監督生は急いでいた。あながち何時でも慌ただしい生活を送っていると言われればそれまでなのだが、この時ばかりはトレインに見つかったら反省文が待っていると分かっていながら廊下を全力で走っていた。
次の授業までに1度寮に戻る必要があった。それも、誰ともすれ違わずに。
生徒があまり使わない通路を使うということは遠回りになる。だから、監督生はとにかく急ぐことに全神経を集中させていた。運動は決して得意では無い。息もきれている。
次の曲がり角を左に曲がれば学園の外に出れるという所まで来て、油断もあったのだろう。
気づいた時にはもう遅かった。
静かな廊下に響き渡る衝突音。
臀部の痛みを感じ、監督生はそこで初めて己が誰かとぶつかり尻もちをついたことを理解する。
恐る恐る視線をあげると、半年間でだいぶ見慣れた制服。
「なにかお困り事ですか?よければ僕がお手伝いさせて頂きますよ」
差し出された黒い手と聞き覚えのある声で紡がれる怪しいセリフ。顔を見ずともぶつかってしまった相手が彼だと悟る。
「ま、まにあってます!」
上手く働かない頭で精一杯の言葉を口にしてみる。なんとか立ち上がりそのまま立ち去ろうと計画するものの、そう上手くはいかず。
目の前の彼───アズール・アーシェングロットは監督生がその瞬間、1番言って欲しくない言葉を放つ。
「……もしかして、監督生さんですか?」
「……人違いだと思います」
✩
そもそもなぜ監督生が短い休み時間の間に全力疾走をする羽目になったかといえば、いつも一緒にいる魔獣が原因だった。
監督生は優秀な魔法士の卵が集まる男子校になぜか召喚されてしまった魔力どころか帰る場所も家族も何もかもを持たない少女。
そんな彼女を可哀想に思ったのか、それとも自己保身のためなのか、真意は定かではないが、学園長からある提案をされた。元の世界へ帰る方法が見つかるまでの間、男子生徒としてなら特別にグリムと2人で学園に通うことを許可する。その代わりに、あらゆる雑用をこなせ、という。
今になって考えてみれば、首を突っ込まされた事件の数々は雑用と片付けるにはかなり大事だったわけなのだが。少なくとも当時の監督生はその提案を飲み、今に至るわけである。
監督生を男子生徒にするには、魔法薬で体の作りを男性に変えてしまうのが最も手っ取り早い。が、異世界とやらから来たという彼女の体がどこまで魔法薬に耐えれるか分からないといった問題も浮上した。
教員間での数分の協議の末に手渡されたのは、可愛らしいアンティーク調の香水瓶。
しかし、中に入っている液体は香水とは違ってほとんど無臭に近く、つけたものの姿を変える魔法薬で。