ポカぐだ♀ / マスターとカルデア職員と嫉妬とテスカトリポカと。管制室から緊急の呼び出しを受けたためドックから飛び出し通路を進む。
ストームボーダーは24時間体制で航行中ではあるが、さすがに早朝は任務にあたっているスタッフは少ない。
艦内は静まり返っていて、通路には急ぎ足で荒くなった僕の足音だけが響いていた。
ゴルドルフ新所長が言うには本日未明、白紙化された地球上にかすかな歪みが発生したのを確認したらしい。しかも今回は規模の割に人理に深刻な影響を及ぼしかねない代物らしいのだ。
本来ならば可能な限りリスク査定をし十全の準備をするのだが、そこにあまり時間を割く余裕はないらしい。
特異点の解析と礼装の整備、シャドウボーダーの整備を同時並行で進め、すべての準備が整い次第フジマルたちが現地へと降りたつことが決まった。
僕が整備を任されているシャドウボーダーはいつでも発進できるよう常に万全の状態にある。しかし今回は問題の地点へ向かう前に付与したい機能があるらしい。
限られた時間で完遂するためにはどれだけの資源を用いどれだけの工数と人員が必要か。まず発案者であるダ・ヴィンチと詰めなければならない。
まだ詳細は把握できていないが、今回一番時間を要するのは僕たちとなるだろう。こんな時間に呼び出されたのはそのためだと思う。
角を曲がった先、長く続く通路の前方に人影が目に飛び込んできた。これまで無人であったためドキリとする。
その人影はオレンジ色の髪が肩口で跳ねていた。距離があってもはっきりわかる。フジマルだ。
彼女は十字路の真ん中に佇んでいて、遠くの方へと視線を投げていていた。
彼女はついさっきまで管制室で開かれていたブリーフィングに出席していたはずだ。
任務に向かうにあたりまず特異点の規模や危険度、適正サーヴァントたちについてマスターに情報共有がされると、先ほどの新所長からの伝達で聞かされていた。
僕とフジマルは入れ違いになるハズで、確かに彼女がこの廊下にいてもなんら不思議はない。
……不思議では、ないんだけど……。
一度足を止め、ゆっくりと歩み出す。コツコツと踵の音が通路に響くけれど、フジマルはまだ僕の存在には気づかない。
彼女の視線は今も一点を見つめ続けている。普段から忙しくしている彼女がぼうっとしているとは珍しい。
近付いて、別区画へと繋がる通路を見つめているのだと気づく。その方角に何かあるようだ。
このまま彼女の脇をすり抜けて管制室に向かえばいい。実際、緊急時は挨拶の時間すら惜しく、他の職員のことなど気にせず走り回っているのだから。
しかしフジマルの横顔が儚げで切なげで、思い詰めているように見えてしまって。僕は思わず彼女に声をかけた。
「フジマル!」
僕を見止めるとフジマルはぱちぱちと瞬き、それからふわりと笑みを浮かべた。
「……あれ? チンさん。おはようございます。どうかしましたか?」
今にも消えてしまいそうな雰囲気から打って変わって、夏に咲くひまわりのような、からりと明るい笑顔を見せる。
普段目にするものと言えば鉄骨と整備画面くらいな僕にとってはあまりにも眩しく、思わずたじろいでしまい頭が真っ白になってしまった。何も考えず話しかけてしまったが、そもそも僕たちは普段ロクに接点がない。正直フジマルが僕の名前を覚えていることにも驚いてしまうくらいだ。
えぇっと。そう言い淀む僕に向かってフジマルは「あ、そうか」と声を上げた。
「これからダ・ヴィンチちゃんとミーティングなんですよね? 緊急時のための秘密兵器を実装するって聞きました」
「あぁ、うん。……そうなんだけど」
僕のことはどうでもよくて。さっきのキミの表情が気になるんだけど……。
今は明るく笑っているが、実は作戦決行を不安に思っているのかもしれない。マスターのメンタルヘルスは作戦に影響を及ぼしかねない重大な問題だ。彼女が不安に思っている点があるのならば、僕は職員として新所長へ報告する義務がある。なによりこれまで最前線で戦ってきたフジマルの不安を少しでも拭ってあげたかった。
「ところでフジマルは……」
こんなところで立ち止まって、どうしたの? そう尋ねようと口を開き直したところで突然ドッと低い笑い声が起きた。
何事かと左右を見渡す。フジマルが迷いなく横の通路へと顔を向けるので、僕もそれに倣う。通路の先、ここからかろうじて見える位置に喫煙室があった。
ガラスのパーティションで区切られた部屋の中にはランサーのクー・フーリンと日本の武将である武田信玄、そしてアステカの全能神であるテスカトリポカがいた。
クー・フーリンは大口を開けて大笑いしている。武田信玄は背中を向けているため表情はわからないが、テスカトリポカも口の端を吊り上げつつ煙草を燻らせている。
今も先ほどまでではないけれど、くぐもった声がかすかに聞こえてくる。内容はさっぱりわからないけれど、喫煙室の分厚いガラス越し……しかも数メートルの距離があっても声が聞こえるってことは、声量が大きくなるほどテンション高く笑い合っているのだろう。
僕もここで煙草を吸うことがある。ストーム・ボーダーは喫煙できる場所が限られているため、喫煙者はサーヴァントも職員もなく肩身を狭くしここで一服するのだ。
できたら職員専用の喫煙所がほしいところなのだが、艦内の限られたスペースを喫煙者のために何カ所も占有することはできないと言われてしまっている。
サーヴァントがいる時は僕らカルデア職員は端の方で気配を消して煙草を吸っていることが多い。僕らが萎縮しながらもそれでもヤニを吸っているところ、サーヴァントたちは僕らのことなど気にせず大声で話を繰り広げているのだ。
あやしいカネの話だけでなく冗談なのか本気なのかわからない悪巧み、そして女の話も……。
彼らと同じ空間にいたこともあって、集まったメンツによって話題となりがちな話の傾向もわかる。表情を見ただけでなんとなく、どういう話をしているかわかるのだが……。
あー……これは、アレだ。
絶対、猥談だろ……。
こんな朝っぱらからなにやってんだか。僕は頬を引き攣らせた。
内容まで聞こえてこなくて良かった。
本当に。フジマルの耳に入らなくて良かった。
「男の人って、やっぱり同性同士でいると本当に楽しそうですよね」
「えっ?」
じっとりと喫煙室を睨む僕の隣でフジマルが呟いた。囁きのような、ともすれば消え入ってしまいそうな声で。
驚いてフジマルを見下ろす。さっきまで爽やかな笑顔を浮かべていたというのに、今はどこか寂しそうに喫煙室を眺めていた。
彼女の視線を辿って再び喫煙室を見る。
彼女の目は明らかに金髪の男に向いていた。
え、テスカトリポカ……?
最近フジマルがあの神を頼りにしていると聞いたことがある。確かに戦闘時の召喚回数も多いようだし、僕も実際、食堂でふたりが食事をしているところに出くわしたこともあった。
強大な力を持つサーヴァントだ。そりゃあ頼りにするだろうし、共に戦う回数が多ければ絆も深まるんだろうな。とは思っていたのだが。
今の彼女の様子を見ていると、それだけではないように見える。
もしかして。いや、やっぱりフジマルは、あの男のこと……。
「わたしにはあぁいう顔、見せてくれないし。ちょっと、いいなぁって思っちゃって」
呆気にとられ押し黙る僕に向けフジマルはいたずらっぽく笑った。
「いや、アレは……」
アレ絶対ロクなこと話してないよ、喫煙所の話なんてそんなものだし……そう言いかけて口を噤む。言ったら喫煙者である僕まで一緒くたにされてしまうじゃないか。イヤ実際そういう話をすることもあるんだけど……。
「マスター」
どうしたものかと天井を仰ぎ見て頭を巡らせていたところ、くだんの男の声が間近で聞こえビクリとからだが跳ねた。ぞわりと背中に悪寒が走る。
男はフジマルの背後にぴったりと張り付き彼女を見下ろしていた。
なんだ? 扉が開く音も足音も聞こえなかったぞ!?
「あれ? テスカトリポカ」
突然音もなく目の前に現れた神に恐れおののいているのは僕だけで、フジマルは一切動じずテスカトリポカを見上げていた。
神の目はフジマルにまっすぐ向かい、僕のことなど見向きもしない。実際、どうでもいいのだろう。アステカの全能神なんてとんでもない大物に認識されるというのも恐ろしい。
フジマルの表情の理由も想像がついたし、もうここにいる理由もない。波風を立てずにこの場を去るにはどうしたらいいか。僕は一歩引いて空気となり、機を窺うことにした。
……のだが。
「ブリーフィングは終わったか?」
男の問いかけを聞きギョッとする。思わずテスカトリポカの顔を凝視してしまった。
この男とはもちろん接点はほとんどないが、喫煙室で同じ空間にいたことはある。壁に張り付いて煙草を燻らせている間、サーヴァントたちと話す声はイヤでも耳に入ってしまうのだ。
その時には聞いたことがない口調だ。喫煙室ではもっと粗雑な感じで、今はなんというか……そう。気取っているのだ。たったひと言でもわかるほどに。
「えっと、……うん。決行日は後日決まるから、それまで待機だって。
次の特異点は結構大変みたい。またあなたの力を借りることになると思う」
よろしくね。そう告げテスカトリポカへとにこりと微笑むフジマルもまた、声のトーンがさっきまでの僕との会話とは違っていた。声が若干高いのだ。
もしかしたら本人は気づかれないようにと気を張っているのかもしれない。本当に少しの変化であるけれど、職務柄金属の異変に気づかなくてはならず音の違いには敏感な僕には差は明白であった。
もしかして……いや、もしかしなくても、お互いに気持ちは向いているのか? 両片思い、的な……?
気配を消していることをいいことに顎に指をかけ考え込む体勢をとる。
いや、テスカトリポカの方はわからないな。男には気を遣わないだけで、フジマルだからではなく女の子たちにかっこつけなだけかもしれない。
この男の女の子に対しての対応を見てみないことには仮説の域を出ないな。サンプルは多きに越したことはない。女性職員と、女性サーヴァントと……妹とケツァル・コアトルはノーカンだろ? ……って、この男、そもそも他の女性と話すことってあるのだろうか。
「……さん? おーい、チンさん?」
「はえっ?」
フジマルに名前を呼ばれ慌てて顔を上げた。仮説証明方法の検討に没頭し過ぎていたらしい。
僕と目が合ってフジマルがにっこりと微笑んだ。
あ。かわいい……。
思わずへらりとだらしなく笑い返す。と、強烈な寒気が全身を襲った。上の方から刺し殺されそうなほど強い視線を感じ、ぶるりとからだが震え上がる。
絶対見ない方がいいに違いないが、事象は確認しなければ気が済まない性分が勝ってしまった。
恐る恐る、ゆっくりと視線を上げる。
刺されそうなほどの視線の主はわかりきっていたことではあったが、やはりテスカトリポカのものであった。サングラス越しであるにもかかわらず鋭い眼光が僕を貫いてくる。ヒュッと喉が鳴った。
コレ、検証とか必要ないじゃないか……。
「さっきなにか言いかけてましたけど、なにかありました?」
フジマルに尋ねられ慌てて神から視線を外す。からだはすっかり竦み上がってしまって、歯が噛み合わないし頭も回らない。
「あ……えぇっと、その……」
しどろもどろになる僕をフジマルは待ってくれる。くそう。小首を傾げて見上げてくるの、かわいいな!
僕の思考を読んだのかなんなのか、フジマルの細い肩に節張った大きな手が乗った。フジマルも動じることなくされるがままだ。こういう触れ合いが当たり前で、まるでオレのもんだと言わんばかりだ。
そんな、僕みたいな整備士に威嚇するような真似しなくても……!
「あーっと……次の任務も、気をつけてな。ボーダーは、しっかり整備するから……」
なんとか絞り出した言葉に対し、フジマルは力強く頷きを返してくれた。
「ありがとうございます! がんばりますね。
シャドウ・ボーダーの改造と整備、よろしくお願いします!」
「……うん。じゃあ、俺は管制室に行くから……」
今こそが好機だと捉え、僕は断りを告げ彼女らと別れ再び通路を駆けた。膝が笑ってしまって上手く走れないけれど、はやく神の視界から外れたくて角まで猛ダッシュする。
フジマルは笑顔で見送ってくれたけれど、ふたりの脇をすり抜ける際も、今にも噛み殺されそうな視線を上から浴びて生きた心地がしなかった。
ようやく目が届かないところまで逃げ切り壁に寄りかかる。膝が限界を迎えずりずりと背中を滑らせ座り込んだ。
そういえばフジマルはあの男に気安い姿を見せてもらいたいみたいだけれど、それは無理だろうなとぼんやりと考える。僕も男だからわかる。男同士だと大人になってもガキみたいにふざけることはあるが、女の子の前だとそんなことおくびにも出さずにかっこつけるものだ。
とくに好きな子の前では。
フジマル、よかったじゃん。両思いだよ。
けれど僕が彼女にそのことを教えることはないだろう。なにせあんなにもあからさまに敵意剥き出しに威嚇されてしまったのだ。よりにもよって神に。それもアステカの全能神に。
たぶん、次はない気がする。
そうだ。はやく管制室へ向かわなければ。
思い直して未だ震える膝に力を入れてなんとか立ち上がる。僕はよろよろと再び足を前に進めた。
至急の要請だったけれど、結構時間が経過してしまっている。ゴルドルフ新所長たちは怒っているだろう。
……まぁ、神の怒りに比べれば、人の怒りなんてどうってことないな。
上司からの叱責はほぼ確定だけれど、僕の心は落ち着いたものだった。