夏の終わりの優しさに。駄菓子の詰め合わせを。 それは、夏休み最後の日のことであった。
「おォ桃吾、遅かったやん。今日こそ遅刻して来るかと思ったわ」
「最後の日に遅れるやつとかアホやんけ」
時刻は六時二十五分。円と桃吾はラジオ体操が行われる公園に集合していた。
円はいつもより遅れてやってきた桃吾の姿に、どこか違和感を感じて首をかしげる。そして、その首に毎日かけていたはずのカードがないことに気が付いた。
「桃吾、スタンプカードどこやったん?」
「……なくした」
「ええ⁉昨日まであったやん。もったいないのぉ」
「やから今日は行かなくてええ思ったんやけど、オカンが『ここまで毎日行っとたんやから、最後まで行け』言うねん。しゃあないから来たわ」
「おまえ、去年も途中でなくしとったやろげー」
「二年のときやからおととしやろ。それにそもそも、あん時は淳吾が──」
「高学年の子は前に出てきてくださーい」
大人の呼びかけに、円と桃吾の会話は中断される。公園は一瞬静まり返るも、結局ほとんどの子供たちは今いる場所から動くことなく、友人とのおしゃべりを再開させた。
「よし、わし行ってくるわ」
「よぉやるわ」
「桃吾は恥ずかしがりやもんなぁ」
「ハア⁉円、お前なに言うとんねん!」
ギャアギャア喚く桃吾を置いて、大人たちの居る前の方に走っていく。円にも、ラジオ体操しているところを大勢に見られる気恥ずかしさはなくもない。しかしそれ以上に、誰も前に出たがらなくて大人たちが困り始めた時の、あの居心地の悪さの方が苦手だった。
「あっ巴くん。いつもありがとなぁ」
声をかけてきた大人に笑顔で返す。円は大人たちにすっかり顔を覚えられていた。
やがて流れ始めた特徴的な音楽に合わせて、円は体を動かす。ファイターズの監督に「ラジオ体操はいい運動になるから真面目にやれ」と言われたので、ラジオ体操は真剣にやることに決めていた。見れば、桃吾もしっかり手を抜かずにやっていた。スポーツを真面目にやる人間らしく、桃吾のラジオ体操をする姿は様になっているので、前に出てやらないのはもったいないなぁと円は常々思っていた。
ラジオ体操が終わると、子どもたちは一気に浮足立つ。なんて言ったって今日は夏休み最終日。ラジオ体操の景品がもらえるのだ。休みの日にわざわざ毎日早起きしていたのは、今日この日のために他ならない。
「巴くん、配るの手伝ってくれん?」
「はい!ええですよ」
先ほど声をかけてきた大人が、円を景品配布係に任命した。どうやら妙に信頼されているようである。
景品は駄菓子の詰め合わせだった。低学年が無邪気に喜んでいるのに対し、高学年になると「ちぇ駄菓子か……」という態度を隠そうともしない。そんな高学年たちもなんやかんやお利口に並んで、駄菓子を受け取っていくのだから面白かった。
円の列の一番最後に並んでいたのは、一年生くらいの小柄な男の子だった。低学年の子にしては珍しく、不満そうにうつむいている。その子は、スタンプで埋まったカードを持っていた。
「おお皆勤賞やん、すごいのぉ」
少し皺になったカードにどこか既視感を覚えつつ、円は駄菓子を差し出した。しかし、男の子は受け取ろうとしない。数秒待つと、男の子は顔を上げて円の目を見つめた。
「あんな、ぼく、皆勤賞じゃないねん」
くいっ、とTシャツの裾を引かれたので、彼の口元に耳を寄せる。すると、彼は小声で語り始めた。
「ぼく、一回ねぼうして行けんかったことあってん。でも、このカードはスタンプぜんぶ押してあるやろ?」
男の子のカードは、間違いなくすべての日にちにスタンプが押されていた。スタンプを押す係になったときに来なかった日の分も押す、なんて小狡いことをする高学年もいるが、この子は低学年だから不可能だろう。なにやら事情がありそうだった。
「ぼく、きのうカード風にとばされてなくしてしもて。泣いとったら、あそこにいるお兄ちゃんが『見つけた』言うてこれくれてん。せやから、ほんとうはあのお兄ちゃんのやと思うんよ」
そう言って、男の子が指さしたのは、遠くで退屈そうに空を眺めている桃吾だった。
「だからな。おかし、ぼくじゃなくてあのお兄ちゃんにわたしてほしいねん」
男の子は物欲しそうに駄菓子をチラチラと見ている。それでも、自分ではなく桃吾に駄菓子を渡してほしいと言う。なんてよくできた子だろうか。どうかこのまま擦れずに育ってほしいものである。
「お前もいつも来とったやろげー。あのお兄ちゃんにはわしが後でこっそり渡しとくさけ、気にせず受け取りや」
円はいつも前に立って体操をしていたし、終わりにスタンプを押す係も頻繁にやっていたので、ラジオ体操に毎日来ていた子どものことはなんとなく覚えている。この男の子は低学年特有の恥じらいのなさでいつも前の方にいたので、特によく覚えていた。
「ほんと!?ありがとう、お兄ちゃん!」
男の子は瞳をキラキラと輝かせて、嬉しそうに駄菓子の詰め合わせを受け取った。
一仕事終えて景品の入れてある段ボールを見れば、そこにはちょうど駄菓子の詰め合わせが二つ余っていた。このまま黙って二つとも持っていってもバレなそうだが──なんなら「余ってるなら欲しいです」と言えば貰えそうなくらい、円は大人たちに気に入られていたが──、特に後ろ暗いところがあるわけではないので、円は正直に了承を得ることにした。
「すんません、あそこにおるやつカードなくしてしもたみたいなんですけど、毎日来てたんで渡してきてもええですか?」
「どの子?……ああ!巴くんといつも一緒に帰ってる子やね!ええよ、持っていき!」
「ありがとうございます!」
円は駄菓子の詰め合わせを二つ受け取って、自身を待つ桃吾のもとへ駆けていく。そして、手に持つうちの一つを差し出した。
「余った分貰ったからやるわ。感謝せぇよ」
「そんなしょぼい菓子いらんねん」
「素直に受け取らんかい」
無理やり押し付ければ、桃吾はばつが悪そうな顔で駄菓子を受け取った。毎日来ていたのだから、もう少し堂々と受け取ればいいものを。
それにしても、泣いている小さい子のために自分のスタンプカードを渡してしまう、だなんて。
「桃吾もええとこあるやんなぁ」
「ハァ?」
隣で戸惑った表情を浮かべる相棒を見て、円は心底誇らしく思うのだった。