無題 砂隠れと木ノ葉の二つの里を巻き込んだ木ノ葉崩しをやり過ごし熾烈な中忍試験を経て、七班の中で唯一サスケだけが中忍に昇格した。
ナルトとしては自分も同時に中忍になれなかったことが相当悔しいようで、おろしたての忍ベストに身を包んだサスケを見る度に唇を尖らせたり、突っかかったりしていた。その内にサクラの鉄拳がナルトにめり込んで、サスケが呆れた表情でそれを眺めてるのが、ここ最近のお決まりの流れ。
病院屋上でのナルトとの大喧嘩や、大蛇丸の勧誘など、中忍昇格までに危ない場面は何度かあったものの、サスケが無事に木ノ葉にいてくれるだけでカカシは胸を撫で下ろす気持ちであった。
就任から1週間と経たない内にサスケは中忍としての別任務に就くようになり、七班全員が揃う機会も次第に減ってきたことに寂しさを覚え始めた頃。サスケ率いる小隊が他里同士の戦闘に巻き込まれたとの報がカカシに入った。
下忍には担当上忍がついているのが基本の組み合わせだが、上忍の不在時に中忍が代理で下忍たちを率いて任務を行うこともあるのだ。何でもDランク任務中に他里との境界線地帯で他里同士の戦闘に出くわし、間者の容疑をかけられて戦いに巻き込まれたとの事だった。
それはサスケからの緊急連絡であった。自分の力だけで解決したがる、あのプライドの高いサスケからの援護要請は、事態が相当に厄介になっていることが察せられた。他里が関係している分、政治的な意味でも木の葉に火の粉がかからないよう、援護に入れという任務が五代目火影綱手よりカカシに申し付けられた。教え子の危機を自ら救いたいであろうカカシに機会を与えてやろうという綱手なりの計らいであった。
急いで現場に駆けつけると、焦げついたにおいと、転がっている焼き焦げた死体。煤にまみれた額当ての刻印を見るに、他里の忍者だろう。戦場の嫌な光景だ。そして焼け野原の真ん中に子どもが三人佇んでいる。サスケとそう年頃が変わらない子どもたちは、各々に木の葉の額当てを身につけており、サスケが率いていた下忍たちだと推察された。
そんな彼らの足元には、人が横たわっている。手当てに使う大判のガーゼが頭にかけられていて、顔は分からない。背丈は下忍たちとそう変わらず、忍ベストを着ている。そのベストは血に濡れ、出血量からして致命傷であることがうかがえる。オープントゥのサンダルから覗く爪先は、血の通ってない、白い屍肉色をしていた。
子供の背丈、忍ベスト。サスケからの援護要請。顔を確認せずとも、カカシはもう、それの正体が十分に分かってしまった。
ぎゅう、と目を強く瞑ってから、深く息を吸って、吐いた。
「君たち、木ノ葉の下忍だよね。オレは援護要請で来た上忍のはたけカカシ。みんなよく頑張ったね」
安心させようと努めて優しい声色で名乗る。下忍たちはようやくこちらの気配に気がついたらしく、驚いたようにびく、と身を跳ねさせてカカシを見つめた。
緊張で強ばった三人の表情が、状況を飲み込むと共に安堵に綻び、今にも泣き出しそうに歪んでいく。ついにセミロングの少女の目から涙が溢れた。彼女の胸には巻物が一本ほど入るサイズの桐箱が抱えられており、頬を滑り落ちた涙がそれにポツポツと当たって、染みを作っていった。この箱の運搬が本来の任務だったのだろう。カカシは少女の肩にそっと手を置いて、無事で良かった、と労いの言葉をかけた。
そのままカカシは視線を足元に落として、横たわる人物を見つめる。
「この人、君たちの隊長さん、だよね?」
黒の散切り頭の少年が渋い顔で頷く。
残りの二人も気まずそうに俯いた。
「こっちの報告もあるから、ちょっと確認させてもらってもいいかな」
ガーゼを捲って顔を確認しなければ。
嫌だ
見たくない
認めたくない
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
頭に埋め尽くされた拒否感を何とか振り払って、顔にかけられたガーゼに手をかけ、捲っていく。
白い首元が現れる。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
捲るんじゃない
血の気を失った口元が現れる。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
見てはいけない
捲るのをやめろ、捲るのを、捲……
簡単な動作に反して、たっぷり時間をかけて捲り上げたガーゼの向こうに、
うちはサスケの顔が、見えた。
サスケだと認識した途端、血のにおいがやけに濃く感じられて、胃液が喉へと上がる。
覚悟していたはずなのに、心臓が鷲掴みにされたかのように跳ねた。それでも彼の瞼が下ろされていたのは、おそらく下忍の子どもたちの心遣いだろう。閉ざされた瞳からは涙のように血が流れている。敵に写輪眼を奪われたのかと一瞬ひやりとしたが、まぶたに球状の膨らみがあるため、戦いの最中に敵に目を潰されたのかもしれない。瞳術使いが真っ先に目を狙われるのはカカシ自身が何度も経験したことだ。
サスケの顔を見つめたまま動く様子のないカカシに、茶髪の利発そうな顔をした少年が押し殺した声で言う。
「隊長が、隊長が俺たちを逃がしてくれたんです。追っ手が来ないように火遁で敵を囲んで。俺たちと年齢だって、そう変わんねぇのに」
言葉の最後は鼻声になっていた。辺りが焼け拡がっているのは戦場跡だからというよりは、サスケの火遁の仕業だったようだ。業火球の術の規模としてはかなり広範囲に、念入りに焼き払われていた。敵の足止めだけではなく、下忍たちの逃げ道の痕跡も焼き消す意図もあったのだろう。
先程から泣きじゃくっている少女が、嗚咽しながらも途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「隊長が、言ってくれたの。お前たちは、絶対に、殺させやしないって。逃がしてくれる時、そう言って笑ってた」
頭を殴られたような心地がした。
(オレの仲間は絶対に殺させやしなーいよ)
それは波の国での任務でカカシがサスケ達にかけた言葉だった。格上の再不斬に相対して不安の表情を浮かべるサスケ達を安心させるつもりで、そして己に対して発破をかける意味もあった言葉。サスケは終ぞカカシに対して口にはしなかったが、それに何らかの思い入れがあったのだろう。サスケが下忍たちに対して言いなぞらえていたという、その秘やかないじらしさに、カカシの心はどうしようもなく掻き毟られた。
「……そう。立派にやってたんだね。この子は」
胸が押しつぶされて、息がし辛くて、カカシはそう答えるだけで精一杯だった。
ガーゼをサスケの顔に掛け戻す手がぶるぶると震える。一流の忍は身体のコントロールだって容易なはずなのに。この時ばかりはどうしようも無かった。
カカシの言葉が呼び水となったのだろう、女の子以外の二人も堰を切って泣き出した。目の前で自分と同年代の人間の死を見るのは初めてだったのだ。
アカデミーでいくら心構えを教えられたとはいえ、仲間の死に直面するのは相当に堪えるものだ。三人が落ち着くまで、カカシは黙って彼らの背中をさすり続けた。
***
敵勢が潜んでいないことを確認してから、下忍たちを連れて里へ戻ることに決めた。
サスケの亡骸はカカシが背負って運ぶ。忍の、特に血継限界の身体を国境地帯に置いておくことはできない。
そうして進むこと数時間。火の国の領地に戻ってきた後、カカシは下忍達にもう安心していいこと、先に里へ戻って報告を優先させることを伝えた。子どもたちが、カカシはどうするんだ、という視線を投げかけたが、カカシが「実はね、オレ、こいつの先生だったんだよ」と顎でサスケを指すと、彼らは全てを察したようで、黙って先を進んでいった。サスケとの最期の時間をカカシにくれたのだ。
子どもたちが視認出来ないほど離れたところで、カカシはおぶったままサスケの顔を眺めた。
(そういや、お前をおんぶするのなんてこれが初めてかもな)
生前では絶対にさせてはくれなかっただろう。以前、演習後に体調を崩している様子のサスケに声をかけたこともあったが、見くびんじゃねぇ、と差し伸べた手を跳ね除けられてしまった。
(どうせお前のことだから甘えたくないって思ってたんだろうし、俺もお前の気持ちを尊重してきたつもりだったんだけど、本当は……)
独りぼっちで、ストイックに振舞っていても心のどこかで温もりを求めていて、しかしナルトのようにそれを素直に他者へ求めることもできない、不器用な子ども。幼少期のカカシ自身を彷彿とさせる分、サスケが少しでも子どもでいられる場所でいようと振舞っていたが、サスケはどう感じていたのだろうか。
サスケの口まわりは火遁の連続使用で少し爛れてはいるが、その整った貌はただただ綺麗で、冷たくて、切なかった。目を潰された時に傷ついた瞼が痛々しい。その赤い線を労わるように見つめていると、その傷が両目とも同じ深さで、同じ角度でついているのに気がつく。まるで一枚の用紙に連続で判子を押したかのようだ。これは同じ人物から受けた傷だ。恐らくは連撃で。中忍になりたての子どもであろうと、巻き込まれた戦いで何人かの敵の忍を返り討ちにするほどに実力のあるサスケが、写輪眼を重要視するうちは一族が、こんな失態を犯すものだろうか。
︎ 致命傷のこともあって敵にやられたとばかり考えていた。
もしかすると、目を潰したのは、サスケ自身、なのではないだろうか。
その可能性に行き当たると、連鎖的に過去の記憶が浮き上がった。
中忍試験の真っ只中、暑い夏の日。千鳥をサスケへ授ける為の崖上での修行の1ヶ月間。いつもの七班四人組ではない二人だけの野宿で、お互いに何となく眠れない夜に戯れで話していたことだ。
「サスケ、オレとお前がもしも敵にやられそうになった時、優先的にしなければならないことって何だと思う?」
急に何を言い出すんだと、サスケがカカシの顔を見やる。切れ長の、ぬらりとした黒い瞳が熾火となった焚き火の光に柔らかく照らされて、闇夜に火の粉が舞っているようだった。
「自分の目を、写輪眼を潰す」
「正解。やっぱりお前は聡いね。波の国でお前が戦ったお面の子が言ってたように、忍者の身体は情報が詰まってんの。しかも写輪眼は俺のような、うちはの者でもない人間にも扱える。そうなれば眼を渡さないことが最優先ってワケ」
少し思案したように口ごもっていたサスケが再度口を開く。何かを決心したかのような表情で。
「なぁ、オレが死ぬようなことが仮にあったとしたら……そうしたらアンタはオレの眼を貰ってくれるか?」
サスケの眼とカカシの眼がかちりと合う。
その視線は本気の色を帯びていて、冗談での物言いでは無いことを言外に告げていた。
「あのねぇ、そういう事言うの冗談でもやめてくれる? 教え子に先立たれるなんて、立つ瀬がないんだからね」
「……まぁ、アンタにオレの目は使いこなせねぇか」
くくく、と意地悪く笑うサスケの表情が、サスケの瞳に映るオレンジの光が、夏夜で滲んだ汗のかおりが、ぶわ、と脳裏に浮かび上がった。
目の奥が熱い。鼻がツンと痛む。
食いしばった口の中がカラカラに乾いている。
最期の時、彼はどんな思いだったのだろう。敵に致命傷を負わされ、独り地面を這って、復讐という野望が叶うことはないと実感して。
オレに目を遺すことが出来なくなるのに、オレとの約束を守るために、最期の力でクナイを手に取って自らの目を潰す時のその思いは、どれほどのものだったのだろう。
まだ十三そこらの、カカシの肩ほどしかない背丈の少年が、その選択を取らざるを得なかった情景を思い描いて、ゆっくりと里へ歩を進める。二度と物言わぬサスケを背に負いながら。
帰ろう、サスケ。
里に、家に帰ろう。
ナルトもサクラも、
みんなお前を待ってるんだから。
潰したお前の目、ちゃんとオレが貰ってやるよ。
独りは辛いよな。
使い物にならない写輪眼を貰い受けたとしても
里の上層部だって口出ししないだろう。
帰ろう、サスケ。
帰ろう。帰ろうな。