わがままを聞いておくれ「れんすけ、」
甘い声が俺を呼ぶ。言い聞かせるような、宥めるような声で、何度も何度も確かめるみたいに呼ぶ。
はたして声音に内包されているのは渇きか、はたまた不安か。こころなしか彼の瞳のルビーがくすんで見える気がした。我慢、させているのだろうか。だとしたら、相当らしくない。そんなの全然柄じゃないだろ。もっと横柄で自分勝手でいてくれよ、なんて。これは俺のわがままだろうか。
欲が頭をもたげた。らしくない彼に応えたいと思った。大丈夫だと、俺は全て受け入れると伝えたくなった。
しかし、頭はうまく働かないし瞼も重たくて仕方がない。まだ応じられていないのに、微睡に沈んでゆく意識はもはや自身の手に負えなかった。せめてこれくらいは、と伸ばした手で鮮やかな赤を掬う。肌をくすぐる温かい色の髪を一房とって、それからキスをした。
*
目が覚めるとそこには上機嫌な背中があった。俺よりも幾分か華奢だけれど、見間違うまでもなく男のそれ。いつもならどうってことないはずが、昨晩の行為を思い返せば当然直視することはできない。思わず目を逸らす。
「……♪」
マイペースに鼻歌を奏でていた当の本人は、布団とシーツの擦れる音に気がついたのかこちらへと振り返る。
「おはよ、れんすけ」
「……はよ、…っ」
掠れてうまく声が出せなかった。そんな俺をみた彼はたまらないといった様子で、ついには身をかがめキスをする。されるがまま受け入れると、程なくして満足したらしい。夢で見た顔とは違う、満たされていますと言わんばかりの面持ち。思わず感嘆の声が漏れる。
「おぉ……。」
「なんだよその反応」
「今の。…なんか、恋人っぽいな」
「バカ。ぽいじゃなくて恋人だっつーの」
彼の言うとおり俺たちは恋人だ。友人関係に終止符を打ち、交際に漕ぎ着けたのはつい最近のことではない。それなりに一緒に過ごしてきた。
「そうだよな、そのはずなんだけどさ」
では何故ベッドの上で改まった雰囲気を醸しながらぎこちなさを滲ませているのか。答えはこうだ。
「初めてでも…案外、できちまうもんなんだな」
「下調べはちゃーんとしたしな」
「……千切は抵抗感とか、」
「俺が望んだのにあるわけないだろ」
そう、これまでの俺たちに肉体関係はなかった。恋人に関係を変えたものの、長い友人関係の弊害とでも言うのだろうか。なかなかそういった雰囲気になることなく昨日までを過ごしてきた。
正直、欲が無いと言ったら嘘になる。彼本人では無い、想像上の彼で発散する日だってそう少なくなかった。でもそれは相手も同じだったようで、昨晩行為に至ったのは彼からの提案だったのだ。
「言ってよかったよ、お前と繋がりたいって」
「……。」
「なに、照れた?」
顔に熱が集中するのがわかる。一直線で淀みのない視線が突き刺さって眩しい。いまだかつてないストレートな愛情表現に戸惑う。布団で遮ろうと試みるも、千切の手がこちらへと伸びてそれを阻止した。
「硬派なのもお前のいいところだけどさ、いい加減愛され慣れて」
「……。」
「返事は?」
「は、ハイ」
「ぎこちねー返事。……な、またシような」
「」
「なに。國神は今回きりのつもりだった?」
「そうじゃねえけど。…………お気に召しましたか、お嬢」
「召した召した、超召した。ほぐしてる時の不安そうな顔とか、挿れた時にでたえっろい声とか特にな」
面白がるでもなく、彼は大真面目にそんなことを言う。慌てて静止すると不満そうに頬を膨らませた。
「そういうの聞きたくないデスお嬢さん…!」
「そうか? まだまだあるんだけど」
まだまだあるんだ。勃つものが勃たないなんて幕引きを想像していた俺にとって、行為を最後までやり遂げた今がイレギュラー。はっきり言うなら実感がない。
「そうだ。一応からだ拭いたけど、気持ち悪いとこないか? 動けそうなら風呂沸かしてくる」
「かだら」
「そ。途中意識飛ばしてそのまま起きなかったからひと通り蒸しタオルで」
確かに、いつどうやって眠りについたのかまるで記憶にない。いや、そんなことより。今、なんて? あの千切が手ずから俺の身体を清めたという事実に驚き声を失う。
「その顔、失礼なこと考えてんな?」
「だってあの千切が」
「馬鹿にしてる? 俺だって好きなやつの世話くらい焼くって」
「無理してないか…?」
「信用ねえな、長いこと付き合ってんのに」
拗ねた口調で背を向けた千切を見て、俺は絶句した。先ほど見た時は気付かなかったが、まじまじと見るとこそには——酷い青痣。
「これ、」
「あー。気にすんなって」
「気にするだろ!」
誰がやったのかなんて明らかだ。初めての行為で錯乱してたとはいえ、これは酷すぎる。
「でかい声出るじゃん。意外と元気?」
「すまん千切、これ、」
「なに、心配してくれんの。國神だって俺に内臓開け渡してんのに。優しいなお前」
「それとこれとは、違うだろ…。」
鬱血がキスマークだったらどれだけ良かったか。痛々しい紫色の手形がうっすらと浮かぶ肌を撫でる。千切は痛がるそぶりをしつつもくすぐったいと笑った。
「もうしない」
「は!? なんで」
「こんなことになるくらいなら、」
「ストーーップ。勝手に決めるなよ、二人のことだろ」
どうしてそんなに毅然とした態度でいられるのだろう。力の加減がきかない状態なんてもう二度と遭遇したくないと思うのが普通だろ。
俺は千切みたいに器用に出来ない、また傷付けてしまう。だから——
「——確かに最初は痛かった。怖がってんのか無意識に掴むし、力つえーのなんのって。でもな、國神が頑張ってくれたから最後まで出来たんだぜ?」
「俺?」
「そう、お前。ためしにあやしてみたらさ、案外力抜くの上手くて」
「は、」
「俺の声素直に聞いて、うんうん頷いて。その通りにしてくれんの。あれは結構ちんこにキたわ」
夢の中で聞いた声と現実がリンクする。宥めるやつな、懇願するような、切羽詰まった声。夢で見たけど昨晩のことの彷彿とさせる内容。
「思い出したみたいだな」
「っ、」
「気持ち良かったって顔に書いてある。…な、そんな思い詰めるなよ。國神は何も悪くない、俺に無理やり暴かれただけ」
「無理やりなんかじゃ…っ」
「ない? なら良かった」
「でも、傷付けた事実は変わらない」
「だな。だったらそうだな。責任とって…一生隣で寝てもらうとかどう」
「なっ、…そんなの、罰にならないだろ」
「人を縛るのは罰って誰が決めたんだよ」
よく回る口で、俺の意見はことごとく突っぱねてる。二人のことなんだから、二人で決めようと言ったのはどの口だ。こんなのヤダの一点張りじゃないか。
「……。」
「反論ないな? よし」
「せめて、それが消えるまでは無し…!」
「えー」
「えー、じゃありません! 自分の身体大事にしろ…!」
「はいはい。わかったわかった」
「分かってないやつの返事やめて!」