お爺様の獣殺してやると数えきれないほどに告げられた呪いの言葉。
性奴隷としてボディメイキングされて躾けられるつらい日々に対しての憎悪の瞳。
必死に身をもがいて拒もうとする姿も、屈強な護衛に蹴りかかって殴り飛ばして脱走を図る姿も、無理やりに押さえつけられて犯されていく姿も、抗う至祐の凶暴な獣のような美しさのすべてが、いまも苑蔵の脳裏にすばらしい思い出としてこびりついている。
黒髪を指で梳きながら、笑みを浮かべる。おなじベッドで、こんなにも無防備にリラックスしきって眠ってくれる日が来るなんて、調教に手こずっていたころには想像もできなかった。拘束具をつけずとも、暴れたり脱走を企てることもなく安らいだ寝息を繰り返している。
うれしく鑑賞する苑蔵の視線の先で、至祐は寝返りをうち、はだけた浴衣をさらに無防備にはだけさせた。
「んン……」
素敵な光景だ、と心のなかで感想を漏らしながら、苑蔵は至祐の唇を親指でなぞる。
昨日一日中輪姦されていた痕はひどく、キスマークや噛まれた痕があちこちに残っている。その痕とヴェールのように重なる新旧の折檻痕。古傷のなかには強く鞭を振り下ろされて皮膚が裂けた酷いものもある。それらの傷を載せて引き締まった肢体は、哀れなキャンバスだ。
至祐の瞼がゆっくりと開く……が、完全に目が覚めたわけでなくぼおっとしている。半分眠っているような表情で、おとなしく苑蔵に撫でられている。
しかし、ずっと撫でさせてはくれず、苑蔵の手はある瞬間につかまれて、止めさせられた。
ぼんやりとしたまま手に触れてきた至祐は、年齢を重ねて浮き出た血管と皺をなぞり、指先に唇を押しつけてくる。瞼を閉じてしばらく唇を押し当て続けたあとは、また瞼を開き、今度は手の甲に口づけた。苑蔵は頬をゆるめる。
「おはよう、至祐、ぐっすり眠れたみたいだねぇ」
「じいさんも」
あくびをしながら、おはよう……と至祐も言ってくれた。
「寝相……悪くなかったか……」
「気にするでない。おまえに蹴られるのも嬉しいからね」
「蹴ったのか……?」
苑蔵はつかまれていた手をほどくと、至祐のはだけた浴衣をさらに開き、胸元から下腹部までを晒す。
「いや、お行儀よく同衾の務めを果たしてくれていたよ」
太腿を撫でまわして肌触りを愉しんだり、慈しみながら傷を数えたりする。本当は股ぐらも探って若い朝勃ちを握りしめたいところだったが、苑蔵の興味より、至祐にとってはご褒美になる刺激など与えてやるものかと意地悪な気持ちのほうが勝った。
いつまでも至祐を鑑賞していたい、触れていたくて、ベッドを離れられなくなりそうだ。今日は温泉宿をチェックアウトした後、知人の画廊での商談予定もあるのに一日を始められない。苑蔵はやれやれとため息をこぼし、意思の力で欲望を切り捨てる。
「使用人たちに朝の排泄と、最低限の身だしなみをお世話してもらいなさい」
命じて寝室を出た。隣室に泊まっていた数人の使用人を呼ぶ。ひとりだけ使用人を自分の許に残し、彼に手伝ってもらいながら身支度をする。他の使用人たちは至祐を世話するための一式を携え寝室に入っていく。
いつも通りの和服に着替えた苑蔵は、広々としたジャパニーズスイートのリビングにおもむいた。苑蔵が身支度をしているあいだ、使用人によってホテルスタッフの出入りが許され、テーブルにはすでに洋朝食が用意されている。トースト、オムレツ、ソーセージ、温野菜のホットサラダ、ヨーグルトなどがずらりと並んで食べきれなさそうだ。苑蔵は椅子に座って、食事にはまだ口をつけずに紅茶を楽しむ。
しばらく後、リビングに現れた至祐は素足でこちらに歩いてくる。使用人によって正されたようで温泉宿の浴衣をきちんと纏い、寝癖も直されていた。苑蔵はカップを置く。
「至祐──」
当然のように自分のところに近づいてきてくれるものだと思いきや、至祐はテラスにつながる一面の大きな窓のそばに行ってしまう。目の前を横切られ、苑蔵は至祐を目で追った。至祐の瞳に映っているのは、湾曲を描く入江の海と水平線だった。
至祐は窓ガラスに触れて、しばらく光景を眺めている。
「良いところだな」
「……そうだねぇ」
絶対服従の性奴隷ではないから、苑蔵の意のままには動かない。昨夜プレゼントをくれたことも、予想外の出来事だった。
若い時分に、あの地獄の季節に、至祐のような男と出逢えて愛しあえていたら──この人生は変わっていただろうか。この身を焦がす憎悪も、積年の恨みも、歪みきった感情も、ねじれた性癖も、ここまで育つことなく棄てることができただろうか。それらを棄てた自分は善人のように生きていけたのだろうか。ふつうの人生を過ごすのは無理だとしても、もう少しマシな生涯を送れたのだろうか……。
考えたところでどうしようもない。苑蔵の人生は老境を迎えており、至祐のことは孫のようにしか愛せず、至祐も祖父のように接してくれている。
それでじゅうぶんだったし、あまりにも幸せだ。
風景を堪能した至祐は、踵を返し、苑蔵のそばに来てくれた。
「どこに座って欲しいんだ?」
凛々しく整った顔立ちにいつものように見惚れていると、返事のない苑蔵に呆れたような様子だ。
「立ってればいいのか?」
「いや──椅子に座るといい」
「優しいな」
椅子に座らせるくらいで優しいと言われてしまうのは、身から出た錆だ。至祐は命令通り、向かい合わせに腰を下ろしてくれる。
苑蔵の前には豪華な洋朝食が用意されているが、至祐の前にポツンと置かれているのはステンレスのタンブラーひとつ。中身は、プロテインを混ぜたアイスコーヒー。
ハレムに繋がれている他の性奴隷なら、こんな状況に陥れば目の前の食事を羨ましそうに見つめて媚びて愛らしく食事をねだる。苑蔵はその媚びっぷりを鑑賞したり、足下に跪かせてパンをちぎり餌として一口ずつ与えたりして愉しむ。
けれど至祐に対してはそういった遊びかたはできない。至祐は目を細めて、タンブラーに両手で触れた。
「甘やかしすぎだ。俺の好きなものを用意して……」
うれしそうに少しずつ飲む至祐を眺めながら、苑蔵も笑む。
贔屓なのかもしれない。他の子たちに対するものとは別種の愛情が生まれている。
私は本当に身勝手な人間だ……と思って苦笑しながら、使用人を出払わせたふたりきりの空間で、ゆっくりと朝食を味わうのだった。