黒い天使のみつけかた「なんや、片翼やんけ」
輝くステージ上で震える"それ"を見て、ウルフウッドはぽつりとつぶやいた。傍らの豪奢な椅子にどっかりと座っていた男が喉を鳴らして笑う。
「欠陥品でも、『有翼種』は高く売れる。むしろここまで五体満足なのは希少なもんだ」
そんなもんか──男の下卑た言葉を聞きながら、ウルフウッドは周囲を見やった。己の仕事であるところの"用心棒"らしく警戒するように、あるいはなんの興味もないかのように。
とあるホテルの、華やかなシャンデリアが下りるホールには、傍らの男──ウルフウッドの雇い主のような金持ちがひしめきあっていた。誰もがスーツやドレスを着こなし、屈強そうなボディガードを連れていた。誰もが例外なく権力や金を持て余し、同時に人でなしなのだった。ここはそんな彼らの欲求を叶える、いわゆる裏オークション会場だ。非合法かつ表の世界には知られることのない商品が、ここでは平然と売り買いされる。
視線を前に戻す。飢えたケダモノたちが興奮して見つめる先にいる"それ"を、ウルフウッドは改めて見つめた。
今日も随分ひどい品物がいくつも壇上に上がったが、いまホールの最奥で注目を集めているそれは、ひときわ悪趣味だとウルフウッドは思った。
「皆様、お待たせいたしました。それでは今回の目玉商品のご紹介です」
ステージの端で演台の前に立つ司会者が、声高らかに告げる。ステージを照らす照明が一段と強くなり、会場にはどよめきが起こる。すると"それ"は怯えたように顔をうつむかせた。
黒い鉄格子の鳥籠の中に、青年が捕らわれている。しかし、その背中にあるのは人ならざる黒い翼──くだんの『有翼種』と呼ばれる種族の青年が、このオークションの目玉だった。
背中に翼を持つ『有翼種』は、突然変異とも、人体実験の生き残りとも言われている。その存在は世間に知られず、しかし裏社会では高価な愛玩動物として取引されてきた。ウルフウッドも用心棒として働き始めたころ噂では聞いたことがあったが、実物を見るのは初めてだった。
「……綺麗なもんやなあ」
つい、言葉が出てしまった。
漆黒の翼はもとより。ブロンドの髪に碧い瞳の青年は憂いを帯びた表情でなお、美しかった。しかし全身は傷だらけで、手足は鎖で縛られている。人間に似た、人間ではないイキモノである青年に、人としての尊厳は許されていない。そのうえ片翼で、彼は有翼種としても欠陥がある──そんな姿が、むしろ心を惹きつける。倒錯的な感情にウルフウッドがごくりと唾を飲んだところで、彼のオークションは始まった。
「貴重な黒い有翼種、今後はもう出るかはわかりません。さあ、開始価格は一千万$$から!」
「二千!」
「五千!」
「一億!!」
方々から声が上がり、価格はどんどん釣り上がっていく。ウルフウッドは傍らの男に「ええんですか」と呼びかけてみた。この男とて、目当てはこの有翼種の青年のはずだ。
「ふん、あんな安値で売れるとでも? まだ様子見だ」
男の泰然とした様子とは裏腹に、会場ではウルフウッドには想像もつかないような価格が叫ばれ続けている。
「六十億!」
会場がざわめいた。悠然と手を上げてその値を告げたのは若々しい美青年だった。ウルフウッドが目を丸くして美青年を見たのも束の間。傍らの男は、この静寂を待っていたとばかりに片手を上げた。
「……六百億$$!」
ざわめきが、波のように会場に広がって、静かに消えていくのがわかった。ウルフウッドも、絶句して男を見下ろす。
「ろ……六百億$$、もう他にいませんね?」
司会者はたじろぎつつ、口元に卑しい笑みを貼り付けながら会場に問うた。言葉はない。ただ鳥籠の中の青年だけが、苦悶の溜息を吐いていた。
「では六百億$$で落札です!!」
カンカンカン、と木槌が打ち鳴らされる。落胆の溜息と歓声が響く中、男はぐふぅ、と獣じみた声で笑う。その姿を嫌悪感をこめて見やったあと、ウルフウッドは壇上に目をやって、息を呑んだ。
「──」
まっすぐにこちらを射抜く、碧の瞳──青年と視線が合った、ような気がした。しかしすぐに青年は鳥籠ごと運び出され、ウルフウッドは目を見開いたまま、それを見送った。
「じゃあ俺は契約書にサインしてくる。……味見くらいならしてもいいが、酷くするなよ」
いやらしく笑いながらウルフウッドに告げて、男が部屋をあとにする。残されたウルフウッドは沈黙しながら、かすかな呼吸の音を聞いていた。
あれから青年は客間に運ばれ、ウルフウッドは見張りを任されることになった。
青年は目隠しと猿ぐつわをされ、両手両足には手錠をかけられた状態でベッドに寝かされていた。身じろぎすらしないのは、諦めきっているからだろうか。
……おそらく青年は、このあと男の屋敷で、一生を慰み者として過ごすのだろう。
あの男がどんな人間かは、用心棒として雇われた数年のあいだによく思い知っている。金しか信用せず、金でしか人との関係を築けない。自分より弱い者は徹底的にいたぶり、蔑み、弄ぶ。最低な部類の人間といってよかった。ウルフウッドが今日まであの男に雇われていたのは、単に金払いが良かったからだが、金を送っている孤児院の者たちが知れば、きっと彼らはウルフウッドに嫌悪を抱くことだろう。
「……せや。同じ穴のムジナっちうやつや、ワイも」
つぶやいて、ウルフウッドは青年に歩み寄った。びくりと、黒い翼が震える。気配を感じ取った青年が緊張しているのがわかる。あの男の最後のセリフ通り、ウルフウッドが自分をいたぶると怯えているのだろう。
「怖がんなや。……何もせんから」
思いの外、優しい声が出た。
何をしようとしているんだろう、と自嘲する。あの男に嬲られる前にせめて、優しくしてやりたいと思ったのか。そんなものは、ただの気休め程度にしかならないのに。
「……ッ」
目隠しを外すと、碧い瞳は涙に濡れていた。その透き通るような眼差しに、ウルフウッドは確信を覚える。やはりあのとき、自分は青年に見られていた。
じっと見つめ合う。少し躊躇ったあと、ウルフウッドは青年の口から猿ぐつわも外してやった。
「ッ助けて……ッ!」
外すなり、青年はかすれた声で言った。
「……喋れるんやな」
驚きつつ、そんな軽口を叩く。しかし青年は、ぼろぼろと泣きながら言い募った。
「お願い、助けて……僕、君の言う事なら、なんでもきくから……」
「命乞いにしちゃ、陳腐やな。なんでワイならええんや。初めて会うたのに」
青年が首を振る。ウルフウッドが眉をひそめると、青年は泣きながらも、どこか安心したように笑ってみせた。
「……目を見ればわかるよ。君は……酷いことはしない」
言葉が出なかった。あんな一瞬、目が合っただけで──この青年は、ウルフウッドの心を見透かしたというのか。
「……名前はあるんか?」
つい尋ねていた。青年はホッとした様子で「ヴァッシュだよ」と答えた。
「僕も、君の名前が知りたい」
「ニコラス・D・ウルフウッドや」
つられて名乗ってから、気まずさにウルフウッドは頭を掻いた。しかし青年──ヴァッシュは先程より強く、懇願の目を向けてくる。
「頼むよ、逃してほしい。……これは、君たちにとっても悪い話じゃないから」
「どういう意味や」
ヴァッシュが苦しげに目を伏せる。オークション会場で見せたのと同じ憂いの眼差しだった。
「……僕は、元々いた研究所を襲われて捕まった。そこには兄がいて……ナイヴズは、きっと僕を取り戻しにくる。そうしたら、あの男の人は殺される。君だって、そうだ。だから逃げないとだめなんだ」
信じられない思いで、ウルフウッドはヴァッシュを見つめる。まさか、この男──自分が捕まってオークションにかけられたことより、兄の復讐のために人が殺されることを憂いていたのか。
「……そこまで博愛やと、ホンマに天使みたいやな」
そんな軽口に、ヴァッシュはへらりと笑う。「そんなんじゃ、ないよ」その笑顔には、無性に切なくなるような寂しさがあった。ふと、ウルフウッドは傷だらけの体を見る。きっとこの男は、これまでもこんなふうに笑って何かを諦めたり、受け入れたりしてきたのだろう。そのたびに傷つけられてきたのだ。
……ヴァッシュの言うとおりならば。このままヴァッシュを屋敷に運んでも、遅かれ早かれ男と自分は殺される。だが、逃げれば少し、結果は違うかもしれない。
まじまじと、ウルフウッドはヴァッシュを見返した。
黒い片翼、美しい外見。どこへ行っても、普通には生きられそうにない。
けれど、そんなのは自分も同じだ。孤児院育ちの根無し草。普通に生きられないから、武器を手にして、卑しい金持ちの用心棒などやっている。
「……せやな」
なんだ、お似合いじゃないか。そんなことを思うと、不思議と口元に笑みが浮かんだ。
おもむろに、ウルフウッドは懐から拳銃を抜き出した。
「ウルフウッド……?」
「大人しゅう、せえよ」
照準を合わせたあとは、ためらわなかった。ガン、ガンと二発。撃ったのは、手錠を繋ぐ鎖だった。
「──行くで、"トンガリ"!」
起き上がったばかりの、ヴァッシュの手を引いた。銃声を聞きつけたのか、遠くから慌ただしい足音が聞こえてくる。人数は複数か。だが、伊達に用心棒の仕事をしてきたわけじゃない。
ふたりで、扉の外に飛び出した。ヴァッシュを背後に、ウルフウッドは銃を構えた。
了