人間の体とは実に面白いもので、綿密に計算されたスケジュールに則って行われる投薬治療でも体調のばらつきを完全に制御することは難しい。
　今日はダメな日だ、というのは、朝起きた瞬間から何となくわかっていた。これも興味深い話だが、長く患っているとわざわざ検査しなくともその日一日の具合くらいは予測できるようになってくるのだ。その予測が「今日は一日中ダメな日」だと言っていた。腹が痛い。頭も痛い。常に薄ら吐き気がする。そしてどうやっても薬が効かない。
　症状からして体内で何かが起きているわけではなく、恐らく気圧や天候その他諸々の影響で神経が過敏になっているのだろう。投与された痛み止めは量に応じた反応で苦痛を和らげようとしているはずで、しかし、痛みの信号を先に受け取ってしまった体は今更そんなお為ごかしを受け入れる気にならないようだった。『ここが悪いのだ』と病んだ臓器が悲鳴をあげている。鎮痛剤の副作用による眠気がある。ただし痛みが引かないので眠ることはできず、おかげで目の奥が酷く痛む。
　「痛み」とは、人間に対する体からの警告なのだという。不具合を起こしたプログラムがエラーを吐くように、治癒すべき傷や動かすべきでない部位を示すアラートとしてそれは存在し、時には意思を折り意識を刈り取ってでも人の行動を制限する。
　ドクターTETSUはかつて手術によってそれを調伏せんと試みた。しかしその野望は「K」によって阻まれ、また無痛であることに被験者の心が耐えられなかったが故にその研究は頓挫した。
　結局、痛みとは人間が人間であるために必要な機能の一つだったのだ。研究成果をいずれ自分の体に施し、最強の人類に成り上がろうと画策していた男も、今はこうして寝台に横たわったまま起き上がれない身の上に甘んじている。これもその一つの答えに他ならない。
　それはそれとして。最早わかりきっている故障についていつまでも警報が鳴り続けてる状況はやはり鬱陶しかった。かと言って打つ手も特にないのでTETSUはとりあえず笑みを浮かべる。俺の投薬が効かんとは。おもしれー症状。クックックと喉を鳴らしていると、点滴の速度を調整していた同居人に怪訝な顔で覗き込まれる。
「大丈夫ですかドクターTETSU。意識混濁してます？」
「いっそ気絶できたほうが楽かもな」
　勢いで軽口を叩く。譲介の表情がみるみる曇った。再び共に暮らすようになって暫く、養い子から主治医兼パートナーへと肩書を切り消えた男は日に日に過保護になっていくようだ。朝イチで不調を自己申告しただけ頼るようになったとTETSU自身は思っているのだが、彼に言わせるとまだまだ不足があるらしい。
「顔色戻りませんね。今日だめな日ですか」
　そんなに心配しなくていい。痛くて怠くてしんどいだけで、別に死ぬような不調じゃない。
　迷子のような顔をした男にそう伝えてやりたい。しかし、正直口を開くのも億劫だった。目を閉じて意識を手放そうと試みる。痛ェ。目を開けてまた少し笑う。冷たい掌に頬を撫でられる。
「しんどい時ほど笑うようにしてます？」
「……どうしてそう思う」
「八つ当たりされたことがないから」
　ヒトってしんどいと大抵攻撃的になるんですよ、と譲介は少し眉を下げて微笑んだ。それは彼よりずっとベテランの医者であるTETSUには殆ど常識のような話だった。であればこの若き主治医に苛立ちをぶつければ痛みが引くのかというとそんなわけもなく、そもそもTETSUは長引く苦痛にさほど機嫌を左右されないのだ。いずれ治まるものだとわかっているので。しょうもないことを気にするな、と動きかけた唇が、「それはそのままでいいんです」と続いた言葉によって閉ざされる。
「貴方はそのままでいいので、僕の強がりにも目を瞑っていてくださいね」
　僅かに震える指先から痛々しいほどに深い慈しみを感じ取り、TETSUは「未熟者め」の一言を静かに飲み込んだ。