プリズン・フローズン 法廷内に木槌を叩く音が鳴り響く。
「主文、被告人フレデリック・クレイバーグを殺人の罪により終身刑と処す」
法壇の中央に座る裁判長から判決は下され、同時に執行官に腕を掴まれた。
「ち、違う……私は何もしていない!」
高い位置で此方を見下ろす裁判長に訴えかけるように見上げるが、その双眸は冷酷で有無を言わさない目をしていた。その視線で悟ってしまう。この判決は例え控訴したとしても棄却されるだろうと。助けを求めるように周囲を見渡しても、法廷内の傍聴人が向けてくる視線も囁き声も全て罪人に向けるそのものだった。
絶望に打ちひしがれ、恐怖で強張っている体を無理矢理引っ張られる形で執行官に腕を引かれて、重く冷たい法廷を後にした。
「何故、私が……私は何もしていないのに」
「お気の毒ですが貴方をこれから氷原の刑務所へと連行します」
「氷原……?」
「雪と氷で覆われた監獄です。脱獄不能、例え脱獄できたとしても極度の寒さで命を落とすでしょう。命を落したところで一人の犯罪者がこの世からいなくなっただけで誰も気にしませんがね」
腕を掴む執行官は淡々と話していた。
「私は……これからどうなるのでしょうか」
「私にはわかりません。貴方の身柄は全て氷原の看守長に一任されます」
執行官は口角を上げながらそう告げるが、その声音は氷のように冷たく感じた。
手錠に繋がれた身で抵抗も何も出来ないまま飛行機に乗せられる。氷原の監獄には地上からでは行けないらしく、飛行機で囚人を輸送するようだ。
窓際に座らせられ、執行官が隣りに座る。不意に窓の外に目を向けると先程法廷にいた検事や警察官が此方の様子を窺っていた。
飛行機の扉は閉められ、暫くしてエンジンが掛かるとゆっくりと走行を始めた。滑走路に入り速度が上がると機体は傾きながら空へ向かって飛び始める。徐々に地上から離れていく様子を空虚な瞳で見つめた。
「ほんとうに……わたしは、なにもしていない」
小さく呟いた嘆きの声は隣りの執行官の耳に届いたか定かではないが、今はそのようなことどうでもよかった。
頭を抱え俯くと、両手首に纏わりつく手錠の鎖が音を鳴らした。
瞳を閉じて脳内に呼び起こされる記憶は、あの日、目覚めた途端に両手に広がった真っ赤な血だった。視界に広がるのは、両手以上に床に広がっている血と惨殺された誰かの遺体、そして傍にはナイフ。凄惨な現場を目にしたことにより動揺と混乱で動けずにいると、背後から周囲に響き渡る女性の悲鳴があった。それからのことはあまり覚えていない。
思い返せば逮捕から判決までの期間はあまり無かった気がする。早送りされている映像のように自分の意思は置き去りにされたまま怒濤のような日々を送った。
あまりにも目まぐるしくて疲労が溜まっていたのだろう。急激な睡魔に襲われ、ふっと眠りにつく。眠りについた瞳からは一滴の涙が流れた。
「起きてください」
体を揺すられ、意識が覚醒していった。
瞳を開けると執行官が此方を見つめている。不意に窓の外に目を向けると眠りにつく前に見ていた景色とは異なり、地上には氷が張り、雪で覆われていた。
「到着しました。今から貴方を看守に引き渡しますので降りましょう」
引き渡すと言われ体が強張った。いよいよ罪人として、囚人として監獄に収容されてしまうからだ。言いようのない不安と恐怖で息の仕方を忘れてしまいそうだった。
「貴方を無理矢理連れていきたくない。早くしてください」
「……すみません」
重い腰を起こすと執行官の後に続いた。背後には警察官が見張るように付いており、鉛のように重い足取りの間隔を早めた。
外に出ると氷のような冷気が襲う。執行官と警察官は暖かそうな毛皮の上着を着ていたが犯罪者にはそのようなもの不要なのか着の身着のままで何も与えられていない。
タラップから降りると、少し離れた場所から此方を見ている背の高い人物が目に留まった。執行官がその人物に向かって歩き始めた。
背の高い人物は男性。口許を重そうなマスクで覆い隠し、腰には幾つか鍵がぶら下がっている。全体的に蒼い装いで上着なのかマントなのかわからないが白い毛皮が付いたものを肩から羽織っていた。手にはランプのようなものを付けた杖を持っている。
「看守長が自らおいでとは珍しいですね」
「たまたま私しか手が空いていなかっただけだ」
「看守長の身分でたまたま手が空いてた、ですか。まぁいいでしょう」
執行官は持っていた何枚かの書類を看守長と呼ぶ者に渡した。
「フレデリック・クレイバーグの身柄を引き渡します。此方にサインを」
看守長は受け取った書類にサインをすると、サインした書類の紙のみを執行官に渡した。
書類を確認した執行官は後ろにいる警察官に目線を送ると、意図を汲み取った警察官に背中を押され看守長との距離が縮まった。
改めて看守長を観察すると、その瞳は法廷にいた裁判長と同様に冷酷なもののように感じたが、一瞬目が合った時に感じたものはまた別の感情だった。
「裁判長に感謝していると伝えてくれ」
「わかりました」
看守長とのやり取りを済ませた執行官を警察官の何人かとタラップを上がっているのを見送る。呆然と見つめていると看守長に呼ばれ、今度は看守長の後ろをついて歩くことになった。
背後では飛行機のエンジン音が聞こえ、間もなく離陸することがわかる。目の前には大きく聳え立つ雪に覆われた監獄は地獄への入り口。終身刑の身で、死ぬまで地上の地獄に囚われるくらいなら命を落としても構わないから逃げ出してしまおうかと不穏な考えが脳裏を過った。
「くしゅん……」
寒すぎるせいか、そんな邪な考えを吹き飛ばしてしまうようなくしゃみが口から出た。
流石にシャツとスラックスの服装でこの凍土の地を歩くのは寒すぎるし、こうして歩いていられること事態が不思議でならない。
「さむい……」
熱を逃がさないように自分の体を抱きしめるが意味が無い程に寒かった。
頭を上げていることにも疲れたのか俯きながら歩いていると、そっと肩から布が被せられる。驚いて見上げると、前を歩いていた看守長が自分の暖かな上着を着せてくれていた。
「どうして」
「死なれては困る」
看守長はそう告げてから背を向けてまた前を歩き始めた。
肩に掛けられた上着はとても暖かく、冷え切った心と体を少しずつ温めていった。
事件が発覚し、逮捕されてから周囲の目線や言葉は冷酷で非常なものばかりだったが、ここに来て初めて人の優しさに触れたような気がして心が震えた。