00:03: フリスクはとても強く、とても死にやすい子だった。フリスクが優しく、めっぽう強く、素敵な子であるから、その輝く魂を欲しがる死神がフリスクにうじゃうじゃと手を伸ばすのだ。魔法、事故、病気、事件、災害……ありとあらゆるフリスクの死を見てきた。リセットの度、フリスクの死体はサンズの足下に折り重なり、いつまでも死ぬ。
死体の山嶺にサンズはうずくまる。巻き戻すから、フリスクは死んでしまう。嫌だから、認めたくないから、ひたすらに繰り返す。巻き戻しては、死なせる。フリスクを、サンズが殺し続ける。
それでもサンズはリセットをやめられなかった。傍にいたい、一緒にいたい、もっと話していたい。いたい、いたい、と繰り返す。フリスクの死を悼み、自身の魂の痛みに耐え、サンズは意味のない手を伸ばし■■■回目のリセットを振るった。
01: 眼前の死体に、息を忘れた。初めて見る、人間の死体。昨日しゃべった相手が、そこで物言わぬ体となって横たわる。青白い顔に白い唇。瞼も唇もぴたりとくっついている。フリスクは死ぬ前に言っていた。人間は塵にならないんだよ、と。その通り本当に、本当にフリスクの体は塵にならず、形がしっかりと残った。今にも、目覚めそうだ。「寝過ぎちゃった」と笑って、身を起こし笑う姿がありがりと想像できる。けれど、それは現実には起こりえない未来の光景の、失われた未来のフリスクだ。サンズは力なくフリスクを見下ろす。
認めたくない。
これは本当に現実か? 夢なら覚めてくれ。起きてくれよ。こんな別れは、絶対に嫌だ。すぐ元気になるからと、退院したらあそこに行こうと、オレの飯が食べたいと、たくさんこれからの話をしたじゃないか。「未来」が、こんな急になくなるなんて。眼窩を閉じてうつむき、顔を両手で覆った。涙がこぼれかけた時、風を感じた。窓もドアも閉まっているから、風はないはずなのに。
風は、足下からサンズに向かって吹きつける。
手を外し眼窩を開いた瞬間、視界が白く爆ぜた。
02: これがリセットの力だと気がつくのに、時間はかからなかった。サンズはこの感覚をよく知っている。しかし今まで巻き戻りはサンズの目の届かない場所や意識の外で起こり、いつの間にかすべてがなくなっていた。リセットはサンズに取って理不尽な暴力で、なにもかもを奪い去る災害だった。それがこんな光と風に満ちたものだなんて、なんという皮肉だろう。けれども本物の光と風同様、恐ろしい自然の力であるのは変わりなかった。
サンズは両手を見下ろす。ここに「リセット」は宿っていない。だがつい手を見てしまう。知らずに握っていた、恐るべき力。なにもかもをなかったことにできる、力。身震いする。
なぜ、今、これを得たのだ?
手を握るが、なんの感触もない。長い息を吐ききったところで、「サンズー」とフリスクが呼んだ。ちょこちょこと近づいてきて、小さな体で背伸びをし、サンズの顔を窺う。サンズは「なんか用か?」とごく普通に笑ってみせた。
「また休憩中? なら遊ぼうよ」
フリスクが懐っこく笑う。また、この顔が見られてよかった。ほっと胸を撫で下ろすと同時に、胸が焼けたように痛んだ。
04:「ごめん」フリスクは謝る。
うなだれる姿は折れた花に似ていて、サンズはなぜだか骨でできた百合を連想する。フリスクは顔を上げ、泣き笑いのような表情で「諦めきれないんだ」と言った。
「こんなに、繰り返すつもりじゃなかったんだ。本当に。でもね、サンズともっといたいって思っちゃった。こんなお別れは嫌だって。そうしたら……」
伏せた瞼が震えた。
「わたしの諦めの悪さを、サンズはよく知っているでしょ」
ごめん、とまたフリスクは謝る。サンズは、静かに聞いていた。口を開くことができない。
「もう少しだけ、付き合って」
絞り出すようにフリスクは言った。その表情は判決を待つ罪人のようでも、死刑の執行を待つ囚人のようでもあった。フリスクの痛みが、手に取るように分かる。サンズは全身が凍りつき、指一本動かない。嵐のように吠え、喉も裂けよと叫びたかった。目の前のティーカップとポットを払い落とし、テーブルを打ち壊し、その末に自分自身を砕いてしまいたい。今すぐフリスクの足下にぬかずき、すべては己のせいなのだと告白したい。この胸を断ち割り、ソウルを差し出したい。フリスク、アンタから死を取り上げたのはオレだ。
諦めが悪いのは、現実を受け入れられないのは、オレなのだ。
儚 懐かしい手紙を見つけた。唯一宛先だけが描かれた封筒。その筆跡をよぅく知っている。これを受け取った日をありありと思い出し、開こうとしたところ「ぎゃー!」と叫ぶフリスクに取り上げられた。
「やめてよ! 送った本人の目の前で読むなんて」
「懐かしくなってさ。ちなみにアンタが最初にくれたラブレターもある」
引き出しから花柄の封筒を出すと、再び叫んでひったくられる。
「もう、もう。本当にやめて……」フリスクが赤い顔で背中を丸くする。「変なところで物持ちがいいんだから」
「まあな。……思い出をもうなくしたくないからさ」
巻き戻る時間はオレから思い出を奪った。どんな品々も時間を飛び越えることはできない。仕方ないとあの頃は誤魔化していたが、叶うのなら失いたくなかった。その反動か、今はどうにもものを捨てるのが苦手だ。思い出をゴミ箱に入れると考えてしまい、つい躊躇する。
「取っておくなら整理はしておきなよ。手紙に、止まった時計に、これはお菓子の空き缶? 節操がないなあ。大切な思い出なんでしょ」
フリスクはものを散らかすことは怒るけれど、ため込むことは否定しない。フリスクもたくさんの思い出を失ってきたから、オレの気持ちが分かってしまうのかもしれない。
「ちょっと、なんでここに結婚式の写真が入ってるの。アルバムに仕舞いなよ」
「よく見返すから」
真ん中にオレとフリスクがいて、周りには人間モンスター問わず気が置けない友達と家族が映っている。特にフリスクの笑顔がお気に入りだった。そこだけぱっと光っているみたいで、いつ見ても眩しい。フリスクが「ちょっと待ってて」と部屋を出て、すぐに戻ってきた。
「ほら、これあげる。写真立て。せめてこれに入れておきなよ」
「サンキュー」
硝子越しでも、温かな光景は変わらない。むしろ切り取った時間が守られているようで心強い。
「わたしもこの写真好き」
フリスクが身を寄せる。胸を満たす幸福に涙ぐみそうになった。こうして大切な思い出を大切な存在と見返す。そんな時間が来るなんて。これからも、こうして互いに寄り添い「懐かしいね」なんて話すのだろう。ふっと、とても不思議な心地になる。その予感があまりにも確かなものだったから。それにまた幸福感が増して、「本当に良い写真だよな」と肩を近づけた。
一番長くフリスクと過ごせた日々の、ある一日のことだ。
05: 真実の告解を行えたのは、■■■■回目のリセットの時だった。あの時とは真逆の立ち位置で、サンズはうなだれ、フリスクはじっと耳を傾ける。懺悔室の光景が、ここにあった。
「リセットは……」
「オイラだ」サンズは短く、答えた。
フリスクがゆったりとした仕草で首を振った。信じられない、というように。
「どうして、サンズにリセットが」
「分からん」
サンズはだらりと大腿骨に下ろした両手を見る。黒いズボンの上、骨の手はやけに白かった。
「こいつに巻き込まれていた時は、心底この力を恨んだもんだ。だが自分が使えるようになっちまうと、これほど厄介なもんないな。こいつと戦い続けたなんて、アンタはやっぱりすごいやつだ」
サンズは笑った。しかし乾ききった声はすぐに崩れて消える。
「アンタを、何度も死なせた。巻き戻しては死なせて、また巻き戻して。ずっとずっと繰り返している」
謝ろうとしたけれど、できなかった。こんなおぞましい所業、「すまない」だとか「ごめん」だとかの一言で終わらせられない。そうしてはならない。
だって、謝ったとしても、オレは―
「ありがとう」
フリスクが、言った。サンズはすべてを忘れてフリスクを見つめた。静かな瞳を飾る睫毛がふっと光る。
「わたしを諦めないでくれたんだね。わたしもサンズを諦められなかった。似たもの同士だ」
そう、笑った。サンズの魂を白く清廉な光が貫く。一瞬間に過去のすべてが照らし出され、これまでに出会ったすべてのフリスクの顔が光る。
「なんで」
か細く問うた。巨人の手で殴りつけられたような衝撃に襲われていた。
「■■■■回も助けてくれた。だから今こうして話せる」
「違う」
瞬間に否定した。そんな崇高な行動ではない。諦めきれないから、嫌だから、自分を満たすためだけの行動。フリスクのように、「みんなを助けたい」と優しく他者を願ったのではない。せめて、心穏やかに、確かな挨拶を交わし、別れを迎えたい。そんな前でも後ろでもない、足下だけを見たエゴイスティックな願い。
だというのに、なのに、なんで、そんな。
胸が締めつけられて、息が苦しい。眼窩の奥が燃えているみたいだ。それでも、涙は出てこない。自分は死体の山を築き上げ、そこにうずくまる怪物。怪物は、涙なんて流さない。
「ただオイラが、オイラは」サンズは力なく首を振る。「アンタと一緒にいたかった。なのに、アンタを、何度も」
フリスクがサンズの両手を包んだ。温かな手のひらの熱が伝わる。
「わたしもおんなじ気持ち。あんなさみしいお別れが悲しくて、嫌だった」
サンズも嫌だった。挨拶もできず、手の届かないところで別れてしまうのが嫌でたまらない。けれど死とはいつだってそういうもので、誰もに平等に訪れる。
それが嫌だ。
好きだから、愛しているからこそ、その平等性が許せない。フリスクの手を見つめ、「オイラは」と口を開く。フリスクが、とても優しい声音で言った。
「うん、分かるよ。分かる。けどね、嬉しくなっちゃうんだよ」
顔を上げると、間近にフリスクの微笑みがあった。
「それに、サンズのお陰で約束を果たせそう」
「……約束?」
それは、知らない。これまでの■■■■回に、そうしたものはなかった。戸惑うサンズにフリスクは茶目っ気たっぷりに笑う。
「サンズは知らないよ。だって、サンズがリセットを持つ前の約束だから」
「どんな約束なんだ」
「言ったら面白くないでしょ?」
「は……」
口を開けた。フリスクは面白そうに「ふふっ」と声を上げる。
「だからお願い、サンズ」フリスクがサンズの額に自分の額を合わせる。「わたしに君との約束を果たさせて」
それが意味することは―また、フリスクを、
サンズは首を振りそうになった。けれど、光に貫かれている魂がそれを拒絶した。サンズはフリスクの手を恭しく解き、両手を取る。
「分かった」強く、答えた。「約束する」
夢 地下で生まれて初めて望遠鏡を覗いた。とてもわくわくしたけれど、望遠鏡はサンズのいたずらによって、星もなにも見えなかった。顔を離して首を傾げるわたしをサンズがにやにやする。目の周りにくっきりインクがついていているのに気づいて、サンズにたくさん怒った。でも「すまん」なんてへらへら謝るから、わたしはもっと怒った。サンズはいたずらの理由は言わなかったけど、「ここではこんな使い方しかない」と言った。サンズはたくさんの星の名前を知っていたけれど、本物の星を見たことはない。サンズの話を聞いて、わたしは初めてモンスターが地下に閉じ込められているのだと実感した。
「地上に出たら、星を見ようよ」
「出られたらな」
「出られるよ、出られる。地上に行って、みんなで星を見るんだ。それから、海にも山にも森にも川にも、いっぱいいっぱい行くんだ」
わたしの大好きな場所に、大好きなみんながいる光景を思い描く。それだけで胸が高鳴った。
「いいかもな。車で遠出っていうのもしてみたい」サンズがハンドルを握る仕草をする
「しようしよう!」
サンズの話はいつもどこか掴み所がなくて、よく置いてけぼりにされる。けれどこうしてぽつぽつと地上でやりたいことを話してくれるのがまた嬉しかった。
「いっぱいお出かけしよう! 地上に行ったら月にも行けるよ!」
「本当か?」
サンズは疑わしそうだけれど、とても楽しそうな表情をしていた。わたしは「もちろんだよ」と力強く答える。
「行けるよ。月にも火星にも行ける! わたしが連れてってあげる。約束!」
絶対に叶えるぞと、目の前のたったひとりだけに願った。それは生まれて初めてのことだった。
06: 約束は遠い。
積み重なるフリスクの死体はもはや世界すべてを覆う程で、どこか神話の風景めく。世界は神や巨人の死体によって作られた――それがここに再び再現されようとしている。サンズは柔らかなこの地に立ち、約束が果たされる時間へ向けて歩く。小さなフリスク、中くらいのフリスク、大きなフリスク、新しいフリスク、古いフリスク。あらゆるフリスクを踏みしだく。愛する存在を足蹴にしながら、サンズが胸に抱いているのは間違いなく愛だ。だがこれを愛としてよいものかと、時々息ができなくなる。
しかし、サンズは信じる。
例えエゴだとしても、フリスクのためならば貫き通すべきだと。
サンズはソファの背もたれに寄りかかり、やっぱりこいつは名作だなとテレビで放送されている映画を見る。数年後に放送されるドラマシリーズもよかった。やはり名作は何度見ても心が躍る。小さな足音がした。パピルスと寝ていたフリスクが二階から下りてきて、テレビを一瞥しキッチンへ行く。サンズはテレビから顔を動かさない。
「ジュースはやめておけ。おねしょするぞ」
「しないよ!」
冷蔵庫が勢いよく閉じる音がし、キッチンからフリスクが顔だけ覗かせる。後ろからサンズが見ていたと思ったらしい。サンズは首だけ向けて「お前さんの考えていることはお見通しだ」と口の端を持ち上げた。
「モンスターの共感?」疑わしそうに眉を寄せる。
「違う違う」
近道でキッチンに向かう。フリスクの横を通って棚からコップを取り、水を注いで渡した。フリスクが不服そうに受け取る。
「そんなにイチゴジュースがよかったのか?」
「なんで飲みたいものまで分かるの」
「そりゃあ分かる」
「どうして?」
サンズは顎をさすり、フリスクの小さな頭に片手を置いた。
「愛の力、とかかね?」
「へんなのっ!」
フリスクは手の下からすり抜けて、ソファに座った。サンズも戻って腰かける。ちびりちびりとフリスクは水を飲む。ここに残るためだ。フリスクも、この映画が大好きだから。テレビで主人公が月に立って大きくジャンプをする。フリスクがぱっと顔を輝かせた。
「わたしも、宇宙飛行士になる」
「いい夢だな」
サンズは魂が熱を持つのを感じた。胸に宿る、生命を司るソウルとは違う、サンズという存在の根幹にあたるものが。この熱はきっと決意と呼ばれるものだ。
今度こそ、フリスクが未来を得られるように。
次こそ、フリスクが死神の追いつけない速度を得られるように。
そして、たくさんのフリスクの死体が、正しく弔われるように―星へ、還れるように。
「映画のお供は、やっぱりジュースだよな」
フリスクの瞳がきらめく。思わず笑った。実はこの映画、もう少ししたらドラマになって、とんでもない長寿シリーズになるんだぜ。未来のネタバレをしたくなったけれど、我慢する。時々、フリスクは未来を変えてしまうから。
地球の青さと光彩以上に、空の暗さにサンズは胸を刺された。訓練で一切の光がない部屋や深海を経験したことはあるが、これほどまでに深淵な闇は生きている中で見たことがない。そんな闇に浮かぶ、青く光る星。見通せない暗闇に浮かぶ地球はとても孤独そうだ。孤独な星に生まれたからこそ、あの星の生き物は他の存在を求めるのかもしれない。サンズは傍らのフリスクを見上げた。一番大きくて、新しいフリスク。サンズの視線に気づき、フリスクは微笑む。
「宇宙服のサンズは、なんだか宇宙人みたい」
「オイラ達だってルナリアンからしたら宇宙人さ」
「さっきそこで呼ばれたよ。『そこの宇宙人さん』って」
くすくすと笑う。ピピッとヘルメットから電子音が鳴った。サンズは先程見た大渓谷のことを話しつつ、自身の情報を基地に送る。フリスクも相槌を打ちながら同じ操作をした。現在でも月面上での事故は絶えず、外出時は定期的にこちらの情報を伝えなくてはならない。操作を終えてサンズは再び闇色を見上げる。
リセットは、今も起こっているのだろうか。
サンズもフリスクも、もうリセットが分からない。
もしかしたら、とサンズは考える。フリスクがあまりにも素敵な子だから、その魂を惜しんだ神様がリセットをもたらしたのではないだろうか、と。同じようにフリスクを失いたくないと願う者へと。サンズは神様を信じていないし、信仰心も持ち合わせていない。けれど、そう考えると不思議と敬虔な気持ちになる。それ位依怙贔屓をする神様だったら、少しは好きになれそうだ。
「なあ、フリスク」サンズは言った。「提案なんだけどさ」
「どんな提案?」
「なんてことはない。こんなになんも分からない未来なんてお互い久しぶりだろ。きっとこれまで以上に大変なことばっかりだ。だからさ、ふたりがかりで生きてみないか?」
「ふたりがかりって」フリスクが笑った。
宇宙服の通信越しでも、フリスクがとてもおかしそうにしているのが分かる。
「でも、確かにそうだね。いいよ。ついでに久しぶりに結婚もしようか」
「おう、そりゃいい」
地球の下、ふたりは月を踏みしめて立つ。誰の体でもない、確かな星の上に。