──ぱら、と目の端で宙に舞った金の光の束に、トーランドはまるで世界がスローモーションにでもなったかのような錯覚を抱いた。
剣を振り抜いたムリナールが、その光の横をすり抜ける。風圧で光がふわりと後ろに流れされる。その光はきらきらと輝きながら、辺りに拡散して、広がって、さらに広がって──
そして次の瞬間、その光は血飛沫に塗り替えられて、びしゃりと地面に落ちてしまった。
トーランドははっと我に返った。一瞬スローになっていた世界が、急速にいつもの姿に戻っていく。幸いなことに呆けていた間にも剣を持つ手は勝手に動いてくれていたようで、目の前にいた相手は今まさに血を噴き出しながら、どさりと地面に倒れたところだった。
先程の光景は何のことはない、ただの戦闘中の一幕だ。靡く尾の先を敵に掴まれてしまったムリナールが、その部分の毛を剣で自ら切り飛ばしただけ。そして散っていく毛を避けながら、普通に敵を斬り伏せただけだ。
たったそれだけの光景がなぜか目に焼き付いてしまって、トーランドは残りの敵を片付け終わるまでの間ずっと、頭の隅のどこかが上の空になったままだった。
「よし、これで最後だな?」
「……おそらくはな」
周囲を見渡してムリナールは剣身に着いた血を振り落とし、静かに鞘に剣を納めた。トーランドも剣を納めて腰に手を当て、地に伏している顔ぶれをじっと見回す。装備等を見る限り、いかにも雇われの殺し屋といった風体の者ばかりだ。それも、どう考えてもターゲット本人の実力を真に理解していない者が、不利益を被った恨みから金で雇った、としか思えないような。
「……なーにが『護衛を頼みたい』だよ。お前さんの方がよっぽどよく働いてんじゃねえか」
倒れている体の数は、トーランドが斬った数を単純に倍にしても足りない。合計からすると、騎士の家柄の元会社員一人を殺すには確かに十分な人数だろう。だがそれが他ならぬムリナール・ニアールとなれば、たとえ征戦騎士を同じだけ連れてきたとしても、余程の実力者でなければその結果はかなり厳しいと言わざるを得ない。
ムリナールは地に伏した面々にちらりと目を向け、自分の服に返り血が無いことを確認してからようやくトーランドに返事をした。
「……報酬は満額払うのだから別にいいだろう」
「とか言って、万が一足がつきそうになったら俺に罪をひっ被せる、って寸法だろ? やだねぇ犯罪歴が真っ白なお貴族様の考えることは」
「今更お前の殺人罪が数件増えたところで、何か問題でも?」
「へーへー、全く仰る通りでございますとも。ま、お嬢ちゃん達の平穏な日常のためと思って、せいぜいきっちり働かせていただくとするさ……こんなあくどい叔父さんを持ってかわいそうなこった」
内容は軽くない軽口を叩きながら、二人は並んで歩き始めた。だがトーランドは、何か大事なことを忘れている気がする。先程からずっと頭に引っかかっている、何か、そこそこ重要な──
「……っと、そうだ。お前さん、さっき尻尾切ってたよな?」
「ああ、毛先だけだ。どうせまた元の長さまで伸びる」
「そりゃいいが、ちゃんと綺麗に切ったんだろうな……って……いくらなんでもこれは駄目だろこれはよ……」
確認のためムリナールの後ろを覗き込んだ瞬間、トーランドは呆れた顔でがくりと肩を落とした。
つい三十分程前まで美しく靡いていたムリナールの長い尾は、その途中で大部分がばっさりと斜めに切れている。剣でまとめて切ったのだから仕方のないことだが、切り口もばらついて揃っていない。あえて言葉を選ばずに言うならば、みすぼらしい、という表現になってしまうような有様だ。
にも関わらず全く関心がなさそうなムリナールの様子に、トーランドは額に手を遣って盛大に溜め息を吐いた。
「おいムリナール、ちょっとそこで立ってろ。整えるから」
「……そんな必要はない」
「本人になくても見てる方にはあるんだよ必要ってもんがよ。いいから黙ってろ、いいな、変に動かすなよ!」
解せない様子のムリナールに言い聞かせつつ、トーランドは持ち歩いている道具の中からごそごそと鋏を取り出した。念のため研いでおいて正解だったな、と昨日の自分に感謝しつつ、トーランドはムリナールの尾の毛先を少しだけ手に取ってそっと鋏を入れた。
小気味よい鋏の音と共に、切り離された金色の毛がはらりと落ちていく。トーランドはそれを見て、先程の戦闘中の光景を思い出した。まるで現実ではないような、そこだけ空間が切り離されたような、いっそ神々しさすら覚えるような光景。状況こそ異なるが、あの雨の中、初めてムリナールと出会ったときの光景とどこか印象が似ているような気もする。
そんなことまで思い出してしまうほど、先程の光景が頭から離れないのは何故なのか。それを何となく考えながら、トーランドは着々とムリナールの尾の毛先を切り進めていった。ムリナールは大人しく動かずに待っている。たまに尾がふらりと揺れはするが、切るのに困るほどの動きはない。きっと今は落ち着いているからだろう。
そう思ったとき、トーランドの脳裏にふとある疑問が浮かんだ。
──敵からすれば恰好の的である尾を戦闘中に従える訓練くらい、ニアール家ほどの騎士家系なら、していてもおかしくないのでは?
「……ところでムリナールくんよぉ。お前さんの尻尾掴んだ奴、確かに実力者ではあったけどよ。お前さんがみすみす後ろを取らせる程の相手だったようには、どうも俺には見えなかったんだがな?」
「…………」
「『こうした方が早いと思ったから』とか、まさか言わねえよな? そんなまさか。なぁムリナールくん?」
「………………」
暫しの沈黙の後、ムリナールは、はあ、と一度だけ溜め息を吐いた。こういう状況においてムリナールの溜め息はすなわち、肯定だ。
トーランドは思わず天を仰いだ。
「ったくお前さんはよぉ~~! 溜め息吐きたいのはこっちだっての!」
「……使える物を使っただけだ、何が悪い」
「尻尾を使える物に計上すんな! そんなもん使うくらいならアーツ使えアーツ!」
「そんなことをすれば死体で足がつく。監査会には今回見つかりたくないと依頼の際に言っただろう」
「……くそ、ごもっともなご意見だな……!」
何だかんだと言い合っているうち、トーランドが傍らで切り進めていたムリナールの尾は、当初に比べてかなり整ってきた。長い部分をなるべく残すようには努めたものの、元々踵の辺りまであった長さは膝下ほどになってしまった。だがもともと尾の長さがこの程度のクランタも多い。これで街中を歩いたところで、特に違和感を持たれることもないだろう。
「よし、こんなもんだろ。もういいぜ。残ってる毛は振って落としてくれ」
トーランドが軽く尾を払って言うと、ムリナールは言われた通りにばさりと大きく尾を振った。残っていた金の毛端が、ふわりと宙を舞う。それでやはりトーランドは例の光景を思い出し、そこまで心を奪われている理由にまた首を捻った。
そのうちムリナールは納得いくまで毛端を落としきったらしく、いつもより軽くなった尾をゆるく靡かせながら、トーランドのほうを振り向いた。
その姿を改めて見て、トーランドは、ようやく納得する理由に辿り着いた。
ほんの一部が欠けることすら惜しいと思ってしまうほど、自分は目の前の騎士様に、一目見たときからずっと思い焦がれているから──理由など、ただそれだけだ。
辿り着いた結論の恥ずかしさを誤魔化すように咳払いをして、トーランドはムリナールに努めていつも通り普通に笑いかけた。
「いい感じじゃねえか。我ながらなかなかカットのセンスあるな」
「……一応、感謝しておこう」
「じゃあ一応、感謝は受け取っとくか。ちなみに今のも報酬に入ったりしないか?」
「私は一言も頼んでいないがな。……まあ今夜一晩付き合う程度でいいなら、報酬に含めてもいい」
「よし乗った!」
トーランドの返事のあまりの速さに、ムリナールは少しだけ口角を上げて笑った。先程は律儀に大人しくしていた尾が、今はなんとなく嬉しそうに揺れている。すこし軽くなったせいか、微妙な違いが分かりやすくなっているのが面白くて、トーランドはその後も含み笑いでそれを眺めながら歩く羽目になった。
了