼は優しくて、何もかもが初めての松本にも終始紳士的に接してくれた。
    そして何より、彼はどこか見た目と性格の雰囲気がかつての恩師によく似ていたのだ。だからだろうか、松本は自然と彼に惹かれて今の関係に至っている。
    これまでの交際期間の中で泊りがけのデートだってしたことがあるけれど、彼は社会的立場の高いひとだから、かなり人目を気にする旅行だった。だが、今はそれが自分たちの性的指向によるものではないと松本は理解していた。それでも離れ難かったのだ。
    彼は、既婚者だった。子どもこそいないけれど、れっきとした妻帯者で、帰る家があり、待っている人がいる。彼は「偽装結婚のようなものだ」と言っていたけれど、有り体に言えば不倫関係には違いない。
    はじめてそれを知ったのは、半年ほど前、彼の薬指に指輪の痕があるのに気づいたのがきっかけだった。やたら彼が左手を揉んでいるから、何かと思えばそういうことだった。問い詰めれば、もともと緩いサイズにしているし、松本と会う日は朝から指輪を外して痕がわからないようにしていたのだと言う。
    ――こうでもしないと、僕は誰とも繋がれないんだ。わかってほしい。本当は女性より男性が好きなんだ。今だって、君だけを愛してる。
    彼はそう言って松本を宥めて、何度も謝罪してくれた。そして、別れないでほしいと懇願された。こんな関係は良くない、松本もわかっていた。けれども、それ以上に彼から与えられる愛情を手放せなかった。
    そうして、松本はいずれ破綻する関係だと理解しながらも彼との交際、不倫関係を続けていた。いや、どこかで彼と幸せになれる道があるかもしれないと信じているのかもしれない。
    けれど、それ以降彼は松本と会うときでも指輪を外さなくなっていた。

    「……松本、あやしいな」

    三井はテーブルに突っ伏した姿勢から松本をじろりと睨んで「あやしい」ともう一度言った。
    こうなったときの三井は厄介だ。格好のおもちゃを見つけたような、好奇心でいっぱいの顔をしているに違いないので、松本は三井の視線を避けるように顔を反らしシッシッと手を振って「うるさい」とあしらった。
    絶対それでも三井は食い下がってくるはず、と言い訳を考えていたのだけれど思いのほか三井は静かに松本の様子を観察しているようだった。

    「なあ、それ、おまえが平日の夜会ってるオッサンとなんか関係あったりする?」

    は? と声が出そうになって、思わず三井のほうを振り向いてしまった。見ると、三井は酔いからは程遠い真剣な顔つきで松本をじっと見つめていた。
    いやしかし、それよりも三井の口からそんな言葉が出るなんて思っていなくて、松本はわかりやすく狼狽えてしまった。これでは正解を与えているようなものだ。
    三井はすっかり酔いが覚めた様子で「あのさぁ」とガシガシと頭を掻いた。

    「そういうのって自由だからオレも黙ってようと思ってたんだけど、見ちまったんだよな。おまえが知らねーオッサンといるところ……いるところっつーか、オッサンの車に乗り込むとこ? あーいや、それが悪いってんじゃなくて」

    三井の声が遠い。気をつけていたはずだ。大学のそばでは会わないようにしていたし、バイト先にあの人が来たことはない。それではどこで。

    「最初はさ、親戚かなとか思ったんだけど、あーその、なんだ。距離感? がさ、なんとなくこう、わかるだろ……それで、いや、別にいいんだ、男同士がどうこうとかじゃなくて、オレが言いてえのはさ」

    喉に何かがつかえたように言葉が出てこない。三井のどうにか松本を傷つけまいとする言い回しがかえって松本をゆっくりと絞め殺すように感じられた。

    「あのオッサン、指輪してたろ。いや、オレ、目ぇ良くてさ。見えちまったんだよな、だからさ、あーその、なんだ? そういうヤツは、やめたほうがいいんじゃねーかなって……」
    「……どこで?」

    かろうじて出た言葉はそれだった。相当青い顔をしているのだろう、三井は松本の声にぎょっとした様子で「従兄弟の家行ったとき……駅のそばで……」と端的に答えた。
    そういえば、三井には年下の従兄弟がいて、こちらに住んでいるから時間があるときはバスケを教えてやっているとか聞いたことがあった。
    ああ、そのとき。松本は深く息を吐いて項垂れた。高校を卒業してから伸ばしている髪に助けられた。前髪を無理やり引っ張って目元を覆う。絶望する表情を三井に二度と見せるつもりはなかった。

    「……松本、悪い。でも、やっぱそういうのって、後々トラブってやべーことになるかもしんねーしさ……、一回だけなら見間違いかと思ったんだけど、」
    「何回も見かけた?」
    「ああ……、声、かけようと思ったこともある」
    「思いとどまってくれてよかった」

    自嘲気味に松本が言えば「おまえなあ!」と顔を覆っている腕をぐい、と取られた。松本は「うるさい!」とその手を振り払い、再び目元を覆い、顔を逸らした。三井が立ち上がる気配がしたけれど、松本は一ミリだって動く気はなかった。
    ――どうせ軽蔑して、呆れて出ていくんだ。
    そう思ったのに、足音は松本のすぐかたわらで止まって、膝を床についたのが視界の端に見えた。再び、今度はやわらかく腕を取られた。

    「……松本、どうしてそいつがいいんだよ。普通、既婚者だってわかってたら……」
    「普通、だったらな」

    己の口から出たのはひどく拗ねた声色で自分に驚いてしまう。自分でも本当はわかっていたのだ。何もかも初めてだったから、この人を逃がすともう自分は誰にも愛されないんじゃないかとそんなふうに考えてしまっているだけで、心の奥底では彼から離れるのが正しい判断だと松本もわかっているのだ。
    一夜だけの関係とか、そういうさっぱりした付き合いができるタイプではないこともわかっている。情が移りやすくて、今だって彼のことを愛しているのだと自分に言い聞かせているような部分だって本当はある。
    情けない、とただ思った。三井に見られて、問い詰められて、八つ当たりをして。また手を振り払うのも子どもっぽい気がして、松本は顔だけ逸らして三井から視線を外した。

    「松本、」





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