もしも記憶が消せたなら「来て、アマテラス!」
女教皇のカードを扇子で割り、辺り一帯を業火で燃やし尽くす。
陽介の影は疾風属性だ。火に風を繰り出しても火の勢いを加速させるだけ。火炎耐性を持っているのでダメージソースにはならないが、しばらくはこれで目眩ましになるだろう。
「今のうちにりせちゃんを」
「オッケー、やっちゃって!スズカゴンゲン!」
戦車のカードを回し蹴りで叩き割り、りせの拘束を解く。
「ありがとう雪子先輩、千枝先輩」
拘束されただけで、特に怪我はしていないようだ。
だが、俺に対しては確実に首を狙ってきていた。どういうことだろうか。
「間違いなく花村先輩のスサノオだよ。でもなんだろう。なんか変……」
「属性も弱点もなんにも変わってないクマね。スサノオそのものクマ」
「花村先輩自身に何か起きたのでしょうか」
考えられることがあるとすれば、それしかないだろう。
スサノオを一旦弱らせれば何か糸口が掴めるかもしれない。しかし、スサノオは弱点属性を克服している。疾風属性に耐性があるのはクマだけだが、氷結属性が陽介の影に効くかどうかはわからない。
「クマなら疾風属性に耐性あるクマから、クマがヨースケとドンパチしてる間にみんなでボコスカするけんね!」
「でも花村くんに氷結属性が効くとは思えないよね……」
「ああ、俺も今同じことを考えていた」
「にゃにをー!」
不意打ち作戦を立てるにもあの長い戦いを経た陽介の影だ。一番最初にゴルフクラブで戦った時とは戦力が比べ物にならないだろう。回避率を上げるスクカジャや俺達のステータス上昇を打ち消すデカジャもスキルとして持っている。下手に出し抜こうとすれば返り討ちに合いそうだ。
「わ、私が踊る!歌って踊るから!花村先輩がそれに気を取られているうちに!」
「天岩戸神話ですか」
「ああ、天の岩戸に閉じこもったアマテラスを外から誘い出すあの話ね」
「あいつ単純でバカだけど、流石にそこまでじゃないと思うよ、りせちゃん……」
目をぐるぐると回しながらりせは錯乱し始めた。
「いけるもん!前に待機中に踊った時は手叩いて喜んでくれたもん!」
「えっ待機中にそんなことしてたの花村と」
「クマがいない間に何しとるクマか! クマも混ぜんしゃい!」
「だって花村先輩しか【りせちー】のこと知らないんだもん!ダンス覚えててくれてるの花村先輩だけなんだもん!」
わーんと泣き出してしまった。
「ナビが泣いてんじゃねぇよ! ったくよぉ……」
尻ポケットに入れていたあみぐるみを取り出し、ほら可愛いあみぐるみだぞと完二はりせをあやしていたが、「は?完二キモ」と一蹴されていた。
誰もツッコまないし、ツッコミがいないので会話に収集がつかない。困った。陽介がいないデメリットを大きく感じながら俺は心の底から相棒を求め始める。
「センセイ! ツッコむなら今クマよ!」
「月森くん、今なら切れたナイフになれるよ!」
俺にそんなものは求めないでくれ。というか、切れたナイフとはなんだ。
「前に花村くんがそう言ってたから」
「陽介が?」
「うん。よくツッコミを入れてるから、疲れないの? って聞いたら、「俺は切れたナイフだから大丈夫」ってドヤ顔してた。面白くて笑っちゃったから、なんだか忘れられなくて」
俺には無理だ。そんなことは出来ないし言えない。というか、あいつは天城と何を話してんだ。
「花村くんは切れないナイフだよね。くくっ」
「雪子……。そうだけど多分そうじゃないよ」
「えっそうなの?」
そんな天城と里中のやりとりを俺と同じようにりせは眺めていた。りせの奥にはしょんぼりした完二と、それをオロオロと慰める直斗の姿があったが、俺は陽介のように立ち回れないのでそっとしておいた。
「うん、そうだよね。花村先輩は他人を傷つけるような人なんかじゃない。そうでしょ、月森先輩」
「……そうだな」
「何が起きてるのかはわからないけど、スサノオを止めて花村先輩を迎えに行きましょ」
「ああ」
天城のアマテラスが放った炎は下火になり強風で掻き消された。
まだ何をどうするか、考えがまとまらない。陽介と河原で殴り合いをしたことを思い出しながら、スサノオを止めるなら自分しかいないだろうと思案する。疾風耐性か無効のあるペルソナを脳内で選んでいると、
「クマだって疾風耐性あるっちゅーてるでしょ!」
とクマに捲し立てられた。
きっと何かの役に立ちたいのだろう。その気持ちだけ汲むことにする。
「クマには回復スキルがある。今ここで体力を消耗するよりも、温存してほしい。回復役がいなくなったら困るだろう」
「むむむ……でも、センセイ……」
クマと俺の間を遮るように、ピンと張った糸が地面を突き刺した。
「しまった、避けろクマ!」
クマを突き飛ばして守ろうとしたが、同時に大きな拳が現れて糸を割く。
「オレには回復スキルはねぇからよぉ、温存する必要はねーよなぁ? なぁ先輩!」
ロクテンマオウを呼び出した完二はどこか楽しげに拳を鳴らす。
「花村先輩とは殴り合いの予約入れてたんで」
確かに俺と陽介が河原で殴り合った後、完二も陽介と殴り合いがしたいと言っていた。陽介との殴り合いは俺の専売特許であってほしかったので、その場ではやんわりと諌めたのだが……。
「独占欲強い先輩もカッコイイー!」
「りせ、読心術を会得したのか」
「ううん。でも何考えてるのかはなんとなくわかりますよ」
何を考えているのかよくわからないとは言われるが、仲間達には見透かされているようだ。
「体張って時間稼ぎしやすから、アタマ使うのは先輩らがやってくれ!」
「……わかった、その間にりせに分析させて作戦を立て直す」
「待ってました!いくよカンゼオン、スサノオと花村先輩のアタマん中、奥の奥まで覗いちゃって!」
祈るように手を合わせると、りせの呼びかけに呼応するようにカンゼオンが現れた。里中と直斗はりせを護衛するように構えを取る。
「ワンパンで終わっちまうかもしんねーケドな」
「ワンパンで沈められるのは完二のほうでしょ」
べー、と舌を出し、完二を挑発する。相変わらずこの二人は仲が良いなと苦笑した。
◆
「はー、特売の日は疲れるー」
「小西先輩、お疲れ様ッス」
ジュネスの従業員休憩室の一角に座っていた小西先輩に声を掛けた。
「花ちゃんもお疲れー」
「お茶買ってきたんスけど、先輩も一本どうすか」
同じお茶の缶ジュースを二本取り出し、小西先輩に一本差し出した。
「んー、じゃあ一本貰おうかな」
プルタブに指をひっかけ、カチリと音を鳴らす。
「先輩いつも帰りに買い出ししてますよね」
「うん。バイトして買い出しして帰るって便利だし」
「今日はシュークリームも安いんスよねー。買ってきます?」
「うーん。でもここのシュークリームってあんまり美味しくないからなぁ」
「先輩~……」
時折先輩の口から容赦なく飛び出る言葉に、ぐさりと心が痛んだ。別にシュークリームを作っているわけではないが、一応自分の父親が八十稲羽店の店長をやっているのだ。少しは擁護したい。
「うそうそ。冗談だよ。でも美味しくないのはホント」
「全部ホントじゃないッスかそれ」
「そうだね。そうかも」
フフッと笑うと、先輩は徐ろにリモコンを取り出し、テレビのチャンネルをザッピングし始めた。
「あー、ドラマの再放送やってる。これ結構面白いんだよね」
いかにも女性が好きそうなメロドラマであった。恋愛がメインテーマで、惚れたの腫れただのと毎回そんな感じで展開される内容で、母親が見ていたのを思い出す。
「女の人はそういうの好きッスよねー」
「まぁ、大抵はそうなんじゃない?」
ドラマの主人公の男性が、女性に向かって愛の告白を繰り出している。よくもそんな恥ずかしい歯の浮きそうな言葉が言えるもんだと思いながらお茶を流し込む。
『貴方のせいよ』
告白された女性は男性を突っぱねる。
『貴方のせいで』
テレビの中の女性は怒り狂った顔をこちらに向けてきた。
「そうだね」
小西先輩がぼやく。小西先輩はテレビを見つめたまま動かない。
「花ちゃんのせいだね」
ズキンと激しい痛みで我にかえる。辺りを見回すが、何もない空間が広がっているだけだった。
◆
ロクテンマオウと対峙したスサノオは、人間形態では分が悪いと思ったのか、本来の姿へと姿を変えた。
「うそ……。スサノオの頭、真っ黒なんだけど」
燃えさかるようなスサノオの赤い髪は、黒く燃え上がっていた。
「スサノオって赤かったよね? 服は青かったけど」
里中の発言に便乗し、よく見れば服も黒い。なんだかこんな感じのものをどこかで見たような気がする。
「喪に服している……。そんな印象を受けますね」
直斗の感想に同感した。
「なんで真っ黒になるとあたし達のこと襲ってくるワケ?」
それはわからないが。
「うーん。よくわかんないけど、やっちゃって完二くん! 花村なら大丈夫! 雪子にリカームしてもらうから!」
「ちょっと千枝先輩! 花村先輩の息の根を止めるつもりですか?!」
「えー、でもこういうのってそのくらいの勢いでやったほうがよくない?」
「一理ありますね。スサノオが襲撃してくる状態にあるのですから、我々もそのくらいの気概は持ったほうが良いでしょう」
そのくらいの気概を持ったほうが良いのであれば、既に陽介本人と殴り合いをしたことのある俺がやはり一発殴りに行ったほうが良いのではないかと一歩足を踏み出し拳を構えたが、
「月森先輩はダーメ! 作戦考えるのは先輩の役目でしょ」
りせにピシャリと言われて拳と足を引っ込めた。
スサノオの指先から糸が放たれ、ロクテンマオウは雁字搦めにされるものの、腕力で引きちぎりスサノオへ拳を繰り出す。
圧倒的な速さに攻撃が当たらない。支援系のペルソナを召喚して援護したいところだが、スサノオに自己強化されても困るな、と思い静観に徹する。スサノオだって鍛えているといえども力の源は無限というわけじゃあるまい。ロクテンマオウとの戦闘で少しでも消費させておけばこちらが有利になるだろう。完二はそのために体を張ってくれている。その間に何か隙を探さなくては。
「スサノオ、さっきからずっと糸みたいなもの手から出してるけど、スサノオってそういうスキル持ってないよね?」
カンゼオンでスサノオの動きを分析していたりせがぼやく。記憶にある限りではスサノオにそんなスキルはない。陽介自身の武器も二刀流だったはずだ。
直斗は先程りせが拘束された糸の切れ端を拾い上げ、引っ張ったり曲げたりして調べ始めた。
俺も同様に手にしてみるが、言葉に言い表せない違和感を覚えた。クマが側にいたので糸を差し出すと、クンクンと匂いを嗅ぐ。
「天城先輩、ちょっといいですか」
「どうしたの、直斗くん」
「ライター程度の小さな火をこの糸に点けていただけますか?」
「わかった、加減してみる」
お願いアマテラス、と目を閉じて集中する。小さな明かりが灯され、糸はジリジリと縮れて燃えた。ある程度燃えたところで直斗は息を吹き、火を消す。
「もう一つお願いしていいですか?」
「うん」
「天城先輩の髪を一本、頂戴したいのですが」
「いいよ」
天城の滑らかな黒い髪が、一本だけぷつんと切り離される。糸と同じように天城の髪を指で摘むと、
「これにも同様に火を点けてください」
同じ動作を繰り返した。
天城の髪もまたジリジリと音を立て、縮れて燃える。直斗は両手でそれぞれを摘み、俺の前へ並べた。
どちらとも燃えた先が縮れている。
「同じ燃え方をしています。これは糸ではなく、【髪】かもしれません」
「髪……?」
「ピアノ線のようにも見えましたが、明らかに太さも材質も違います。火花が散るような燃え方でもありませんでした。ここはテレビの中なので、現実の常識は通用しないかもしれませんが……」
あまりにもしなやかに曲がりすぎることからも、金属ではないだろうというのは直斗と意見が一致した。
「先輩は糸繰り人形というものをご存知でしょうか」
「ああ。手や足に糸がついていて、傀儡師が生きているかのように動かして演劇をする、アレだろう」
口に出してはたと止まる。
「ジュネスのフードコートでは言えなかったのですが、その」
言いづらそうに直斗が口ごもる。
「花村先輩が事故にあった日というのは、四月十五日、ですよね」
おそらく仲間達の誰もがそう思いつつ、言及を避けていた。
「巽くんに聞きました。その日は小西尚紀くんと花村先輩は二人で出掛けていたようです」
「クマと一緒だったんじゃないのか?」
糸を嗅いでいたクマはビクリと怯えた。
「いえ、最初は小西尚紀くんと一緒だったという話です。巽くんも一緒に出掛ける予定だったそうですが、親御さんが調子を崩して急遽予定変更になったと。クマくんとはその後に合流したのでしょう。ですよね、クマくん」
クマはビクビクと目を逸し、口笛を吹き始めた。
「その小西尚紀くんが事故のことを知らなかったと言っていたのです。事故は小西尚紀くんと別れて、クマくんと合流する間に起きたものなのでしょう」
「……。どこに出掛けたのか、と深堀りするのは野暮か」
「そこは僕の預かり知らぬことです」
苦笑しながら嗜まれた。
「ですが無関係ではないでしょう」
【糸】を見上げ、直斗は目を細める。
「月森先輩の髪も色素が薄い。けれど、僕はこの色によく似た人物を写真で見たことがあります」
連続殺人事件の資料のうちの一つ。それは一人目の被害者の遺体発見者であり、二人目の犠牲者になってしまった人物の写真だった。
【糸】はゆるりとくゆる。まるで癖のある髪を体現するかのように。