無知の無憂ドラゴンは古より恐怖の象徴として存在しつつも道を外せば悪竜として討伐され、または資源として利用される。
世間から排他的存在とみなされ、種が絶えることを恐れたある地方のドラゴン達は様々な手段を用いて自らの地位を確立させようとしていた。
ムユゥはその時代の生まれのドラゴンで、その頃からの付き合いの友人が二人いる。
一人は最近海の守護竜として確立した冥海龍の沙羅(シャラ)
もう一人は薬術に長けた薬竜サノティリアの菩提(ボダイ)
他の竜が人と一線を引き神格化に向かう一方で、ムユゥは人と交友し俗世に混ざる事で世界に適応した。
それは生存の為でもあったが、鉱山の守護竜であり普段から人と接する機会の多いムユゥ自身の好奇心こそが最もたる理由だった。
ムユゥは生活の殆どを人の姿で過ごしていたため、一部の竜からは反感を買っており、特に同期のシャラからは忌み嫌われた。
彼はムユゥの姿を見る度に様々な嫌味を言ってきた。
「我々は種族の生存の為、畏怖され崇拝される存在ではなくてはならない」
「何故、竜の姿を捨て去ってまで俗物に成り下がるのか」
シャラと言い争っている時、ボダイはよく仲介に入ってくれていた。
ボダイは彼らの中では珍しい位の温厚だったが、酷く臆病な性格でもあった。
ボダイもまた人に興味を持ち、ムユゥの価値観に理解を示していてくれていたが、人と交流する事を恐れていた様だった。
そこで彼と話す時は、自分の人との交友や世間についてよく語った。
「竜が神話や恐怖の象徴などと、まさに過去に縋ってばかりの時代遅れな発想だ」
「友人。他種族への理解と共感こそが、共存の道であり、俺たちの生存の道ではないか」
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ある年に鉱夫達の中で疫病が流行った。
鉱山の守護竜であるムユゥはあらゆる土地の地脈に通じていたが、人間の病の事については全くの無学だったため、弱っていく人々をただ傍観することしかできなかった。
困り果てていた所、東の森から薬箱を抱えた男が現れた。正体を聞くと、ボダイが友人を心配して出した使いだと言う。男は友人からの手紙を取り出した。
「-自分が人里に下りるのは恐ろしくて出来ないが、一族の中で信頼のおける彼に薬の知識を託している」
「君が困っていると聞いた。彼に処方を任せてみて欲しい」
ムユゥは薬売りの男に鉱夫たちの症状を伝えた所、男は薬箱から青色の丹薬を取り出した。彼の言うとおりに丹薬を与え、飲み水を変えるとたちまち鉱夫たちの体調は良くなり、ひと月もたてば疫病は収まった。ムユゥは感激し、薬売りの男に十分な礼を施した後、友人の竜の所へも赴き礼を尽くした。
ボダイは相変わらず謙遜していたが、ムユゥが霊薬の作り方を教えて欲しいと乞うと、実際に目の前で調合してくれた。
この調合はボダイだからこそ出来る術であり、ムユゥはその詳細までは理解することは出来なかったが、彼の角から流れ出た魔力が薬に宿る光景はムユゥの鉱山で採掘されるどの鉱石よりも美しく見えた。
ムユゥはボダイの能力を大いに褒め称えた。
その後もムユゥは度々ボダイに会いに行き、互いに意見を交換する様になった。
ボダイは薬の話を、ムユゥは人々の価値と可能性について語った。
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いつもの様に世間話をしに行った時だった。ボダイは自分に子供が出来たとムユゥに告げた。
まだ卵だが、サノティリアの成長は孵化から自立まで何百年もかかる。子の面倒を見るため、しばらくはこうして会って話をすることは叶わないと。
循環の象徴である髄竜のムユゥは自分から生まれていく子もわからないし、親の顔も知らない。家族というものについては何度聞いても理解しがたかった。けれど、友人にとってめでたい話を大いに祝福した。
ボダイは奔放なムユゥの事を心配していたが、ムユゥは自分も最近後継が出来た事を伝え、彼女が大成した時にまたボダイとその息子と会いに行くと約束した。
それが友人と最後に話した年だった。
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後継は、ある年に突然ムユゥの元に訪れて来た。
彼女はこの地で生まれた髄竜であり、自ら後継になりたいと名乗った。
人の姿はムユゥの姿を遠目に見て、見様見真似で取得したと言う。
髄竜が後継を取るのも元々の種族の特徴でもあるし、何よりも自分の負担が軽くなる。
特に断る理由もなかったので面倒を見る事にした。
彼女は器量が良く、与えられた役目は言わずとも先に果たした。
当時はすぐにこの地を任せても良いと感じていたが、彼女は髄竜の本質ともいえる力、地脈を司る「心臓の取得」に苦戦していた様だった。
彼女が焦りを感じていたのは薄々気付いてたが、ムユゥはそれほど深刻には考えていなかった。
後継を取って何年か過ぎた年、瘴気が広がり、その影響で数多の凶暴な魔物が鉱山に下って来た。
また、一部の鉱山も瘴気に飲まれつつあった。
魔物との戦争の中でムユゥも重傷を負い状況は芳しくはなかったが、ある意味良い機会だと思った。
自分が身を引き、後継の彼女が新しくこの地の守護竜となる時が来たと。
髄竜は同じ髄竜であれば心臓を譲る事ができる。
彼女の修行について深刻に考えていなかったのもこれが理由だった。
心臓を譲ったとしても汚染された鉱山を浄化しに行く程度の力は残るだろう。
友人との約束は叶わないが自分は姿形が無くなり大地に還るだけ。この地の人々と未来を後継に委ねられたらそれで良い。
ムユゥは後継に自身の心臓を譲り、自分が瘴気の浄化に行くと提案した。
段々と地気が枯れていく消耗戦の様な状況で、聡明な彼女であればすぐに理解してくれると思っていたからだ。
けれど後継は、ムユゥの提案を否定した。
ムユゥは彼女が否定した理由がわからなかった。
どう考えてもそれが一番合理的で、将来的に価値があると思っていたからだ。
他に現状を打破するより良い方法はないと確信していた。
理由を聞かず一方的にものをいい、そして従順で自分に理解のある彼女なら一晩も経てば理解してくれるだろうと思い、その場を離れた。
その晩、彼女は瘴気の中に消え、二度と戻って来ることは無かった。
彼女の生命力を地脈が吸い上げて、瘴気は消えた。
暫くして戦火も収まり、鉱夫達と復興を始めた。
ムユゥの指揮により採掘場はすぐに立ち直り、鉱夫達には元の生活が戻ってきたが、ムユゥ自身はまだ立ち直れていなかった。
傷の代償か、腹の底から湧き上がってくる"何か"から逃れる為かはわからない。
ただその時は、酷く眠りたかった。
冬眠の間は守護竜が不在になるが、この地の人々とは長い付き合いであったため、ムユゥは彼らの能力と可能性を信じていた。ムユゥは鉱夫達に自分が眠っている間最低限やっておくべき事を伝え、長い眠りについた。
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ムユゥが再び目を覚ました時、世界は百年以上経過していた。
鉱山は自分が眠る頃と変わらず、いやそれ以上に発展が進んでいた。
守護竜たちが居なくとも自分達で居場所を守ろうと、その場所で生きる人々たちが奮起した結果だった。
ムユゥはその光景を見て、人々の可能性に感動し、また自分のこの地での役目も終わったと感じた。
髄竜の生命は終わった後も循環する、自分が誰かに託さずとも同族はまた必要とされる地で生まれてくるだろう。
そうして彼は一人髄竜の役目を終えた。
けれど、身を引く決意をしたと同時に何も残せなかった事、自分が何者でもない空虚さに襲われた。
ムユゥは多くの人々を観察し、関わることを好んでいたが、自分自身については常々何も無いと思っていた。
寂しさは、人に教わった娯楽で紛らわした。そうして目覚めた後も何かを紛らわす様に毎日酒を飲み、夜街へ赴いた。こういった時に人の姿は便利だった。
それからまた長い年月が経ってしまった。
ふと、友人だった薬竜とその息子はどうしているだろうと思い浮かべた。
彼との約束を忘れたわけではなかった。
ただ、後継を会わせると言っておいて、むざむざ死なせた上に一人引退し、今の生活をしているのかと思うと、なんとなくばつが悪くて向き合えずにいた。
二人は元気にしているだろうか
重い腰を上げ、何百年前彼と昔会った場所へ行ってみると、そこにボダイはいなかった。代わりにもう一人の旧友であるシャラがいた。あれだけ人が嫌いだと言っていたシャラが人の姿で現れたのは驚いたが、それよりも驚いたのは、三人の中でも最も長命種だった筈のボダイの訃報だった。
ムユゥが眠っている間、ボダイが知識を託した一族に裏切られ死んだ事、
また、彼の息子の卵もヒトに奪われ所在がわからなくなっている事、
戦後不老不死の薬が求められ、その対価にサノティリアは絶滅してしまった事。
自分が酒に溺れ、遊びにふけている時に、彼らの僅かな灯火は消えてしまっていたのだ。
数百年でのあまりにも著しい身の回りの変化を受け止めきれず、放心しているムユゥにシャラは言った
「無知の無憂(ムユゥ)、貴様はどこまでも愚かだな」
ある種が時代や価値観の変化に適応しきれず、歴史から淘汰されていくのは昔からよくある話だ。
彼らが死に消えゆく歴史は決して誰かのせいとは断定できない。
だが、自分についてはどうだろうか。
後継を死なせ、絶滅する友人の助けにもなれなかった。
ムユゥはこの時ようやく自分の底から湧き上がってくるものの正体が『後悔』だと知った。
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ボダイの何百年目の回忌で、シャラは旧友に詩を送った。
ムユゥは、自分が弔いに送るものがわからなかった。
シャラの様に詩歌や芸を嗜んでいる訳でもなければ、学も無い。
枝垂れた大樹の傍、かつてボダイとよく話し込んだ川の畔に座り込みんだ。
いくらそこで待っていても、あの穏やかな友人はもう現れることはない。
シャラの詩を聞きながら、過去を偲んだ。
しかしムユゥももう晩年に近い年頃になっており、五百年前に会った友人の顔も、声も、何もかも朧げになりつつある事実に嘆くしかなかった
その中で鮮明に思い出せたのは、あの時彼が目の前で作ってくれた霊薬の輝きと、その薬を作る美しい角の色
青くどこまでも澄んだ色は、くすみきった記憶の中でも決して色褪せていなかった
そして、あの色を知っているのも、今や自分しかいない。
あの色を、もう一度この手で取り戻したい
そしてムユゥはあまりにも遅すぎる頃に、何かを学ぶという決意をした。
面影も朧になってしまった彼の存在を現世に残すために
それからゼラルディア最高峰の教育機関であるアラディア院の入学試験に挑み、ムユゥは今に至る。
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―ここまで語ると、友人想いの竜の様に感じるが、これは亡き旧友の為とは言えない。
全てムユゥの自己満足であり、こんな事を続けても結局は絶滅してしまった友人に決して届くことはない。
これは自分の後悔と罪悪感から逃れる手段である
それは、ムユゥ自身も理解していた