ポカぐだ♀ / ほのぼのストーム・ボーダー内の食堂は昼時に一番の活気を見せる。
生き残ったカルデア職員の人数を知る者ならば、食堂に全員が集まろうとも「活気」は生まれるまいと懐疑的に見るだろう。それほどまでに現在艦内で活動している人間は少ない。
何故食堂が盛況になるかと言えば、本来食事を摂る必要がないサーヴァントたちもこの食堂を頻繁に利用しているためである。
もともと料理を愉しむ者もいたにはいたが、多くのサーヴァントたちが人間たちと同じように食事を摂るようになったのは彼らのマスターの影響でもあった。彼らのマスターである藤丸立香が食事をとる際に彼らを日常的に誘うため、自然と習慣化していったのである。
また見た目で言うと一般的な「施設の食堂」であるその場所で提供される料理がどれも美味で、五つ星レストランも斯くやとばかりのクオリティであることも、みなが食堂を利用する理由の一つであると思われる。
この食堂では、閻魔亭の女将やその弟子、生前、家族や仲間たちに料理を振る舞ってきたサーヴァントたちが日毎料理の腕を揮っている。美食に慣れた王族、貴族たちも思わず唸るほどの出来なのであった。
サーヴァントも職員も隔てなくこの食堂に集い、舌鼓を打つ。
戦闘の疲れを癒やしたり、まだまだ続く仕事に向かうための活力を得たり。食事とともにおしゃべりに興じたり。食堂は英気を養う場でありリフレッシュの場であり、そして友好を深める場でもあった。
さて時刻は食堂が一番の賑わいをみせる時間帯。みな笑顔を浮かべ和気藹々と食事を愉しむその空間において不釣り合いな表情を浮かべる男がいた。カルデアのマスターと向かい合ってテーブルついている、アステカの全能神であり彼女のサーヴァント、テスカトリポカだ。
彼もまた食堂をよく利用するサーヴァントのひとりである。彼の場合は単独で見かけることは稀で、だいたいにおいて立香と共に食堂に現れる。誘われるならばついて行く。折角ならば食を愉しむといったスタンスのようだ。
常であれば彼のマスターとテーブルを囲み機嫌よく談笑しているのであるが、その日は口元を歪め渋面を作っていた。
彼らはすでにランチを済ませ、本日の昼食担当であるエミヤから差し入れされたメキシコ定番の焼きプリン……フランを前にしている。彼の視線はそのフランが載ったかわいらしい皿に注がれていた。
鋭い視線の先を注意深く見てみると、焦点はフランに合っていないことがわかる。彼の視線はフランの横に転がる、クリームがわずかに付いた真っ赤なイチゴに注がれていたのである。
テスカトリポカは眉間に皺を寄せ前方へと目を滑らせた。
辿った先は立香のために用意されたフランの皿だ。彼女用のフランには上にホイップクリームが載っていた。しかしそのクリームはかたちが崩れ、クレーターを作っている。
それはイチゴが載っていた跡なのだが、イチゴはすでに彼女の腹の中に収まっているワケではなかった。そこにあったイチゴとはテスカトリポカの皿に転がっている、鋭い視線が向けられていた例のそれのことなのであった。
(またか……)
テスカトリポカは目を眇め鼻を鳴らした。
彼女の分の料理からテスカトリポカに宛ててなにかが提供されることは初めてではなく、これまでにも何度もあった。たしか立香から聖杯を捧げられ、このカルデアで一番の強さを誇るようになった頃からだ。それを境にして食堂で食事を摂る際に、いつからか彼女の定食の品目の一部が彼の皿に移されるようになったのである。
唐揚げだとかコーンクリームコロッケだとか、主にメインディッシュを『はい、どうぞ』と彼の皿に載せてくる。今日のランチにおいてもエビフライが彼の皿に載ったのだった。
当初、彼はその行為を料理の量が彼女の胃袋に合っていないためだと考えた。女であるし、少食なのだと考えたのだ。
毎回『美味しい?』と尋ね、首肯すればうれしそうに破顔する。それも意味がわからなかったが、口に合わないものを分けたとあっては気まずいが、口に合うとわかれば気も楽になるのだろうと推測した。
そう考えていたところでの、このイチゴである。
『試しに作ってみたんだ』そう言ってふたりに供されたフランであるが、マスターのための皿にはホイップクリームと真っ赤なイチゴがデコレーションされたフランが載っていた。あからさまな特別扱いだ。
『わぁぁ! イチゴまで! すごいっ! これ本当にもらっていいの?』
イチゴ付きのフランを差し出された立香は瞳を輝かせ喜びを爆発させていた。
『日々任務だ訓練だと努力しているマスターへのサービスとしては足りないくらいだと思うがね』
エミヤは気障ったらしくウィンク付きでそれだけ言って、厨房へと去って行った。
その背中に向け『ありがとうー!』と大きく手を振っていた立香であったが、テーブルへと向き直ったかと思えばその大喜びしたイチゴを『はい、どうぞ』と、テスカトリポカの皿へと転がしてきたのである。
「うぅ~ん、すっごいなめらかだねぇ」
イチゴを睨みつけ首を捻るテスカトリポカを尻目に、立香はフランを頬張り喜色満面にあふれんばかりだ。
テスカトリポカはにこにこと頬を緩ませる立香を一瞥し小さく息を吐いた。
(あんなに喜んでおいていらねぇのか? この行為は食べきれないからではないってことか?)
理解不能な事態を前にして胸の奥がモヤモヤして気分が悪い。なによりウィンクを飛ばす優男と、その男に対してにこやかに応じる立香が脳裏にちらつきイライラする。イチゴもフランも口にする気になれなかった。
彼は嫌いなものはないと公言しているが、それは嫌いなものを抹消することでないという状態を保っている。頭の片隅に置いておくことすら許さない苛烈さがあった。
彼にとってこの不快感が胸に燻っている今の状況も我慢ならず、気が落ち着かなかった。
黒い爪で自分の皿に載ったイチゴを指差し、立香に直截的に尋ねた。
「これはどういうことだ」
口を出た声はいつもよりも低い。気づきはしたが今更取り消すこともできず、取り繕うことなくそのまま押し進めることにした。彼は気付いていないが、言葉に険も交じってもいた。
鋭い視線に低い声。見た目もさることながら醸し出す威圧感が強烈だ。食事を摂っていた周囲の者たちが突然沸き上がった重圧に冷や汗を流し、空気を消したほどだ。しかし立香は動じることなくぱちぱちと瞬いたのち、小首を傾げた。
「もしかして、イチゴ好きじゃない?」
「キライじゃない」
好きかキライかの話ではない。すかさず否定の言葉を口にした。そうではなく……と続けようと口を開いたが、それより先に立香が笑みを浮かべ弾んだ声を上げた。
「イチゴ美味しいよね。わたしも好き! イチゴやニンジンはボーダーの専用ルームで栽培してるから、すごい新鮮なんだよ」
ニンジンの収穫を手伝った時のことをにこにこと話し出す立香を前にしてテスカトリポカは完全に毒気を抜かれていた。
テスカトリポカは「おじゃべり」が好きだ。彼からマスターへも伝えている。しかしこの年頃の少女は話が飛躍しがちで話題の移り変わりもはやい。おしゃべりを好むとはいえ、彼女らの会話の流れや速度についていけないことはままあることだった。
彼女の理解不能な行動について問いただしていたはずが話はどんどん移り変わり、今はニンジンの話でもなく呂布との意思疎通の取り方の話になっている。
一度過ぎ去ってしまった話題を話を戻すことは元より、彼女たちから会話の主導権を取り戻すことだって至難の業だ。
「そうじゃなくてな……」
さてどうしたものか。テスカトリポカは途方に暮れて額を押さえた。
「……あ。ごめん。またやっちゃった」
彼の様子に気づき立香は慌てて口を噤んだ。
ううんと視線を天井に投げしばらく考え込んでいたが、結局何を尋ねられたか見当がつかなかったようだ。テスカトリポカへと視線を戻し、困ったように笑った。
「えぇっと、なんだっけ?」
テスカトリポカは小さく息を吐いた。
いつの間にか苛立ちは解消され幾分冷静さを取り戻している。飛んでゆく話の行方を追いきれず呆気にとられていたが、あの時間はあってよかったのかもしれない。
落ち着いたことでさっきの言葉の少なさを省みることができた。思い違いが生じないよう、殊更丁寧に尋ねた。
「これまでの料理……唐揚げだとか、フリッターだってそうだ。おまえさん、オレに寄越してきただろう?
で、今日はエビフライにこのイチゴだ。
コレは何を意図してるんだ? 腹が膨れて食えないからってワケじゃあないんだろう?」
少女の瞳をじっと見つめる。大きな琥珀のような瞳を丸くして彼の言葉を聞いていた立香であったが、問いかけを聞き終わると表情に焦りを滲ませた。
「あれ。もしかして通じてなかった……?」
眉を寄せ、首を捻りながら「食べてくれてたからてっきり」だとか、「あれ? もしかしてコレ、怒られるかな?」と独りごちる。
「捧げ物のつもりだったのか?」
ピンときて尋ねてみたが、立香は慌てて手を振って否定した。
「そういう立派なものじゃないの! そんな、わたしのごはんの一部が捧げ物なんて、さすがに申し訳ないし」
それきり彼女は言葉を詰まらせてしまった。目を泳がせ「あー」とか「うー」だとか唸り声を上げている。
さっきまでフランを頬張り幸せそうだったが、今は一点、表情を曇らせている。気にせず答えろと暗に示すため、テスカトリポカは「うん?」と殊更に声を和らげて答えを促した。
しばしの逡巡の末、立香はようやく重い口を開いた。
「あの……ごはんの時にどうぞってしてたやつね? あれ、戦いの対価のつもりだったの。
わたしの好きなものを、こう、どうぞって」
「はぁ?」
対価と言うがなにに対するモノか思い当たるフシがない。聞き返すと、立香は顔を赤くして早口で捲し立てた。
「戦闘でいつもお世話になってるけど、してもらうばっかりで申し訳ないなぁって思ってたの。無償の奉仕は美徳じゃないって言ってたし、なにかしたいな、できないかなって。
でもわたしはなにも持ってないし。あげて喜ぶものって思いつかなくて。で、そういえばチョコは喜んでくれたなぁって思い出して、それで……」
テスカトリポカの皿に立香の定食の一部が載りだしたのはカルデアにおいて一番強くなってからだ。聖杯だ種火だとリソースを捧げられていた時はそれでよかったが、強さの上限を迎えたことでなにも捧げられなくなり、なんとか捻り出したものがそれだったということのようだ。
惜しげもなくリソースを注ぎ込んだのだ。それでよしと思っても良さそうなものだが、彼女はなにかしたいと思ったらしい。彼としては自身に勝利した戦士への支援は当然のことであり、それに対する対価は望んでいなかったのだが。
彼のために時間を費やしたこと。喜びそうなものを懸命に考えたこと。誠意や自身を尊重の気持ちがくすぐったくなり、テスカトリポカは思わず口元を緩めた。それだけでは済まず笑いも込み上げてきくる。彼はそれを止めきれずに肩を揺らした。
「むぅ。笑うけどさ、食事って、わたしにとってはすっごく大事なことなんだからね?」
頬を赤く染めたまま口を尖らせる。立香は自身の行為を笑われたと思ったようだ。
「あぁ、悪い。違うんだ」
テスカトリポカは顔の前で手を振り否定した。理由を告げようにもなかなか笑いが消えない。そのせいで立香の表情はさらに厳しくなる。……とは言っても、赤い顔で口を曲げているだけだ。怖さなどなく、少女らしく可愛らしい。
ますます笑みが深くなり、テスカトリポカは咳払いをして無理矢理それを追いやった。
マスターを笑ったワケではないと伝えるつもりだったが、そうなると戦闘に対価は不要と考えていることも説明することになる。それでは彼女の行為を無下にしかねない。
たしかに人間の短い人生で食事の機会など限られる。しかも任務中はレーションで済ませることもあるし、食事をとれないこともある。彼女にとって腰を据えてゆっくりと好きな料理を摂ることはたしかに貴重だろう。
好きなものを我慢してそれらを彼のためにわざわざ差し出したのだ。その心は尊重すべきだ。
テスカトリポカはどうやって話を落ち着けようかと考えた。
「あー……」
テスカトリポカは思考を巡らせながら少女の顔をじっと見つめた。立香はさっきまでむくれていたというのに、今はなかなか見かける機会のない彼の言い淀む姿を不思議そうに見上げている。
こちらをまっすぐ見つめる琥珀のように輝く瞳から視線をずらし、低めの鼻からうっすらと開いたくちびるへと辿ってゆく。食事の後で赤く色づいたそれをなんとなしにじっと見つめ、彼はぽつりと呟いた。
「オレはくちづけでも構わないんだがね」
「えぇぇっ?」
ガタガタと椅子を軋ませ立香が上半身を仰け反らせた。瞳がこぼれ落ちそうなほどに大きく目を見開き、顔も首も一気に真っ赤に染まっていった。
テスカトリポカとしては無意識に……考え事の間に別の人格が表層に出たせいで口をついた言葉であった。
まぁ事実、イチゴかキスかで言えばキスの方が好ましい。
口から出てしまったものは取り消せない。テスカトリポカは否定も取り繕うこともしないことにした。人格のひとつに乗っかることにしたのだ。
テスカトリポカは全能であって万能ではない。賽を振るがそれだけで、結果は彼にもわからない。彼はどんな賽の目が出るか身を委ねることにした。
「なっ、くっ……くちづっ……えぇぇ!?」
立香は真っ赤に染まった頬を両手で覆い、大きめの独り言を繰り返している。初心過ぎる彼のマスターのあまりの動揺っぷりに若干かわいそうになる。視界の端に彼女以上に真っ赤なモノが入り込み、コレを利用しようと思いついた。別の選択肢も与えることにしたのだ。
「『対価』をおまえさん手ずから食べさせてもらうってのでもいいぜ?」
テーブルに肘を置き、立香に向けズイと顔を近付ける。あーと口を開けてみせた。
「ひ、ひぇ……」
立香は距離を詰めるテスカトリポカから逃げるように背もたれに体を預け、驚愕の表情を浮かべたまま固まってしまった。
自分の一挙手一投足に翻弄されるマスターの姿に、テスカトリポカの中に残っていた不快感はすっかり消えていた。
機嫌良く口の端を吊り上げ、俯き考え込む立香をじっと眺める。オレンジの髪から覗く耳は真っ赤だ。
「えぇっと」「どうしよう」と微かに聞こえる。まだまだ決心がつかないようだ。
テスカトリポカは泰然と構えて立香の回答を待った。
テスカトリポカは「対価」の落ち着く先はふたつめの選択肢だろうと考えていた。さっきの反応を見るに彼の口に料理を運ぶことも彼女にとってハードルが高そうだが、くちづけはそれ以上に難易度が高い。なにせ色事にまったく慣れておらず、彼からの頬へのキスだけでも沸騰しそうなほど真っ赤になるのだ。
彼は賽を振り成り行きに身を委ねるつもりだったが、その後助け舟を出し天秤を傾けることになった。
(ま、それで良しとしよう)
口元へと料理を運ぶたびに彼女は顔を染めるだろう。それを眺めるのはきっと気分がいい。なにより食堂で立香手ずから差し出されたものを口にするとなると、彼女のことを好意的に見ている者たちは阿鼻叫喚だろう。想像であっても優越感を覚え、にやついてしまう。
「あの……」
立香が徐に顔を上げた。顔も首も真っ赤であるが、眼差しに強い意志を宿している。
「なんだ?」
テスカトリポカから促され立香は怖じ気付き少し言い淀んだが、やがてキッと再び強い視線で彼を射抜いた。
「どっちのほうががうれしい?」
テスカトリポカは目を丸くし固まった。
「はっ?」
立香は変わらずに彼をまっすぐに見つめてくる。彼女は難易度が低い方……安牌な方をとるだろうと思ったが、悩んだ末、あくまでテスカトリポカが喜ぶものを選ぼうと考えたのだ。自身に羞恥は二の次として。
脳内の人格たちは早々に意見を合致させ、くちづけ一択だろと声高に叫んでいる。しかし彼らは表層に出てこようとしない。もちろん『彼』もくちづけ一択であるが……。
(嘘を言うことは矜恃に反するとはいえ、くちづけのほうがうれしい神ってどうなんだよ……!?)
答えを返さない彼の様子を見て、立香は身を乗り出しさらに言葉を重ねた。
「こっ……これからは、うれしいほう、するからっ! 戦闘で助けてもらってうれしいし、うれしいはうれしいで返したい!」
支援への純粋な感謝の気持ちもくすぐったいし愚直なまでの誠意も好ましい。とはいえはっきりとうれしいほうを言えと詰め寄られ、ますます回答がしづらくなる。
立香の反応を眺め悦に浸っていたというのに、追い詰められたのはテスカトリポカのほうだった。
さて時刻は昼時。ストームボーダー内の食堂が一番の賑わいをみせる時間帯である。
カルデア職員やサーヴァントたちでテーブルは埋まり、笑い声や語らいで騒がしかった室内は、人の数は変わりないというのに今や静まり返っている。みな空の皿を載せたトレーを前にして事の成り行きを固唾を呑んで……または目を輝かせて見守っているのだ。
(食い終わったんならさっさとでてけよ!)
答えに窮したテスカトリポカは当て擦りのように頭の中で叫んだ。
uploaded on 2025/05/15