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    寝落ちの新刊です!
    万至が七不思議のせいで他の人の心が聞こえるようになっちゃうのに、お互いの心の声だけ聞こえなくて万里がモヤモヤしながら至が好きだって気付く話です。劇団員多め(紬が一番活躍する)
    ルキズ不在の一部軸。さきょ→いづ表現があります。
    たぶんB6 二段組70〜ページ/600円くらいになりそうです!

    #万至
    millionTo
    #A腐リー
    aRotary

    心を聴かせて いつも通りの徹夜明け。外が明るくなるまでゲームをして、どちらからともなく気が付いたら寝落ちていた。キンキンに冷やした部屋がさすがに寒すぎたのか、目が覚めたら至さんが蝉のように俺の体にしがみついていた。
     窓の外の太陽はぎらぎらと無駄に照りまくっていてげんなりする。ソファの下に落ちていたスマホに手を伸ばすと、とっくに正午を回っていた。左手でソシャゲを開いてログイン演出をタップで飛ばす。トップに置いたキャラクターの午後用のセリフが再生されたところで、右半身にとまっていたタルタル蝉がもぞ、と動いた。
    「おは。っつーか、昼過ぎだけど」
    「んん……まぶし……」
     日光から逃げるように俺の脇に潜りこんで三秒。がばりと急に起き上がる。
    「寝落ちてた⁉︎ ランキングは――、っ⁈」
    「っと!」
     起き上がった拍子にソファから転げ落ちそうになった至さんを慌ててキャッチする。左腕の力だけで引き上げた身体はこの身長の成人男性にしては軽すぎて、勢い余って俺の体の上にうつ伏せで着地した。
    「…………」
     見つめ合うこと数秒。
     ――寝起きのくせに、なんでこんな綺麗な顔してんだよ。
     蝉から子亀になった至さんは平時から眠たそうな瞳をぱちくり瞬きさせると、
    「今ので一気に目ぇ覚めたわ」
     とのんびり呟いた。
    「じゃあさっさとどいてくださーい」
    「大体なんでおまえが俺のソファを占領してるんだよ。そのせいで俺が端っこに追いやられて落っこちそうになったんだろ」
    「じゃあ今度から至さんを下敷きにして寝て良いっすか?」
    「部屋に帰って寝ろっつってんだよクソガキ」
     朝から軽口を叩き合いながら起き上がり、洗面所に向かう。並んで顔を洗って手櫛で適当に髪を整え、談話室に向かった。
     キッチンには臣がいて、俺たちを笑顔で迎えてくれた。
    「おはよう二人とも。ちょうどさっき昼メシだったんだが、二人も食べるか?」
     俺たちが顔を見合わせていると、「今なら作ってやれるんだけどな。もう少ししたら出ないといけないから」とキッチンから臣の声が聞こえてくる。至さんがその言葉に申し訳なさそうに片手を上げた。
    「俺たちのことは気にしなくていいよ。時間大丈夫なの?」
    「え?」
     ほどきかけたエプロンの紐を結び直す手を止めると、臣はきょとんとした。
    「あれ? 出かけるって話、至さんにしてたか? 何かの時に言ってたのを覚えてたのかな。さすが、記憶力良いな」
    「は? 自分でもうすぐ出かけなきゃっつったんだろ」
    「え⁇ あー、そうか?」
     俺のツッコミにも臣は煮え切らない反応だ。もしかしたら実は時間がギリギリで焦ってるのかもしれない。だとしたらここで引き留めるのも悪いだろう。
    「あ~まあいいや、至さんどーする飯? もう食える?」
    「寝起きは無理」
    「へいへい。臣、俺あとやっとくわ、昼メシ何? ――お、ボロネーゼうまそ。俺もう食おっと」
    「じゃあ万里に任せるよ。あ、パスタは伸びるから茹でてないぞ。ソースは少し温めてくれ。水分が飛ぶようだったらトマトジュースを足してくれればいいから」
    「おけおけ。さんきゅ」
     パスタ鍋に火をかけて、スパゲッティーニを袋から取り出す。二百くらいいけるか? いややっぱり二百五十にするか、なんて考えながら麺を測っていたら
    「至さんの分も万里に任せれば平気だろう。じゃあお言葉に甘えて支度するか」
     と残して臣が談話室を後にした。つーか、自分がたった今口にしたことも忘れるとか疲れてるんじゃないのか。どこに出かけるのか知らないが、今夜はゆっくり休んだほうがいい。帰って来たらそう伝えよう。
     パスタ鍋の湯が沸騰するまでまだ時間がかかりそうだ。鍋に蓋をして、冷蔵庫からキャニスターを取り出す。
    「たるさんコーヒー飲みます? 俺自分のぶん淹れっけど」
    「のむ、よろー」
    「おはよう万里、ボクにも淹れてくれるかな?」
     気の抜けた至さんの返事に続いて、至近距離から声がして思わず肩を震わせた。振り返れば、さらりと揺れる長い銀髪が目に入る。
    「東さん、いきなり後ろから話しかけないで下さいよ……」
     こっちは注意しているってのに、この年齢不詳の麗人は「ごめんね。ふふ、かわいいなあ」とまるで反省がない。
     いやいやいや。今どの辺にかわいさあったよ?
     だがこの人にあれこれ言ったって柳のように聞き流されるだけに決まっている。俺ははあ、と一つ嘆息して、ミルに向き直った。ゆっくり豆を挽きはじめると、東さんはちゃっかり自分の分のコーヒーカップを並べて行った。
    「万里の淹れたコーヒー美味しいんだよね。ラッキーだったな」
     ったく。そんなふうに言われると悪い気はしねぇから仕方ない。コーヒー豆を一人分追加したところで、鍋からぐつぐつ音がしてきた。蓋を開けて、スパゲッティーニと塩投入。茹で時間は八分だそうだ。スマホでタイマーをかけて、コーヒー豆を挽き終える。電気ケトルでコーヒー用の湯を沸かして、そろそろソースを温める。汁気が足りない時はトマトジュースを入れろっつってたな、と細く回しがけた。
    「手際いいなあ、本当になんでもできちゃうんだね」
     ダイニングで座って待っていると思った東さんがカウンターからこっちを見ていて、俺が振り返るとにこりと笑みを浮かべた。そのままスマホをえぐい指捌きでタップしている至さんの対面に腰掛けた。
    「至もおはよう。また遅くまでゲームしてたの?」
    「遅くというかなんというか」
    「万里も一緒に?」
    「んー」
    「仲良しなんだから」
     至さんの生返事も意に介さず、東さんはマイペースだ。
    「……ふふふ、まだ眠そうだね」
    「へいコーヒー」
     コーヒーカップからいい香りが立ち上る。おだてられたからってわけじゃないが、今日のコーヒーはかなりうまく淹れられたと思う。
     程なくタイマーが鳴って、麺を打ち上げてソースに絡めれば出来上がりだ。こっちもうまそうな匂いがする。
     至さんの隣に座ると、東さんがカップを掲げて微笑んだ。
    「ありがとう、コーヒーすごく美味しいよ。さすがだね」
    「どもっす。言ってくれればまた自分のついでに淹れますよ」
    「いいの?」
    「やーまあ、あんなふうに言われたら悪い気しねえし」
    「え? どんなふう?」
     何か言ったっけ、と不思議そうな表情だ。
     は? 臣だけならまだしも、東さんまで自分の言ったことこんなすぐに忘れるのかよ。無意識だったってことか? まあ無意識で褒めてくれてたってんなら嬉しいっちゃ嬉しいけど。ここの大人たちは、見かけによらずお疲れなのかもしれない。
    「まあ、コーヒー淹れる時は東さんにも声かけるわ」
    「ありがとう」
     ボロネーゼの前に俺もコーヒーを一口。うん、やっぱりうまい。今日は会心の出来だ。臣のボロネーゼは、とフォークを手にしたその時。
    「あちっ」
     隣でソシャゲを回しながらコーヒーカップの胴体を掴んだ至さんが、派手に中身をぶちまけた。慌ててカップを拾い上げる。
    「至さん危ねっなんでカップそんな持ち方するんすか」
     せっかくうまくできたコーヒーは、テーブルに半分くらいこぼれてしまった。
    「至まだ寝ぼけてるでしょ?」
    「今目覚めた」
     東さんに笑われて、さっきも聞いたような台詞を口にしている。
    「あー服にはかかってないみたいすね、火傷してねえ? 東さんも平気すか?」
    「うん、ボクは大丈夫だよ」
    「ごめん万里。俺やるよ」
     台拭きでこぼしたコーヒーを拭うのに手を出してくるが、もうあらかた拭き終わった。コーヒー色になってしまった台拭きを流しですすいで戻ってくると、東さんはやっぱり微笑んでいる。
    「万里は優しいよね、至には特に」
    「や、単に手ェかかるっつーか見てらんないっつーか」
    「……そうなんだ? そんなふうに弁解しなくてもいいのに」
     弁明というか、別に優しくしてるってわけじゃないってだけで――と本人の前で口に出すのもな。俺が黙っていると腹を立ててると勘違いしたのか、至さんはちょっとしょげていた。
    「ごめん。せっかく作ってくれたのに」
    「火傷してなくて良かったっすね」
    「うん」
     朝から――ってもう昼だが――慌ただしいが、ようやく食事にありつける。フォークでパスタを巻き取って口に入れる。――美味い。めちゃくちゃ美味い。ひき肉なのに肉の旨みがあって、ソースにもコクがある。
    「臣まじ店出せんじゃね? そしたら通うわ」
    「美味しかったよね、ボクもそう思うよ」
     東さんは何をするでもなく、コーヒーを飲みながら俺と至さんの様子をニコニコ見つめている。時々かわいいだの仲がいいだのと言われるのですげー食いづらい。今日は一体なんなんだ? この人、心の声でも漏れ出てんのか? かわいくはねえけど。
    「じゃあコーヒーごちそうさま」
     しばらくして東さんが席を立って、ようやく肩を撫で下ろす。隣で至さんがコーヒー飲みながらじーっと見ていたことにもやっと気付いた。
    「……もしかして食いてえの」
    「うん、ちょっとだけ」
    「そうくると思った」
    「くれんの?」
    「どうせ俺が食ってたら食べたいって言い出すと思って、五十グラム多めに茹でといた」
    「さすが万里」
     そう言って至さんが「あ」と口を開ける。歯並びが綺麗だ。――じゃなくて。
    「は?」
    「だから、あーん」
    「いや、フォークと皿持ってこいよ」
    「一口でいいんだって」
     あ、ともう一回口を開けてくる。しょうがねえなあ、とフォークに巻きつけたスパゲッティを至さんの口に放り込んだところに、
    「うわ」
     心底うんざりした声がダイニングに落ちた。
     幸だ。
     どうやら買い物から帰ってきたらしい。右手に重そうな袋を提げている。
    「ちょっとそこのゲーマー二人、昼間っから公共の場でイチャつくのやめてくんない」
    「イチャついてはいない」
    「俺はメシをタカられてるだけだけど」
    「はいはい」
     小蝿を追い払うみたいに手をひらひらさせた幸はそのままダイニングを突っ切って談話室に荷物を下ろした。
    「あー昼間から暑苦しいもん見た。あの二人距離近すぎ、無自覚なの?」
     背中からもげんなりしたオーラが漂ってくる。思わず至さんの方を見ると、至さんもこっちを向いて、顔を見合わせることになる。
    「俺ら距離近え?」
     ちょっと気まずくなって幸の背中に聞くと、半眼で振り向いた。
    「うわ無自覚。――だいたい二人で並んで座る? カップルじゃないんだから」
    「それはさっきまで向かいに東さんがいて……」
    「えっなに? 自発的に弁解してきた」
    「は? お前がフツー並んで座るかって言ったんだろ」
    「はあ? ……言ってないんですけど。ゲームのしすぎでついに頭やられちゃったんだね……ご愁傷様」
     頭やられちゃったんだね、はこっちの台詞だ。なんだって今日はみんなして自分で言ったことを自覚してないんだ? 意味がわかんねえ。
     隣を見ると、至さんは幸を見てぽかんとしていた。
    「なにインチキエリート。――ぽかんとして、間抜け面。なのに綺麗とか、ほんと顔だけはいいよね」
     褒められてんだか貶されてんだかわからない言葉には反応せず、至さんは呆気に取られた表情のまま俺の服の裾をちょいちょい引いた。
    「万里」
    「なんすか」
    「俺おかしくなったかもしれない」
    「アンタは前からそこそこおかし――ッテエ! 脇摘むなよ!」
     至さんの手をはたき落とすと、幸はまたため息をついた。
    「今度は乳繰り合い出したし」
    「オイ乳繰り合うとか言うかフツー⁈」
    「だから言ってないんですけどお⁈」
     いや、思いっきり言っただろ。至さんだって聞いたはずだ。しかし俺が何か言うのを至さんが遮る。
    「言ってない……幸は言ってないんだよ」
    「は?」
    「だから。口動いてない、よく見て」
     信じられないものでも見るように呆然とする至さんの隣で、俺は何を言われているのかわからず眉を寄せた。幸はそんな俺たちの様子を見て怪訝な顔をしながら、ソファに下ろしたショッパーを持ち上げた。
    「俺部屋に戻る」
    (バカップルに付き合ってらんないし)
     ガタン!
     その光景を目の当たりにして腰を浮かした。
    「まじだ……」
     部屋に戻る、というのは確かに発声されていたが、その後の言葉は口が動いてないのに聞こえてきた。
     ばたん、と扉の閉まる音がして、二人とも立ち尽くす。
     どう言うことだ? 口に出していない思考が、聞こえてる――?
    「……嘘だろ? いやでもそーいや臣と東さんの会話もなんかおかしかった気ィする……」
    「二人とも口に出す言葉と考えてることにギャップがないから気付かなかった。俺だったら……」
     至さんがそう口にしたところではっとして、お互いに身構えた。
    「え、万里俺の考えてること聞こえるの」
    「そーゆー至さんこそ聴こえてんすか」
    「……」
     沈黙が痛い。
     なんも聞こえねーけど、至さんには今のこの声が聞こえてるってことか? 聞かれてもいいように素数でも数えるか? 引き算でもするか?
    「い、今の聞こえた?」
    「至さん聞こえたんすか」
     互いに探り合うが、少なくとも俺は何も聞こえない。
     ふー、と長く息を吐いて、
    「聞こえねえっすね」
     正直に伝える。しかし至さんは疑り深い。
    「ほんとに? ちょっと俺が今なに考えてるか当ててみて」
    「あ――? ンー、『ラノベ展開キタコレ』?」
     ついいつもの癖でガチで当てに行ってしまったが、至さんは「ブブー」と唇を尖らせた。子どもか。
    「万里すきすきだいすき超愛してるでした」
    「どっかで聞いたタイトルだな」
     はっと鼻を鳴らす。ぜってー嘘。心の声は聞こえねえけど、これが嘘ってことはわかる。
    「俺は一万から七ずつ引いてた」
    「カネキ君か」
     誰だよ。
    「ほんとに聞こえないんだ?」
     恐る恐る、至さんが聞いてくる。ちょっと上目遣いなのがあざとい。
    「聞こえないっすね。至さんも?」
    「うん万里の声は聞こえない」
     はあ――とため息をついて椅子に座り込んだ。
    「ビビらせんなよ……」
    「なに万里、俺に聞かれたくないようなこと考えてたんだ」
     自分の心の声が漏れてないと分かった途端ニヤニヤしてウザ絡みしてくる。
    「至さんにっつーか、フツー誰かに心の声漏れてるとかヤだろ。アンタだってめちゃくちゃビビってたくせに」
    「弊社には機密事項もございますので?」
    「寮じゃゲームのことしか考えてねーくせに」
    「バレたか」
     なんて言うけど、本当は何を考えてるかなんてわからない。至さんは繊細そうだけどガサツだし、ガキみたいな意地を張るかと思えば次の瞬間大人ぶってみせる。何にも頓着しないようで、結構気にしぃだ。今だって本当は何を考えてるのか見当もつかなくて、なんだかそれを寂しいと思うことにびっくりする。
    「ってあ~やべえ、ボロネーゼ忘れてた!」
     視線を落とした先にパスタ皿が飛び込んできて、一気に現実に引き戻される。茹でたての艶を失って冷めきったボロネーゼを慌てて口に運んだ。
    「うわーめちゃくちゃやわらけー死んだわ」
    「あーあ、シェフのこだわりボロネーゼが……」
     仕方なく何口か食べ進めたが、麺が伸び切ってて全然美味しくない。ソースは美味いのに、もったいねえ。
    「捨てるか?」
     まだソースは残ってるし、麺はまた茹でればいいし、と皿を持って立ち上がる。そこへ運悪くドケチなヤクザが帰ってきた。
    「なに食材無駄にしようとしてやがる」
    「げっ」
    「テメエの不注意で茹ですぎたんだろうが。責任持って食え」
    「いやこれは無理だって!」
    「どうしたの万里くん?」
     それに茹ですぎたわけじゃねーし、と反論しようとしたところで、左京さんの後ろからひょこりと監督ちゃんも出てきた。どうやら一緒に買い出しに行ってたようだ。
    「あー、茹ですぎちゃったんだ。これは美味しくないよね。新しいパスタ茹でようか」
    「おいコラ甘やかすんじゃねえ」
    「だってこれを食べるのはかわいそうですよ、ほら」
     監督ちゃんは水切りラックに刺さったままの菜箸を取り上げると、俺のパスタ皿から伸びきったスパゲッティーニをすくって左京さんの口元に運んで、有無を言わさず食べさせた。途端、無言で咀嚼しているはずの左京さんからクソデカい動揺の声が漏れ出てくる。
    (監督さん、こいつらの前で何しやがる……! 誰にでもこんなことを……⁈ 警戒心がなさすぎだろ……!)
     至さんが隣でぶほっと吹き出す。咳してるふりで誤魔化してるつもりだろうが、俺にはわかる。
    「チッ、次はねえぞ」
     監督ちゃんのアーンで浮かれた、もとい怒気を削がれた左京さんが咳払いをすると、何も分かってない監督ちゃんが「よかったね万里くん」とニコニコした。監督ちゃんも正直すげえ鈍感だ。
    (正直、麺が柔らかかったかどうかなんてわからなかったが……)
     左京さんの追撃に至さんが背中を丸めて咽せている。
    「さっきから茅ヶ崎お前……不摂生してるから老化が激しくて食道細くなってるんじゃねえか」
    「げほっ、いえ、お構いなく……俺はもう部屋に戻るんで」
     笑いすぎて涙まで流しているくせに、いつの間にか至さんは談話室から中庭へ続くドアの前にいて片手を上げて退散しようとしている。逃げ足がはええ。
     俺もその背中を追いかけようとしたら、ヤクザに首根っこを掴まれた。
    「摂津。てめえ食い終わったら食器を下げろ。自分の分くらい洗ってけ」
    「……へーい」
     ちっと舌打ちしたのが見つかって、ギロリと睨まれた。
     至さんと東さんのコーヒーカップも俺が洗うのかよ。至さんなんか流しにも持って行ってない。ぜってー部屋でイベントの周回してるだろ。
    「万里くんいいよ、今日は私が片付けておくから、至さんとゲームしておいでよ。至さんずっと帰り遅かったし、久しぶりでしょ」
    「マジ? 監督ちゃん神」
    「おい、こいつらは昨日も朝までゲームしてたに決まってるだろ。皿洗いくらいさせろ」
     まあこれは左京さんの見立てが正しい。
    「まあまあ左京さん」
     左京さんを宥める監督ちゃんから心の声が漏れ聞こえてくる。
    (甘やかしてるかなあ? でも二人ともいつも学校と仕事と稽古がんばってるし、たまにはいいよね)
    (なんでこんなに優しいんだか……。はあ、こいつらみたいに共通の趣味が芝居以外にもあれば俺もこいつともっと……)
    「あ――――っ!」
     ノーガードで流れてきた左京さんのセンシティブな思考に咄嗟に耳を塞ぐ。
    「なんだテメエいきなり大声出しやがって⁈」
    「なんでもねえ! ないです! じゃあわりぃ監督ちゃん頼んだわ。今度買い出し手伝う」
    (それは俺が行くからいいんだよ)
    「あああああ」
    「摂津テメエ、」
     これ以上左京さんの恋心で殴られる前に一〇三号室に逃げ込んだ。顔を合わせたら一言恨み言でも言ってやるつもりだったのに、逃亡成功でホッとしすぎて嫌味の一つも出てこなかった。
    「おかえり」
     至さんの顔を見ると安心すら覚える。
    「おっさんのデレとか聞きたくねえ……」
    「だな。まあそうだろうとは思ってたけど、左京さんの声と言葉で聞くと破壊力あるな」
    「真澄とのガチバトル待ったなしかよ」
     至さんの隣に腰を下ろしてソファに沈み込むと、中庭から紬さんと丞さんの声が聞こえてくる。何を言ってるかまでははっきり聞き取れないが、これは多分全部肉声だ。おおかたエチュードでもしているのだろう。この距離なら心の声は聞こえないらしいと知って安堵のため息をついた。その隣で至さんがぽつりと呟く。
    「……ていうかああいうの聞こえちゃうの気まずいね」
    「アンタもそういうこといちおう気にすんのな」
    「するよ、俺は聞かれたくないし、聞きたくない」
     予想に反して至さんはゲームをしていなかった。スマホは横持ちで握っていたが、その画面はブラックアウトしている。
    「だな。俺も」
    「カンパニーには裏表のあるような奴いないし、本当はそんなこと思ってたのかよってガッカリすることはなさそうだけど、このままじゃ他人の秘密の重さで窒息する」
     二人して同時にはハア、とため息をつく。
    「とりあえず万里の心は漏れて来ないからここにいれば安心だけど週明けまでには治したい」
    「あと一日半かよ」
     どうやったら治るんだ。つーかなんでこうなった? 意味がわからねーし、超常現象すぎんだろ。
    「もしかしてコレ、劇団七不思議ってやつなんじゃね?」
    「なる。そうとなったらとりあえず支配人を召喚するか、一番詳しそうだし」
     言うが早いか、スマホをタップして謎のアプリを起動した。
    「あ、ちょっと支配人連れて来てくれるー? いつものブツ用意してるから」
     いつものブツってなんだ。寮の誰かに連絡するならLIMEでいいのに、わざわざ見たこともないアプリを使って誰を呼び出したのかと思ったら、数分後にコツコツとドアが叩かれた。
    「オイ! イタル! 連れてきたゾ! 開けロ!」
    「痛い、いたいいたい亀吉なんでそんなに突つくんですかイタタタタタ!」
     まさかのコンビが登場だ。
     至さんが動かないので代わりにドアを開けると、そこにはピンクのオウムと空気の読めない天パの男が立っていた。いや、亀吉は飛んでたが。
    「亀吉おつー。ハイこれ約束のもの」
    「オヤスイご用意ダゼ」
     おやつを受け取ってぴゅーっと飛び去っていく。後から聞いたが、亀吉と連絡が取れるように至さんは亀吉の鳥籠に小型無線機を設置しているらしい。たまにこうして人を呼んできてもらったり、談話室の様子を探ってきてもらったりしているのだという。そんなに自分で動きたくねーのかといっそ感心した。
    「なんですか? こんな手荒な招待を受ける心当たりはないんですけど」
    (もしやこの前間違ってブレーカーを落としたのが私だってバレた? それともちやほやされたくてたるちの名前でオンラインゲームをしたことが……?)
     いや、心当たりめちゃくちゃあるじゃねーか。
     至さんの重たい瞼がすっと細くなって、
    「へえ……そんなことしてたんだ」
     少し冷ややかな声を出す。
    「ヒイッ⁈ な、なんのことでしょう?」
     至さんはじっとりと睨んでいるが今はそれどころじゃない。
    「支配人劇団七不思議に詳しいっすよね? 人の心の声が聞こえるようになる七不思議とか聞いたことないすか」
     支配人は至さんの視線から逃げるように俺に向き直ると、必死に思い出そうとする。
    「ええーっと……あー、あった気がします! うろ覚えですが……」
    「どうしたら治るか知りませんか?」
    「さて、うーん……なんでしたっけ~。覚えてないですねー」
     あっけらかんと笑う支配人に、至さんがにっこり微笑んだ。
    「真剣に思い出そうとしてる? 思い出せないならこの話終わりにして支配人のしでかしたことの話に移ろっか」
     こえー。美人の怒った顔、すげー迫力。
     普段から左京さんに怒鳴られまくっている支配人も別種の恐怖に震え上がった。
    「ひい! あっ確か、本当に知りたいことを知る……とかだったような~……」
    「本当に知りたいこと?」
     俺と至さんの声がハモった。
     なんだそれ。
     どういうことだよ。知りたいことなんて、別にいっこもねーけど。
    「ああそうですそうです、多分合ってます! 何か知りたいのに知ることができないことがあって、モヤモヤした気持ちが強くなった劇団員の身に起こるとか。知りたかったことが解決すれば元に戻るはずです」
    (でもなんでこんなこと聞くんでしょう? もしや……)
    「あーっと支配人、」
     俺たちがその七不思議にかかってるってことがバレるんじゃ、と慌てたのも束の間、
    (七不思議の研究でも始めたんでしょうか?)
     続く支配人の心の声に揃ってずっこけた。
    「なんですか?」
    「なんでもねー……」
     どうやったらその結論に辿り着くのか思考回路を紐解きたいが、今回は助かった。当の支配人は蛇に睨まれた蛙のごとく至さんを見上げている。
    「あのぅ、これで話は終わり……でしょうか……?」
    「……いいよ、戻って。でも二度と俺の名前を騙らないでね」
    「はっ、はいー!」
     最後にとどめの笑みを見舞われて、支配人は逃げるように去って行った。
     さて、これで七不思議の概要はわかった。この現象の治し方も。だがわからないのは、その「本当に知りたいこと」というのがなんなのか、ということだ。
    「ったるさんなんか心当たりあります? 本当に知りたいこと、ってやつ」
    「なんだろ、わからん」
    「俺もなんすよね~」
     そう。俺には別に知りたいことなんて無いのだ。至さんも心当たり無しって、これ詰んでね? クソゲーかよ。
    「本当に知りたいことを、この力を使って知れってこと?」
    「だろーな。でもその知りたいことがわかんねえんじゃ、知りようがないだろ」
    「それな」
     ここ最近の自分の行動を思い返す。何か知りたいけどわからない、誰かに聞きたいと、そう思うようなことがあっただろうか。芝居のことで聞きたいことがあればその場で聞いてるし、今は秋組の公演期間でもないから役作りに煮詰まってるとかいうこともない。学校生活の方は今週期末テストが返ってきて、もうすぐ夏休みだ。試験期間中はサボるまでもなく早く帰れるからいい。授業は相変わらず退屈だが、学校自体には楽しみもできた。いろんな奴がいて自分とは違う考えに触れることが新鮮に思えるようになったのは、間違いなく芝居を始めたからだろう。かといってクラスメイトや教師たちの誰かにどうしても聞きたいことがあるかと言われると別に思いつかない。
    「こうなったら一人ずつ当たってくしかないのか……やだなあ」
    「だるすぎんだろ」
     二人してため息をついたところで、昼飯を食いっぱぐれたことを思い出した。
    「とりあえず腹へってきたんで談話室戻るわ。ついでにその辺にいる奴に適当になんか聞いてみます」
    「待って俺も行く。今誰かとサシで話すのむり」
     どうやら左京砲を被弾してなかなか疲弊しているらしい。本当なら治るまで誰にも会いたくないんだろうが、そうはいかない。無駄に俺の背中に隠れるようにして恐る恐る部屋を出た。
     紬さんたちはすでにいなくなっていて、猫が木陰で丸くなっているだけだ。廊下でも誰ともすれ違わずに談話室に辿り着く。
    「あれっ」
     そこにいたのは監督ちゃん一人だけだった。俺たちの食器を片付けたあと、そのまま夕飯の支度をしていたらしい。この匂いは間違いなくカレーである。
    「二人ともゲームはもう終わったの?」
     ガチめに不思議がる監督ちゃんを見て至さんがちょっと唇を尖らせた。
    「もしかして、俺がいつもゲームばっかりしてるだけの干物オタクだと思ってる?」
    (えっ! そんな、)
    「違うんですか⁉︎」
    「そりゃそうだわ俺も思ってるし」
     職場ではどうだか知らねえけど、この寮の中で至さんのことを干物オタクじゃないと思ってるのは椋くらいだろう。
    「監督さんの中で王子様成分が大きい可能性もワンチャン……」
    「ないっすね」
     なんて言い合ってると監督ちゃんが声を殺して笑い出す。
    (至さんと万里くんって、息ぴったりって感じで話聞いてるだけでこっちまで楽しくなっちゃう。仲がいいのはいいことだよね! うんうん、みんなが仲良しだと私も嬉しいな!)
     監督ちゃんの心の声に思わず顔を見合わせた。そして至さんがはあ、と重ためのため息をつく。
    「圧倒的光属性」
    「真澄みてえなテンションで真澄が絶対チョイスしないワード吐くじゃん」
     まあ、監督ちゃんが光属性ってことには俺も異論ない。
     そんなことよりメシが先だ。冷蔵庫を開けてみるが、腹に溜まりそうなものは見つからない。仕方なくストックの豆乳を飲んで、コンビニに行くかラーメンでも食いに行くかと算段する。ラーメン屋の狭い空間だと心の声がうるさそうだしコンビニが無難か。
     俺が談話室の時計に視線を向けるとつられたように監督ちゃんもそっちを見上げた。
    「あっ、もうこんな時間?」
    「ん? 監督ちゃんまたどっか行くの」
    「うん、今日は天馬くんを迎えに行く約束なんだよね。井川さんが急に高熱出ちゃったみたいで」
    「まじか」
     井川さんは今朝マスク姿で現れたのだが、天馬に熱をうつすわけにはいかないからと監督ちゃんに迎えを頼んで帰って行ったらしい。
    「CMの撮影が、ちょっと辺鄙なとこで。行きは寮からタクシーで行ってもらったんだけど」
    (私も道詳しくないし、少し早めに出ときたいな。カレーの仕込みはほとんど終わってるし、あとは帰ってからでも――)
    「俺行こうか? どこ?」
     監督ちゃんの心の声を遮って、至さんがスマホで地図アプリを開く。
    「えっ?」
    (至さん⁈ 至さんからそんな提案があるなんて!)
    「もしかして、今日ゲームの発売日ですか?」
    「俺の評価ワロタ」
     とりあえず、監督ちゃんの中に至さんの王子様成分はゼロってことはわかった。俺の知る限り至さんが店舗予約している今日発売のゲームはないはずだから完全なる善意からの申し出なのに、日頃の行いってすげえな。
    「違うけど、監督さんさっき買い物から帰ってきたばっかでしょ。ちょっとゆっくりしなよ」
    (優しい……! 最近ゲームしてる姿ばっか見てたから忘れてた、きれいな至さんだ)
     もはや笑いを堪えるのがしんどいレベルだ。きれいな至さんて。映画でだけいいやつになるオレンジの服のキャラクターが頭をよぎったところで至さんに脛を蹴られた。ちっとも痛くねえ。
    「じゃあ、お言葉に甘えてお願いしちゃってもいいですか?」
    (天馬くん、私が迎えにいくのちょっと嫌がってたし……。なんでだろ、何か怒らせちゃったかな)
    「ちなみに監督さん、車で行く気だった?」
    「そうですけど」
    「じゃあなおさら俺が行くね」
    「どういう意味ですか⁇」
     監督ちゃんの運転する車には俺も何度か乗ったことがあるが、生半可な絶叫マシーンよりよほどスリリングだ。多分無免許の俺の方が運転上手いんじゃないかとすら思っている。
     つーか、天馬か。そういえば天馬には聞きたいことがある。別に遠慮して聞けなかったわけではなく、単にあいつの仕事が忙しくてなかなか顔を合わせる時間がなかったというだけだが、思いつく中では一番聞きたかった話だ。
    「たるさん俺もついてってい? んで、途中でコンビニ立ち寄り希望」
    「おけ、四十秒で支度しな」
    「うぃーっす」
    (あっ、今のネタはわかった! うんうん、でもやっぱり私はきれいな至さんよりいつもの至さんが好きかも。生き生きしてて、楽しそう)
     監督ちゃんの飾らない本心を聞いた至さんは目を丸くして監督を見た。なんか、ちょっと照れてねえ?
     その横顔を見た途端、なんだか胸の奥にもやもやとした気持ちが湧き上がる。
     廊下に出てきたとこで
    「至さんの照れ顔とかSSRじゃね?」
    「あの不意打ちは良くない」
     わざと茶化すと至さんはマジで照れていてモヤモヤが広がっていった。
     ――左京さんの心の声聞きたくなかったのって、至さんも〝そう〟だからなのか?
     至さんが監督ちゃんのことが好きだという可能性を考えたら何故か落ち着かなかった。至さんにもそういう感情があるんだってことが咀嚼できないのかもしれない。それとも真澄や左京さんといったガチ恋に知られないように自分の感情を隠してきたであろうこの人がいじらしく思えたから?
     そうだ。多分至さんは、真澄の手前監督ちゃんとどうにかなろうなんて思ってないだろう。片思いの時が一番楽しいなんて言ってたくらいだから今の状況を楽しんでいるのかもしれないけど。
     いや、別に至さんが誰を好きで恋敵がいようがいなかろうが、俺には関係のない話だ。
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