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    highdoro_foo

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    カラオケ行く謙光

     ここは大阪の真ん中、とあるカラオケ店。通された部屋は独特の匂いと少し澱んだ空気に満ちているが、一曲目のイントロが流れる頃にはすっかり気にならなくなっているから不思議である。
     モニターには曲の歌詞と青空の下で笑い合う男女の映像が映し出されている。光は烏龍茶で喉を湿らせながら手元のパネルで次の曲を吟味しており、一方の謙也は楽しげにポップな曲調のアイドルソングを歌っていた。近頃のお気に入りらしい。
     歌い手交代、光が歌うのは軽やかなリズムで、それでいてどこかメロウな響きのポップスだ。音楽通の光は毎回様々な曲を選択してはどれもそつなく歌ってみせるのだが、中でも知名度がお世辞にも高いとは言えない曲を入れるのは謙也と二人で来た時だけで、他に誰か別の人間がいる時はあえてメジャーな曲を選ぶのが決まりであった。所詮カラオケの選曲、空気を読んで他人におもねる必要などないのに、自分の音楽の趣味は光にとってどうしても明らかにしたくない秘所なのである。その点、謙也はどんな曲でもニコニコ聞き流してくれるのが光にはありがたかった。
     
     歌う時少しだけ甘くなる光の声が好きだ。謙也は光の横顔をちらりと覗き見て思う。キスした後自分を呼ぶ声を思い起こさせるからだなんて、馬鹿正直に明かせばたちまちへそを曲げてしまうだろうから、言わない。言わない代わりに、とっておきのラブソングを心を込めて歌うのだった。
     狭い部屋の中でわざわざ隣に座ってきて外から見えないように手を握られ、光の心はざわめく。ふだんおどけてばかりいるくせに、愛だの恋だのと歌う謙也の声はいやに真剣で、それが憎らしいほど胸に迫ってきて、つまりはたまらなく好きなのだった。だがそれを悟られてしまうのはあまりにも自分が単純な人間のようで照れ臭いから、言わない。言わない代わりに手をぎゅ、と握り返す。隣で歌う顔を直視することができなくて、ひたすらモニターの文字を眺めるふりをしていた。机に置かれたグラスが汗をかいている。
     やがて音楽がフェードアウトしていき、広告映像が流れ始めた。先程から黙りこくっている光の顔を謙也は覗き込む。
    「財前、どないしたん?」
     今すぐ抱き付きたいなんて言えるはずもなく、かといって丁度良い誤魔化しの文句も思い浮かばなかった。必死に冷静になろうとしているのに、一方の謙也は何やらにやけた顔をしているのが癪だ。
    「別に何も――」
     言いかけて、目の前の恋人が急に真面目な表情をしているのに気づいた時には遅く、唇を奪われる。だがそれは束の間の出来事で、すぐに顔同士が離れた。
    「ちょっと、謙也さん」
    「ごめんな」
     頭をわしわしと撫でられる。撫でる手つきの強引さとは裏腹なばつの悪い顔を見て、謙也も自分と同じような気持ちであることを知った。もうひと押しすればどうなってしまうのか。危険な好奇心がぐらりと理性を揺さぶりかけた時、ぷるる、と部屋のインターホンが無遠慮に鳴った。
     慌てて受話器を取り裏返った声で応対する姿が可笑しくて、思わず光は笑みをこぼし脱力する。さっきまでのムードは雲散霧消してしまい、この部屋で起こったことはまるで夢であったかのように錯覚させた。
     だけど全てを夢にしてしまうには惜しく、受話器を置いて向き直った謙也の顔を捕まえてもう一度、触れるだけのキスをする。こんな馬鹿みたいなカップルになるつもりはなかったのに。でも、気分は悪くない。氷が溶けて薄くなった烏龍茶を飲み干して、部屋を後にした。
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