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    mojio4040

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    mojio4040

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    深河
    高二の冬の選抜頃から、高三のあの夏までの話
    自分の中の深津像詰め合わせ

    涙は頬を流れない 深津は昔から、人気のない穴場を見つけるのが得意だ。幼少の頃、隠れ鬼は彼の独壇場であった。
     そんなささやかな特技ゆえに、彼は時たま予期せぬ遭遇をする。それは大抵、人目を忍んで隠れているもの。例えば痩せた野良猫であったり、秘密基地に集まる地元の子ども達であったり、またあるいは――

     その日深津は、ふらりとどこか静かな場所へ行きたくなった。なので考えるよりも先に立ち上がって、隣に座っていた河田へ「外の空気吸ってくるピョン」と彼のつむじを見ながら告げた。
     河田は壁にかかった時計をちらりと見ると「半までには戻って来いよ」とだけ言ってそれきりであった。多くを語らずとも伝わる仲なのだ。
     河田に任せておけば大丈夫だろう、という安心感に背中を押され、深津は山王の選手たちが寄り集まる一団からするりと抜け出した。
     行先は、決まっている。この体育館には何度か試合で来ていたから、良さそうな場所に当たりはつけていた。記憶を頼りに廊下を進み、人混みを抜け喧騒から遠ざかる。途中どこかで誰かが「山王の深津だ」と噂する声が聞こえた。
     しばらく歩いて、ガラス扉に行き当たる。銀色のドアレバーを掴めば、幸いにも施錠はされていないようだった。
     一歩外へ踏み出すと、十二月の空気が全身を包む。自販機もベンチもない殺風景な屋外スペースは、予想通りひっそりとしていた。深津は薄曇りでのっぺりとした灰色の寒空を見上げて、大きく息を吸い、冷えた空気を肺へ送り込んだ。
     別に、団体行動は苦手でない。だがこの染み入るような静けさが、深津にとって必要な休息なのだ。
     風が時折思い出したように、ビュウと強く吹き付ける。ろくな積雪もないこの地の冬は、雪深い秋田と比べれば温暖なくらいだが、ことビル風の冷たさにおいては東京の方が上だなと深津は思う。
     突風は防寒着をたなびかせ、剝き出しの顔や指先から体温を奪っていく。今日の山王は既に試合を終え、これから明日の対戦相手を偵察する予定なので、今多少身体が冷え固まったところで支障はない。とはいえ、これが原因で風邪を引くなんて愚かな真似は避けたかった。
     せめて遮蔽物のある場所へ移動するか、と数メートル先の壁際に歩みを進め、深津はそこでようやく気が付いた。誰もいないと思っていたのは、間違いだったということに。
     先客は、壁に向かってじっと蹲っていた。顔は膝の間に伏せられ見えなかったが、背格好から同年代の選手だろうと想像がつく。もしも、何も知らない人間がこの場に出くわしたら、具合でも悪いのかと声を掛けたかもしれない。
     だが深津は何も言わず、元いた扉の方向へ引き返した。足音を立てないよう、ゆっくりと。
     こんな寒空の下、人目のつかない場所に独りきりでいる理由なんてそう多くはない。深津にはすぐ察しがついた。彼はこの二年で、きっと誰よりも多く敗北の涙を目にした男であったから。
     山王工業に入学してから、深津たちの代はあらゆる大会で勝利を収めている。それは裏を返せば、全ての対戦相手をねじ伏せ、踏み越え、負かしてきたことと同義であった。

     小学生の頃、一度だけ嘘泣きをしたことがある。
     まだバスケを始めてそう間もない時分、ミニバスの大会で深津たちのチームは大事な試合を落とした。優勝は目前であったからチームメイトたちは意気消沈して、一人が泣き出したのを皮切りにそれが全員に伝播するのはあっという間だった。
     コーチは少し困った顔をしたが、その横でもっと困っていたのが深津だ。
     小学校四年生の深津は周囲をちらりと見まわしてから、頭にタオルを被りそっと顔を隠す。その瞳に涙は浮かばない。
     これまでも負け試合で誰かが泣き出すことはあったが、上級生も含め全員となると初めての出来事だ。深津とて悔しくないわけではない。いやむしろ彼はチーム随一の負けず嫌いであったから、この敗戦に対して誰よりも大きな感情を抱えていると言ってもいい。
     だが彼の頭はその時、試合中に匹敵する集中力で目まぐるしく動いていた。何故自分たちは負けたのか。敗因は。改善点は。あの時流れを引き戻すならどう動けば良かったのか。強くなるには明日から、いや今から自分に何が出来る? もう二度と負けないためには。
     自問自答が、次から次へと湧き上がって深津の心中を駆け巡る。結論から言えば、彼のメンタリティは一般的な小学生からは少々逸脱していた。
     そして同時に深津少年は、仲間たちがすすり泣く声を聴きながら考える。集団における異分子の扱いについて、つまり自分のことだ。皆が感情を露わにする中、表面上普段と変わらない自分を周囲はどう受け止めるだろう。
     人からどう見られるか、という点はさほど重要ではなかった。問題は同じ温度を共有出来ないと判断された場合、今後のプレイにどう影響するかだ。
     十歳らしからぬ思考回路を経て、結局深津は周囲に合わせることにした。つまり嘘泣きである。
     深津は直近で一番悲しかった記憶を呼び起こし、自分の涙腺を鼓舞する。幼稚園から大事に育てた縁日の金魚が、去年一匹夭折したことを思い出す。人生で初めてのペットであり、また初めての離別であった。
     スン、と鼻をすすると、近くにいた同級生がこちらを振り返る。その顔は驚きに満ちていて、それからふと安堵したような表情へ変わった。直後の一言を、深津は今でも鮮明に覚えている。
    「カズくんも、悔しくて泣くんだな」
     その言葉に、深津の胸がチクリと痛んだ。それは多分、友達に嘘をついて人を騙した罪悪感。あるいは心を共に分かち合えない、一抹の寂しさであったのかもしれなかった。

    「――かつ。深津、聞いてっか?」
    「……ん」
     よく通る河田の声が、古い記憶の海から深津の意識を引き戻した。ホテルの部屋に備え付けられた椅子へぼんやり腰かけていた深津は、背もたれから上半身を起こして河田の方を仰ぎ見る。
    「それ、まだ観てんのか」
     そう言って河田が指さす先には、ツインベッドの対面に設置された大型テレビがあった。先ほどまで放送していたはずのバラエティ番組は既に終わっていて、いつの間にか次枠の知らないドラマが始まっている。
    「いや、別に。つけてただけベシ……ピョン」
     最近変えたばかりの接尾語は、まだ深津の舌に馴染みきっていない。ベシの期間が長かったこともあり、こういう気が緩んでる状態や咄嗟の時はピョンが引っ込んでしまうようだった。
    「そんなら、そろそろ寝るべ」
     明日も早えしな、と河田が大きなあくびをする。豪快な口の開きっぷりは、昔動物図鑑で読んだサバンナのカバを深津に連想させた。
     二メートル近い体躯が、日本人規格のやや手狭なベッドへ転がった。シーツの上に手足を伸ばして寝そべる河田の顔を覗き込むようにして、深津も移動する。腰を下ろせば、当然二人分の重みでマットレスがたわむ。
     あふ、と無防備に息を吐く河田の目尻に涙の玉が浮かぶ。今にも溢れそうだ。そう思って深津は、その滴を唇でちゅ、と舐め取った。衝動的な行動に、河田の肩がピクリと跳ねた。
    「おいこら」
    「……これ以上はしないピョン」
     建前上はそうだが、本音は別だ。日頃二人きりになるのも難しい寮生活から一転して、遠征先のホテルで二人部屋。いちゃつくには絶好のシチュエーションである。あわよくば、と思ってしまうのは仕方あるまい。
     しかし河田の手は無情にも、覆い被さった体勢で動かない深津の胸板をやんわり押し返す。
     むくりと上体を起こした河田の表情は一見憮然としていたが、頬は僅かに赤い。
     恋人を窘めるのにそんな可愛い顔をしたら火に油だろう。深津は苦言を呈したくなったが、逆に怒られそうなので、口には出さなかった。
     代わりに深津は、思いつきで、ふとさっきまで考えていたことを問うことにした。
    「河田は、試合で負けて最後に泣いたのはいつピョン」
     あまりに唐突な質問であったから、河田は一瞬真意を測りかねたような顔になる。しかし、よくよく考えればこいつが突拍子もないのは平常運転だな、と気を取り直して記憶を探った。
    「ん……そうだな、一度もねえな」
    「一度もピョン?」
     この男の、勝負事における苛烈さを知る者からすれば、その返答はいささか意外であった。
    「自分に腹が立って眠れないなんてのは、数え切れねえほどあったけどよ」
     涙と一緒に悔しさまで流れ出る気がするから、オレは絶対泣かねえってガキの頃から決めてんだ。そんな持論を聞かされ、深津は納得と共に「河田らしいピョン」と少しだけ笑う。
    「おめえは?」
    「オレは……オレも、無いピョン」
    「まあ想像つかねえな。地球最後の日でもケロッとしてそうだ」
     ニヤリ、と河田が口角を上げ、ゴツい手が深津の丸い額を軽く小突いた。じゃれつくような挑発に、深津も興が乗る。わざと大げさに目を見開いて、ショックを受けましたとばかりに俯いた。
    「酷い言い草ピョン。繊細なハートを持つ一成君は、いたく傷ついたピョン」
     両手をグーにして自分の瞼へ押し付け、女児にしか許されないポーズで泣き真似も追加する。
    「ピョーンピョンピョン……」
    「なんだそりゃあ。鳥みてえだな」
    「鳴いてないピョン。号泣ピョン」
     ピョンピョン、と飽きずに続ける深津の裏声は、求愛を繰り返す野鳥に似ている。そこには妙な可笑しさと愛嬌があった。
     河田は笑い半分呆れ半分で「しょうがねえな」と頬を緩め、ギュッと深津を抱きしめる。
     脈絡もなく、突然分厚い胸筋を押し付けられた深津の喉から「ピョッ」と間の抜けた声が出た。
    「慰めてくれるピョン?」
    「まあな。めんけ恋人が泣いてっから、甲斐性見せねと」
     刈り揃えた毛並みを食むように、河田の唇が柔らかく坊主頭へ触れる。深津が腕の中でじっとしていると、大きな掌が頬をそっと包んだ。
     力を抜いて反射的に目を閉じれば、先ほど自分が吸い付いたのと同じ場所に柔らかい感触が押し当てられる。それから唇を啄むような、バードキスを何度か繰り返す。
    「大人しくなったな。もう泣き止んだか」
    「まだまだ足りないピョン」
     深津が催促するみたいに広い背中へ腕を回せば、河田も応えるように黙って腕に力を込めた。
    「……本当に涙が出た時は、オレが拭ってやらあ」
     だから泣いたふりなんて似合わない真似すんなよ。深津の首筋に顔をうずめた河田が、ぽつりと呟いた。
     何も話していないのに、不思議と心中を見透かしたような言葉だった。その声は、静かな部屋にひどく優しく響いた。油断したら、本当に涙腺が緩んでしまいそうなほどに。
     深津は今度は自分から、河田の唇へと唇を重ねる。それは、体温を分かち合うようなキスだった。

     涙が、頬を流れている。
     初めて見る、ベンチや応援席でチームメイトたちが泣き崩れる姿から、深津は目を逸らさなかった。その瞳に、涙は浮かばない。
     観客たちの拍手と声援を背に、コートを去る。控室へ移動するさなかも、誰かの嗚咽が深津の耳に遠く届く。
     廊下で一瞬、背後の人の気配が遠ざかった。
     その時深津の視界に映ったのは、背番号7のユニフォームだった。深津は歩みを止めずに、その男の横顔を見上げた。
     河田の頬に涙は流れていない。分かっていた。それでもなお、確認せずにはいられなかった。
     深津の視線に気が付いたのか、河田が足を止め、振り返ってこちらを見る。深津もまた河田を見る。頭半分高い位置を仰いだはずみで、大粒の汗が流れ落ちて、深津の頬を一筋伝う。
     河田は無言で一歩近づくと、節くれだった親指でグッと力強く深津の肌を拭った。
    「汗ピョン」
    「わがってら」
    「慰めも、まだいらない……ピョン」
    「おう、わがってら」
     それだけ言葉を交わした。それで充分だった。
     二人は再び床を踏み鳴らして、黙って一歩前へと進んだ。
     彼らの頬を、流れる涙はついぞなかった。
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