ここで■■は出会ってしまった また会える、って思ってた。理由らしい理由はなかった。俺が俺だった、一回目の髙羽史彦だった記憶があるんだから、あの日出会ってお別れした相方もそうなんだって、生まれ変わりを意識した頃から思ってた。
思って、思い続けて、とうとう大学生になった。二回目も、俺がやりたいのはお笑い芸人しかなかった。あんな面白い夢を見せられて、他を選ぶなんて考えられなかった。でも、俺に相方はできなかった。正確に言うなら、会えないままだった。
一回目であの日まで相方が続かなかった理由を、俺はぼんやりだけど理解していた。細々とした間違いに気を付ければ驚いたことに向こうから誘ってもらえて、でも、続かなかった。
俺がコンビとして舞台に立ちたいのは、一人だったからだ。お笑い好きの自称プロの素人。デコに縫い目のあるロンゲの塩顔イケメン坊主。日本中を巻き込んだデスゲームの主催者。ピンチャンの、ボケ担当。
「あぃ、たい、」
呂律の怪しい声は、シンとした夜の空気に吸い込まれていく。わかってる。ガキの頃から探して、探し続けて、……そろそろ認めなきゃいけない。もう会えないんだろうなぁ、だから、俺はお笑い芸人にはなれないんだろうなぁ、ってことを。
他のヤツと舞台に立っても、違うを思わされる度に面白い分しんどくて、いつからか上手く笑えなくなる。二人で心から笑えないなら、客も心から笑えない。俺の都合の笑えないに他人を巻き込むのが嫌で、俺から別れを切り出して、これで何度目だっけ。
「いち?にぃ?…さぁん!で、バカになれればいーのになぁ…」
嫌なことを考えるのを止めて、アルコールが与えてくれるフワフワに身を任せる。別の店で飲み直そうか。アパートに帰ろうか。決めかねたまま彷徨って、人気のない路地を歩いてるのが、今だった。酒は得意じゃない。一回目も二回目も変わらず、なのに飲む量だけが増えた。
よくないのはわかってる。今も昔も芸人は体が資本なんだ。でも、寂しくて、笑えなくて、どうにかなりそうで、それに俺はもう、芸人、できないかも、
「う、ぁっ!」
がつんと目の前に火花が散って、また嫌な考えが途切れる。……あぁ、足がもつれて、そのまま転んだんだ。理解できたのは、うつ伏せの姿勢のせいで低くなった視界に、手が差し伸べられてからだった。
「大丈夫ですか?」
驚きの混じった穏やかな声、声に似合わずごつごつした大きい手。さっきまで誰もいなかったのに、すっごい間の悪いタイミングで通りがかったんだな、この人。情けないとこ見せちまった、早く起きねぇと、大丈夫って言わねぇと。手に力を入れて上半身を、頭を起こす。
やけにフワフワしてるような、思ったところで視界に赤が映る。滴ってるのはたぶん額からで、痛くはないけど、ぶつけて切れたのかもしれない。
……俺の方が額に怪我なんて、笑える。なんて、不謹慎ネタで笑えるのは俺だけなんだからダメだ。お笑い芸人はお客さんを考えるべきで、だから俺が今するのは平気へっちゃらって顔だ。
「え、」
そのはずなのに、声が引き攣ってしまった。だって、俺のことをしゃがんで覗き込んでいたのは、忘れもしないロンゲの塩顔イケメンで、袈裟じゃなくて黒いコート着てるし髪も纏めてるけど、俺がずっと、ずっと会いたかった。
「羂索」
頭がフワフワする。ちゃんと起き上がらないと、言わないと、なのに足元もフワフワしてバカみたいに変に転んでしまう。繰り返しだ。視界が滲んでいる。名前呼んだだけでぼろぼろ溢れてくる涙のせいか、思ったより額が切れてどくどく血が出てるのか、わからない。何も考えられない。
「けん、じゃく、羂索っ、羂索、会たかったっ、おれ、ずっと」
コンクリートの上に正座して、両方の掌を突く。擦り傷が痛かったけど、そんなの気にしてられなかった。俺にできることなんて、やりたいことなんて、ひとつしかない。額を伏せる。ゴンッ、勢いのせいでまた視界に火花が散ったけど、構わずにそのまま擦りつける。
「俺とっ…お、お笑いコビ!ピンチャン!ってくださいっ!!何でもするし、一生笑わせるっ、から、ふっ、ぐす、一緒に夢見てくだざ……!!」
言ってしまった。でも、仕方ない。羂索が望むのは面白いことだ。俺のこと面白いと思ってもらわなきゃならない。また会えたら、俺の全部捧げていいからお笑いしたい、本気で思ってたんだから。……でも、断られたらどうしよう。そこから考えてない。プリーズワンモアチャンスとか言っていいのかな、どうしよう、沈黙が怖い。ちらっ、目線を上げる。
「…………そこまで言うなら、まぁ」
同時に返ってきた返事はイエスで、喜ばしいこと、だった。はずだ。
「え…………っと。い、いいの?」
「悩んでたんですよね。本来は親の期待通り既に内定を頂いている接客業で行くべきなんでしょうけど、向いていない気もして。急な話とは思ってますよ?ただ『何でもする』の担保があるなら乗るのも悪くない」
「そっ、そう!?渡りに船ってことだな、けっ……き、君?その、おデコ、は」
口元に手を当ててすらすらと自己分析を述べるのは、羂索。たぶん羂索。推定羂索。恐らく羂索。羂索そっくりさん、なんて、格付けする番組のようなことを思うのは、俺が今に口にした通りの疑問がすごいからだ。
「ああ、はい。結構出血してますよ、おデコ。笑えない、逆に笑えるぐらい」
ぺん、畳まれたハンカチを持った手が近付いてきて、俺の額に触れる。無理に押さえつけるでもなく、添えるだけの手だ。バイオレンスなコントなんて間違ってもしそうにない。
笑えるの言葉通りに羂索、……の可能性もゼロじゃない、額に縫い目のない塩顔イケメンくんが、ふっと耐え切れないように笑う。
「面白い」
本当にそうだと思ってくれてる、見たかった表情、なのに俺の心臓は嬉しいとは別の意味でドキドキしている。
「ところで。ケンジャク、って流行りのネタですか?お笑いには疎いもので」
ジューゼロで俺が悪いとんでもねぇ勘違いで、新生ピンチャンが誕生してしまったのが、確定したからだ。