──その光景が目に入った瞬間、心臓が止まったかと思った。はらはらと音もなく雪が舞う中、アルクジラにチルタリス、レントラーに囲まれ横たわる人影。雪原に広がる雪とは異なる白が、無造作に広がっている。
ばくばくと心臓が五月蝿い。その癖、身体は末端から熱を失う様に冷めていく。脳裏に浮かぶのは、何時かの自分。
雪原に点々と落ちる赤。じくじくと痛む動かない足。視界は段々と掠れていって、意識を保つのさえままならない、あの感覚。
ひゅ、ひゅ、息を短く吐きながら横たわる人物──ナンジャモに歩み寄っていく。足が重い。一歩を踏み出すのが、こんなにも恐ろしい。
「え、グルーシャ氏!?」
驚く声が鼓膜を叩く。けれど今のぼくにはそれはただの音でしかなくて。震える足で彼女の元まで辿り着くと、ぼくはその手を握った。
「グルーシャ氏……?」
普段とは異なる行動をしているぼくに、彼女がぼくの名を疑問符と共に問い掛ける。それに答える余裕が無いままに、握り締めた手に力を込めた。
──生きてる。生きている。そっと頬に手を当てる。周りの何処にも、点々と落ちる忌々しい赤は見当たらない。不思議そうな顔をしている彼女にも、痛そうな素振りはない。
頬に置いた手を滑らせて、彼女の上体を抱き上げる。そうして心臓に耳を当ててみれば、分厚い服越しに、微かに心音が聞こえた。嗚呼、生きてる。生きている。
ぎゅうとその華奢な身体を抱き締めて、ようやっとぼくは呼吸が出来る事に気付いた。
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何だか雪の上に寝転がってみたくなって、やってみたら何処からともなくアルクジラがやって来て。もしかして、なんて思っていたらチルタリスまで舞い降りてきて。これはいよいよグルーシャ氏の手持の子達だな?
それならトレーナーである彼が近くにいるのは明白で。嗚呼、どうしよう、なんて考えている内にざくざくと雪を踏み締める音が。
あ、どうしよう、なんて考える間もなく、耳はひゅ、と息を飲む音を捕らえた。それから、先程の軽快な足音とは打って変わった重々しい足音がゆっくりと近付いてくる。
「え、グルーシャ氏!?」
声を上げても、彼は何の反応も示さない。チルタリスが嘴でグルーシャ氏の服を咥えて引っ張っても、アルクジラがぐいぐい手を掴んでも。何もリアクションを返さない。どうしてだろう。
どうしてそんなに、顔を青ざめさせて、迷子の子供みたいに泣きそうな顔をしているんだろう。
ふらふらと重い足を踏み出す様に、ゆっくりとボクの元に辿り着くと、グルーシャ氏はそっとボクの手を握り締めた。
「グルーシャ氏……?」
問い掛けても返事が返ってくる代わりに、ぎゅうと手を強く握り締められる。そうして、片方の手でボクの頬を包み込む。其処で、漸く泣きそうな彼の顔が微かに安堵に緩んだ。
そう思った瞬間、頬に置かれた手が滑って、上体を抱き上げられ、そのまま胸元に頭を押し付けられる形で抱き締められる。ぶわ、と頬に熱が集まるのが鏡を見ていなくても分かった。
「ま、待って、待って、いきなりど……」
あわあわと縺れる舌をなんとか動かしながら問い掛けようとして、気付く。グルーシャ氏の耳がボクの胸元─正確には心臓の辺りにある事に。
もしかして──そう、思った時、彼が小さく呟いた。
「生きてる。生きている」
呟きの後、ぎゅうと強まる腕の力に為す術などある訳がなくて。チルタリスとレントラーの何とも言えない生暖かい眼差しに耐えながら、ボクもそっとグルーシャ氏の背中に腕を回した。