きみにチュウ とうとう懐いた。
膝上の暖かさと、じんと胸にこみあげる感慨を噛み締めて、ヴァッシュは後部座席でこっそり満面の笑みを浮かべていた。
──二つの太陽が輝く青空の下、変わり映えのない砂漠をひた走る社用車の中は静かだった。今朝方スタンドで車のエネルギーチャージを済ませて休憩を取ってから、車はずっと走り続けている。そうなると会話のネタも尽きてきて、ロベルトなどはつまらなそうに新聞を読み、メリルは無表情に前方を見るばかりになる。ラジオは宗教番組がごく小さな音量で流れているが、誰も耳を傾けてはいない。
要するに容赦なく退屈な時間だった。車での移動はそうした時間が大半と言っていい。けれど、そんな中でもヴァッシュはひとつ、ジオプラントの植物がゆっくり育つかのごとき楽しみを持っていた。
その楽しみは先程、ようやく花開いたといえよう。
「……ぐぅ」
膝上に乗るさらさらの黒髪を撫でて指に絡めたい気持ちを、ヴァッシュはぐっと堪えていた。無邪気な寝顔は気持ちよさそうだ。
──隣の席に座るウルフウッドがこっくりこっくりと船を漕ぎ始めたのが数分前。その様子を横目でじっと見守っていたヴァッシュは、ウルフウッドが自分の肩に頭を預けたとき、密やかに胸を高鳴らせていた。
かつて本で見たオオカミもかくやという男。飄々としているくせに警戒心が強いのがウルフウッドという男だった。
最初の頃は、肩にもたれかかったかと思えばハッと目を覚まして憮然とした顔になるのがセオリーだった。別に何もしないよ、と言ってみたこともあるが、『そんなもんわかるかい』と突っぱねられてしまった。
しかし旅が長くなり、背中を預けるような戦いを重ねてくれば、ウルフウッドのツンツンした態度はゆっくり柔らかくなっていった。
土に植えた種が芽吹き、ニョキニョキと育つのと似ていた。ウルフウッドは少しずつ、隣で眠り、肩によりかかり、頭をもたれてくる時間が長くなっていった。
そしてついさっき。ずるずると膝上に滑り込んできて、そのままヴァッシュの膝に頭を乗せて横になったウルフウッドの顔から、そうっとサングラスを外したとき。ヴァッシュはとうとう、ウルフウッドの警戒心が消え去ったのを確信したのである。信頼の花が開いた瞬間である。
(かわいい、かわいい!)
じっくりと、寝顔を堪能する。わずかに口の開いた横顔は幼く見えて、それがまたヴァッシュのレムゆずりの母性ともいうべき衝動を刺激する。たまらなくなって、ヴァッシュは前を凝視し、前方のふたりがこちらを振り向かないと確認してから、
(チュウしちゃおう)
ウルフウッドの頬にそっとキスをした。大胆にも、ちゅっ、なんて音まで立てて。
大満足。草葉の陰のレムも親指を立てていることだろう。
ぺろりと舌なめずりして、ヴァッシュは少し赤らんだ顔をニコニコと破顔させる。
だが、ヴァッシュが根気よく咲かせたはずの花は、思いのほかシャイだった。
「……ッ、この、あほ……!」
小さな声だった。
見れば、ウルフウッドは目を閉じたまま耳を赤くして眉間にしわを寄せ、ギリギリと歯ぎしりしていた。起きていたらしい。反射的に動かないのは、そうすると前の二人に仔細がバレると理性が留めているからだろう。
「……ごめん。調子乗っちゃった」
同じくらい小さな声で応えた。「あとでどつく……」返ってきた低くてかすかな威嚇に、それでもヴァッシュはニンマリしてしまう。
なにせ、ウルフウッドまたそのまま眠ってしまったので。
一度芽生えた信頼は、きちんとウルフウッドに根付いた。今度はしっかり眠ったのを確認してからキスしてやろう。懲りもせずそんなことを考えながら、ヴァッシュはふふん、と鼻を鳴らして窓の外を眺めるのだった。
了