ファミレスでおしゃべりする現パロのレノックス とフィガロ どいつもこいつも。つまらないな。
その言葉を飲み下して、フィガロは代わりに作り笑いを浮かべた。
昼間のバーを貸し切って行われているオフ会に、フィガロは参加していた。二十代後半から三十代、つまりアラサーで、かつ男性同性愛者向けのオフ会である。番号を渡されて、いくつかのテーブルに分かれ、おしゃべりして、シャッフル。これを繰り返す。だがフィガロの手元にある、運営が渡してきたメモ用紙は空白のまま、会の半分が終わろうとしていた。
同じテーブルの男たち会話に興味が持てず、フィガロはまだ話したことのない人物を遠目に眺める。いずれも、つまらなそうな男だ。ガチムチ系は趣味じゃないし、好みの綺麗な見かけの子もいない。
フィガロ自身は見目が良いので、話しかけてくる者が多かった。だがいずれも気に入るところがなく、平凡で、つまらなく感じた。作り笑いであしらって、徐々に会話の輪から抜けた。
この世界に生まれる前は、魔法使いとして生きていた。フィガロがそのことに気づいたのは、割と早い時期だった。この世界でもスノウとホワイトが彼を育てていたからかもしれない。オズも一緒だった。以前と異なっていたのは、みな血のつながりがあったことだ。双子は叔父だったし、オズは”はとこ”だった。
そんなわけで、(自身も魔法使いだったが)あの奇々怪々な魔法使いたちに囲まれて生きていた記憶を持つフィガロにとって、普通の人間は、確かに人間なりの魅力や面白さはあれど、あと一歩フィガロの好奇心を刺激するには物足りなかった。
飲み物も薄まってきたし、そろそろ帰ろうかな。
そう思った時、入り口が開いて、男がひとり入って来た。遅刻の参加者がいると運営が言っていたので、おそらく彼がそうなのだろう。
フィガロは、最後に、その男がどんな人物なのか見ようと目を向ける。それだけ見て、帰ろう。
男は、かもいに頭を打ち付けてしまうだろう程の長身に、黒く短い髪。黒縁のメガネをかけていて、肌は日に焼けているのか浅黒い。低い声で、受付に事情を話している。
その姿に、フィガロは目を見張った。
「レノックス!?」
思った以上に、大きな声が出た。
男が振り返った。精悍な顔立ちで、眼鏡の向こうに赤い瞳。フィガロの姿を認め、その赤い瞳が驚きに見開かれる。
「フィガロ先生」
フィガロは鞄を引っ掴むと、椅子から立ち上がって入り口の方へとずんずん歩く。
「ありがとう、出ます」
言って、受付にメモ用紙やグラスを押し付けて、代わりにレノックスの腕を掴んだ。
引きずるように、店の外へ出る。
「なんでこんなところにいるの」
「それは、フィガロ先生も同じでは」
間違いなく、レノックス・ラムだ。
見間違えようがない。双子やオズ、チレッタほどではないが、この男とも長い付き合いがあった。かつては中央の国での革命に参加した戦士で、南の国に移住して羊飼いをしていた。心の内にマグマを秘めた、休火山の男。
「あの……」
受付係が扉を開けて、おずおずと声をかける。
「すみません、帰ります」レノックスが言う。
レノックスの返答に「わかりました」と返事をして、受付係はさっさと引っ込んだ。ガラス扉の向こうで、参加者たちが興味津々といった様子でこちらをみていた。
「……移動しようか」
「向こうに、ファミレスがあります」
レノックスは向こうを指さして、店の階段を下りていく。フィガロもその後に続いた。
日曜日だからだろうか。午後の中途半端な時間にしては、店は混み合っていた。
窓際のボックス席に案内されて、ふたりは対面に座る。
フィガロは頬杖をついて、メニューを広げるレノックスをまじまじと見た。レノックスは、今生でも体格がいい。上背があり、しっかりとした筋肉が身体を覆っている。黒髪も依然と変わらぬ形で整えられ、眼鏡の下の赤い瞳も変わらない。
「ドリンクバーでいいですか」
「うん。あと甘いの食べない? その方が割安だし、お腹も空いてるから」
「あの、」
「なに?」
「ファミレス、慣れてますね」
「意外? まあ。この世界で三十年以上生きてるんだから、ファミレスに行ったことありません、とはならないよ」
「確かに、そうですね。どれにしますか」
「チョコパフェにしようかな。レノは?」
「俺は……」レノックスはメニューを捲る。「フライドポテトにします」
「あ、いいね。そういえば、お昼食べた?」
「いえ、まだです」
「じゃあ、普通に食べよっか」
結局、レノックスはハンバーグ、フィガロはトマトソースのパスタ、それからカルパッチョやアヒージョなどをそれぞれ頼むことにした。
メニューを見ると、レノックスが選んだハンバーグは、チーズとベーコンが乗っていてかなりボリュームがありそうだった。更に、付け合わせとして焼いた芋が丸まるひとつ添えられている。その写真を見て、フィガロは笑わずにはいられなかった。
「え、すごいな。君、これ全部食べるの?」
「はい、食べます」
レノックスが断言する。フィガロには無理でも、確かにレノックスになら食べられるだろう。その上、彼は肉のグラム数が多い方のハンバーグセットを注文した。
「それでさ、どうしてあそこにいたの」
ふたり分のコーヒーを取って戻ったフィガロが、だしぬけに言う。
レノックスはコーヒーを受け取りながら、「ですから、それはフィガロ先生も同じでは」と返した。
「だから、ゲイなの?」
「ゲイ、というか」レノックスは顎に手を添えて、考えながらゆっくり口を開く。「異性愛がスタンダードなことに、馴染めないというか。何と言ったらいいか。魔法使いだった頃の価値観と、合わなくて」
レノックスの感覚は、フィガロにも分かった。
魔法使いは、何にだって恋をする。心を動かされるものを愛し、慈しむ。心に従い、心のままに生き、心で魔法を使う。
いまでは随分ましになったと言えど、それでも異性愛が基準となって運営される現社会に、魔法使いだった記憶を持つ心が違和感を覚えるのは無理がない。
「わかるよ」フィガロが言った。「俺もそんな感じだから」
レノックスから、共感的な反応が返って来るかと思いきや。彼はフィガロをまじまじと見てくる。
「なんだよ」
「俺だけが打ち明けて、フィガロ先生はそれに乗っただけなのでずるいなと」
「えー、特に打ち明けることなんかないよ」
レノックスは、それ以上文句を口にはしなかったが、しかし不満があるのが見て取れた。
観念して、フィガロは口を開く。
「恋人に振られたんだよ」
その言葉に、レノックスは「ああ……」とだけ声を発した。
「それ、どういう感情の言葉なの」
「ええと……」
「まあいいけど」
フィガロはコーヒー口をつけ、飲み下し、苦笑する。失恋の痛みではなく、コーヒーが苦いからだというように。あるいは、別離にさして悲しみを感じていない己を嗤うように。
「あの時、もう帰ろうかと思ってたから、レノが来てくれてちょうど良かったよ」
「俺は来たばかりでした」
「そうだね、悪かったよ」
「悪くは、ありませんが」
「そう? あ、タイプの子が居なかったから帰ろうと思ってた?」
「いえ、そうではなくて。フィガロ先生に会えたので、良かったなと」
全く素の様子で、格好つけたところもなく、レノックスが言った。この男のこういうところ、今でも変わらないらしい。
話し込んでいるうちに料理が届いた。レノックスが注文したハンバーグは、メニューに載っていた写真に比べ、随分と大きかった。
レノックスは大盛りのハンバーグを残さずに食べ、その上フィガロが残したパスタも平らげた。
「さすがだなあ」
その様子に、フィガロは二杯目のコーヒーを飲みながら感嘆する。
「食べられないなら、もっと早くに言ってください」
「ごめんて。食べられる気がしたんだもん」
「チョコパフェは食べますか?」
「無理、もうコーヒーだけで充分」
降参の意を示すように、フィガロが両手を上げた。
「ねえ、レノはさ、俺以外で誰かに会った?」
「はい。アレク様と、ファウスト様に」
「あのふたりのこと、いまも様付けで呼ぶんだ」
「そうですね、今更他の呼び方が考えられないので。フィガロ先生は?」
「俺は、スノウ様とホワイト様、それにオズとチレッタ」
「多いですね」
「うん。まあ、あれだけの縁があれば袖振り合うどころじゃないよね」
「ルチルと、ミチルは……?」
「まだだよ。これは根拠のない確信だけど、ふたりはまたチレッタの子として産まれてくるはずだ」
「そうですか」
レノックスは、不思議と安心した心地になった。いずれルチルとミチルとも会えるのかと思うと、既に楽しみだった。
そんなレノックスの様子に、フィガロはほっと息を吐くように笑った。今もまだレノックスの中には、南の国の魔法使いとしての連帯意識というか、帰属意識というか、ともかく、彼の中に繋がりが残っていることを見出したから。
フィガロは二杯目のコーヒーを飲み干すと、「君もおかわりいる?」とレノックスに尋ねた。
「俺が取ってきます」
「いいの? ありがとう」
レノックスを見送って、フィガロはスマートフォンを開いた。仕事の連絡に混じって、元彼からの何件かの通知。電話にメールにライン。自分から振ったくせに、未練がましい男だ。口の端に嘲笑を浮かべつつ、ちょうどかかってきた電話に出た。
「なに」
腹の底から冷えた声で、応答する。
『すまない、やっぱり、別れたくないんだ……』
「なんだっけ、俺みたいなひとの心のないやつとは一緒にいられない、だっけ」
『違う、あの時は誤解してて!』
「誤解、ね」
まだ何か喚いているようだったが、フィガロは構わずに通話を終えた。それから、元彼との全ての連絡手段を絶った。
——ひとの心のないやつ、か。あながち間違いでもない。俺は魔法使いだったし、魔法使いの中でも特異なほうだった。今だって、人間に適応できているとは思えないし、仮に昔の記憶がなかったとしても、人間として特異だっただろう。
レノックスが、ふたり分のコーヒーを持って戻ってきた。
——ああ、そうだ、あの男、見た目がちょっとレノに似てたんだよな。だから最後の情けだと思って電話にでたんだけど。
レノックスが、フィガロの前にコーヒーを置く。カップはきちんとソーサーに乗っていて、フィガロの利き手で持ちやすいように、持ち手が左を向いている。
「ははっ、本人と比べると全然だな」
「何がですか?」
「こっちの話し。レノってさ、相変わらずいい男だよね」
「はあ」
「モテるでしょ」
「声をかけられることはありますが」
「さすがだなあ」
言って、フィガロはコーヒーを口に含んだ。うん、やっぱり、本物が一番だ。
「いまはコーヒーがお好きなんですね」
レノックスが言った。フィガロの頬が緩んだから、そう思ったのだろう。
「そうだね、まあ、何でも飲むよ」
「苦茶はいまでも飲まれますか?」
「ああ……。残念だけど、向こうの薬草はこっちじゃ手に入らないから。似たものなら作れるけど」
賢者様が「気持ちおにぎり」とか「ラーメンもどき」って言ってたのが懐かしいなあ。つまり、「きもち苦茶」なわけだ。そう言いながら、フィガロが笑う。
「そうだ」急に思い出したように、レノックスが言った。
「どうしたの」
「うちに、いいコーヒー豆があるんですが、よかったら飲みにきませんか」
精一杯さりげなく装われた誘い文句。既に三杯目のコーヒーに口をつけている相手に言うには、あまりにも不器用で、健気なセリフだ。
「じゃあ、ご馳走になろうかな」
レノックスの下手くそな演技に乗っかって、フィガロはうなずいた。