『あなたの欲しいものは、何ですか?』
そんなキャッチコピーが貼り出された聖夜の街。行き交う人々は皆どこか浮き足立っていて、それでいて幸せそうだ。そんな喧騒に上手く馴染むことができない謙也と光は逃げるように通りを後にした。イルミネーションは眩しすぎる。そんな後ろめたさのある恋をしていた。
いつもの公園に辿り着く頃、辺りはさっきまでの賑わいが嘘のように静まり返っている。くたびれたベンチに腰掛けてふと見上げれば、深い藍色の空に一番星が小さく瞬いていた。
「飲み物でも買ってこよか」
「温かいおしるこお願いします」
「クリスマスにおしるこかいな」
「別に、ええやないですか」
「ぶれへんなと思って。ほな、超スピードで買うて来るで!」
そう宣言して走って行ったものの、なかなか戻って来ない謙也を待ちながら光はかじかむ手を擦った。たかがクリスマス。踊らされるのは己が主義に反するとして平静を保っていたいのに、街で目にした仲睦まじい男女の姿に嫉妬とも羨望ともつかないこじれた感情を抱いてしまった。でも、どれだけ背伸びしても俺たちは中学生で、先輩と後輩で、男と男だ。
ため息も白む頃、息を切らして謙也が戻ってきた。手には注文通りおしるこの缶を握っている。
「すまん!おしるこ置いてる自販機探すのに時間かかってしもた、絶滅したんかと思ったでホンマに」
「そらご苦労様っすわ……ありがとうございます」
「……寂しかった?」
急に図星を突かれて、光は咄嗟に「別に」とかぶりを振った。差し出された缶は少しぬるくなっていて、謙也は随分遠くまで探しに行ったのだということを物語っている。その健気さに、手から伝わるだけでない温もりがじわりと胸に宿った。
二人はしばらく間近に迫る千里の誕生日のサプライズ計画やこれからのテニス部についてなど取り止めなく話していたが、ふわりと舞い降りた雪粒が鼻の先を濡らしたのに気付くとどちらからともなく互いの顔を見つめ、手を重ね合わせた。
「謙也さんの手、熱すぎっすわ」
「財前の手が冷たすぎるっちゅー話や」
軽口は冬の透明な空気に溶けて消えていく。
「……ごめんな」
直後に謙也が見せた真面目な顔があまりにきれいで呼吸を忘れた一瞬の間、くちびるが触れ合って離れた。
閉じていた目をゆっくり開くと、謙也は上着のポケットから何か取り出して光の手のひらに置いた。手渡されたもの、それは指輪であった。指輪なのだが、よく見ると消しゴムでできている。
「何すかこれ?」
「ようできてるやろ?オモシロ消しゴムの中でもめちゃめちゃレアなやつやから無くさんといてや」
「はあ……」
光が目を点にさせていると、謙也は決まりの悪い顔をして俯きがちに呟いた。
「俺まだ稼いだりでけへんのに、ちゃんとしたの渡すのはちゃうかなって。せやから今日はこれしか渡せんけど、堪忍してや」
ごめんな、と言ったのはこのことも含まれているのか。そう理解した瞬間、照れ隠しでおどけてみせようとする目の前の恋人がたまらなく愛しくて、大切で。光は謙也の胸に頭をこつんと当てた。
「謙也さん、あんたホンマにアホや」
「そうかもしれへん、はは」
「これ、はめてみてもええですか?」
そう言って光は薬指に消しゴム指輪を通そうと街灯の方に向けて手をかざした。光のピアスと両眼が街灯に照らされてきらりと輝く。謙也は思わず言葉を失うほどに見とれていた。
結局指輪はあと少しの所で引っかかってしまい、光の指におさまることはなかった。
「謙也さん、次はちゃんと指のサイズ聞いてくださいね」
「それって……」
「楽しみにしてるんで」
笑うのが下手な光の顔がくしゃ、と綻んだ。それだけで、謙也はもう何もいらなかった。
雪が降り続く。どんなに名残惜しくとも、行く当てのない二人はここにいればやがて凍えてしまう。冬は残酷だからこそ、互いのあたたかさがかけがえのない尊いものとして二人の心に残り続けるのだった。
『欲しかったものは、すべてここにある。』